STAGE 3-22;お姫様、舞う!
『ピイイイイイイイイイイ――』
雲一つない夜空を切り裂くように甲高い音が鳴り響いた。
間もなくエリエッタの剣舞が始まるようだ。
「わー! 楽しみだねー!」
アストの隣でリルハムが目を煌めかせている。
舞台に目を移すと、奧にかかっていた幕が搾り上げらるように開いていった。
その向こう側から――ひとりの少女が、ゆっくりと歩いてくる。
大きな羽衣のような布を両手に持ち頭上に掲げ、まだ全身を見ることはできない。
が、当然主役たるエリエッタその人であろう。
『おお……!』『エリエッタ様!』『待ってましたっ!』
観客たちが多いに湧いている。
舞台の中央にまで進み出てきた彼女は歓声の中でぴたりと歩を止めて。
掲げた覆布を天へと投げるように払い、尊顔を露わにする。
その瞬間。
一切の音が止んだ。
否、総ての音が彼女の元に吸い込まれた。
『『――っ!!!』』
衣装はまさに崇高な踊り子。
薄紅色を軸に据えた艶やかな生地は、彼女の身体が持つ魅力を最大限に引き出している。
露出部分は多いが、地肌の所々が透かしの入った白布で覆われ高貴さに満ちている。
絹製の織布で絡めるようにして、自身の背丈ほどもある大きな剣を脇に差していた。
表情も。姿勢も。雰囲気も。
以前に見ていたとろんとした優し気な彼女とはまるで違う。
音を。視線を。心を。
そのすべてを飲み込むような――
気高く美しい少女が清廉と舞台上に存在している。
『チリリリリン』
荒野に迷い込んだ虫の声のような、ささやかで緊張感のある鈴の音がふと鳴った。
それを合図として沈静の中に音が戻ってくる。演奏が始まった。
心を洗う繊細で美しい旋律に合わせて、エリエッタは踊り始める。
精練された動きの中で、先ず彼女は腰元の長剣を身体の前に突き出した。
続いて空を巡る満月のように美しい軌道で、その鞘を抜き放つ。
しゃりりりりり。金属音は刀から出ているのか、演奏によるのものなのか分からない。
やがて空を劈くように掲げられた刀身は刹那、中空に振り下ろされる。
「――っ!」
どこか違う世界から響いてくるような幻想的な音に合わせて、彼女は剣を用いた舞を始めた。
剣はまさしく踊るように空を滑る。
その跡に名残を惜しむように光の粉が舞う。
空を切り裂く音が聞こえる。音を切り裂く色が見える。
何もない場所を切り裂いているはずが、彼女の剣は同時に世界のあらゆる寓意像を切っている。
それが観ている人にありありと伝わる。どこまでが演出的な魔法で、どこまでが光景的な現実なのかが分からない。
いずれにせよ、その所作のどれもが流麗で美しかった。
『『………………ッ』』
観衆が息を呑む。森の樹々が息を呑む。夜の空気が息を呑む。
総ての存在が、彼女の一挙手一投足から目を離さない。離すことができない。
この瞬間の時空が、エリエッタという独りの少女によって完全に支配されていた。
(むう……奉納舞の一種と聞いて何かの〝儀式めいたもの〟を想定していたが、)
アストが感嘆の息を漏らしながら小さく呟く。
「これは遥かに俺の予想を超えていた――」
儀式でもない。娯楽とも言い難い。
これまでに見てきたパフォーマンスとは決定的に本質が異なっている。
エリエッタによるそれは、観る者の心を滅茶苦茶に掻き立て激情させる〝究極の舞〟であった。
『………………』
しいん。いつの間にか演奏が止んでいた。
静寂の中で優艶な衣装に身を包んだ少女は最後の舞を続けている。
やがて永遠にも思えた一連の時の流れを締めくくるようにして。
ゆっくりと美しい所作で納刀を行う。しゃりりりり。ぱちり。
もとの鞘に納まる音が夜の空に確固として響いた後に。
舞主は変わらず華麗な動作でその場にしゃがみ込んで三つ指をつくと、ぺこり。
皆に向かって深々と頭を下げた。
『『………………』』
しいんとした余韻がたっぷりとあった後。
会場が爆発したかのように大きな歓声と拍手が巻き起こった。
「――ふえっ!?」
その爆音によりエリエッタの存在が元の時空に帰ってきた。
熱狂にも似た賞賛に一番驚いているのは他ならぬ彼女本人であるようだった。
極限世界を舞い切ったそれまでの凛々しい表情はどこへやら。
今では誕生日のサプライズを受けた少女のように無垢で可愛らしい微笑みを浮かべ恥ずかしそうに頬を赤らめている。
「なんだこれは、とんでもないな――」
はち切れんばかりの歓声の中で。
ふだんは表情の少ないアストですらも頬を上気させ、熱のこもった声でそう言った。
「〝何かがあってはいけない〟と心配したが、完全に杞憂だったぞ」
アストだけではない。その場の全員がひとり残らずエリエッタの舞に見惚れ、魅入られていた。
まさしく美の極致とも言える一連のパフォーマンスを〝邪魔しよう〟などという気は、心配せずともこの世の万物にも起こらなかったであろう。
「この世界じゃ文化職の扱いは低いと聞いていたがとんでもない」
アストは呟く。
逸脱とされる『不定職』と『伝説職』を除いたこの世界における主要の4職。
『武道職』『魔導職』『生産職』『文化職』――そのうち『文化職』は戦闘や生活などの〝実益に直接結びつかない〟として他の職業より下に見られ差別されることもあるという。しかし。
「これこそまさしく人類に必要な職業ではないか」
一連の舞の中にあった演出効果のどこまでが魔法だったのかは分からない。
それほどまでに一体化し完成された芸術であった。
ただただその舞を目の当たりにして。ただただ感動をして。ただただ美しいと心が洗われる。
人の感情をここまで動かすことのできる職業が〝不要〟だなんてあるわけがない。
「森人族の国に来て――エリエッタを助けられてよかった」
彼らの国では文化職を蔑ろにせず、このように祭りの中心に据え、果てはその存在が世界樹に蕾をつけ世界の救済にも繋がるという。
それらはアストが見聞きしてきたこの世界の価値観と反していて――それでいて本来あるべき世界の形であるような気もした。
アストの頭上で余韻のように金色の髪が揺れている。
観衆だった誰もがその場で立ち上がり、天にも昇るように感極まった表情を浮かべている。
隣では悪魔であるリルハムが『す、すごかったよおおー……』と泣きじゃくるように目を緩ませている。
拍手はいつまでも鳴りやまなかった。
本日この後も連続更新になります!
舞の終わりにお姫様からの〝とある告白〟が――?
よろしければブックマーク等の上、お待ちくださると幸いです。




