STAGE 3-7;遊び人、エルフの姫に狙われる!?
「妹の失踪を公言すべきとのことだが……それは叶わぬ。我らには神より賜った運命があるからな」
クリスケッタというエルフの姫は、空を指さしながら言った。
「エルフという種族にとって、ある日突然姿をくらますというのは――〝種族の名誉〟のひとつでもある」
「えー!? 〝いいこと〟ってことー?」リルハムが驚嘆とともにまん丸の目を見開いた。
クリスケッタは堂々と頷いて、「古来より、森人族が行方を途絶え、大樹林から帰らなくなることは【神隠】と呼ばれ――〝神様に選ばれた〟とされる誉れ高き事柄なのだ。同朋が〝神の待つ世界〟へと去った寂しさは募れど、それで悲観することは決してない」
「ふむ。神の世界への誘拐か」とアストが興味深げにつぶやいた。それで神に会えるなら自分も連れ去ってもらいたいものだ、と不穏なことを思案していたのはクリスケッタには伝わらない。
エルフの第一王女は厳格な声で続ける。
「ましてや、神様に必要とされた存在を連れ戻そうなど、神の意に離反する行為だ」
「あれー? でも、今回の場合は妹姫ちゃんがいないと、世界が滅びちゃうんだよねー?」
「……それが問題なのだ!」クリスケッタはびくりと眉を動かしたあと、全身を叩きつけるように叫んだ。
うあー、と急な大声にリルハムが驚く。
「我々は古来より、神の言いつけを守り、世界のために献身的な奉公を続けてきた敬虔な種族だ。神は妹に、『剣舞家』という職業を通して世界の救済を託した。しかしその妹は、神の手によってある日突然隠された――一体、どちらの運命を我々は信じればよいのだ……!」
彼女は唇をぎゅっと噛んで、拳を震わせる。その畏れが伝播するように、周囲の木々がさわさわと揺れた。
「……取り乱して、すまない。このように、種族を率い、おさめる立場の我々ですらも、今回の事案には手をこまねいている。結論は出ていないし、出る気配もない――それこそ、神のみぞ知る、だ。そのような状態で、国の民に事実のみを伝えたとて、捧蕾祭を前に混乱を招くだけであろう」
その横顔は悲痛に満ちていた。これまでに既に、幾度にもわたる苦悩をしてきたのであろう。
いずれにせよ、彼女ら森人族は、神様への信仰心が非常に強い種族であるらしい。
だからこその、苦悩。
だからこその、混乱。
「とにかくも」
彼女は大きく頭をふって、仕切りなおすように声を張り上げた。
「次の満月の夜こそ世界樹が〝蕾〟をつける千年の周期にあたり、その蕾を求めて神代の魔物――【 世界喰イ 】が宝珠湖の底より目を覚ます」
クリスケッタは続けて、
「世界樹が蕾をつけるには、森人族が王族にして『剣舞家』を授かった〝妾の妹〟の力が不可欠だが、」
もうひとつ、続けて、
「その妹は神隠となり姿を消し、このままでは世界樹が蕾をつけることはない。つまりは――」
――つぎの満月の日、世界は滅びてしまう。
重々しい沈黙が周囲に満ちた。
ふと崖から見下ろすと、地表を覆う白い霧も、天を覆う灰色の雲も、少しの動きもなく停滞している。
不自然なまでに静かだ。まるで音が、それらの白の中に徹底的に吸い込まれてしまったようだった。
世界から、時間から。
アストたちがいるこの場所が取り残されてしまったかのような感覚に陥る。
「だからこそ、我々は森人族の神掟の及ばぬ〝他種族〟に託すことにしたのだ。抜け道のようではあるが、前例はある。いずれにせよ、種族の掟に踏み込む重大な依頼だ――妾だけではなく、……〝王〟の許諾も得ておきたい」
王女であるクリスケッタからしてみれば、エルフの王というのは〝父親〟であるはずなのだが。
なぜか彼女は、そこを言い淀むようにして続けた。
「そのため、我々が棲まうエルフの街に案内したかったのだが……先にこの場所の調査を終わらせよう」
過剰なまでの白霧を放出し続ける【霧立つ樹渓谷】――ここで起きている〝なにか〟を突き止めるのが、クリスケッタたちの所用であった。
「この霧は、森が発する一種の警告のように思える」
「警告?」
クリスケッタは頷いて、「捧蕾祭が〝めでたい祭事〟というのは、我ら森人族にとってだけではない。他の生物――特に、魔物にとってもそうだ」
繋がりが見えず、アストは首を傾げた。
「蕾をつける予兆として、世界樹はより濃厚な魔力を空に放出している。貴殿らも、この森に踏み入れたときから感じていただろう」
「あー、だからこのへん、きれーな魔力が濃かったんだー」とリルハムが思い出したように鼻に手をあてた。「リルの苦手な魔力だよー……へくちょー!」
「うん?」クリスケッタが訝しげに顔をしかめる。
「くしゃみだよー……理由が分かったら、余計に気になって鼻がむずむずしてー……へっくちょー!」
ご主人ちゃんー、たすけてー……と鼻をすすりながら近寄るリルハムに、アストは『まるで花粉症だな』とぼやきながらも鞄からハンカチを取り出した。リルハムの鼻にあてて『ちーん』とかませると、彼女は『えへーありがとー』と満足したように笑顔を浮かべた。
一方、アストの手にはリルハムの鼻水が容赦なく付着した。
「ふつうは、連動する自らの魔力の昂りに喜ぶものなのだが……」クリスケッタは調子が狂ったように頭を掻きながら、アストにも問うた。「貴殿こそ、感じるであろう」
しかしアストは、「む……いや、特に感じなかったな」
「な、なんだと……貴殿ほどの使い手であっても、この溢れ出る魔力の恩恵を感じぬか。確かに今は、世界樹の周囲が曇り淀んではいるが、それにしても、しかし……」
クリスケッタは困ったようにつぶやきながら、側頭部へ片方の掌をあてている。
しかし。
世界樹がいつも以上に放出している魔力のことを、アストが感じられなかったのは。
彼女の魔力があまりに膨大であったが故に〝微差〟として感じられていないだけだというのは、クリスケッタは知る由もなかった。
それでも、一連の出来事はエルフの王女に一抹の不安を抱かせたようだ。
(確かに、先ほどは卓越した力を見せつけられたが……冷静に考えればまだ幼き子どもだ。種族をも超えた世界の命運の一端を、彼女に押し付けて良いのだろうか。それが叶わぬならば、いっそのこと――)
「ぶつぶつ言って、どうしたのー?」
「うん? あ、いや……気にしないでくれ。貴殿の方には、もとよりそこまでの期待は抱いていない」
「あれー!? なんか失礼なこと言われてないー!?」
うあー、と引き続き頬を膨らませるリルハムと。
手についてしまった彼女の鼻水をどうしていいか分からず、『むぅ……』と困り顔を浮かべ右往左往するアストを前にして。
そんなどこまでも幼稚で、頼りなく思える彼女たちを前にして。
「……くっ」
クリスケッタは。
頬を引きつらせたあと、大きなため息をひとつ吐くと。
覚悟を決めたかのように、背後にあった小型の予備の弓を手に取った。
「やはり、妾が間違っていたのかもしれぬ」
言いながら彼女は、手にした弓の、張り詰めた弦をぴいんと引いて。
魔法陣を展開させると。
「――≪ 懲罰抉矢 ≫!」
アストたちに向かって、躊躇いもなく。
その矢を放った。




