かけがえのない宝物
「......ぅ」
セレナイト魔術学園の入学式のために制服姿で汽車に乗り込んだミラは込み上げる不快感に口を覆う。試験の時にも思ったが、それ以上。まさか自分はこんなに酔いやすかったなんて、と驚愕した。
「まだ二〇分もあるぅ......」
うぅ、と呻く。
試験の日は酔い止めの薬を飲んだ上で「ちょっと我慢すればいけるかな?」と思ってしまったのである。そのため今日は油断し、酔い止めを飲まなかったらこの状態である。
もう別のことを考えようと目を固く瞑り、最近で一番印象に残る出来事を思い出す。
*_*_*_*_*_*
合格発表の後、ミラは屋敷に戻った。こぼした紅茶のことは二人に任せてある。目指すのは、最上階の執務室。父親が今も書類に取り組んでいるはず。
「..................」
扉を前にして、全ての劣情を取り除くように深く息を吐く。荒ぶる心臓を落ち着かせようと手を当てる。
(落ち着いて......本来、おかしなことなんて何もないんだから。これは普通のことなんだから)
思うように酸素が取り入れられなくて苦しい。息だけでなく、心も。焦りが緊張を上回って、唇を噛む。
―どうして、ここまで。
滲んだ涙を乱暴に拭う。気にするな、と心が叫んでいる。望まれたことは果たしたのだから、胸を張って笑え、と。
(そうだよね、お母様)
脳裏に甦るのは、『自信が持てなかったら何かを成しなさい。それでどうにかならないとしても、無理矢理笑顔を作りなさい。それはいつか、本物に変わるはずだから』という言葉。幼いミラの頭を優しく撫でながら言った次の日、母親はこの世を去った。
与えられた最後の言葉は、ミラの背を押してくれる。
拳を握り込んで、ドアをノックする。「入れ」と声が帰ってくると、無理矢理にでも口角を上げてみる。
―笑え。それが本物に変わるまで。
ミラは意を決して扉を開く。
「ミラです。ご報告があって参りました」
「............」
ミラだとは思っていなかったのだろう。驚きを隠せない父親の顔に、くすりと微笑む。口を開けば、するすると言葉が出てくる。
「セレナイト魔術学園に、合格しました」
そう言うと、胸に秘めておこうと思っていた言葉まで引き摺られて出てきてしまう。無かったことにしようと思ったけれど、一度姿を覗かせたそれはもうとめられない。
「家庭教師の、<泡沫の魔術師>様のご指導のおかげで、二ヶ月で合格できたんです。それに、学園初のっ、満点合格で、特級魔術だってっ、使えるようになってっ、あと、」
いつの間にか再び涙が滲んで、しゃくりあげてしまう。今度は抑えられなくて、ポロポロと頬を伝う涙を拭うのを諦めて、ちっとも論理的じゃない言葉を続ける。
父親は、ただ黙って話を聞いていた。何も言わず、何もしない。どこかぼんやりとミラの顔を眺める。
「私、私っ、この二ヶ月間、いっぱいいっぱいっ、頑張って、朝から晩まで試験のために勉強して、そんなの、当たり前だけどっ、すごく、頑張って」
「............」
―あぁもう、カッコ悪いな。
泣きながら、必死に伝えながら、自嘲する。最初から最後まで本当にカッコつかない。もはや、迷走しすぎて自分が何を伝えたいのかすら分からない。
―でも、一つだけ言えるとすれば。
「......やっと、合格できたの。お父様、だから、だからっ、」
クシャクシャに顔が歪んでいるのが 鏡を見なくたって分かる。
それでも、やめられない。とめられない。導きだすのは、これまでの人生への答え。ミラは最後の―最初の、言葉を紡ぐ。
「私はっ、お父様の期待に、応えられましたか......?」
二人の視線が正面からぶつかり合う。目は、絶対に逸らさない。相手も自分も、それを望んでいないのだから。
父親は―ロウデン・バーバランは、逡巡するように息を吐くと、ようやく口を開く。
「......あぁ、自慢の娘だ」
「......っ!!」
ミラを構成する全てが、心が、望んでいたはずなのに。それはガツンと殴ったような衝撃を与えてくる。ミラは言葉を失って、呆然とする。
「本当に、すまなかった。あの日から、どう接しればいいのか分からなくなった......情けない父親だ」
「そんなこと......っ、」
「あるんだよ......現にお前は今、泣いている」
自分を責めるような言い方。ロウデンは、昔を想起するように目を細める。声には後悔が読み取れる。
「昔から、剣を振ることしかしてこなかった。アイツと出会ってからは変わったと思っていたが......何も変わってはいなかったらしい」
吐き捨てるように言って、ロウデンは万年筆を持ち直す。
「笑みを向けることすら―普通の父親として接する自信がない。......褒美は後で部下に確認させる。入学もしてくれ。だから......気の効いた事は言えないから、出ていくといい」
冷たく聞こえる言葉を一番辛く思っているのはロウデンの方なのだと、爪が刺さるほどに強く握っている左手がミラに伝えてくる。自分の不器用さを一番憎んでいるのは彼なのだと、寄った眉間が物語る。
―だからもう、怖くはない。
何も怖じ気づくようなことはないと、知れたから。自分と同じように苦しんでいるのだと分かったから。
ミラは嗚咽を堪えて、ロウデンの目を見る。思い描くのは、母親の姿。
真っ直ぐな毅然さに微かな負の感情を滲ませ、柔和な雰囲気を纏ったどこまでも眩しく美しい人。
ミラは、彼女の言葉なら、届く気がした。
「作り物でも、いいんです」
換気のためか開け放たれていた窓から夕日が射し込む。街の中央の公園で鳴る鐘が、高らかに響き渡る。優しく吹いた微風がワンピースの裾で遊ぶ。
「私も、お父様も......どちらも、本心から笑えるようになるまでは作り物でもいいんです。でも......だからこそ、逃げるのはもうやめにしませんか?」
ロウデンの言葉を『逃げ』だと一蹴して、恐ろしいまでの直球で、直接その心へ。
嘘でも虚実でも構わない。誤魔化し、大いに結構―だからこそ向き合う努力をしたい、と。
「............だが、」
何かを言いたげなロウデンを制する。
「ご褒美はこれがいいです。私はこれからもお父様の期待に応えます。ずっとずっと、自慢の娘でいて見せます。だから、笑いましょう。―それが本物に変わるまで」
「――」
ミラに母親を重ねたのか、ただ単に成長した娘に興味を持ったのか。
日が沈むと共に、部屋の中が一気に暗くなる。仄かな明かりのみが視界を頼りなく照らしているからミラにはロウデンの顔がよく見えない。
でも、それでいい。
ミラにとって大切なのは、もっと別のものだったのだから。
*_*_*_*_*_*
ガタン、と汽車が大きく揺れて、ミラは目を瞬かせる。どうやらいつの間にか、微睡んでいたらしい。小さく伸びをして、時計を確認。あと数分だ。
「夏の長期休暇......帰らないとなぁ」
しょうがなく、といった風な普通の少女みたいな、わざとらしいため息をつきながら手荷物をまとめて、駅につくと同時に汽車から降りる。
(生徒......いっぱいいる。新入生も、何人かいるんだろうなぁ)
誰が新入生として一緒に学ぶことになるんだろう、と少しワクワクした気持ちで考えながら、正門をくぐる。
師匠の事も、父親の心情も、これからの人生も、分からないことだらけだ。模範的な一般学校生徒だったからミラは何を知らない。
―だからなんだ。
無知は悪いことじゃない。いつか成長の軌跡になるものだ。待ってろよ無理難題、不適に笑って、ミラは呟く。
「全部解るようになるまでが正念場だから」
*_*_*_*_*_*
その日は、入学式の後学校施設の案内、寮規則の確認などが終わると教室の一つに案内された。
第一〇教室。一〇組―主に、新入生が使用する場所。気品ある内装と統一感のある机一式が並ぶ。指定された位置につくと、案内を担当していた教師が壇上に立った。
パサパサの茶髪を適当に纏めた妙齢の女性。つけた眼鏡と良い姿勢、高い身長が固い雰囲気を醸し出している。無表情に生徒を睥睨するその様子はまさに監査員。どことなくとっつきにくそうな女性は実に面倒そうに息を吐いた。
「こんにちはー、新入生。セレナイト学園はお前らが思っているより毎日が非常に面倒だ。それが嫌なら―さっさと退学するんだな」
そう驚きの宣言をして、八重歯をほんの少し覗かせる。笑ったのだ、と認識するのに、ミラは長い時間がかかった。
そうして始まるミラの学園生活は一生忘れられないような特別なものになる。数年後何度も何度も繰り返し思い出しては、くすりと笑ってしまうようなかけがえのない時間は紛れもないミラの宝になっていくのだ。




