竜の発生
「おいおい、何でこんな辺境で竜が出るんだよ」
緊急事態のわりに、リークの顔や声色に焦燥感や緊張感は表れていない。それもそのはずだ。先ほどのアレクとの会話通り、竜が雲海から出現し、島まで到達するのには時間がかかる。そのため、監視鳥の警告の後、すぐに避難を開始すれば早々竜に喰われることはないだろう。
アレクとロコにも警告は聞こえており、すぐに避難を開始するはずだ。彼らと合流するため、空を見上げたリークだったが、彼の目には信じられないものが映る。
「どういうことだ……!」
リークの視線の先には、一匹の竜から逃げ回るアレクの姿があった。
───時は少し遡る。
リークとアレクの言い争いをロコが止め、そのままアレクが空に飛び去っていったあと。ロコはアレクを追うため、普段より速度を上げて飛翔していた。
「アレク!飛び方が雑だよ!」
深緑の髪の少年をなだめるように、ロコは声を上げる。しかし、その少年が速度を落とすことはない。
「うるせえな、こっち来るなよ!一人で飛びたいんだよ!」
「いつも一緒に競争したり、鬼ごっこしたりしてるでしょ?リークさんに謝ったのがそんなに嫌だった?」
ロコの言葉にアレクは舌打ちをする。
「…そうじゃねえよ」
アレクの口からこぼれた小さな声は、風にかき消されロコに届くことはない。アレクを後ろから追う彼女からは見えない彼の顔にはどこか赤みが感じられた。
そのままさらに速度を上げ、ロコから距離を取ろうとするアレクだったが、直前、ロコが彼を呼び止めた。
「待って、アレク!それ以上行くと島から離れちゃうよ!」
彼女の忠告を受け、アレクは急激に速度を落とす。振り向いてロコを見る彼の顔には不服そうな表情が浮かんでいた。
「…さっきからほっといてくれって言ってるだろ。なんでそんなに俺にかまうんだよ」
「それは、アレクと一緒に飛びたいから…」
「っ…」
付きまとうロコに対して苛立ちを覚えていたアレクは、予想だにしなかったロコの返答にとっさに言葉が出てこなかった。
そして、やっと収まっていた顔の熱がふたたび襲ってくる。
「…はいはい。わかったよ。もう逃げないって」
真っすぐ自分を見つめるロコの視線についにアレクは折れる。諦めの表情を浮かべつつも、自分たちの家がある島の方角を見ると、かなりの距離があることがわかる。
「確かに、離れすぎたな」
「ね?だから戻ろう?」
アレクとしては、先ほどまで逃げていた相手からの提案を飲むのは、掌返しも甚だしいとしか言いようがない。プライドが彼女の提案を受けることを邪魔しようとするが、もしこの時点で竜が発生したら、矜持も糞もない。
「そうだな、戻ろう」
抵抗はあるもののアレクは素直にロコに従うことにした。先ほどとは逆に、ロコを先頭にし、二人は島へ飛び始める。
だんだんと大きくなっていく島とその上に建っている彼らの家。ひとまずこの距離まで近づけば、もし竜が出現したとしても、すぐに地下室に避難することができる。
ここまでくれば安全だろうと、アレクが気を緩めたその時、監視鳥の叫びが二人の鼓膜を叩いた。
その瞬間、緩んでいた彼らの気持ちは一気に引き締められる。この地域はあまり竜の発生がないものの、まったく発生しないわけではない。彼らも一年に一回ほどは聞いている声だ。
「アレク!」
「わかってる。すぐ戻るぞ」
ロコが飛翔速度を上げ、地上を目指して進もうと翼をはばたかせたその刹那、アレクの目に信じられないものが映った。
「ロコ!!」
その信じられないものが迫っていることに、アレクの身体は脳が指令を出す前に動き出す。今までの飛翔の中で恐らく最高速度。アレクの爆発的な加速はあっという間にロコに追いつき、彼女の身体を突き飛ばした。
「え…」
唐突な後方からの力に彼女はなすすべなく体勢を崩す。何とか飛翔を保つも、何が起こったのか、彼女にはわからなかった。この竜がいる状態で何をふざけているのか。自分を突き飛ばしたであろうアレクに抗議するため口を開こうとしたが、その目線の先に彼の姿はなかった。
「…アレク?」
直前まで自分の後ろを飛翔していた親友が消えた。もしやアリスの不調で飛べなくなり、落下したのではないか。一抹の不安が頭をよぎり、彼女は真っ白な雲が浮かぶ海を見下ろす。
だが、いくら目を凝らしても、彼女の眼がアレクを捉えることはできなかった。その事実に彼女は安堵しつつも、アレクがいないことに変わりはない。彼は一体どこへ消えてしまったのだろうか。そしてなぜ私を突き飛ばしたのだろうか。そんな疑問が彼女の頭の中に浮かぶが、それは頭上から降ってくる翼の音でかき消される。
ロコが頭上を見上げるとそこには───、3mほどある竜と、その竜から逃げ回るアレクの姿があった。
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