<茨の三日>の始まり
一一月後半に突入した頃、セレナイト学園の生徒はほぼ全員が死んだ魚のような濁った目で下を向いて生活していた。
(どうしてこんなに暗いんだろ......別に、合宿が今度あるだけだよね?<茨の三日>とか呼ばれているらしいけど............そんなに大変なのかなぁ)
ミラはいつも通り起床し、食事をとり、授業を受け、食事をとり、授業を受け、食事をとり、就寝する。日が経って周囲がついに雑談すらやめたのを見て、思わず戦慄した。
いつもあんなにうるさいのに。そう口の中で小さく呟いて、教室に辿り着く。八組の教室だ。成績上は七組所属ということになっているが。迷わず自分の席に荷物を置いて右側に顔を傾けていくつか言葉を発すると、首を傾げた。
「どう思う、エリー?」
「............さぁ。どうでもいい」
「そうかな」
「............そう」
「そっか」
「............」
右隣の席に座っている少女―エムリナ・ルーティングに訊ねると、一秒前後の間の後に答えが返ってくる。―今回の問答はあまり意味がなかったかもしれない、とミラは振り返る。
エムリナは実に陰鬱そうな雰囲気を醸し出す少女だ。濡羽色の髪と、黒真珠のような瞳。顔も整っているのに関わらず、本人の鬱屈とした態度と直球な物言いが人を遠ざけている。
ミラに愛称で呼ばれて割と嫌そうな顔で言葉少なく答える様子はまさに周囲から影で囁かれている<深葬のお嬢様>に相応しい。これは、話しかけてきた男をバッサリと葬り去ることと実技授業をパスしていることからついた渾名である。
「エリーも最優秀クラスなんだよね」
「............そう。............どうして愛称なの」
「え?嫌がらせ」
「............性格悪いのね」
「エリーほどじゃないよ」
エムリナは魔術座学、一般座学、構築術式科目の三つでほぼ満点をとり、一位を総ナメしている。だから分からないわけないのに、休み時間に交流を迫ってきた男子生徒へと教師の意識を誘導させ恥をかかせたのである。
それに教室内で唯一気付いたミラはヤバイ子、ではなく(この子面白いなぁ)と考え、よく話しかけるようになったのだった。一度静かに煽られてからはミラも意地を張って、嫌がっていた愛称で呼ぶようにしている。当然教師の意識を誘導されたが、流石に総合成績一位なので危なげなく回答すると、何故かたまにやり取りを交わす関係性に発展した。
「…………」
その後ミラが授業の準備を始めるとエムリナは沈黙したまま読書に戻る。ちなみに読んでいる本は『黒魔術の盃』。意味不明だし、黒魔術というものは存在しない。かなり危ない香りがプンプンする本だった。
多分本当に何も思っていないのだろうな、と感じ取ってミラはこれ以上言葉を発しなかったのだが、数分経って教師が教室に足を踏み入れたの同時、小さく声が発せられた。
「…………合宿」
「え?」
目を瞬かせて右を向く。
エムリナの顔は、うんざりとしていた。はぁ、と深いため息が発せられる。エムリナはチラリとミラのことを視界に移すと、教科書を開きつつ呟いた。
「…………ナメない方がいいわ…………あれは地獄、間違っていないのよ……」
ミラはその言葉を聞いて、学園で練習をする予定の一般生徒も、学園外で特訓をする選抜生徒も、捻くれた性格のエムリナでさえも口をそろえて『地獄』と評する合宿はどんなに恐ろしいんだろう、もうどこか他人事に考えた。
*_*_*_*_*_*
そして数日はすぐに過ぎ―合宿当日。
ミラは事前通達されたものを詰めた鞄を持って校門前の広場に到着する。既に何人かが整列していたので、その列に加わる。辺りを軽く見渡すと、ミラの知り合いは最優秀クラスにカイン、エムリナ。上位クラスにフランツェルとフィンレストがいた。
「カインくん、おはよう」
「おぅ、おはよう」
軽く挨拶を交わして、エムリナにも顔を向けた。
「エリーも、おはよう」
「…………」
無言のままの頷きを見て挨拶ぐらいすればいいのに、と心の中でボヤくとカインの方を振り向く。カインはギョッとした様子で目を見開いていた。
「……え、どうしたの?」
「………………まさか、こいつだとは」
何やら深刻そうな表情で悩んでいる。どうしたのだろう、と次の言葉を待つと予想よりもずっとしょうもない答えが返ってきてガクリと肩を落とした。
「……いや、なんか八組の男子からルーティングの好物を調べてきてくれって言われたんだよ」
「その人って、確か―」
「ドミニクだったか?なんか偉そうな奴だったな」
「石とでも言っておけばいいんじゃないかな」
「過去最高に辛辣だな?!」
唖然としてツッコまれて、口を尖らせる。
ドミニクという生徒の告白がエムリナとの関係のきっかけではあったが、その告白は聞くに堪えないような内容だった。エムリナを軽視し、「お前の血筋のために貰ってやる」やら「お前みたいな醜女を嫁にしなければいけないとは……」やら最早暴言だった。エムリナは見向きもせず、「…………醜女すら自分のものにできず、ルーティング家の血縁も手に入れられない最高の名誉をありたがることね……」と一蹴したのだが。
「とにかく!!私はその人のこと、人間としてもオススメしないからねっ」
「人間として」
不思議そうな顔で復唱されるが、知ったことではない。ミラにとっては『関わりたくない人リスト第一位』なのである。
それまで黙りこくっていたエムリナがようやく口を開く。
「…………そうね……在学中に総合成績一位を取ったら会話してあげる……とでも伝えておきなさい……」
不可能である。ドミニクは、入学してからすでに一年半経っているはずだった。一年半経ってようやく八組なのだから、初めての定期試験で総合成績一位を取ったミラに敵う訳がない。普段から家柄を盾にして威張っているだけの生徒だ。会話するために必要な能力が高すぎる。
ミラが鼻息荒く「私は譲らないからね……!!」と意気込んでいる隣でカインが「そんなに会話すらさせたくないのか……?」と驚いた様子で目を見開く。
ちょうどその時、広場に教員が到着した。上位クラスと下位クラスがどこかに誘導されていき、広場に残ったのは最上位クラス一五人のみ。担当教員二人は何か話し合っていたと思うと、こちらを向いて声を張り上げる。
「これより合宿を始める!!全員得意属性の初級魔術を維持しながら走ってついてこい!!」
魔術の維持は、一定時間が過ぎる前にそれ専用の詠唱をする必要がある。その一定時間というのは、術師の技量も大いに関係するが、ミラは三分に一回はしなければならない。詠唱を走りながらしなければならないという事実に思い至り、ミラは顔を真っ青にする。
最終的に、昨日まではそんなに大変ではなく大袈裟な評価だろう、と高を括っていたミラとカインは顔を見合わせて、心の声を一致させた。
((この合宿……頭がおかしいのかもしれない))
*_*_*_*_*_*
この合宿、実際技能は成長するのだが訓練内容がイカれていた。
例年通りだと会場までも徒歩でも汽車でもなく走り。まさに持久走だ。会場に着いたら初日は魔力を使い切るまで初級魔術で持久走訓練をして、その後は魔石で魔力補給すると得意属性以外の上級魔術などに延々と挑戦させられる。
二日目は無属性魔術のみを使って王都の近くにあるセレナイト学園が所有する罠だらけの山から脱出する。初日の訓練で力尽きてぐったりと寝ていると早朝に叩き起こされて山に連れていかれるのだから救いがない。
三日目は朝から生徒同士で魔法戦を行い、昼食をとるとまた学園に走って戻ってくる。
一年に一回開催されるこの合宿は、在学中二回以上経験したことがある者は数少ない。それは二度目を経験する前に成長した技能で卒業していくからではない。あまりのキツさに、その季節になると実家に帰るため休みを申請する生徒が大量にいるからだ。
そのため、合宿前は「どうせ大したことないだろ」などと舐め腐っていた生徒は合宿開け授業に出席すると性格が豹変している、という事例も発生。
あと数年経てば諸々の問題で消滅しかねない行事なのであった。
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結局、初日は三十分間走り続けた。反射神経だけでなく、運動神経全般が千切れて粉々になっているミラは最初から詠唱はやってられないと判断し、無詠唱で走り抜けた。その苦労は、何故か涼しい顔で走りながら詠唱し、息も乱していないカインを見て、今日こそ呪おうかと考えたほどだ。会場について一度魔力を使い切り、それぞれ回復したところで例年とは違う取り組みが発生した。
―帝国との戦争で捕獲した魔物を使った魔術訓練。
人を殺すためにつくられた存在との戦闘はかなり危険な取り組みだが、魔法戦の結界の中では死なない。卒業後の実戦のことを考えると正しい訓練だった。危なげなく自分にあてはめられた魔物を撃退してその日は就寝したミラは、次の日絶望する。
―日も明けないころに叩き起こされ、一日分の食料を手渡され、連れていかれたその場所は。
―<茨の三日>という異名にさらに近づく訓練内容は。
王都周辺で唯一残っている迷宮要塞―<開闢の迷宮>の逆攻略。既に踏破されているものの未だ判明していないことも多く、仕掛けられた罠は一級品。そのダンジョンは、迷宮内に残された昔の冒険者の装備から、最古の迷宮とも呼ばれる。
次話投稿は3月31日午前5時の予定です。是非お付き合いくださいませ。




