真意は何処に
宿題は、五冊の本を全て読んで理解すること、古代文字の表記と発音を暗記すること、参考書通りに三メートル離れた地点の標的に向けて火球を飛ばすことができる魔術式を作ること、一般学校で行っていた学習の続きを最後まで終わらせること、部屋においてある魔石に出来れば魔力を込めてみることの五つだった。魔術は使用しないこと等の注意も追記されている。
どうにか文字を読み取りながらミラはどんどん青ざめていく。一般学校は学年制で三月が新学期―つまり、休み一ヶ月相当の授業を除いて残り七ヶ月分の学習を一週間で終わらせなければいけないということだった。
「......そういえば部屋の隅に私の教材入った箱があるし、机の引き出しの中にも大量の紙とインクがある」
はっきり言って、地獄だった。体感は夏休みの宿題に全学年の全学習を出されたようなものである。
「とりあえず、本は......魔法史と基礎魔術学、魔法生物、魔術分類、魔法文字辞典。少なくとも基礎魔術学と魔法文字辞典は他にも影響する感じかな。特に、古代文字は暗記しなきゃいけないし......」
五〇文字前後の数を予想して、辞典の古代文字の部分を確認するとミラはプルプルと全身を戦慄かせる。
「ひゃ、一八七個......?常用される文字だって三〇ないのに?!」
ミラは顔をひきつらせて勉強にとりかかった。
実際は一日で一年分をこなすようなものだったのである。真面目なミラに宿題をこなさないという選択肢は無かった。
*_*_*_*_*_*
一週間はすぐに過ぎた。
「ミラ、宿題は―」
ドロシーが鍵を指で回しながら小屋の扉を開ける。ミラはベッドに突っ伏したまま机を指差した。自分の教師に失礼だったが、起き上がれないのだから仕方がない。ドロシーはそういったことは気にしないようなので一応ミラが許容できる範囲だった。
「え......終わったの?」
「......昨日の、夜に」
「それは、まぁ......」
「うっそでしょ」と何やら呟きながらドロシーは机に近付き、その上を確認する。大量の紙と積まれた本がミラの言葉を肯定していた。
「よくやったね」
ドロシーの労いにミラはゆっくりと身を起こした。ゆるゆると首を振る。
「宿題は前日に終わらせるものですし」
「それが常識ではあるけど、終わるような量じゃなかったでしょ?」
ミラが初めて作成した魔術式のメモを見ながら尋ねてくる。
「私を舐めてるのかと思いましたよ」
ジト目で睨むと、あっけらかんと返された。
「まぁ、なめてたのは間違いないよ。実際は嘗めてた訳だけど」
「......へ?」
「ほら、『嘗める』。味を確かめる方ね。どれぐらい頑張れる子か、能力はあるのか。終わらなくてもある程度は実力がわかる」
「............」
ミラはふん、とそっぽを向くと、口を尖らせる。しばらくそのままの状態が続き、ため息をつかれたのでしょうがなく不貞腐れたまま正面を向いた。
本人が思っているだけだが、ミラは大人なのである。本人が思っているだけだが。
「―とまぁ、軽口は置いておいて。手応えは上々。幸先良いね」
「『どっちでもいい』んですけどね!!」
「大丈夫、全部解ってるから」
ミラはむぅ、とむくれるが、ドロシーはもう意に返さない。一息つくと、懐から杖を取り出した。
それは、彼女の肘から先程の長さ。手元には王国の証印。魔素が豊富な素材で作られたその杖は、彼女が上級魔術師であることの何よりの証。
「行くよ。魔術を教えてあげる」
*_*_*_*_*_*
そして数分後。二人は魔術組合の別棟に辿り着いた。魔術組合は屋敷に近いところにある。かなりの広さがあり、その三分の一ほどが魔術演習所だった。今日は特別なのか、いつもそうなのか。魔術演習所までの道のりには多くの人がいた。
ドロシーは迷う素振りも一切なく、真っ直ぐに人波を抜けていく。そして、いくつかあるカウンターのうち誰も並んでいない所に入る。
カウンターにいた女性はドロシーの姿を認めると、手続きの準備を開始した。
「久しぶり、レイチェル」
「マリステラです、リルグニストさん」
このやりとりを聞いて、ミラは知人の名前を間違えたのか、と信じられないものを見たような気持ちになったが、本名がレイチェル・マリステラだということを知ると納得した。
(二人の心の距離感がズレているだけか)
中々にドロシーに失礼だったが。
「それにしても、珍しいですね」
「何が」
「アナタが演習所を使用することですよ。誰かを連れてくることも」
「今は家庭教師だからね。初級魔術ならともかく、中級と上級まで見せてあげたいからその辺でやるにもいかないし」
「上級魔術師が一般家庭教師ですか。リルグニストさんも落ちぶれましたね」
レイチェルに半眼で紙を手渡されて、ドロシーが首を横に振った。はぁ?!、と目を見開く。
「魔術家庭教師だから!!」
「嘘はいけません―って本当にっ?!」
「誰も一般家庭教師だなんていってないでしょ!!」
「んなこと知るか!! ――ぁ」
反射的にか、先程までの口調を完璧に崩してレイチェルが詰め寄る。それに気付いたのか、ハッとした顔になって咳払いをした。
反対に、ドロシーはニヤニヤと笑う。
「レイチェルは面白いね」
「黙ってくださいリルグニスト」
呼び捨てに変わっていることの自覚がないようで、レイチェルはサインの終わった紙に判子を押して杖を確認し、奥を示した。
ちなみにドロシーは未だにニヤニヤしている。
「ほら早く行きなさい。私は仕事中です」
「ん、またねー」
ヒラヒラと手を振って建物の奥に進んでいく。ミラはレイチェルに会釈をすると、小走りでドロシーに追い付いた。窓の外で小鳥が戯れているのを眺めながら口を開く。
「マリステラさん......でしたっけ」
「そう。レイチェル・マリステラ。私の学友かな?腐れ縁でねぇ、今は魔術組合の職員だよ」
アイスグリーンの瞳を細めて説明するドロシーに、ミラは笑いかける。
「仲、よろしいんですね。私、あまりそういう方がいないので―」
「別に、そういうのじゃないから!!」
そっぽ向いて告げられた言葉にミラは「え?」と目を瞬かせる。『そういうの』とはなんだろうか、と真面目に思考する。
「あたし、レイチェルのことなんて別にどうとも思ってないから!!好きでも嫌いでもないから!!」
捲し立てられて、ミラは状況をのみ込めない。とりあえず、ドロシーが照れているのは耳の色から何となく分かったので。
「じゃあ何なんですか?」
「......ぅ」
「どちらも違うんですよね?好きでも嫌いでもないなら、それはどういう感情なんでしょう?」
少しからかってみることにした。教師をからかうなどしてはいけないことだも分かってはいたのだが、つい面白かったのである。
「その『好き』って友愛的な意味合いですよね?ということは、師匠はマリステラさんのこと―」
駄目押しと言わんばかりに今度はミラが早口で捲し立てる。まず何を目指しているのかは分からないが、最後の一押しを口にしようとして―
「それ以上言ったら、ぶっ殺す......!!」
―殺意の籠った視線をぶつけられて、押し黙る。その顔は無表情だったが。
(えっ、こっわぁあああっ?!殺気ってこんな感じなの?!)
めちゃくちゃビビっていた。
ミラは恐怖し、ドロシーは拗ねている。当然、会話など生まれるはずもなく。二人は無言のまま演習室に到着した。実際は一、二分くらいの距離だったはずだが、その数十倍ほどに感じられた。特に、ミラにとっては。
そして、演習室の扉の前で立ち止まる。二人ともお互いに相手が開けてくれないかなぁ、とチラチラ視線を送る。
(今は、師匠に背中を見せたくない......)
本当に殺されるかもしれないとミラは本気で考えていた。ドロシーは照れていただけなのだが。
「ほら、入らないの?」
ドロシーが親指で扉を指す。ブンブンと首を振った。
「いえ、ここは師匠の出番では?」
ミラは背中を向けるわけにはいかないのである。
「いやいや、弟子が師匠のために扉開けるべきだよね?」
「そんなことはないです。その弟子は中のこと知らないんですから、師匠が先に入る方がいいです」
「いやいやいやいや、ほら、扉押すだけ。分かる?」
「分かりません。早く開けてくださいよ」
実にしょうもないことで二人は争う。最早意地の張り合いである。―そこに、冷たい女性の声が介入した。
「アナタ達、何馬鹿なことやっているんですか」
レイチェル・マリステラである。資料の入った箱を抱えている。彼女は明らかに呆れた表情で言う。
「誰が開けるかなんて些事でしょう。早く訓練にとりかかりなさい」
まさしくド正論だった。
二人は言葉を失って、再び顔を見合わせた。互いに「......どうぞ?」と促す。しかしどちらにも動きが見えず、レイチェルが眼差しを幾分かキツくする。
そしてしばらく説教されたのだった。
―当たり前である。
*_*_*_*_*_*
「―分かりましたね」
「「......はい」」
「ほら、早く行きなさい」
数分後、説教の末すっかり意気消沈した二人は返事をして立ち上がった。今度は押しつけ合わず、ドロシーから部屋に入ろうとしたとき―建物が大きく揺れる。
「わぁっ、」
ミラはあまりの揺れの大きさに、尻餅をつく。ドロシーとレイチェルは、流石というべきか身構えており、辺りを警戒している。
『緊急連絡です!!ドラゴンが二五来襲、上位種も数体見受けられます!!即時、応戦を!!』
魔術を使っているのか、拡声された声が建物内に響き渡る。ミラは目を見開いた。
ミラの住んでいる屋敷や魔術組合支部は王都のはずれにある。ドラゴンの来襲は珍しいとはいえ、あり得ないことではない。
「ドラゴン......」
どこかから聞こえる悲鳴が、妙に生々しい。呆然としていると、ドロシーがこちらに手を差し伸べてきた。手を取って立つ。
その時もレイチェルと数語話し合っていたドロシーはミラの方に振り返った。その顔は先程までのシュンとした表情ではなく、真剣な雰囲気を漂わせている。
「ごめん。今から行かないとだから、ミラはこの辺でレイチェルと待ってて」
「師匠は......」
ホルダーに仕舞ってあった杖を持って、ドロシーは入り口へ向かって歩き出す。先程の話し合いの内容ははミラをどうするかだったらしい。
「戦ってくる。まぁそう不安がらないでよ」
「......」
ドロシーがこちらに笑いかける。整った顔に浮かぶのは、不敵な笑み。
「あたし、幻術が専門ではあるけど―これでもセレナイト学園魔法交戦大会優勝者だからさぁ?」
「......分かりました」
ミラはセレナイト学園魔法交戦大会というものを知らない。ただ、誇るべき肩書きであることだけは分かった。
「またあとでね」
ヒラヒラ、とこれまでと同じように手を振って、ドロシーは去っていく。ミラがその背を見送っていると、レイチェルが話し掛けてきた。
「本当にいいんですか」
振り返って、首を傾げる。
「何が......ですか?」
伝えられたのは、衝撃の言葉。
レイチェルはドロシーが去っていった方向を目を細めて示す。
「リルグニストは、本人が言うほど得意ではありませんよ」