夜空に並べて
午後六時過ぎ。
訓練所で練習を積んでいたミラは近くで何か動物の鳴き声が聞こえたのに気付く。パッと顔を上げると、カインと目が合った。
「......動物?」
「そうだな。出店から逃げたんだろ」
「そうかも。すぐに確保されるかな?」
魔力補給しながら、首を傾げる。そうだな、とまたリアムが相槌を打った。彼はミラの隣で資料と向き合ってとある作業を進めている。
「そっち、上手くいきそう?」
「いんや。全く理解できねぇ」
「やっぱり術式構築特訓した方が、」
「嫌だ」
すげなくされて、むぅ、と唸る。そっぽを向いて詠唱を始めた。
既に空は少しずつ暗くなり始めている。ミラはその後三回練習を積むと、最後に魔力補給を済ませてカインと共に出発。何やら楽しそうに話しているレベッカとドロシー、レイチェルの側を通り抜けて、訓練所を出た。
―そこで、また鳴き声が聞こえる。
「......まただ」
「裏手の森......近いな」
行ってみよう、と声をかけて、裏手に回る。少し歩き回って動物の姿を探すが見つからない。
日が完全に落ちて、薄暗くなった森の中は不気味さも感じさせる。ダンジョン内を彷彿とさせる薄暗さに若干頬をひきつらせながらミラは口を開いた。
「い、いないね」
「あぁ......そろそろ見つかってもいいと思うが」
二人で聞き間違えたのだろうか。流石に、それはないと思うが―
そんなことを考えていたときだった。
「............っ!!」
―突然、大きな影が現れる。魔物だ、とその巨大な尾が振り上げられるのを見ながらミラは思った。魔物がいるのは、ミラではなくカインの近く。その距離は一メートル強。背後の影にカインが気付いたのは、ミラの数コンマ後。
避けるのも、魔術も、間に合わない。絶対に無理だ。カインが体を半転させた時点で、瞬時にそんなことは読み取れる―読み取った、はずだった。
カインは体を半転させると魔物を正面から見据える。片足で高く飛び上がった。重さをまるで感じさせない敏捷性をもって、自らに振り落とされる尾を右足で蹴る。そのまま魔物から距離を取ろうとした。
空中で、彼は叫ぶ。
「―ミラっ!!」
―魔法は、主に魔術よりも不便なものとされる。理由はいくつもある。
魔法は魔術よりも消費魔力量が多い。たとえ初級魔術で再現できるような現象でも、魔法では中級魔術以上の魔力が必要になる。
魔法は魔力操作と制御の技術がものをいう分、自由に扱いにくい。
魔法は魔術式を介さないため安定しにくい。
魔法は持続しない。宮廷魔術師でも、もって一〇秒なのだ。
―それでも、唯一の利点は戦いにおいて大きなアドバンテージになる。魔法には魔術を使う上での術式構築と詠唱の時間がない。魔力操作だけで行使できるのだ。
そのため、発射までの時間が遥かに短い。
初撃はカインが無効化した。魔物は体勢を崩していて、次の攻撃までには一秒、時間がかかる。
たかが一秒。されど一秒。その一秒は大きな猶予を生み出し―ミラは瞬時に炎魔法を放出する。
(今なら、一秒あれば十分......あの日よりも、私は成長してる)
咄嗟に取り出していた杖から勢いよく赤い閃光が飛び出す。それは魔物の体を綺麗に貫いて、息の根を止めた。
ミラは突然始まった戦闘の緊張を振り払って、息をつく。カインに目を向けた。
「カインくん、大丈夫?」
「お陰さまで。あと少し遅かったらここで泣別れだ」
首を指差してあっけらかんに笑うカインは少し普通とズレている。追及せずに、しゃがみこんだ。魔物を観察する 。
「..................どうして、魔物が学園に?」
鼻につく臭いが漂い始める。魔物の死骸は腐るのが途轍もなく早い。人生初の腐敗臭に顔をしかめた。
「分からねぇが、とりあえず先生に―」
カインの言葉はそこで途切れる。何を感じたのか、彼は訝しげに方眉を上げる。その体が硬直するのが傍目に見ても分かった。
思わずミラも身を固くして、カインが見つめる方向を見る。
そこにいつの間にかいたのは、<霊峰の魔術師>キルディノ・フロンティリティ―セレナイト学園の教師。
彼は二人の姿を認めると人好きのする笑顔になるが、近くの魔物の死骸に目を止める。
「キミ達......どうしてここに?その魔物は?」
えっと、と僅かな時間で出来事を整理する。
「動物らしき鳴き声が聞こえて、来てみたら魔物に襲われました」
「どこから............と、怪我はない?」
はい、と答えようとするとカインに遮られる。カインは左腕を掲げた。そこには、大きな切り傷がある。
―さっき無かったはずの傷。
「怪我、しました」
どうして、と心の内で呟く。キルディノは不思議なものをみたように目を瞬かせた後、「..................そうか」と言う。
「魔物の処分は私がしておくよ。キミ達は医務室にでも行っておいで」
「分かりました」
カインに腕を引かれてその場を離れる。カインはかなり離れて、木々でキルディノが見えなくなったところで立ち止まった。一旦消音結界を張って、大きく息を吐く。
「なんだ、あいつ............」
「ねぇ、カインくん。さっきの怪我って」
カインが左腕を見る。何かで切り裂かれたような切り傷は一〇センチ弱にもわたる。
「魔物じゃねぇ」
「え?」
切り傷からは血が滴っていない。既に止血したのか、所々赤く汚れた布をカインは右手に持っていた。
「まさか、先生が」
「違う。俺がやった」
「え」
自傷行為に走るような人間だったのだろうか。というか、何を使って切り裂いたのだろうか。
カインが懐からそれを取り出す。
「......ペーパーナイフ?」
それは、やや刃渡りの長いペーパーナイフ。折り畳み式になっていて、手の中に握り込めば分からないほどのサイズ。
だが、矛盾が生まれる。
「ペーパーナイフじゃ皮膚は切れないよ」
最近のペーパーナイフは安全設計。目に突き刺せば失明するだろうが、皮膚を綺麗に切り裂き、魔物の攻撃を再現することはできない。
「いや、切れる......角度と力の入れ方だ」
「無理だよ」
「もう一回やろうか」
ペーパーナイフを左手に持って右腕を体の前へと移動させたカインが意地悪く訊く。本当にやったことを無理だと否定されて、面白くなかったらしい。ミラは全力で拝み倒す。
「やめてやめてやめてやめてっ、信じるから信じるからっ!!」
半ばすがり付くように叫ぶと、カインがクツクツと喉を鳴らして笑う。冗談だったらしい。
少しだけ湧いてきた怒りを深呼吸で収めて、それより、と訊ねる。
「どうしてわざわざ傷をつけたの?」
「偶然が重なりすぎたからだ」
「..................あぁ」
偶然、という言葉に思い当たる。
「偶然俺たちが訓練所にいた。偶然あの三人が話していた。偶然動物の鳴き声が聞こえた。偶然魔物が現れた。偶然先生がやって来た」
全部、偶然。そう言うには、出来すぎているとカインは告げる。
「森の泥濘には成人男性の足跡があった。先生のとは大きさが違うが、魔物の足跡が始まる辺りで途切れていた。確実に何者かが魔物を置いて帰った」
足跡を途中まで残して、帰る。つまりは。
結論に辿り着いて、目を見開く。
「転移......<漆桶の魔手>っ?!」
「かもしれない」
<漆桶の魔手>なら、今回のこともおかしくはない。やりかねないと思わせるような事件を、<漆桶の魔手>は何度も何度も繰り返している。
「学園祭で警備はいつもより厚い。それなのに入られたってことはこれから何度侵入されてもおかしくない」
「だから実力を過小評価させるために怪我をした?」
「そういうこった」
あの数秒でここまで思考が及んだことに、驚愕する。そして促されて、消音結界を消し―別の事に驚愕する。
「あああああぁぁぁっ?!」
唖然として、絶叫する。カインがギョッと目を剥いた。
「どうしたっ?!」
ミラはワナワナと震える。気付いた事実が信じられない。―信じたくない。
足りないだなんて。
「..................魔力、足りません」
涙目で言う。カインが「............は?」と間抜けな声を漏らした。そのまま問い詰めてくる。
「おい、使う予定だった魔力量は?」
「......四〇〇弱」
「今の残量は?」
「......二〇〇ちょっと」
「終わってるじゃねぇか」
「......ですよね」
はぁ、と座り込む。最後に魔力補給をしたのに、炎魔法と消音結界でここまで減ってしまった。ミラは術式構築も魔力操作も優れているが、それらと比べるとかなり魔力制御が下手だ。炎魔法で予想の数倍魔力を消費してしまった。
「魔力二〇〇だと<火寵焔>でも足りない......あぁもう最悪......寮に閉じ籠りたい......引きこもって何もかも忘れたい......」
膝を抱いてブツブツと捲し立てる。カインがあれ、と首を傾げた。
「魔石を使ったらいいじゃねぇか」
その瞬間、ミラの動きが完全に止まる。カインが訝しげに再度同じ言葉を繰り返した。
「魔石。訓練所にあるだろ?」
「............」
「......そういえば今日はかなり魔力を使ってたな」
「............」
「この三日で魔石は何個使ったんだ」
「............」
汗を垂らして、目を逸らす。隠したかった事実に気付かれてしまった。
「ミラ」
「......嫌」
「言え」
「............」
有無を言わせない視線に仕方なく口を開く。
「............さ、三八個」
カインの目が完全に吊り上がった。
*_*_*_*_*_*
「お前本当に馬鹿なのか? 合宿で倒れたばっかだよなぁ?! そんときより七個も多く消費してどうすんだっ!! 死にてぇのか!!」
「......分かってる............分かってるの......私馬鹿なんです......馬鹿なの............ごめんなさいぃぃ」
止めどない罵倒にさめざめと泣く。カインに魔石の件がバレてから五分、こんな様子が続いていた。エムリナあたりが見れば嘲笑を浮かべそうな光景だ。
しばらくすると、カインが押し黙る。次に口を開いたのは数十秒後。
「............どうするんだ?」
「ま、魔石で」
「駄目だ」
「うぅ」
ふとカインが何かを思い付いたような顔をする。ミラとカインの視線が合った。
「......披露大会はトリ......選考対象じゃなかったよな?」
「うん。一応舞台には立たなくても、裏にいればいいって」
その言葉にカインが頷く。
「―なら、俺が魔力を貸す」
―その後、ミラはカインの魔力によって見事魔術を成功させ、披露大会の最後を華々しく飾った。
*_*_*_*_*_*
魔術披露大会終了間際。
最後の選考者の発表が終わり、集まっていた生徒達のうち多くが感想を話し出す。かなりの生徒が会場に集まっているため喧しかった。
しばらくすると、拡声魔術で沈黙が呼び掛けられる。徐々に会場は静まっていった。
「『これより、最終演目へと移ります。セレナイト学園第五階位生徒が炎系統特級魔術第ニ目<光芒淵>を披露致します』」
特級魔術、という言葉に歓声が上がる。炎属性の生徒からは、憧憬の声が溢れた。<光芒淵>は炎系統特級魔術の中でも難易度がとても高い魔術。
数分後だろうか。白い粒子が舞台周辺を舞い、舞台上でそれが集まっていく。幻想的な世界で、拡声魔術で拡散されながら儀礼詠唱が高らかに唱えられる。
「『............巡り輝け、<光芒淵>』」
その宣言の次の瞬間、白い炎が一度舞台上に立ち上ぼり、その後会場内を巡る。一際大きな歓声が上がった。
宵闇の空に、<光芒淵>の白い光が浮かび、いつか消えていく。月光を反射する夜空に、術が消えてもそれは確かな存在感を見るものに焼き付けた。
その夜の<光芒淵>は在校生の中で何度も何度も語り継がれることになった。




