発端、或いは破綻
2***年と言えば、今から半世紀は前のことになる。
その時俺は生まれてなかったし、それどころかパパとママさえ出会っていなかっただろう。
しかしそんな——むかし、むかしの出来事が——現在を生きる俺たちを、ここに縛りつけている。
始まりはある研究報告。
それを書いた研究者たちは、きっとそれがこれほどまでに、世界を変えるとは思っていなかっただろうな。
血を流させるとは思ってもみなかったろうなあ。
俺はそのレポートを読んだことはないんだが、その内容は文字通り、血肉まで染み付いている。
その研究のテーマは
『殺人鬼が持つ特有の遺伝子について』
一部の精神病が遺伝することは、前時代でも提言されていた。
たとえば『統合失調症』。これも親から子へ遺伝し——100%の確率ではないが、同じ症状を引き起こさせる。それは親から受け継ぐ染色体の中に、その疾患の原因となる、遺伝子が200個以上も含まれるためだ。
研究グループはその事実を掘り下げる中で、
【人間を殺せる】という精神の異常も、遺伝することを発見したのだ。
つまり——かつて人類を恐怖のどん底に、引き摺り下ろした殺人者たちは——みな共通の遺伝子を持つと証明した。
(勿論環境にも影響される。身近に殺人鬼がいたら、自分も誰かを殺してみたい、と思ってもおかしくはない)
発表当時、その研究は——戯言だ、血迷いごとだ、人種差別だ、と酷いバッシングを受けた。メディアは連日その研究について解説したり、議論したりを繰り返し——それゆえに、全世界で周知された。
世の中は燦々たる有り様になった。
かたや賛成派は犯罪者、そしてその家族を迫害し、時には死に至らせ、
かたや反対派は賛成派、そして研究者たちを迫害し、善良な市民が犠牲になったり、研究者の家が放火されたりしたそうだ。
しかし議論の戦争もやがて終わる。
時と共に賛成派も反対派も興味と情熱を失い、そこには『殺人は遺伝する』という事実のみが残された。
『もし本当に、そんな遺伝子があるのなら、危険分子を排除できる?』
『殺人鬼なんか周りにいない方がいい』
人々の意識が変われば、社会だって変わる。
レポートの公表から数年後。研究者たちの生まれの国、我が国【東亜】政府は、とんでもない法律を打ち立てた。
その名称は『国家安定自治法』。
略称で国安法と言われたその法律は、名前だけではなんなのか判らないだろう。
全人類はその法律に注目し、その公布の瞬間は、ありとあらゆる番組で、ラジオでネットで中継された。
厳粛な表情で当時の東亜大統領が宣言した法律は、間違いなく常軌を逸していた。
しかし国民たちはその法律を熱烈に歓迎した。
研究者たちはついに日の目を見、国民たちはこうべを垂れた。
その大変有難い、あらましはこうだ。
『生後すぐの赤ん坊に遺伝子鑑定を義務付ける。そして特定の遺伝子を持つものを徴発し、国の管理下に置いて活用する。』
どんなやさしい親だって——殺人鬼を育てたくはないし、どんなやさしい友達だって——殺人鬼と登校したくはないものね。
翌年から意気揚々と法律は施行されたが、見つかったのはたったの数名。そりゃそうだ、と言えばそうだよな。
ジャックザリッパーやジェイソン、もしかしたらチャッキーも、持っていたかもしれない最低最悪の遺伝子が、ありふれたものなわけがない。
期待した様な成果を得られなかった政府は、5歳までの子どもに調査対象を変更した。それでも欲しい数には満たない。
挙句の果てには、遺伝子を持っていた子どもの親族郎党かき集め——かけあわせた。それが俺たちの始まり。
子どもたちはねずみ講的に増え、現在では千人規模で国に管理されている。
さて、めでたく産まれた子どもの行き先であるが……生後間も無くまだ目も開いていないうちに、『人でなし』と呼ばれ、尊厳はもう剥奪されている。
赤子たちは【飼育場】と揶揄されている(正式名称は他にあるらしいが俺はよく知らない)場所へ運ばれ、ある程度ものがわかるようになるまで育てられる。敢えて言うまでもないのだが、人間らしい扱いは受けられない。
その後子どもたちは、まず男と女、そして男たちは陸・海・空、その他——で分配され——各々の施設へと輸送される。
女、については大体想像の通りであるが、とびきり優秀な者は士官する場合もある。
【その他】については知らない方が幸せだ。他の部門での扱いも散々たるものではあるが、それでも絶対に【その他】にはなりたくない、選ばれなくて良かった、と誰しもが思っている。
さて、僕たち男の子、の話へ戻ろう。
陸海空と分られはするが、最初は概ね同じ工程を踏む。
子どもたちは学校のような場所に集められると、来る日も来る日も、いつ来るともしれない戦争へ向けて準備をした。朝から晩まで知識を技術を詰め込まれる日々。教官が望むように振る舞えなければ、時に何日も食事を抜かれ、時に独房に閉じ込められ、時に気を失うまで殴られた。
おもちゃの代わりに銃を、ペンの代わりにナイフを持ち、動物を殺し、人間を殺し、果てに仲間で殺し合う。
訓練の過程では何割かの子どもたちが脱落する。無惨に死ぬ者もいれば、その他送りになるやつもいる。
大人と言っていい年齢になるまで、生き残るのは優秀なものと、立ち回りが得意なものだけ。
彼らで構成された部隊を、人間たちは『#4』と呼んだ。
死の番号。死んでも良い部隊。
#4に人道的配慮は必要ない。だって『人で無し』だから。俺たちは人の手によって、人の道を踏み外させられた凶器だ。
誰が使い捨ての道具を、尊重しようと思うだろう?
『人でなし』たちが駆り出されるのはもちろん命の保証などない場所だ。
そして俺、穂積勇護も、#4に所属していた。
人並はずれて強くはないけど、人並以上の幸運は持っていたらしい。
今日まで生き永らえて、東亜国最北端——後に【第四次世界大戦】と呼ばれる戦争の、最前線——に出征していた。