STAGE 3-38;第一王女、捕縛される!
いよいよ捧蕾祭――【本祭】当日。
大樹林〝帝国駐在軍〟大佐であるシンテリオのもとに、今朝方から行方が分からなくなっていたクリスケッタが訪ねていた。
「これはこれは。お待ちしておりましたよ、クリスケッタ第一王女殿下」
色白で痩身のその男――シンテリオは椅子から立ち上がり恭しく片手を胸の前にあて、頭を下げた。
「前段は要らぬ!」
クリスケッタが叫んだ。
ここまで急ぎ足で来たのだろう、その息は乱れている。
「真であるのか! エリエッタが世界樹に〝命〟を捧げなくとも済むというのは……!」
シンテリオは顔を上げて、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
相変わらずの、心というものがまるで籠っていない微笑だった。
「ええ、ええ。まさしくにございます。理由をお知りになられたいですか?」
クリスケッタが足で地面を激しく叩いた。
「もったいぶるな! そのために、本祭当日にも関わらず妾を呼び出したのであろう……!」
クリスケッタの服装は〝本祭の儀〟に参加するため、ふだんの兵服ではなく着飾った衣装姿であった。
叫んだ際に耳元で金色の飾りが揺れて、ちりりと緊張感のある音が立った。
彼女が呼び出された場所は、帝国軍の駐在地の最奥部――シンテリオが拠点とする半地下の空間だった。
壁には様々な書物や資料が並び、奥の壁面には何かを隠すように〝重厚な幕〟が垂れさがっている。
「いやはや。そう焦らないでください。物事には順序というものがあります」
芝居がかった口調と大げさな身振り手振りでシンテリオは続けた。
「それにしても……よろしいのです?」
「何のことだ……?」クリスケッタが眉間に皺を寄せる。
「妹君を生贄に捧げないとなれば、それは神様より賜ったミサダメに逆らうことになるのではありませんか?」
クリスケッタは唇を噛み締めて語気を荒げる。「だからこそ仔細を聞きに来たのだ! もしも虚言であれば、シンテリオ――神の御言葉を騙った貴様の罪は重いぞ」
「やれやれ。そのように気を昂らせないでください」
シンテリオは両手を空に上げ、苛立たしいほど呑気な様子で首を横に振った。
「ご安心ください。私は嘘などは吐いていません。なあに、簡単なことです。貴女方が妹君の命を助けたいのであれば――世界樹の生贄になど、捧げなければ良いのですよ」
「……やはり戯言か。それではミサダメを果たすことができぬではないか!」
クリスケッタは前傾姿勢になりながら続ける。
「捧蕾祭に於いては【神代の魔物】を鎮める【世界樹の蕾】を実らせるため、森人族の文化職の王族の魂が必要であると――それが神からのミサダメであり、我らエルフが受け継いできた誇りある使命だ!」
「いやはや。いかにも。私はその上で申し上げているのです」
そこでシンテリオははじめて、心底からに可笑しそうにくつくつと笑い始めた。
「そんな使命などは守らなくても問題はありません。なぜなら――ミサダメは、ただのでっちあげの虚言ですからね」
「……⁉ 何を、言っている……?」
彼は大きく両手を広げて続けた。
「すべては【あのお方】の御力によるものです。それを愚かな森人族の王族どもが信じ、そして愚かな民どもがまた信じた。即席の虚偽の歴史を、まるで過去より脈々と受け継がれてきた栄えある伝統のように――」
「ふ! 巫山戯るなああああ!」
クリスケッタが叩きつけるように叫んだ。その拳は強く握られ震えている。
「そんなことが、今更信じられると思うか……?」
「ふふ、ふふ。ごもっともな話です。これまで人生をかけて信じ抜いてきたものが、すべて空虚だったことを知らされたわけですからね」
「貴様ああああ! それ以上は許し難き侮辱と見なすぞ、シンテリオ!!」
クリスケッタが感情を露わに叫んだのを、シンテリオは掌で制した。
「まあまあ。落ち着かれてください。まだまだ話は途中ですよ? せっかくここまでご足労いただいたのです。なぜだか怒りに打ち震えておられる貴女に、是非〝見ていただきたいもの〟がありましてね」
シンテリオはぱちんと手を鳴らした。
それを合図にして、空間の奥にかかっていた大きくぶあつい布がばさりと床に落ちる。
中から現れた光景に――
「…………っ!」
クリスケッタは。
息を、呑んだ。
「な、んだ……これは……? これまで【神隠】にあったはずの森人族の同朋たちではないか……!」
まさしく。
そこに居たのは大樹林で〝神に選ばれて〟姿を消したとされていた元・同朋の少女たちの姿であった。
――元・同朋。
その光景を目の当たりにしたクリスケッタには、とても彼女たちを〝昔のまま〟に呼ぶことはできなかった。
なぜなら――
「……何故、彼女らが……植物と化しているのだ……⁉」
彼女たちの姿は、全身が樹皮に覆われ、四肢からは枝葉が伸び。
まるで樹木と身体が一体化しているような〝異形の姿〟と化していたのだった。
そして注目すべきは表情。
どの樹木化したエルフたちも、泣き叫ぶように悲痛の表情を浮かべたまま固まっていた。
「いかがです? 誰もが素晴らしい表情をしているでしょう?」
それを皮肉にしながらシンテリオが口元を歪めた。
「なぜだ! 彼女たちはカミガクレとして神に〝向こうの世界〟に連れられたはず……それが……なぜこのような場所で、人間としての尊厳を剥ぎ取られた姿で、彫刻のように飾られているのだ……!」
当然のことながら、目の前の彼女たちからの返事はない。
「簡単な話ですよ。カミガクレなどという仕来りも、エルフをいつ攫っても不信に思われないよう【あのお方】が捏造した因習だからです」
「なっ……⁉」
シンテリオは指を空中に立てて続ける。「それに失礼な。彫刻などではありませんよ。彼女たちはまだ生きているのです。その身を動かすことができない植物として、ですがね――どうです? 私の芸術作品は。美しいでしょう?」
「彼女たちは……貴様が! やったのか……!」
クリスケッタは喉の奥から震えるような声を絞り出した。
声には憎しみや怒りといった、あらゆる負の感情が滲んでいた。
「ええ、ええ。いかにも私の作品です。しかし、残念なことに……まだこれで完成ではないのです」
そう言って彼は、まるで絵画のように配置された画角のうち、真ん中のぽっかりとあいた空間を手で示した。
「本来であれば中央には――第二王女殿下を据える予定だったのです。ですが、ともに【あのお方】に仕える同士とはいえ一度は辺境伯の元に送られてしまい……結果的に彼女はまた我々の大樹林に帰りはしましたが、さすがに二度攫うのは怪しまれてしまいますからね。いずれにせよ私はこの大作を完成させることができず、失意の底にあったのですよ」
シンテリオは落胆したようにゆっくりと首を振った。
その動作は相変わらず仰々しくはあったが、これまでと違い心の底から憂鬱であるように思えた。
「しかし、私は今いささか安堵しております。ええ、ええ。代替品にはなりますが、ようやく作品を仕上げることができそうですから」
彼はそこで片手を前に突き出して、金糸色の瞳でクリスケッタのことを見抜いた。
「意味はご理解いただけますね? 第一王女殿下――≪火炎縄≫!」
その刹那、シンテリオは魔法を発動させた。
彼の色白の腕から炎が伸びるように這い出て、クリスケッタのもとへと迫る。
「くっ! ――≪尖尖矢撃≫!」
彼女は背後から弓を取り出し構え、同じく魔法の矢撃でその炎を撃退した。
「いやはや。流石は森人族が誇る弓系のA級職です。不意打ちでもなんなく躱されてしまいましたか」
「躱しただけではないぞ! ――≪一閃撃矢≫!」
続く二の矢をシンテリオに定め、その強烈な一撃を飛ばした。
地面を抉り、周囲を巻き込みながら迫るその激しい勢いの矢の一撃は――
「………………」
シンテリオの身体に触れる前に。
蒸発するように溶けた。
「なっ!?」
「おやおや。そのように驚かれて、どうかされましたか?」
(まさか! 今妾が放ったのは仮にも上級魔法であるぞ……! どういうカラクリかは知らぬが、その矢を受けて一切無傷、だと……⁉)
クリスケッタはごくりと唾を飲み込み、その場で瞬時固まった。
その隙を男は見逃さない。
「背後がお留守ですよ――≪火炎縄・還≫!」
「しまっ! くあああっ……!!」
先ほど消しきれなかった蠢く炎の縄は、いつの間にかクリスケッタの後方に移動しており、再び伸ばされた火の手によって彼女の全身は拘束された。
「はてさて。どうしてミサダメの歪曲をぺらぺらと貴女にお話ししたか分かりますか? 当然――私は貴女をここから帰すつもりがないからですよ。貴女には他のエルフの少女と同様、作品の一部となっていただきます」
シンテリオはクリスケッタに近付くと、その蒼白い手でクリスケッタの顎を撫でた。
「くっ! 妾に触れるな! 離、せ……!」
「ふふ、はは。これからが面白くなるところです。さあ、愉しい遊戯を始めましょう――!」
シンテリオは厭らしく口元を歪め、両手を天に広げた。
遂に本性を現した帝国軍大佐――! クリスケッタの命運は……?




