穿つ者
「リルグニストは、本人が言うほど得意ではありませんよ」
その言葉に。
ミラは息を呑んだ。ヒュ、とおかしな音が鳴る。思わずレイチェルに詰め寄る。
「どういうことですか?」
「そのままの意味です」
レイチェルのそんな冷淡な返事が思考を邪魔しようとする。ミラは心のどこかで聞きたくないと思いつつ、焦燥感に突き動かされながら次の言葉を待つ。
「リルグニストの幻術は人間にとっては紛もなく脅威ですが......ドラゴンには効果が小さい。攻撃魔術の腕はそれなりでしかない。上級魔術師の中では下から数えた方が早いと思いますよ」
「......っ、」
魔法交戦大会では幻術を駆使して勝ったのだと言いたいのだろう。『それなり』という言葉がどれ程のレベルを指すのかすらミラには分からない。
―ただ、無力な自分が恨めしい。
「ならっ、師匠はっ!!」
張り上げた声と対照的に、レイチェルのそれは冷たいまま。
「さぁ。死んでもおかしくないことは確かですね」
血が、一気に引く。廊下の気温が一気に低下した気がした。ミラは青ざめた顔でよろめいた。
「......そんな」
「まぁ、案外生き残るかもしれませんけどね」
ミラは、付け足すように言われたそんな言葉にも反応を示さず、考える。
(師匠が、死ぬかもしれない。......私のすぐ近くで、私が無力だから、人が死ぬんだ)
鼻の奥がツンとしたところで、思い至る。レイチェルの目を見る。
「......どうして、私にそれを伝えたんですか?」
「......」
「師匠と話していたのは、私の安全をどう保つかですよね?なら、どうして私が師匠を追いかける理由になるようなことを伝えたんですか?」
「......」
どこか逡巡するように、言葉を探していたレイチェルは観念したかのように息を吐く。
「私が『腐れ縁』以上にはリルグニストを―ドロシーを捉えているから......かもしれません」
姓ではなく名前でドロシーのことを呼んで、窓から外を眺める。レイチェルは右手を握り込んでいた。
「渡したもの以上を借りたままですから」
数瞬後、レイチェルは静かに「......って、私は何を語っているんでしょう」と苦笑して、初めてミラに笑いかける。優しい笑みだった。下がった目尻が、その印象を増長させる。
「何より、アナタの顔に書いてあったので」
「......え?」
「『私が無力だから人が死ぬ』......烏滸がましいですよ。アナタは『無力』じゃない。まだ『未熟』なだけ。その言葉を吐いていいのは、凡人のみ。天才が、何もせずに諦めるな」
レイチェルの思わぬ激励に、視界が歪む。頭が熱を持ち始めた。
「でも......!!私にできることなんて、」
「それを決めるのはアナタじゃない。魔術は使えなくても、武勇が無くても、有り余る魔力があるでしょう。なら、挑戦する前から諦めるのは凡人への侮辱です」
「有り余る魔力......魔法......?」
ようやく、ミラは思い当たる。自分でも、扱える唯一の武器。突出した項目。
魔法とは、普通のように魔術式を介すことなく直接魔力を行使する術。魔力消費は増えるが当然、詠唱は必要ない。
―気付けば、決意は固まっている。
「私、いってきます」
ただ、真っ直ぐと。
レイチェルを一片の曇りもなしに見つめると、微笑まれる。
「頑張りなさい。後ろは私が出来る限り守りましょう」
演習室の扉を開けて、訓練用の杖を握る。
―ミラの記念すべき初戦闘が始まろうとしていた。
*_*_*_*_*_*
魔術組合の建物の外では、辛うじて戦線が成り立っていた。ドロシーが加勢すると、僅かに勢いを持つ。
「<泡沫の魔術師>様!!」
こちらに呼び掛ける声に、迫るドラゴンの爪を風魔法で避けて応答する。
「援助はする!!」
ドラゴンと対戦する際、一般的には遠距離から攻撃するものだと考えられていることが多い。しかし実際に魔術師が対戦する場合、遠くからでは魔術式の距離計算ができない。そのため周囲を駆け回ったり、飛行魔術で飛びながら攻撃を行うのだ。
結果的に、最も危険であるドラゴンの近くに寄らなければいけないので戦線崩壊が起こっていなければ、幻術はドラゴンの攻撃を空振りさせる術として重宝されることになる。
当然、幻術も対象にある程度近寄る必要がある。その対象が多ければ多いほど、術者の負担は大きい。
「......っ、!!」
限界は、突然やってくる。
詠唱が間に合わず、少し離れたところで体勢を崩した魔術師に迫ろうとするドラゴンの尾に無理矢理風魔法を撃ち込んでその場を凌いだ。これが、もう数回。
段々と幻術が間に合わなくなり、余裕でかわせていた攻撃が咄嗟の判断によっては避けきれないものに変化する。
「このままだと、」
―全滅。
そんな言葉が脳裏を過る。
走り回りながらの詠唱ですっかりきれた息のせいで思うように呼吸できないのがもどかしい。
ドラゴンは既に数匹駆除されている。だが、それ以上に味方も脱落している。魔力も半分まで減っている者が多数。ドロシーの魔力も、幻術の多重使用と風魔法のせいであと五分持つかどうか怪しい。
(これは、久しぶりにまずいかも......)
魔力を一気に消費すると発生する魔術副作用の頭痛とも戦いながら、ドラゴンを攻撃する。ドラゴンは生命力の塊のような種族だ。弱点である逆鱗や眉間を攻撃する以外だと、高濃度の魔力を大量に撃ち込むしかない。
かといって、常に少しずつ動いているドラゴンの急所までの距離を正確に魔術式に組み込むのは難しい。
振り下ろされる太い尾を避けながら距離を取る。一度、建物内に戻って魔力を回復させようと思ったが―
「......え?」
―いるはずのない人間がそこにいた。
ミラとレイチェルが建物から出てきて、ドラゴンと対峙している。
その瞬間、ドロシーの脳内で物凄い速度での思考が行われる。
(どうして、ミラがここに?レイチェルまで......危ないに決まってる。怪我はしていない?威嚇もされていない?)
いくら考えても、答えは出ない。
額に汗を滴らせながらの攻防の隙に、二人の元へ駆けつけようとしたとき、ドラゴンがミラに向かって巨大な爪を振り上げたのが目に飛び込んでくる。
大きく目を見開く。
己の出せる最大の速さと手段を使ってドロシーはその場に辿り着こうとする。しかし途中でどんなに努力しても間に合わないことを悟り、せめてもと声を張り上げた。
「ミラっ、......!!」
散々詠唱で酷使した喉が嗄れようとも、潰れようとも、構わない。ミラが襲いかかるドラゴンをチラリと見上げた。残り十数メートルの距離まで近づいたドロシーは気付く。―レイチェルが何か指示を出したことに。
*_*_*_*_*_*
演習所の外に出ると、組合の周辺にある広場には悲惨な光景が広がっていた。何人もが倒れて点在しており、ドラゴンが闊歩している。
「......っ、」
思わず唇を噛むと、レイチェルがミラの肩に触れてくる。
「安心しなさい。奴らは死んでいませんよ」
「......そうなんですか?」
「大方気絶か死んだフリでしょうね」
「............良かったぁ」
間に合わなかったかと思った。安堵の息を吐くと、ミラは杖を右手で握り直す。一度深呼吸して落ち着くと、前を見据える。
「準備は?」
「いけます」
「では合図します。アナタの魔力が切れる前に戦線離脱しますから」
レイチェルの言葉に頷いて、魔力を意識し始めると、ちょうど近くでドラゴンの咆哮が聞こえた。その距離、数十メートル。すぐに埋まる距離。
(落ち着け。焦らないで、レイチェルさんの合図を待つ。揺らがず、真っ直ぐに―余計なものは、何もいらない)
心の中でそう唱えて、ただ自然体になる。緊張も、焦燥も、必要ない。
ドラゴンを真っ直ぐに見上げる―否。迫る脅威に、魔力が乱れるかもしれない。ドラゴンの少し手前の地面を見る。
周囲も警戒する―否。それはレイチェルがしてくれる。自分がすべきは、最高の攻撃を出すこと。
ドロシーを探す―否。気が緩むかもしれない。レイチェルの声以外は、攻撃時の急所しか見なくていい。
集中して、必要ではないものを切り捨てたところで―
「三秒後、六十度の角度で三〇〇の魔力放出」
―レイチェルの号令が入る。
ミラは迷わず、常に意識していた魔力の流れに介入する。その膨大な魔力を感じながら、一点集中。握った杖だけにそれを向ける。
「......穿て」
ちょうど三秒後、ミラが握った杖の先から赤い閃光が放たれる。それは、一般人とは比べ物にならないぐらいの高濃度の魔力。竜の眉間に着弾すると、通過する。
―通り抜けたのだ。
「......ぇ」
倒れ行く巨体を呆然と眺める。全ての動きがスローモーションに見えた。ミラに駆け寄るドロシーの歪んだ表情も、どこか他人事で。
ぼんやりと感じ取る。魔力が栓を抜いたように減っていく感覚は、無駄な力みが消えていくようで少し心地いい。
これが、魔力放出―魔法なのだと、漠然と解った。同時に、魔術や魔法といったものを人生をかけて突き詰める人間が幾人もいる理由も。
右手から杖がこぼれ落ちそうになったとき、ドロシーが抱き着いてくる。
「無事で、良かった」
「......はい」
「......一体倒したのは凄い事だけど。―どうして出てきたの?あたし、待っててって言ったよね」
トーンが下がったその声に、ミラは冷や汗を掻く。
「私、師匠の―っ、」
―事を死なせたくなくて。
そう続けようとしたが、レイチェルに足を踏まれた。チラリと見ると無表情だが、目が「言うなよ?」と睨んでいるように感じられる。
ミラは瞬時に続きを考えると、わざとらしい上ずった声で―そして早口で言った。
「―ゆ、勇姿を見たくて、ですね」
「......ふぅん?」
「それと、どうしても......ドラゴンと、戦ってみたかった......ので」
自分でも何を言っているのか分からない。言い訳にしながら自分は馬鹿なのか、と真面目に考える。
怒られるに違いない。半ばそう確信して次の言葉を待つ。ドロシーはミラから数歩離れて、視線を忙しなく動かした。
「べっ、別に嬉しくなんてないんだから!!......次からは、勝手に行動しないでよね」
どうやら、本気のお叱りは無いらしい。ドロシーの耳はほんのりと赤らんでいる。ほ、と息をついてミラは肩の力を抜いた。