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その黎明に祈る  作者: 願音
<漆桶の魔手>編
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居場所


 シドラスはいつまで経っても衝撃が訪れなかったからゆっくりと目を開けた。その視界に映ったのは、大きな背中だ。―幾つもの命を背負ってきた人の力強い背中。

 思わず見惚れる。その姿に、<漆桶の魔手>の使役獣と応対していることへの緊張感は見てとれない。ただ自然体で魔物の攻撃を防いでいる。その人についてシドラスは知らない。だが、ずっと戦ってきた人なのだと思った。


(............というか、敵......ではないか。じゃあ、誰だ?)


 とりあえずカッコいいけれど、誰かは分からない。分からないことは訊こう、と予選直後に決心したばかりだったので、あの、と声をかける。


「貴方は誰ですか」


 シドラスは知らない。その人が巷で『生きる英雄』と崇められている<雷霆の魔術師>アーカルド・カリウスだということを知らない。―だから、頭に拳が降った。

 勿論、その拳の持ち主といえば。


「お、ま、え、は......!魔術師を志すなら宮廷魔術師ぐらい覚えておけと常日頃から言っているでしょうが......!!」


 頭を抱え込んで呻く。痛い、と呟くがリチャードは気にしない。


「その人は<雷霆の魔術師>アーカルド・カリウス様です。......覚えておけ、このボンクラ」


 結局最後は暴言である。シドラスが肩を竦めていると防御結界を張ったアーカルドがこちらを振り返る。その髭の生えた顔に浮かんでいるのは豪快な笑み。アーカルドはシドラスの無礼をハッハッハ、と笑い飛ばす。


「構わんさ―それより、遅れてすまんな、弟子殿…………最近は遅れてばかりだ」


「あ、いえ......来ていただいただけで充分なんで」


「もっと頭を下げなさい」


 ペコリと下げていた頭に拳が降る。たんこぶが出来そうだった。両手で後頭部をさすっていると、若干遠くを見るように目を細めていたアーカルドが頭を撫でてくる。大きな、固い手だ。この手で、一体何人を救ってきたのだろうか。―この手で、何人を葬ってきたのだろうか。

 そんなことを考えてしまって少し怖くなるが、優しい手つきだったので気にしないことにした。アーカルドが何を為してきたにしろ、シドラスが命を救ってもらってその上、親しみを込めて頭を撫でられていることには違いはないから。


「<漆桶の魔手>の相手......よく成し遂げた」


「結局間一髪で助けられただけで......死にかけたんでおれなんか、全然」


 目を逸らす。調子に乗って、油断して、死にかけたところを助けられた。そんな状態で胸なんて張れる訳がないのだ。

 でも、アーカルドは快活に笑う。


「その間一髪で命を落とす者が殆ど―生存できる人間が持っているものは何だ?」


「............成長?」


「小説の読みすぎだな」


 小さく噴き出しての言葉に顔に熱が集まるのが分かった。王都では恋愛小説の他に冒険を描いた小説も流行っている。自分もハマっていることに何とか気付かれまいと素早く、じゃあ何なんですか、と問いかけた。



「運だ」



 は、と声が漏れる。アーカルドはまた、豪快に笑った。過去の歴戦の経験を滲ませ、シドラスには一生かけても得られないであろう程の貫禄を纏って。



「命が危ない間一髪の状況(絶望)を塗り替えるのは運だ。ここぞといった場面で最善の介入(希望)を得るのが運だ。そういう人間が生き残る―君だって、天才の一人だ」



「―っ」


 昔見た場所には辿り着けそうになかった。大切なものを賭けた決闘では惨敗した。予選でも最後通牒を言い渡された。だから、シドラスは諦めた。

 自分は、凡人だと。凡人だから、凡人だけれど、凡人だからこそ。あの少女の一歩斜め後ろで生きるために向き合った。弱い自分と見つめ合って肯定して迷いを捨てた。凡人だから天才とは並べずとも、死角の一つを塞ぐことはできるはずだから。


 諦めた、のに。


(―この人は…………それを、おれに、言うのか)


 諦めたばっかりの、シドラスに。アーカルドは、お前は天才だ、と。


 アーカルドは英雄だ。今もなお、誰もに畏敬の念を抱かれる大天才だ。―その人が言うのなら、そうなのかもしれないと思えた。



 ―本当に、そうなのだろうか。

 ―もっとあの子の場所に近付けるのだろうか。

 ―自分を、誇ってもいいのだろうか。



 そんな問いたちに答えを与えて、シドラスはくしゃりと顔を歪める。泣き笑いのような表情になって、一応涙だけは流さずに。少しだけ猫と似た瞳が細くなった。眉を下げて、ぼやけた視界を元に戻そうとしながら。


 ちょっと強がってしまったのはきっと、シドラスが思春期だからだ。そういうことにしておこう、と思った。


「……そうに決まってますね。おれは将来彼女の隣に辿り着く男なので」


「ほう。誰かは知らぬが……いいんじゃないか、目標としては」


「ありがとうございます」


 礼を言って剣の汚れをはらう。よし、と頷くとシドラスは屈伸をした。戦いを継続するため体をほぐしていく。その間に、アーカルドはその間代わりに結界を維持していたリチャードの方を向く。


「<巣窟>殿」


「何でしょうか」


「行ってくるといい」


「..................」


 リチャードはただ沈黙してアーカルドを見返す。



「この場には俺がいれば十分だ……それに、会いたい人がいるだろう?」



 その言葉に、リチャードはふっと視線を外した。宮廷魔術師様には何もかもお見通しですね、なんて皮肉を言うと歩き出す。シドラスはその様子を見ながら、だから機嫌が悪かったのか、と思いつつ。魔法剣の詠唱を終える。


「準備終わりました」


「よし、では始めようか‼―と」


「ん?」


 剣を構えて結界から飛び出そうとしていたシドラスは首を傾げる。アーカルドはシドラスの肩に手を置いた。さっきまでとは少し違う、懐古のようなものが混じった表情で告げてくる。



「実はな。俺は魔法剣に詳しいんだ……稽古をつけてやろう」



*_*_*_*_*_*


 シドラス、アーカルドと離れてから一〇分後。

 リチャードは久しぶりにその女性と顔を合わせていた。自分でもよく分からない感情がせりあがってくる。女性はこちらをねめつけてくる。


「誰かと思えば……メイジャーか」


「コルニアス先生でなくて悪かったですね、レイチェル」


 研究棟の屋上、どこからか持ち込んだ椅子で足を組むふてぶてしい態度。レイチェルは途轍もなく嫌そうな顔だった。ブスッとしていて、普段よりも少しだけ口が尖っている。この表情をするときのレイチェルの心情を、リチャードは知っていた。彼女は素直ではないのである。


「魔力探知に引っかからなかったので驚きましたよ」


「魔力切れ」


「それでこんな目立つところで座っていたんですか」


「こういうところには目が向かないから」


「堂々と休憩する理由にはならないでしょう」


 呆れてしまう。リチャード公認の馬鹿弟子でも、魔力切れになったからといってすぐに発見できるような場所で呑気に座ってお茶を飲んだりはしないだろう。

 実際、<漆桶の魔手>は邪神の復活、という目標のために事件を引き起こす。そのため、目的外の行動はしないことが多い。そのため<漆桶の魔手>の襲撃では、目当ての場所でなければ目立つところほど見つかりにくいということはあるがそれでも極端である。


「魔術組合と王城の方に連絡を入れて救援が来ています。一隊と、宮廷魔術師二人……そして、私とレディ・リルグニストですね」


「ふぅん」


「順次危険な場所から駆けつけて鎮静化が始まっています。今回参加の幹部は見つかっていませんが」


「人死には」


「今のところは」


「へぇ」


 レイチェルが目を細める。教員の立場で死亡者が出ないように立ち回るのが役割とはいえ、<漆桶の魔手>の襲撃―それも、大規模な動員となると生徒の命が犠牲になっていないのは奇跡的なことだ。彼女も数人は仕方がないと諦めていたのかもしれない。

 リチャードは息をつくと魔石を手渡す。まだまだ働かせる所存である。


(...............とはいえ、レイチェルが無事でよかった)


 レイチェルはリチャードの元許嫁。親が決めた婚約だ。何度か顔を合わせてリチャードは徐々に惹かれていったのに、レイチェルに「結婚する気はないから断っとく」と一蹴されてしまったのである。普通に傷ついたものの、レイチェルにやりたいことがあるなら、と納得した。それ以降数えるほどしか会っておらず、人の話伝手に生存をそれとなく確認していただけだったが。それでも一応、危険な襲撃に巻き込まれたとなると心配だった。

 そんな内心も気にせず、レイチェルはあくびをして―ふと、リチャードの方を向く。


「寮の外に出ている生徒は?」


 確か、と名前を幾つか思い浮かべる。


「カイン・アルベルトが数日前から行方不明。他は居場所が取りまとめをしている生徒が把握している、とのことですが」


「そう……安全の確保は?」


「おそらく大丈夫です」


 カイン・アルベルトという男子生徒は数日前から学園の外だというので分からないが、他は軍で使用さる特殊感知魔術で確認したはずである。

 だが、レイチェルは眼光を鋭くする。



「............ミラ・バーバランの居場所は分かっている?」



 瞬きをする。そういえば。


 ―生徒を統率していた少女は、あの中で誰よりも優秀なはずのミラについて、何も言及していなかった。ミラが何の活躍も見せていないなんて、あり得るのだろうか。


「分かりません」


「……彼女、絶対外にいるから」


「それは分かります……!」


 眉間の皺が寄る。

 特殊感知魔術には引っかからなかった。生徒たちも教師たちも救援も把握していない。―となると、今、どこで何をしている?


「まさか、死んではいないでしょうね」


「あり得なくはない」


 助けに行かなければならない。少なくとも場所と状況を把握して、魔石などの補給物資は渡したい―だが。


「場所も分からないのに……あの娘が危険な目に遭っていても保護に間に合うかどうか」


「間に合ったとして一般兵じゃ逆に危険」


 ミラは既に、ハンデがあったとはいえレベッカと渡り合って勝利している。かなりの実力を備えた彼女が苦戦する敵に、一般兵では敵う訳がない。最悪の場合、ミラの注意をいたずらに引くだけで全滅する可能性がある。

 どうしたものかと思考が回る。今、学園の外でも騒ぎが起きた合図である狼煙が上がった。<漆桶の魔手>が逃走するために混乱状況を作り出しているのだろう。レイチェルとリチャードはそちらに行かなければならない。


「レイチェル、もう―」


 迷っている暇はありません。


 そう言おうとした声は背後に突然現れた人物に止められる。



「―その必要はないさね」



 誰だ、という問いは、空気に溶けていく。


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