理不尽の塊
ドロシーからの手紙に返事を書いてその後四人と共に試験の復習をすると、ミラは消灯時間に従って就寝した。そしてその次の日曜日、レイチェルがいるであろう訓練所へと訪れた。
ミラはフランツェルと共に選んだ新品の杖を落ち着きなく触りながら、上機嫌に鼻唄を歌う。
(まさか、学園の中でもレイチェルさんと会えるなんて......嬉しいなぁ)
セレナイト学園の訓練所監督官は生徒に求められたときにある程度指導することが義務付けられている。仕事中毒者的な片鱗が表れているレイチェルだから、術式などについてもしっかりと教えてくれるに違いない。少なくとも、前の時ほどの嫌な顔はしないだろう。
(気になってるテーマはいっぱいあったし、次の試験も近づいてきたしちょうど良かったかも)
遠隔魔術のときの他属性魔術との融合性についてとか、水魔術での物質の作成についてとか。
いくつか気になるテーマを口にして、楽しくなってきたかも、と感じとる。元々軽かった足取りは最早宙に浮いていきそうでもあった。
訓練所に辿り着いて使用者名簿に記入すると、扉をくぐる。その先に広がっていたのは、普段通りの訓練所の様子とはかけ離れていた。
いつも真剣に訓練に取り組んでいる生徒はゼェゼェと荒い息を吐いて膝をついている。隅の方に木が生えているだけで他には何もないはずなのに、中央にはオープンテントのようなものが張られて机と椅子のセットが置かれている。その椅子には、落ち着いた様子で書類と向き合う女性が―
そこまで整理したところで、ミラは顔を輝かせる。口角が上がって小走りになった。
「レイチェルさんっ!!」
―ゆっくりと振り向くレイチェルは、監督官用の軍服とセレナイト学園の制服を混ぜ合わせたような格好をしていた。やや驚いたように目を見張る。
「......バーバランですか」
「お久しぶりです」
「そういえば、合格発表後は顔を合わせてませんでしたね............でもよく考えてみると、全然久しぶりでは―」
「ところで」
レイチェルが何か言おうとしたのを遮る。チラリと、間違い探しの答えたちを視界に映した。そして、この光景が夢ではないことを頬をつねることで証明すると指を指して訴えた。
「このテントは何ですか?」
元々無かったもの第一号。オープンテントは訓練所には必要ないもののはずである。しっかりと地面にも打ち込んであるから、期間限定のつもりの可能性はない。
レイチェルは至極どうでもよさそうに答えた。返ってきた答えは、予想通りではあるものの信じられないようなもの。
「私の家です」
事務作業用、と言われたはずなのに『家』と聞こえた気がしたのは空耳だろうか。目をパチパチとしながらミラはそう考えて、一秒後に空耳だと自分に言い聞かせた。次の疑問の解消に映ることにする。
「……監督官は事務作業は無かったと思うんですけど」
元々無かったもの第二号。監督官は生徒たちの自主訓練を文字通り監督するだけの職務のはずである。そのはずなのに、オープンテントの下に設置された机の上には大量の山積みになった紙があった。
するとレイチェルは無表情―瞳だけはいつもよりやや輝いている(というより、ギラついている)―で食い気味に答える。仕事中毒者だと思っていたミラは驚いた。レイチェルのその様子は、喜んでいる訳ではなさそうだったからだ。強いて言えば―憤怒。それが正しい気がする。
思わず息を呑んだ。
「それがですねぇ……担当者が変わるということで、訓練所の近況報告だけでなく使用者の様子やら何やら、書類作成作業が増えたのですよ。それだけでなく、日曜日以外は魔術組合で働いているので、先週の残業分まで取り組まなければいけないのです。おかげで日中から事務作業です」
実にイライラしていそうな口調だった。その反応が意外過ぎて、ミラは訊ねてしまう。
「事務作業……好きなんじゃー」
ないんですか。
そう続こうとした言葉は、レイチェルの冷たい声にとどめられた。氷点下のような―絶対零度の声に無意識に背筋が凍って冷や汗がどっと噴き出す。
「好きなわけないでしょうが」
「………………はい」
喉で閊えた声を無理矢理押し出すようにして出した返事は蚊の鳴く様に小さい。ミラはレイチェルの殺気に似た何か―怒りに初めて触れ、実感する。これまでの比ではない強い感情。
(……こっわぁああああああっ?!師匠と比べ物にならないんだけど!!殺されるかと思ったんだけどぉっ!!)
内心大きな声で騒ぎ立てつつ、一旦深呼吸。気持ちを落ち着かせると、一番気になっていたことを訊く。これも、これまでの訓練所ではあり得ないことだ。
「そこで膝をついている男子生徒は何なんですか?」
元々無かったもの第三号。訓練所にはよく生徒が訪れるが、あのような光景は見たことがなかった。元々は監督官と生徒の接点は魔法戦用結界を頼む時と、危険な魔術の使用許可を貰う時だけ。一人で訓練所にいた人間がゼェゼェと荒い息を吐きながら悔し気に地面を拳で殴る光景はあり得ない。
「調子に乗っていたので軽く捻りました」
「そうですか、捻…………ってはいぃっ?!」
一切の動揺を無しに告げられた言葉に頷きかけて、途中で我に返った。ミラは大きく目を見開く。口も大きく開いて、絶句した。当然である。監督官が調子に乗った生徒をぶちのめすなんて誰が想像するだろうか。
レイチェルは眉根をひそめた。
「何故かぶつぶつぶつぶつと突っかかってきたので。自分の血筋は素晴らしい云々」
「だとしても、捻……え?捻ったんですか?」
「だから何ですか」
開き直った―そもそも、悪いことをしたとも思っていない様子でレイチェルが首を傾げる。
そういえば、あの男子生徒の髪は濃い青色で、フランツェルと系統は似ている気がした。レベッカが『名家の娘』と評していたこともあるし、もしかしたら分家で、本家の権威を盾にしていたのかもしれない。そうなると『面倒なこと』で済まずに、レイチェルは最悪社会的地位を失ってしまうか、それだけでなく死に追いやられてしまう可能性が生まれる。
ミラは「ええぇぇぇ…………」と狼狽える。ちょっとまずいのでは、と思っていたが言えない。しばらく表現を模索した後、言葉を濁すことに成功した。
「ほら……名家の人かもしれませんよ。相手の家から訴えられたらどうするんですか?」
「安心しなさい。私だって名家の娘です」
微かに胸を張られて、そういう問題じゃないんですってば、と項垂れた。それでも、キッと顔を上げる。
「間違えて王族の方にやったら、その名家が失脚するかもしれませんよ?」
「伯父様がどうにかしてくださります……というか、私はそんなこと間違えませんよ」
言いたいことが全く伝わらない虚しさというのは、きっとこういうことなのだろう。ミラは訓練所に訪れた時には輝いていた瞳を死んだ魚のように濁らせて、諦めた。もう何も考えないようにしよう、と考えて違う話題に転換する。
割とわざとらしい振りだったが、レイチェルは気にも留めない。
「……………………そ、そういえば。気になっていた仮説がいくつかあったんですけどー」
しかしその言葉は遮られる。何故なら、再びレイチェルの瞳がミラとは違ってギラついていたからだ。思わず口を閉じて後退ったが腕を軽く掴まれる。大して力はこもっていないのに、逃げられない。
ヒ、と喉が引き攣った音を鳴らす。
「教えて欲しいことがあるならこの事務作業を手伝いなさい」
ミラは物凄く言いたくなった。「それ、体裁としてどうなんですか」と。でも、「私は監督官であって教師ではないので生徒をコキ使っても大丈夫です」と無表情で返されそうな気がしたのでやめておく。
―監督官であっても、学園の職員でありそれが未成年である以上生徒をコキ使ってはいけない。本当は、前提として魔術組合の書類も監督官の仕事も、関係のない人間に閲覧させてはいけないのだが。
(…………まぁ、レイチェルさんもこれが終わらないと帰れないんだもんね)
そう考えると、仕方ないと感じてしまって。ミラはこっそりとため息をつくと、作業に取り掛かり始めたのだった。
*_*_*_*_*_*
その後ミラは日曜日のたびに訓練所を訪れ、事務作業を手伝わされた。事務作業が終わると、発表されている仮説についての見解、勉強や実技についてなどいろいろなことを教わる。授業の説明で納得できなかった箇所、論文を読んでいて生まれた疑問―レイチェルはそのようなものをことごとく論理的に潰し、定時で帰宅していった。
そんな日々がしばらく続き、十一月初旬の二回目の定期試験も何事もなく終わる。ミラはカインと共に一階級昇格し―フランツェルはあと少しのところで一二〇〇点に届かず、フィンレストは当然のように一一九九点を取ってフランツェルと共に授業を受けている―ついに月末。
魔術特訓練習合宿―通称、特練。ただ単に魔術特訓合宿と呼ばれることもある。
全校生徒を優秀な順に上から一五人ずつ最優秀クラス、上位クラス、下位クラスと三つに分け、それぞれ教師が二人つき三日間の厳しい魔術合宿が行われる。ちなみにその間、合宿参加以外の生徒は全員訓練所で持久走のような魔力操作訓練を延々と行うことになる。選ばれても選ばれずとも大変な思いをすることになるその期間。それをセレナイト学園の生徒たちは恐れ慄き、とある名前をつける。
爆発的に広がり、毎年何度も口にされるその名は、<茨の三日>。
セレナイト学園に、地獄の三日間がやってくる。
次話投稿は、3月29日午後5時の予定です。是非お付き合いくださいませ。




