STAGE 2-11;遊び人、地上最強の悪魔と対決する!
突如上空から感じた身の毛をよだたせる圧気。
その正体を目にして、リルハムが絶望の声を出した。
「しまったー、あいつがいたのを忘れてたー……みつかっちゃった」
慌てて視線を地上に戻して。
隣で腕を組みながらぼうっと天を眺めていた人形のような美少女――
アストのことを見やって言った。
「ご主人ちゃん、ごめんー!」
「……むっ?」
リルハムは焦った様子でアストの身体を抱きかかえると、その場から駆け出した。
表情にはそれまでの無邪気な明るさはすっかり消え失せ、必死さが浮かんでいる。
「いくらご主人ちゃんでも……今あいつに会うのはまずいよー……!」
上空の圧が次第に近寄ってきている。
周囲の魔物たちが、悲鳴を上げながら逃げ惑い始めた。
一方抱きかかえられたアストは。
「……むう、……むむう」
走るたびに大きく揺れるリルハムの〝胸の柔らかなふくらみ〟が。
顔にぽよんぽよんと当たり、そのたびに目を閉じ頬を赤らめていた。
「っ! いっ、たー……!」
地を駆けていたリルハムの足が緩んだ。
やはり全身に受けていた〝切り傷〟が響いているようだ。
「うあー……だめだ、いつもみたいに、走れないー……うあっ!」
力の抜けたつま先が地面の凹凸に引っかかった。
そのまま転びそうになったところを、間に挟まったアストがうまく衝撃をいなして。
逆にリルハムのことを受け止める態勢になった。
「あ、ありがとー、ご主人ちゃん……」
しかしリルハムの目は言葉の終わりで見開かれた。
まるで捕食者に睨まれた小動物のように。
頭上の垂れた耳がぴんと立ち上がって震え始める。
その捕食者は言った。
『やっと見つけタ、冥界の〝逃亡者〟め』
「……うーーーーーーーっ!」
リルハムは唸り声を上げて牽制した。
その見開かれた視線の先には――【翼の生えた漆黒の化け物】。
頭上には禍々しい角を生やし、下半身には不気味な馬のような足が六本。
手には見るものすべてを明確な死の恐怖に陥れる〝大鎌〟を持っている。
それは赤い目を光らせながら言った。
『よもやその姿で逃げ切れると思ったカ――序列持ちの悪魔が聞いて呆れるナ』
「……っ!」
声から滲んだ圧で空気がひりひりと震えた。
「うーーーっ! 冥界からの〝渡り〟で弱ったところを狙っておいて、この卑怯者ー!」
『なかなか興味深いことを言うではないカ、炎狼。悪魔に卑怯とは誉め言葉だろウ」
「うあー! た、たしかに……!」
リルハムが悔しそうに口をすぼめた。
「む――なんだこの、黒いやつは」おもちゃ箱にしまい忘れた人形のように会話に置いていかれていたアストが言った。「はじめて見る種類の魔物だな」
『あア? ……我輩を〝魔物〟だト?』
黒翼を持つそれは、明らかに苛立ちながら甚大な圧を放つ。
『あんな低級生物と一緒にしてくれるナ。我輩は冥界より渡りを許された、【悪魔】の中でもより高尚な存在ダ』
悪魔、という。
本来であれば聞くだけで震えあがる言葉を耳にして、アストは。
逆に目をらんらんと輝かせた。
「ほう、お前も悪魔なのか。ただ、リルハムとは随分と違うな」
うちの、とアストが言ってくれたことにリルハムは顔を明るくした。
思わず抱きしめようとしてきたところをアストが制する。
【悪魔】はその様子に舌打ちをしながら、不気味な鼻先をひくつかせた。
『しかしこの匂い、どこかデ……そうカ! キサマがあれの犯人か』
悪魔が気分の高揚を示すかのように巨大な羽をひとつはためかせた。
その脳裏には、上空の階層を〝滅茶苦茶〟にした破壊の跡のことが蘇っている。
『ふはははははハ! なんという幸運ダ! 我輩の〝捜し物〟がまとめてやってくるとはナ』
悪魔がけたたましい嗤い声をあげた。
『実際に目の当たりにしてまざまざと理解できル……これまでに触れたどんな魂よりも極上ダ』
「うー! ご主人ちゃんは渡さないよー……!」
リルハムが両手を広げて言った。
『あア? なんだ、キサマが【契約】をしたのカ』漆黒の悪魔はそこで驚いたように言った。『【リルハム・マルコシリア】――悪名高い炎狼に見初められるとは、これも因果か――』
うー、とリルハムは引き続き威嚇をしながら、
「逃げてー、ご主人ちゃん! それまではリルでどうにか、するー」
「そうは言ってもな」アストは変わらず淡々とした口調で言う。「お前ひとりでどうにかなるのか?」
「うー……今のリルだと、足止めが精いっぱいかもー」リルハムは傷ついた尻尾を項垂れさせて、「あいつは【フルカルス】――冥界からこっちに〝渡った〟悪魔の中でも、最古の存在……地上の悪魔を管理する【世界番】」
リルハムはこくりと唾を飲み込んでから、言った。
「――今の地上世界で、一番強い悪魔だよー」
「……ほう」
『まさしク――悪魔の中でも〝不届き者〟が多くてナ。好き勝手に【この世界】に渡られては困るのダ……そんな輩を事前に罰する【悪魔の管理】。この世界にとっても喜ばしいことだろウ?』
【フルカルス】という名のその悪魔は、厭らしい笑みを浮かべながら言った。
「気を付けてー! 名目は〝管理〟だなんて言ってるけど――ただ〝自分たちにとって都合の悪い悪魔〟を消してるだけー……! しかも冥界からこっちの世界への〝渡り〟で魔力を取られて弱ったところを狙う、卑怯も――じゃなくて、」
先ほど〝悪魔には誉め言葉〟と言われたことを思い出し、リルハムがしどろもどろに言った。
「狡猾な! あれ? これも褒めてることになるのかなー……わるいやつ! あれ? いいやつ???」
頭上に?マークを出しながら混乱するリルハムに、アストは堂々と言った。
「大丈夫だ。見て分かる――あいつは悪いやつだ」
リルハムはその言葉に、ぴこん、と耳を跳ねさせて、
「そーだー! わるいやつー!」と叫んだ。
『悪い奴、か……いずれにせよ誉め言葉だナ』
現存する地上最強の悪魔――世界番【フルカルス】は不気味に口元を歪めた。
『散々褒められた礼ダ。一瞬で刈り取ってやろウ』
「――!!!!」
リルハムの毛が逆立った。
――来る。
頭がそう知覚した瞬間に。
リルハムたちの横に既に悪魔はいた。
『文句は言ったものの……先刻の人間共の魂も悪くはなかっタ。こうして逃亡者も懐に飛び込んデ、さらに添え物として〝この上ない極上の魂〟も手に入れることができル――今日は良い日ダ』
悪魔は嫌みたらしい口調でそう言って。
手にした巨大な鎌を。
音すら置き去りにする速度で――振るった。
「ご、ご主人ちゃんー!!」
傷が開いてきたのか――リルハムが苦痛に顔を歪ませながらも。
アストを守ろうとその身体を挺して飛び込んできた。
突き飛ばされたアストが地面を転がる。
その先で世界番の攻撃が――リルハムの身体を、貫いた。
「リルハム!」
すんでのところで狼少女は身体を捻り、食い込んだ鎌の刃先を外した。
それでも。
衝撃は凄まじく、どうしようもない慣性に則って。
リルハムの身体は遥か遠くに吹き飛んでいった。
「うあーーーーっ!!!!!」
その先でめくり上がるように切り立った大地に激突し、轟音が鳴る。
ぱらぱらと剥がれた石礫とともに、リルハムの身体もずるりと地面に落ちた。
「おい!」アストが焦ったように駆け寄ってきて、「もともと本調子でない身体のくせに、どうして俺を守った。あれくらい、自分ひとりでも――」
アストは珍しく感情を出しながら言った。
倒れこんだリルハムの胸元からは、深紅の血が溢れるように滴っている。
「うー……だって、約束したんだもん」リルハムは力なく笑いながら言った。「契約が終わって疲れたあとは、リルがお返しに守ってあげるってー」
その言葉に、アストの眉がぴくりと動いた。
「そうか、そうだったな――すまない。だが……やはりお前はばかだ」アストは真っすぐに瞳を見つめながら、真剣な表情で。それでいて……どこか悔しそうに言った。「ばかだがそれ以上に――〝良いやつ〟だな」
「――!」リルハムはぴこんと尻尾を立てて、「えへー、リルは、いいやつー」
などと繰り返して。
血を胸から溢れさせるこの期に及んで。
本当に嬉しそうに無邪気に微笑みながら。
リルハムは限界が来たかのように、その目を閉じた。
アストは少女の身体をゆっくりと抱きかかえて。地面に寝かせて。
その傷をつけた【世界番】――フルカルスの方を振り返った。
「――なにが【契約と代償】だ」
アストはその言葉に、いつもの淡々とした調子からは似つかわしくない。
〝憤り〟の感情を滲ませながら言った。
「【契約】したはいいものの、まだ俺はひとつとして【代償】と呼べるものは支払っていない。リルハムに助けられてばかりだ――これでは俺が詐欺師の一方的な契約ではないか」
『あア?』フルカルスが舌を打つ。
「形ばかりではない。俺は血をまぐわせた【契約】であの〝向こう見ずな馬鹿悪魔〟の【主人】になったんだ。その従者のリルハムを狙う〝さらなる向こう見ずな大馬鹿悪魔〟がいるのなら――俺は【主人】の勤めを果たそうと思う」
そう言ってただまっすぐに。不動に。
世界番を見抜いて屹立するアストを前にして。
『あア……これだから人間は嫌いなんダ』
フルカルスは深く溜息をつきながら言った。
『自身の魔力は貧弱で、【神の加護】が無ければ塵滓の役にも立たない癖に、プライドだけはやたらと高く――その【神の加護】ですら〝自分自身の実力〟であるかのように錯覚し我が物顔をすル』
黒翼の悪魔はこれまでにあった様々な記憶を思い返し、表情を歪めながら続ける。
その最後に、両手と翼を広げて堂々と宣言した。
『〝低層階〟ではどうにかなったかもしれんガ、この際はっきりと言っておこウ。貴様がその矮小な〝人間種族〟である限り――【神の加護】が僅かにも一切届かぬこの場所においテ、我輩に勝つことは決してできなイ!』
そう高らかに豪語した【世界番】の横を。
アストの超絶規模の≪古代魔法≫が通り過ぎた。
遅れて空気がびりびりと震え、後方で何かが徹底的に破壊された途轍もない爆音がする。
「む……しまった。外したか」
フルカルスはゆっくりと振り返って。
そこに広がった古代魔法による惨状を目の当たりにする。
『――ん、な、アアアア!?』
アストによる術式の展開から発動までの所作が〝一切見えなかった〟事実を改めて認識して。
それまで威厳を保っていた【地上最強の悪魔】の表情が。
崩れた。
次回以降、世界最強の悪魔と異次元バトル!




