大切な人のために
イエラクスとテルクニアは所用で朝から外出していた。
「ねぇ、ティア」
「何ー、ラクスくん」
王都の噴水広場。<漆桶の魔手>襲撃事件の際粉砕されていた場所だが、既に土魔術を応用した復旧は済んでいる。とはいえ、何人もの一般人が命を落とした場所だから誰も寄り付かなかった。―隠し話には最適の場所。
イエラクスは空を飛んでいく鳥を目で追いながらサンドウィッチを齧った。
「ボク、留学することになったんだ」
その告白がテルクニアにもたらした衝撃は顕著だった。全身の動きが止まり、瞬きだけが繰り返される。数分完全に沈黙がこの場を支配して、テルクニアが愕然とする。
「…………嘘ねー」
「本当だ」
テルクニアは意に介さない。
―ただ、両手で頭を抱えてベンチの端に高速で移動。よっぽどショックなのだろう。ブツブツとうわごとのように呟いた。
「……ぇ、うぅん、嘘よねー。ラクスくんが私のことを置いていく訳ないもの。大丈夫よ、私…………今のはラクスくんなりの努力の結果の冗談なんだからー。下手で最高に笑えない冗談だけど、気にしなくていいのよ、私……」
イエラクスは普段自分がテルクニアからどう思われているのか、猛烈に知りたくなった。問い詰めてやりたい気持ちがせりあがってくるが無理矢理押し殺して、もう一度告げる。
「冗談じゃないんだ、ティア……ボクは次の三月から三年間共和国に留学する」
本当は、望んでいない留学。だが、従わなければならない理由がある。―イエラクスと、テルクニア。二人の将来のためには。
「どう、して……もう、五階位で…………次の九月には、二人で卒業できるって……そうしたら、来年の今頃には結婚式かもね、って」
「父さんから留学の話をされたのはその二日後だ」
「そんなのって―」
「―ごめん。あったんだよ」
イエラクスは俯く。入り組んだ事情を順番に語っていった。
王国と共和国の取引。共和国側の研究者を王国に招くことになったこと。その交換の人質として共和国に留学生の体裁で誰かが滞在することになったこと。イエラクスの父親は宮廷魔術師―イエラクス自身も魔術師を志していることからいい経験にもなるだろうと判断されたこと。
そのことを告げられた夜のことは、鮮明に覚えている。
事情が記された手紙を読んだ。勿論、反射的に声を上げた。
「それは……っ、ティアとの、婚約だって」
テルクニアとの婚約。本来結婚式は一六歳になる春に行う予定だった。それがテルクニアのセレナイト学園合格によって遠ざかった。昇格のペースでは、次の九月に卒業できる。だから来年の春には結婚式を挙げられるはずだった。―それが、三年も後になるというのか。
高位貴族の令嬢の嫁入りなんて、魔力計測も行われ、成人とは別なものの人生において大きな転機となりえる一五歳前後が普通。ただでさえ遅かった予定が後ろ倒しにされているのに、テルクニアをこれ以上は待たせられない。
―もしイエラクスが共和国で命を落とした時、二〇歳を超えたテルクニアのことを誰が幸せにしてくれるのか。
でも、イエラクスの父親―<泥塑の魔術師>ヴェルナーは首を横に振る。彼はテルクニアを実の娘のように可愛がっていた。イエラクスと同じ不安に行き着いただろう。―それでも、要求を突っぱねられなかった。王命、という言葉が脳裏をよぎる。
「拒否出来たら良かったのだが……すまない、イエラクス」
「…………」
「だが、あの子の未来は何があっても私が守る」
一瞬で息が詰まった。
これが宮廷魔術師の圧なのか。申し訳なさと、毅然とした覚悟が入り混じった表情で。どこまでも苦しそうに、ヴェルナーは言うのだ。
「お前が帰れなくなったとしても、必ずあの子を一人にはさせない。望んだ道に進めるよう手回しをした上で決して危害が加わらないようレジュメル家の力を存分に使って守り切る。あの子の人並以上の幸福だけは、私が保証しよう」
やや寡黙な傾向があるヴェルナーがここまで語ったのは意外。だから頼む、と初めて必死になる父を見て、首を縦に振らないわけにはいかなかった。
了承はした。ただ、だからといって納得は出来ない。―納得させることも、きっと。
「............本当に、ごめん」
もう何度目かになる謝罪の言葉はテルクニアの冷えた声に遮られる。
「―もう、いいわぁ」
その瞬間。動きが、震えが、止まった。
―それほどに、綺麗な声。
テルクニアは紫紺の瞳を細めて笑う。いつもとは違う―それ以上に、いつもと同じ笑顔で。
「ラクスくんは気にしなくていいのよ」
「............」
真意は読み取れない。だが、少し―否、かなりテルクニアの頬は赤い。
彼女は幸せそうに言葉を繋ぐ。いつの間にか、その声は太陽よりも暖かい。
「ラクスくんならきっと大丈夫。私のために、何をしてでも戻ってきてくれる」
「......共和国を滅ぼしてでも?」
意地悪な問いかけには意味深な視線だけで反応があった。思わず口元が緩んでしまう。確かに、共和国ぐらいならどうにか―なんて思ってしまうあたり、イエラクスはベタ惚れだった。
「それに―あれだけ惚気られたら......信じないわけにはいかないわ」
ん、と少し記憶を探る。先程何と言ったか、思い出して―心境まで赤裸々に語ってしまったことに気付く。
左手でテルクニアから見えないよう顔を覆う。―勢いのまま何か話題を逸らそうとしたところで悲鳴が上がった。
「......っ、何が」
ただの引ったくりや酒場での軽い暴力ならばまだいい。だが―
(今のは......爆弾?)
―先日、<漆桶の魔手>の襲撃があったとなると全く笑えない。
吐息を一つ落として立ち上がる。サンドウィッチの残りを口に運んだ。ホルダーから杖を取り出す。
「―まさか、置いて行ったりはしないわよねー?」
「当たり前だ、ティア」
聞かなくても分かるような質問に頷く。隣、ふふんと自慢げに胸を張る少女の右手の薬指に懐から出したあるものを嵌める。
―空色のアクアマリンがあしらわれた指輪。
結婚指輪じゃない。ただの婚約指輪だ。
だから、言った。人生の原点となった、あの日の彼女と同じように。
「ねぇ、ティア―ボクと結婚してくれるかい?」
「勿論............多分、遠距離の方が再会したときに幸せになれるわぁ」
二人は、爆弾を順番に無効化していった。
*_*_*_*_*_*
悲鳴だけが響いていた。それと対照的に少女は無言で人波とは反対の方向に歩いていく。着用しているワンピースの裾が揺れた。
誰も気に止めない。
既に王都は戦場と化している。その中で逃げる人々とは反対の方へと向かっていく少女が、薄く微笑んでいることには気付かない。
やがて、足を止めた。酒場の裏に積まれていた樽の蓋を背伸びしながら外して、中を除き込む。
「........................あった」
そこに入っていたのは黒い物体―爆弾だ。人々が逃げ惑っている原因。段々と魔力が膨れ上がっている最中で、摩擦音が聞こえてくる。まさに爆弾寸前のタイミング。今から逃げても、少女が効果範囲外に出るにはギリギリだが、この場を動かない。
その代わり、呟いた。
「―確か、こんな感じで......」
うーん、と唸りながら魔力を巡らせてみる。体の中に確かに感じられるその感覚を研ぎ澄ませるかのように続けていると、目の前のそれが限界を迎えて―
「............えい」
―生み出された氷によって、爆発を免れた。
爆発の寸前、魔力が最大まで膨れ上がった時点で付与された闇属性は消滅。そして魔力と関係ない爆発ならば、強力な氷魔法で止められる。
少女は氷付けになった樽にニッコリ笑って頷くと、次の反応の場所へと歩き出した。
―後に、<漆桶の魔手>の襲撃の後。爆発を免れた場所はある程度あり、その範囲内にいくもの氷塊が発見される。全て魔力濃度の恐ろしく高い魔力生成物。魔術組合が調査しても、氷魔法の使い手は名乗り出なかったという。
*_*_*_*_*_*
「キリがないとはこのことか......」
ロウデンは手に握った剣を振って呟く。王都では爆弾騒ぎだけでなく、魔物まで姿を見せるようになった。ロウデンは魔術師ではないから結界や術式干渉は出来ない。だから魔物退治に専念しているのだが、全く終わりが見えなかった。
疲労はない。戦争が終わってからも毎日鍛練を続けていたからだ。戦場では自分で考えて行動してくる兵の相手を飽きるほどしていたので、魔物では張り合いがない、というのもあるが。
魔物がどこから湧いているのかすら分からない。ここに相棒がいたら分かったのかもしれないな、と小さく笑ったとき<漆桶の魔手>のローブを着た人物が王都の外へ繋がる道を歩いていくのに気付いた。ちょうど避難所の方角だから人波に紛れて気付かれにくい移動だ。
(学園との同時進行の襲撃......爆弾や魔物は撹乱か。戦力の分散がされている)
つまり、学園での襲撃に重きをおいている。―王都での騒動は学園からの脱出のため。
そう考えると辻褄が合う。王都内にいる<漆桶の魔手>の構成員は脱出経路確保が仕事だろう。
「......逃がすわけにはいかない」
屋根に乗り移って後を追う。蛇行して、追っ手を撒くような移動方法をするとしても、屋根からでは関係がない。まずロウデンの気配を探れる人間は限りなく少ないのだから、下っ端には無理だろうが。
そしてとある宿屋に辿り着いた。構成員は中に入っていく。
外套を纏って帯刀していることを隠すと足を踏み入れる。ガコン、と角を曲がった位置から音がした。―その先を覗くと、誰もいない。
(............どこに消えた?)
気になったのは物音。何か仕掛けがあるのだろうか。
周囲を警戒しながら壁や床を探る。だが、ロウデンの雑な捜索では何も見つからなかった。どうするべきかと腕を組んだとき、宿屋の扉が開閉される音がした。―何者かがこちらに向かってくる気配。
「............」
咄嗟に人の気配がない近くの部屋に隠れた。部屋の外を窺うとやはり、ガコン、と何かを動かす音。
剣の柄を握って部屋から飛び出す。その人物は予想通り構成員だ。危なげなく首を打って崩れ落ちたところを縄で縛った。
「礼を言う」
構成員が隠し扉を開けてくれていた。板をスライドさせるとレバーを引ける仕組み。板を落とすことでガコンと物音が鳴っていたようだ。
そして隠し通路を抜けた先は―
「まさか、拠点の一つだったとは」
―<漆桶の魔手>の拠点。
この経路からまた別の拠点へと移動する段取りだったのだろうか。―詳しいことはとにかく、拠点を発見できたことには違いがない。かなり広い空間で薄暗い。黒い影がたくさん蠢いていた。とりあえず地面に描かれた魔方陣を破壊。
すると、こちらに視線の一つすら寄越さなかった構成員たちが一斉にこちらを向く。不気味な光景だったが、素晴らしい展開だ。
外套を落として、剣を抜く。服の袖を緩めた。意識を戦いへと切り変えながら訊ねる。端から答えなど期待していない問いだったが。
―きっと、ミラは学園で戦っているだろう。<漆桶の魔手>との戦闘は危険だから控えてほしいものだが。
「ここを潰すことは......愛娘のためになるだろうか」
―拠点にいた構成員、全四六名。全力を発揮した<剣狼>ロウデン・バーバランによって、二分で拠点は制圧されることになる。
次話、<漆桶の魔手>襲撃編終了となります。




