どうなったとしても
「ああぁ......緊張する」
左手でバクバクと暴れまわる心臓を押さえて、右手で前日事務室から貰ってきた紙に計算式を書きなぐる。
この後はミラ対レベッカの準決勝がある。その時に使う予定のとある魔術の試算をしているのだが、これで五三回目である。レベッカ相手に戦うと思うと、ミラはぼうっとしていられなかった。不安で死にそうだった。
「私は負けられない......負けられないんだよ、私............今日は絶対に勝たないといけないんだからあああぁぁ」
一旦手を止めて机に突っ伏し、呻く。あああぁぁ、と物悲しげな悲鳴が部屋に響いた。
緊張する。息も苦しくなったきた。心臓はバックバクだし、寒気がするのに冷や汗を掻いている。ついでに右手も腱鞘炎気味で痛かった。
―そこに、ノック。
その音を聞いて、ミラは立ち上がり、扉を開ける。実にギクシャクした動きだった。
「......エリー?」
扉の前に立っていたのは、エムリナ。いつも通りに見えるが、いつもは訪ねてきたりしないので何かしらあったのだろう。
(エリーが私の部屋に......何の用だろう)
パチクリとすると、エムリナが目を伏せる。黒真珠のような瞳の露出が少し減って、陰りを見せた。憂いている様子は珍しいなとミラはそっと息を呑んだ。
「............少し話せる......?」
「うん。いいけど」
いきなりどうしたのだろう、と先を歩くエムリナの背を見ながら考える。エムリナが部屋を訪ねてくるのも、会話をしていて目を伏せるのも、初めて。
その間に、寮の屋上に辿り着く。エムリナが振り返った。
「............明日......」
「うん」
「............準決勝でしょう?アルベルトか私が決勝に残る」
「......そうだね」
エムリナが発する言葉はいつもよりも重い。躊躇っているようで、普段の彼女からは全く予想できない雰囲気を持っている。また、珍しいなと思った。
提示されたのは、くじの後からずっと考えないようにしていた話題。
「............面倒だから端的に言うけれど」
「............」
アナタはアルベルトと戦いたいの、と問いを投げ掛けられた。語尾が上がらずかなり分かりにくい。質問なら語尾を上げてほしいと場違いなことを考えてしまう。
ミラは思わず沈黙して、エムリナがやはり珍しく長く話す。
「............私はアナタと約束をしたけれど......アルベルトがいいでしょう」
「............」
考えてみる、ことにした。昨日の夜から、意識的に考えないようにしていたことを。
ちゃんと本心と向き合って、自分の感情を探る。
―答えは、すぐに出た。
なんだ、こんなことかと拍子抜けした。エリー、と呼び掛けて微笑む。
「どうなっても、いいよ」
「............」
エムリナは反応を見せない。ただ探るような視線をこちらに向けてミラの言葉を待つ。
「エリーが勝っても、カインくんが勝っても、私はいいよ」
「............綺麗事は言わないで頂戴」
「綺麗事とかじゃなくて」
落ち着こうとして一つ吐息を落とし、ミラは告げる。
「どっちが勝っても、どうなったとしても、私はそれでいい。エリーとは魔法交戦大会で戦うって約束したんだから、私は絶対にそれを実現する」
「............それは」
できない、とエムリナの瞳が言う。ミラはできるよ、と言葉を被せて、一歩踏み出す。
この季節の朝特有の冷たい風も気にせず、内なる熱を持って。
「もし......今回対戦できなかったなら、私は三月に卒業して―九月に、学園に戻ってくる。卒業して、半年でここに帰ってくる」
現実的ではない。セレナイト学園の教師は、卒業してすぐなれるようなものじゃない。レベッカも五年以上かかったのだ。
それでも、躊躇わずに言った。
「エリー―私は約束、守るよ」
それを受けて、エムリナが二度目の微笑みを浮かべる。黒真珠の瞳が薄く細まって、身分を抜きにしても彼女が社交界で人気な理由を教えてくれた。
「............えぇ、きっと」
―私も、守るわ。
そう、ギリギリ聞き取れるかぐらいの声量で言われてクスリとする。エムリナは変わったな、と噛み締めながら、言葉を交わした。
―まさか、あんなことになるとは知らず。
*_*_*_*_*_*
ミラの魔術師組合体験最終日。ドロシーと別れた後、前日に取り付けた約束のためミラは魔術師組合の応接室を訪れていた。
「それで............何の用ですか」
職員に用意してもらった紅茶を啜りながらリチャードがあくまで紳士的に訊ねる。言葉は紳士的なものの、足は組んでいるし滅茶苦茶帰りたそうな雰囲気を醸し出していた。
つい及び腰になりながらミラは口を開いた。
「この度は......その、リチャード様に頼みたいことがありまして」
「報酬によります」
この人はこんなにがめつかったっけ、と内心首を捻る。―とはいえ、報酬によってはどんなことも引き受けてくれるならありがたい。
「............どんなことでもいいですか」
「犯罪でなければ、大体は」
ふぅ、と一度落ち着いて、その後ミラは告げる。
「―なら、炎系統最上位魔術の術式の入手経路の確保と新規特級魔術開発の手解き......お願いしても、いいですか」
は、と間抜けな声がリチャードの形の良い唇から漏れる。ミラは途端に断られるかもしれない、と不安に煽られて捲し立てた。
「あの、今度セレナイト学園で魔法交戦大会があってですね。それに、私が卒業試験に出るとなると他の魔術も習得しておきたいというのがありまして。そうなると、この二つが思い浮かんだんですが、自分では出来なくて。頼むなら誰が一番いいかと考えたら、リチャード様だったんです。…………どうでしょうか」
「どうして私なんです?素晴らしい師がいるでしょう」
「……あの魔術。土系統特殊魔術。あれを編み出せる人の話を聞きたいというのと…………師匠より、リチャード様の方がその方面に顔が広いんじゃないかな、と思って」
「あの人の両親は商人ですよ?」
「それでも、です!」
自棄な響きを持った主張にリチャードが笑う。確かにそうですが、と呟かれた言葉に、背筋を伸ばした。ホッとする感覚はない。簡単に分かったからだ。
初めて会った講論会。別動隊での出来事。魔獣戦での立ち回り。
全てにおいてリチャードの場の渡り方は一線を画している。
―彼は、世渡りが上手いのだ。
「最上位魔術の術式入手と特級魔術開発の手解き―いいでしょう」
(…………どんな難題が来るか)
どうせ無理難題。少なくとも、達成した後に上手い事逃げられないようにしなくては、と意気込む。
―だが、続く言葉は予想とは違っていた。
「では、報酬として―二つの条件を提示します」
「―はい」
固唾を呑んで。リチャードの提示を待つ。
「一つ、今後二十歳で成人する前に<従事者>階級二級以上に出世すること。二つ、この件は私への借りとして私が求めた時相応の見返りをすること」
ポカンと目を丸くする。恐る恐るリチャードの顔を窺った。
「............し、素面ですか?」
「私、飲酒はしない主義でして」
失礼な発言に不機嫌さも滲ませず、リチャードはニコリと微笑む。すると紳士的で怒ってはいないものの、物凄い圧が伝わってきた。
喉がひきつるのが分かる。
「魔術開発のみでなくても、手解きはして差し上げましょう―まさか、逃げませんよね?」
この日から、ミラが魔術師として出世することは決定事項になったのである。
*_*_*_*_*_*
一歩ずつ、踏み出して会場の中央に向かう。観客が大量にこちらを見ているから一秒毎に緊張が増した。
(胃がキリキリする......)
ミラは基本、小心者である。多くの人間が自分の一挙一動に注目しているのだと思うと、やはりプレッシャーで死にそうだった。
向こう側から歩いてくるのはレベッカ。流石というべきか余裕の足取りだ。そのことをほんの少しだけ恨めしく思いながら、ミラは両頬をパチンと叩くと気合いを入れる。
「朝から啖呵きったんだもの......勝たないとね」
準決勝に出場する教師は魔術の同時維持が一つまで、というハンデを負う。とはいえ、油断するつもりはなかった。
―負けられないのだ。この戦いは、絶対に。
レベッカと言葉を交わせる距離にまで近付いて、ミラは精一杯の凛々しい顔をする。ほんの少し震える声。
「先生......勝てると思ってます?」
「さぁな」
「私は―勝ちますよ」
「出来るもんならやってみろ」
礼をした。最後は出来ないから、丁寧に。ホルダーから杖を取り出して構える。試合開始のアナウンスを聞いて詠唱を始める。脳内構築はすでに終えていた。
少し特殊な結界を張る。間髪入れずにまた詠唱を始めた。
レベッカは宮廷魔術師には及ばないものの、魔法戦においてかなりの強さを誇る。そんな彼女に勝つにはどうしたらよいのか。
―ミラが立てた方針は一つ。
レベッカの攻撃を結界が弾き、反射する。少し勢いが増しているのは、結界を通してミラが魔力強化を施しているからだ。特級魔術だとしても、何度か目にした<金鳥隻>の癖は把握しているから一回の攻撃で結界が壊れることはない。
もう一枚、結界を張った。これはその座標への付与。これで移動は出来なくなるが、他にもう一つ魔術を使える。
(術式固定、魔力圧縮。......複合回路正規作動。追尾術式......起動完了)
魔力が巡る。結界で稼がれた時間が、たった一つの魔術に費やされる。
一つ結界が破壊された。残り所要時間は一分。
「―<金鳥隻>、発動」
レベッカが発動した<金鳥隻>によって槍が降る―が、四〇秒は耐えられる。その間に、レベッカなら気付いてくれる。
「―......ったく、仕方ねぇな」
僅かに聞こえてきたその声に半透明の結界の中ニヤリと笑う。
―気付いた。
レベッカが<金鳥隻>を切って防御結界の詠唱を始める。攻撃が止み、好機が訪れる。
だからミラは魔力操作を終え、結界を解いた。もう、レベッカの攻撃は間に合わない。そして、結界があるとこの魔術は発動出来ない。
―ミラがレベッカと対戦するにあたって立てた方針は一つ。
レベッカは土属性なのに実戦に強い稀有な魔術師だ。魔力操作技術が恐ろしい程に優れている。戦略も上手い。
だから、魔法戦でレベッカと戦うとき駆け引きをしてはならないのだ。そして、彼女には手加減をして実力を測る癖がある。
歌うように、唄うように。
「―燃え滾れ、<拝炉宴>っ!!」
―炎系統特級魔術第五目<拝炉宴>。
ミラが制作した、五つ目の特級魔術。
ミラの杖の先から一筋の炎が発射される。白いそれはまっすぐにレベッカが張った結界に被弾し―一気に燃え上がる。
結界を構成する魔術式が燃える。普通はあり得ない―実体のない魔術式が燃えるなど!
「......あれ?」
微笑みながら魔術の行く末を見守っていたミラだったが、首をきょとんと傾げる。
その間にも結界が燃やし尽くされ、レベッカへと攻撃が移る。結界の魔力を取り込んで勢いを増した<拝炉宴>が試合を終了させた。だが―
―おかしい。
「術は発動したのに......どこか失敗した?」
思っていたものと違う―これも強力だっだが―結果に、ミラは唸った。
*_*_*_*_*_*
「アイツ、すげぇよなぁ」
感嘆の息をつきながら移動。試合開始まで一時間、カインはレベッカの部屋まで来ていた。数分前、拡声魔術を利用した放送で呼ばれたのだ。
失礼します、と声をかけて、扉を開ける。
「アルベルト」
「......ありがとうございます」
手渡されたのは一通の手紙。受け取って裏返し―裏の印を見て僅かに目を鋭くした。
レベッカは煙草に火を灯す。
「―......驚いたぞ、最初」
「............」
「リルグニストからほぼ五年ぶりの連絡で頼まれたしな」
「......その人に頼んだのはうちの婆なんで」
「婆なんて呼ぶなよ......凄い方だ、あの人は」
心の内で、なんであの婆はこんなに有名なんだ、と呟く。声には出さなかった。いつも、そう言うといつの間にか本人に伝わって面倒なことになるからだ。
「それより......中身は」
「知らない」
「ならいいです」
レベッカに見られないよう、部屋を出てから中身を見る。そして―愕然とする。
「............嘘、だろ」
唇を噛み締め、カインは手紙を握り潰す。連絡を入れることさえ忘れて、全力疾走を始めた。
*_*_*_*_*_*
そして翌日。観客席でエムリナとカインの入場を待っていたミラはアナウンスに目を見開いて驚愕する。口がポカン、と無意識に開いて、嘘、と声が漏れる。
『申し訳ございません!!試合開始時刻になりましたが出場者であるカイン・アルベルト様の姿が見えないため、エムリナ・ルーティング様の不戦勝となります!!』
会場中がざわめく。
「............カインくん、どうして」
ミラの溢したその問いは、誰にも届くことはなく地に落ちて、消えていく。




