いつかみたいに
入学して一週間。
女性教員―<土槍の魔術師>レベッカ・コルニアスが言っていた『セレナイト学園は毎日が非常に面倒』という言葉の意味をようやくミラは理解した。
ベッドの上でうつぶせになりながらミラは死にそうな目をする。はぁあああああっ、と深いどころではないこの世の終わりのようなため息が発せられた。制服が皺になってしまうとしても、起き上がる気になれない。
「毎日毎日、大変すぎる……この学園、カリキュラムがおかしいって」
ものの一週間で、入学前に養った英気やらなんやら、気力は全て失われていた。その原因は―あまりの忙しさにある。
初日、設備を完全に説明し終えると食堂で昼食をとって即授業突入。その時点でおかしいのに、授業は実技授業だ。三時間にわたって初級魔術、中級魔術の各属性に挑戦し続け、授業の終わりを告げる鐘が鳴ってもノルマ達成に至らない者は寮消灯の一時間前まで補習。
次の日から、朝六時に拡声魔術を使用した放送でたたき起こされ、八時から座学授業。座学授業は魔術座学、一般座学、術式構築の三科目で一日一教科。授業は毎日ローテーションで行われ、週に二回ずつ。四時間ぶっ通しの授業の後は二時間の昼休みがあり、午後二時からは実技訓練授業だ。月曜日から金曜日までは通常魔術訓練、土曜日は午後に応用魔術訓練が行われる。途中四時から五時に休憩をはさみつつ、合計四時間の訓練を終えると消灯時間の十時までは自由時間。日曜日だけは何の制約もない日だが―
「明日一日しか休めないとか......どこの魔術組合なの......」
本日、土曜日。もうすぐ消灯だから、さっさと就寝準備をしなければいけない。
ミラは緩慢な動きで着替えると備え付けの机の上をチラリと見る。そこに山積みになっているのは大量の教科書、そしてたくさんの課題。
「............」
もう寝よう、とミラは見なかったフリをした。
*_*_*_*_*_*
ミラはドンドンドン、という騒がしいノックで目を覚ました。投げ掛けられるのは、朝の挨拶。休日の朝叩き起こされたことに、反射的に顔をしかめる。
「ほら朝よ、ミラ!!さっさと起きなさいな!!」
「............」
声の主は同級生のフランツェル・イードル。淡めの藍色の髪を肩口で切り揃え、鮮やかな赤いリボンを結った少女。授業の席がたまたま隣で少し関わりがあった。
嫌々立ち上がったミラの脳裏にはフランツェルが自信満々の笑みを浮かべてふんぞり返る姿が浮かぶ。目元がピクピク震えるのを感じた。
「ミラ?もう九時なのよ?早く出てきなさいな、起きているのは分かってるのよ!!」
着替え終わった頃、しびれを切らしたのか届いた催促にほんの少し扉を開ける。首から先だけ隙間から覗かせた。ぶっきらぼうに訊ねる。それほど機嫌が悪かった。
フランツェルが扉の縁を手で掴む。
「何の用、イードルさん」
「ミラっ!!」
すると、フランツェルがぱぁっと華やかな笑顔を作る。ヒヤシンスのような上品な色の瞳が輝いた。目の色と同じ、ヒヤシンスの香りが仄かに漂っているのは、香水だろうか。
ミラがつい何とはなしに眺めていると、フランツェルが部屋に上がり込んだ。無論、勝手にである。
「お邪魔するわ。構わない?」
「邪魔だから出ていって、イードルさん。事後承諾を求めないでくれる?」
「......歓迎に感謝するわね」
ベッドに腰かけてから小さく首を傾げるフランツェルを睨む。普段とらない態度だが、睡眠欲が食欲の次に強いミラはとことん機嫌が悪かった。
「............、............何の用?」
「間が気になるところではあるけど......頼みがあるの」
呆れたような口調で言われて、ミラはイラっとしてそっぽを向く。若干ドロシーに似た反応だった。
「実はね、フランは―」
「嫌」
「この前の試験の......って断られた?!」
全部聞く前に拒否。承諾されないとはつゆほどにも思っていなかったらしいフランツェルは目を剥いた。
(だって嫌なんだもん)
子供のように拗ねながらフランツェルを流し見る。
フランツェルは見るからに落ち込んで「えぇぇぇぇ......」と指先を見つめていた。あまりのしょぼくれように、流石に悪いことをした気分になる。
「......話、聞くだけなら」
結局、ミラがしょうがなくそう切り出したのは五分ほど躊躇った後だった。
*_*_*_*_*_*
フランツェル曰く。
彼女は物凄く筆記試験の点数が悪かったらしい。実技試験と特殊試験のお陰で合格できたのは良かったが、次の一〇月の頭にある定期試験で退学になるかもしれない。そこでレベッカに相談したところ、何か走り書きしながら「面倒だからバーバランのとこ行ってこい」と追い払われたそうだ。
はぁ、と相槌を打つ。何て余計なことしてくれてるんだろう、と真顔で考える。
何となく嫌な予感を感じつつ、恐る恐る訊ねた。
「......何点だったの?」
フランツェルは急に勢いを失い、空元気であはは、と虚ろに笑う。
「......一八点。特殊試験が二〇点で、全体で一三二点」
「............はぁっ?!」
思わず声を上げる。確か、配点は筆記試験と実技試験が百点ずつ、特殊試験が五〇点。聞いたところによると、合格者総合点の平均は一四三点、筆記試験の平均は六九点。
筆記試験一八点、実技試験九四点、特殊試験二〇点、総合一三二点で合格したらしい。実技試験と特殊試験は超優秀だが―成程、筆記試験の成績は壊滅的。典型的な特待生タイプだ。
「......退学した方がいいと思う」
しばらく考え込んでいたミラは、無表情で告げる。フランツェルが涙目ですがりついてくる。引き剥がそうと思ったが、力が強く抜け出せないためそのまま話を続ける。
「あのね、絶対に無理だから。その点数だと赤点回避も難しいし、したとて多分昇格はできない。退学になるか在学中に成人して実家に連れ戻されるかどっちがいい?」
「どっちも嫌よ!!」
ため息をつく。お話にならない。
「じゃあ頑張って勉強するしかないよ。一応術式構築の科目はだけ点とれてるから、それを磨きつつ他で赤点をとらないようにする。実技で満点。あとはやる気............以上」
フランツェルの点数からして無理だろうが、ミラにも人の面倒まで見る余裕はない。今でさえ課題がギリギリだ。
ついには上目遣いで見てくるフランツェルに扉を示す。
「イードルさん、帰ってもらえる?私にしてあげられることは何もないからさ」
僅かに心苦しさは感じるが、どうしようもない。フランツェルが身動きするのを感じてふ、と力を抜くと―
「......え?」
―何か、白いメモを手渡された。驚いてフランツェルの顔をまじまじと見つめると、「渡すのを忘れてたわ」と返答がある。
(何だろう)
半分に折り畳まれた紙を丁寧に広げる。そこに書かれていた内容に驚愕した。立ち上がろうとしていた足から思わず力が抜ける。
『一〇階生ミラ・バーバラン。
そこのイードルの面倒を見てやれ。
入学試験の点数も加味して、イードルが全教科平均点以上、お前が昇格ライン以上を取ったら二階級昇格してやる。
名家の娘なんでな、最初の試験で退学させるには体裁が悪すぎる。これはお前への特別課題だ。せいぜい励め。
<土槍の魔術師>レベッカ・コルニアス』
「何これ............」
どうやら、レベッカによって既に逃げ道は塞がれていたようだった。特別課題は成功すれば成績が大幅に上昇する代わりに、失敗するとペナルティが発生するのでミラとしては挑戦しないわけにはいかない。
昨夜よりも大きいため息をつく。フランツェルが不思議そうに紙を覗き込んで来るのを拳を握り込んで防ぐ。彼女が慌てているのを横目で見つつ、短縮詠唱で炎魔術を行使。紙を端から炙って塵箱に入れる。
「ミラ......?」
「............もうっ、」
地団駄を踏みたい気分だった。鮮やかな手腕に、やられた、と胸がすく。
でも―
(............ただ、利点はあるんだよなぁ)
それだけは確かだったので。
「......しょうがないな」
また、フランツェルの整った顔が年齢相応の愛らしい笑みに染まる。ヒヤシンスの瞳が見開かれ、歓喜に湧く。
「やったぁあああああっ!!」
あまりの声量に、「うるさい」と小言を言いつつ、薄く笑う。少し目尻を下げて息を吐いた。
教師の真似事なんて、成績が上がるにしろ面倒だし責任が伴うからあまりやりたいとは思わない。嫌だなぁ、とは脳の片隅で感じつつ、その正反対のことを考える。―いつものように、これまでのように。
(まさか、入学してすぐに人に教える立場になるなんて思ってなかったけど......この子になら、悪くない気がする)
―なんて、本人には言えない少し恥ずかしい本音を隠しつつ。
「............教えるからには、いい点とって貰わないとね」
すぐ近くで感動に咽び泣くフランツェルでと聞こえないような小さな声で呟いて窓の外に目を向けた。
空一つない快晴に、白くぼやけた月。太陽がこれから高いところに昇る時間帯。あの日とは何もかも違うのに、ミラはすっかり聞き馴染んだ鐘の音が鳴っている気がした。




