第53話 日の出前の道を走る
この作品はカクヨムに投稿した物です。
日の出前に宿場町を出発し、暗い中を峠に向かって馬車は走っていきます。
峠へ向か途中、牧場がありましたがそこでは暗い内から馬の訓練を行っていました。
馬車はまだ暗い中宿場町を出発し、峠に向かって走ります。
宿場町からしばらくはまだ緩いの坂で周りにも少ないながらも人家があり牧場が広がっています。
牧場ではまだ暗いの中、ランプやかがり火が灯っていますがその中を馬が人を乗せて走っている姿が見えます。
「こんな時間に馬が走っているのですね。一体何でしょう?」
朝早い時間なのに馬が走っているので何かと思いましたら
「これは軍馬や競走馬の訓練だと思いますよ」
とアルニルが答えます。
「そうなのですね。こんな早い時間から訓練をするのですね」
「わたしも詳しい事はわかりませんが、特に競走馬は朝早くから訓練をするそうです」
「そうなのですね」
王国では馬の競争である競馬と言う競技が各地であります。
二頭の馬を走らせ、どちらの馬が早いかを競う物です。
王国の各地方で行われる大会で優勝した馬が年に1回1年最後の日に集まり
王国で最も早い馬を決めるという大会です。
この大会で優勝しましたら優勝の栄誉の他に、王国からも賞金も与えれ
さらに強い馬を作る地域として、優先的に軍馬として買い取られます。
なので、この大会を目指し強い馬を育てるための訓練をしているそうですが
正に今走っている馬がそうのようですね。
「わたしの知らない所でこのような事を行っているのですね」
「はい、わたしたちが知らない所で色々な事が行われているのです」
「そうですね。このような方々が王国を支えているですね」
「そうですよね。普段知らない事を知れてよかったです」
「そうですね」
アルニルの言うとおり、王国は大勢の人たちによって支えれてるのです。
わたしは王位継承第1位なので、いずれお父様の後を継ぎますので
このような方々を大事にしたいです。
わたしとアルニルは暗いながらも外をみて話していますが
その横でトリシャ様とイザベラは寝息を立てて眠っています。
イザベラは馬車に乗る前はしっかりしていましたが、馬車が走り出したらすぐ寝てしまいました。
トリシャ様は朝は弱いので、馬車に乗るとすぐに寝てしまうので何時もの事ですが。
馬車は牧場を通り過ぎますと、木々に囲まれてた川沿いの道にさしかかります。
坂はすこし先ほどより角度がついてますが、それでもまだ緩いです。
川沿いの比較的緩い所を通っていますが、川は曲がりくねっており何度も川をわたります。
そして、少し空が赤くなって来ましたので日が昇り始めた様です。
「日が昇って来たようですね」
「そうですね。ただ、この辺りは谷間ですから明るくなるのはまだまですね」
アルニルはこう言いますが、空は段々と明るくなりますが道はまだまだ暗く
御者が時より止まり、ランプの油を継ぎ足しています。
そして大分進んで空が完全に明るく成ったのち、やっと道も明るくあり馬車のランプを消しました。
「やっと道も明るくなりましたね」
「そうですね。しかし、この2人はまだ気持ちよさそうに寝ていますが」
完全に明るくなりましたが、トリシャ様とイザベラはまだ気持ちよさそうに寝ています。
「トリシャはともかく、イザベラまで寝てるとは」
「別に良いではありませんか、本日はかなり早かったのですから」
「そうですが、わたしだって本音を言えば眠いのです。ただ、フローラ様の護衛兼侍女としてこうして起きいるのです」
アルニルはこう言いますが、アルニルはわたしが眠くなりましても
常に起きており、護衛としても侍女としても優秀です。
しかし、無理をして行けませんし、眠る事も大事なので
「アルニル、眠い時は寝ても良いですよ」
と言うと
「それでしたら、わたくしも眠らせて頂きます」
と言い、あくびをしますとそのまま目をつむりと寝息をたてました。
「アルニルも眠かったのですね」
わたしは眠っているアルニルを見て微笑ましすがわたしはこれから通る峠道が
どのような道か楽しみで眠れません。
もっとも、この峠道を取ったファーガスの記憶はあるのですが、この道を作って通った事は思い出せますが
何があったかとかどのような道だったという事は全く思い出せません。
ファーガスの記憶と知識はありますが、どうやら全てではないようです。
特に魔王を倒した後の記憶と知識はかなり断片的らしく、旅の前に
ファーガス地方の事を思い出そうとしましたが、思い出せませんでした。
そして、100歳まで生きたファーガスですが、思い出せるのは35歳ぐらいまでで
それ以降の記憶は全く思い出せません。
35歳と言うのは、ファーガス地方へ来て開拓を始めて8年後ぐらいです。
やっと作物が安定的に生産できるようになり、ファーガス峠の開闢が完成した頃です。
ただ、この時のファーガス峠はとりあえず歩ける道を作ったという感じで
馬車がすれ違うような現在の道幅ではありません。
その後、何度か改良がおこなわれ現在のような道になりましたが
これは書物で読んだ知識で、ファーガスの知識でありません。
現在の峠道となった改良完成時に行われた式典にもファーガスは参加しています。
ただ、この時の年齢はファーガスは50代でありますのでこの時の記憶もありません。
このような式典に参加したというのは、書物の知識であります。
この事に気付いたのは実は今回の旅に出る時に気付きましたが、今までの記憶は
マオ討伐ことばかりだったので、マオ討伐後の事を思い出す事がありせんので気づきませんでした。
知識に関してましても、同じぐらいのようです。
この事はアルニルたちには話しておりませんし、話す機会もありません。
それに支障もとくにありませんので、この事はしばらくは黙っておきます。
わたしはそんな事を考えていましたが、急に瞼が重くなり気づいたらそのままね眠ってしまいました。
お読みいただきありがとうございます。
競馬と書いて「きそいうま」と読みますが、日本の古式競馬と言ったところでしょうか。
2頭の馬のどちらかが速いか競うものですが、馬券は売らず賭け事ではないが興行として人気あったそうです。
どの馬が優れてるかを競うものですが、明治まで現在の西洋式の競馬が広まるまで行われていました。
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