惚れない訳にはいかない
「こんにちは、ミラ嬢......おれと結婚しませんか」
その告白に、ミラは。
「............」
―シドラスの足元に向けて沈黙したまま炎魔法をお見舞いしていた。
「危ないですね」
「............話すことはないもの」
シドラスは難無く避わす。その姿をミラは観察した。
(髪型とか制服とかはいつもと変わらない。魔力量は一五〇をきったところ............剣が模擬専用か)
思い返せば、剣を扱う人間と戦うのは初めてだ。剣の模擬戦はしたことがない。元の学校でも体術の授業は避けていた。剣戟の鋭い音を聞くだけで身がすくんだ。―でも、もう怖いとは思わない。
いつか、魔法騎士団やロウデンが指導を担当する剣士団の練習に参加してもいいのかもしれない。
そんなことを考えていると放っておかれたシドラスが不服そうに口元を尖らせた。
「ミラ嬢......いくら嫌でも無視はないでしょう」
「......ぇ?」
「ずっと話しかけていたというのに」
「......無視したいぐらいなんだけど」
「これはお手厳しい」
口の端がひきつる。どうして大事なときにこの人は、とミラは心の中で地団駄を踏んだ。早く会話を終わらせようと魔術の準備を始めていると、ふいにシドラスが顔つきを真面目にする。
「............それで、お返事は」
(返事って、そんなの)
したじゃないか、と考える。返事。告白の返事。したはずだ。一番最初に、即決で。
本気で意味が分からず全て有耶無耶にすることを考える。それがいいはずだった。―だって、ミラには人の想いを踏みにじる覚悟がなかったのだから。
「どうせ毎日顔を会わせられるのはもうすぐ終わりでしょう。折角なら、答えが分かっていても最後に聞いておきたい」
「............それは」
「お貴族様だし駄目ならいいですけど......返事ぐらい、平民でも望んでいいでしょう」
寂しげな声に、そっと目を閉じる。一度肺の中の空気を全て押し流した。
ミラは春に近付く柔らかな風を少し伸びてきた髪に浴びて、口を開く。肩の高さに杖を合わせて、毅然と顔を上げる。
―初めてだ、この人と向き合ったのは。
きっと、これは最初で最後。それでも、ミラは普通の少女ではなく、貴族の子女として告げる。
シドラスがそれを望んでいる。もしかすると、彼も踏ん切りがつかなかったのかも知れなかった。
「―シドラス様」
ミラの纏う雰囲気が変わる。
毅然とした、貴族令嬢へと。代々優れた剣士を生むバーバラン家の子女に相応しい女傑のような立ち振舞い。一つ一つの動作が洗練され、素人ならではの隙があるはずなのにそれを探れなくなる。
シドラスはあまりの変わりようにポカンと口を開けた。呆気にとられた顔が間抜けで、ミラはついクスリと笑った。
「......はい」
「<剣狼>が娘、ミラ・バーバランが決闘を申し込みます。場所はここ、今日これから。魔法戦結界内での決着と致しましょう―ただし」
「は?」
―どうせ最後だし、派手にいこう。
ミラは壮絶な笑みを浮かべる。はなから負けるとは思っていない。
「私が勝てばもう私用で関係を持たないこと。そして、もし私が負けたときは」
一度言葉を切った。負けるとは思っていなくても、その先を言うのは勇気がいる。でも、言った。言ってやった。そんな達成感溢れた感想を胸に抱く。
「貴族の位も、魔術師としての未来も全て捨て―私は貴方に嫁ぎましょう」
シドラスが絶句するのを眺めながら、余裕の笑みで挑発してみる。それを望んでいたのではなかったのかと呆れながらも、いつも困らされてばかりだったから胸がすく。
「私がこうまで言っているんです―受けてくださいますよね、シドラス様?」
*_*_*_*_*_*
決闘はミラの手堅い防御から始まった。
防御結界の展開。物理攻撃も魔力攻撃も弾く結界は、主に魔法剣を扱い魔術の腕はそこそこなシドラスとは相性が悪い。
(どう打ち込めばいいんだろう......痛い思いはさせたくないんだけど)
決闘、といってもシドラスはミラに惚れているのだ。カインのときとは違って、一度攻撃するのにも一抹の躊躇が混じる。
―痛い思いはさせたくない。もし怖がられてしまったらどうしたらいい?治るとしても怪我をさせてしまうかもしれない。
そんな考えが脳裏を過って攻撃の手が緩み、ミラはそこを的確に突いてくる。
シドラスの勘ではミラとの間で残量魔力に三倍以上の差がある。今、シドラスはただでさえ魔法剣を維持して魔力消費量が多いのだからこの差は段々広がっていくだろう。
―何か、裏をつく必要がある。
魔術の同時維持は大の苦手。制御には自信があるが、操作も大雑把だとシドラスはよく師匠に怒られる。魔法剣のための術式は暗記しているが、完全に理解しているとは言い難い。
魔力は三〇〇弱だがミラと出会ったときには半分に減っていた。現在、残り五〇を下回っている。まずい、という焦りが生まれてきた。
(......特攻か)
どうも自分は馬鹿力のようだ、と認識したのは七歳のとき。それから町の人間の手伝いをして小銭を稼いでいたら、故障した馬車に呼ばれた。そこで出会ったのが魔術の師匠。リチャード・メイジャーは対魔物戦に強い有名な魔術師だった。
言われたことは一言一句覚えている。
曰く、『お前の魔術は雑。見る者が見れば気絶するぐらいには気持ち悪いです。魔術師にはてんで向いていません』、『魔術式の勉強をしなさい。同時維持も鍛えなさい。操作も未熟。制御は人並み程度。よく魔術師として出世したいとか言っていますね?』、『お前を拾ったことを私は毎日後悔しています。馬鹿力なんですし兵士団に就職しては?』。最後はただの暴言だった。
少なくとも、指摘は全て正しい。口が悪く態度も悪いが的を射ているのだ。
―シドラスは術式理解が浅い。操作も制御もまだまだ未熟で、同時維持には手が届かない。
―シドラスは馬鹿だ。そして馬鹿力だ。昔からの手伝いのせいでかなり屈強な体つきになってしまったし、剣の扱いには逆に自信がある。
魔術師よりも兵士の方が向いているに違いない。騎士団にも、適正はあるかもしれない。―というより、魔術師には絶対に向いていない。シドラスの性根も、実力も。
でも、魔術師がいいのだ。魔術師になりたいのだ。魔術師でないと駄目なのだ。魔術師以外にはなりたくないのだ。
『魔術師には向いていない』。
その言葉を聞くと、傷つくよりもまず魔術師を志した出来事が思い浮かぶ。遠征でシドラスが暮らしていた町を訪れた宮廷魔術師。名前は知らない。ただ、炎系統特級魔術だということはその時に教えてもらった。
辺鄙な町の祭りの余興に呼ばれた宮廷魔術師―今では、それがかなり得意なことだと分かるが、その時は何も知らなかった。ただ、自分も手が届くかもしれないと憧れた。
空を舞う白炎がいかに美しいか。それはシドラスのつたない語彙では表現できない。
真っ黒な曇天に、完璧な軌道を描いて駆ける炎。純白のそれは宝石のようで、シドラスは呼吸までも忘れてそれに魅入った。月明かりが一切なくとも眩い炎は綺麗も壮麗も秀麗も、全ての言葉を尽くしたとしてそっくりそのまま他人に伝えられるかどうか。
それがどんな努力の末、辿り着いた境地なのか知らなかった。天才が一生努力を重ねても死に際に辿り着けるかすら怪しいような至難の業なのだと知らなかった。何も知らなかったのに、シドラスは望んだ。
その技を、世界を再現することを。
そしてがむしゃらに王都への路銀を稼ごうと働いた。リチャードと出会ったとき、上級魔術師だと気付くと弟子にしてほしいと土下座をしながら頼み込んだ。―そして、学園祭についていった。
そこで見た光景を、シドラスは忘れられない。
「『これより、最終演目へと移ります。セレナイト学園第五階位生徒が炎系統特級魔術第ニ目<光芒淵>を披露致します』」
そんなアナウンスに、心躍った。生徒の魔術というから、簡易化とやらを利用した大したことのない魔術なのだろうと無意識に考えつつ、シドラスは胸が高鳴るのを感じた。噂話によると第五階位の生徒というのは入学して半年も経っていない少女らしい。自分と同い年の少女が簡易化だとしても<光芒淵>を行使できるような高みにいるのだと思うと、前のめりになってしまった。
気が遠くなるほどに長く感じられた時間を越えて、シドラスは息を呑む。
「『............巡り輝け、<光芒淵>』」
一目で、それだけで、会いたい、と思った。その少女に。
宵闇に浮かんだ白い光はそれほどに綺麗で、あの日の―それ以上に美しく見えた。だから、それは至極当然な事なのだ。
―シドラスがミラに惚れたのは。
我儘は最後にするから、とこれまでにも散々下げまくった頭を地面に擦りつけて、学園に入れてもらった。本来基準には達していなかったが、三月までの見学生ということで話が通り、編入できた。初めて言葉を交わしたときのあれはシドラス自身も失敗した、と落ち込んだ。それでも諦めきれずに何回も挑んで完敗した。自ら申し込んだ決闘でも完敗を喫して、流石に呆れた。
(…………もう、諦めてしまおうか)
勝ち筋は一切見えず、遠隔魔術で飛んできた炎の矢を躱しながらシドラスは考える。
シドラスの魔力は減るばかり。体力も同様で、流石に息が上がってきた。攻防が始まってから大した時間は経っていないのにここまで疲労を重ねているのはミラの攻め方が上手いからだ。無理な動きを繰り返せばギリギリ受け流せるかどうか、そんな瀬戸際の攻撃を繰り返してくる。
完全に負ける前に、一応悪足掻きでもしておこうかと、足に力を込めて飛び出そうとしてハッと目を見開く。
―頭上に、火球。
巨大なそれは、今から全力で走ったところで避けられない。ミラの声が響く。毅然とした、いつもの儀礼詠唱と同じ声。
「―爆ぜろ、<火寵焔>」
あぁ、と攻撃を受けながら感じ取る。諦めることなんて、出来るはずがない。
(―こんなもの、惚れない訳にいかないじゃないか)
それも、何度だって。
シドラスは意識がプツリと途切れる寸前、その声を聞く。
「私の勝ち―仕事以外では、絶対に会ってあげないんだからね」
ミラは数分の攻防の中で、これまでの出来事の振り返りの中で、何を感じ取ったのか。それはシドラスには分からなかったが。
迷っていた背中を押されたどころか、突き飛ばされた気分になる。
―いつかきっと、貴女に逢いに行く。




