STAGE 2-7;遊び人、悪魔と契約する!
目の前の犬耳美少女は。
えっへへー、とふくよかな胸を張りながら。
「リルは【悪魔】なんだよー」
などと自慢げに言い切った。
その幼い子どものような仕草は、どこからどう見ても悪魔のそれには見えない。
アストはぽかんと小さく口を開いたあと。
何かに納得したかのように、悪魔を自称するリルハムに慈愛のまなざしを向けた。
「そうか――頭を強く打っているようだな。やはり無理せずゆっくり休むといい」
「うん、分かったー……って、リルはまともだよ!? そんな〝かわいそうな子〟を見るような目で見ないでよー」
手をぶんぶんと振りながら抗議する様子も、やはり悪魔にはまったく見えなかった。
「仮にお前が――【リルハム】が悪魔だったとして、だ」
リルハムは自分の名前が呼ばれたことに『うあー』と頬を赤らめる。
アストは気にせず続けて。
「その悪魔の〝主人〟になるとはどういうことを指すんだ?」
「えっとねー」リルハムはアストにあらためて向き直ってあっけらかんと言った。「【契約】と【代償】だよー」
「契約と、代償」
アストは繰り返す。
悪魔を自称する――悪魔にはとても思えない少女に対して疑念は持ちつつも、内心は高揚していた。
ティラルフィア家の書庫にあった文献からは、神様をはじめ、それと相対する邪神や悪魔の存在――いわゆる【神族】についての項目が不自然に消されていた。
ここでその一端を知ることができるのであれば、アストにとっても胸が躍る話だ。
「あれ、知らなかったー? 有名な話だと思ったんだけどなー」リルハムはぴくぴくと耳を動かして前置きながら、「そもそも、【悪魔】は【邪神様】の〝使い魔〟なんだけど――リルと【契約】すると『邪神様の力』を使えるようになるよー」
「ふむ。邪神の力というのは――」
アストがぴくんと頭上の髪を跳ねさせた。
「〝神の管轄する世界〟だと≪職業魔法≫って言われてるねー」
「よし。契約しよう」
「それで次に【代償】なんだけど――って! 納得するのはやいねー!?」
リルハムが目を丸くして叫んだ。
「なんだ、もとはお前が言い出した話だろう」
「それはそうだけどさー」リルハムは口先を尖らせながら言う。「もうちょっと振り回されてくれないと〝悪魔のコケン〟に関わるよー……今のままだと、リルの方が振り回されちゃってる感じになってるしー」
こんなのはじめてだー、と呟きながらリルハムは続ける。
「ま、いっか☆ 【合意】も取れたことだし、早速契約しよー!」
やったー、とリルハムは両手を広げて喜びながら。
地面になにやら≪術式≫を描き始めた。
「ほう……悪魔も『古代ルーン』を用いるのだな」
「うんー! もともとは神族の文字だからねー」リルハムはあっけらかんと言う。「ほかにはー? 聞きたいこととかあるー?」
彼女は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、「大サービスで答えちゃうよー」と付け足した。
「そうだな」アストは唇に手をやって、「これはあらためての確認だが――俺がお前と契約し『邪神の力』とやらを使えるようになったら、今俺が【神】から授かっている『遊び人』の≪職業魔法≫はどうなるんだ?」
「それはもちろん! 使えなくなるよー!」リルハムは魔法陣を描きながら、和やかな声色のままで答えた。「いわばこれは『職業の上書き』だからねー。【神】から【邪神】への乗り換え――まさしく天に逆らう人類の〝禁断行為〟だよー」
ふっふっふー、とリルハムが悪戯な微笑みをわざとらしく浮かべてアストの様子を伺った。
アストは淡々と、「ふむ。そうか」
「やっぱり怖くなっちゃったー?」リルハムがにやにやとしながら嬉しそうに聞いた。「でも【合意】の言質はとっちゃったからねー! 後悔してももう遅いよー」
「いや――むしろ理想通りだ」
「えー!?」
「俺の今の『遊び人』を上書きすることができるなら――わざわざ【神様】に文句をつけにいく必要もなくなる」アストは頭上の髪の毛をぴこぴこ揺らしながら続ける。「今度こそバグのない≪職業魔法≫を使えるといいが」
「で、でもさー」リルハムはやはりどこか面白くないように、「本来の神を捨てて邪神様と契約するってことは〝ふつーの人間〟じゃなくなっちゃうってことだよー? それでもいいのー?」
アストは短く息を吐いて、「だからもとはお前の方から迫った契約ではないか」
「うあー! だってリル、実際に人間と契約するのなんてハジメテだし、こんなに簡単に騙され――じゃなくて、納得してくれるとは思ってなかったんだもんー……」
リルハムが口をすぼめ不穏なことを言いかけながら、頭を両手で抱えた。
「そもそもの話だが」アストは相変わらずの口調で、当然の疑問を口にするように言った。「邪神というのは、神と比べて悪いやつなのか?」
リルハムはその言葉に、ぽかんと口を開いて。
丸い目をぱちくりさせたあとに、お腹を抱えて笑い始めた。
「あはー! アストは面白いこというねー。そんなこと聞く人間、はじめて会ったよー」
「そうは言ってもな」アストは前置いて、「【神】だろうが【邪神】だろうが――俺にとってはどちらも知らない存在だ。実際に会ってみないと〝良い奴かどうか〟なんて分からないだろう」
リルハムは「あー、おかしー」と地面に転がっていたが、アストのその言葉に身体を起こして。
未だに緩んだ頬を爪先で掻きながら言った。
「いいやつかわるいやつか、会ってみないと分からない、かー」
アストはなぜそんなに笑われるのか理解できないように、小首を傾げた。
「それもそうだねー! あはー、いいやつわるいやつー」
リルハムは語感が気に入ったのか、その言葉を繰り返しながら作業を進めた。
やがて完成した魔法陣の中央に。
石を積み重ねて簡易的な〝祭壇〟のようなものを作ると。
外套の下をごそごそとまさぐって。
どこから取り出したか分からない〝漆黒の水晶〟をその上に置いた。
できたー! と再びリルハムはばんざいをして。
「いいやつかわるいやつか――アストの力になってくれる邪神様がどっちなのか、自分で確かめてみるといいよー」
かり、とリルハムは自らの指先を齧り、血を黒水晶に垂らした。
反応するように、ぼおっとその中の黒が蠢く。
「ほらほらー、アストもー」
おいでおいで、に従って近づいたアストは手を取られて。
その細く白い指先を、リルハムが爪で引っ掻いた。
滴る血が、黒い水晶の中に浸透して混じりあう。
「これで正式に【契約】はおしまい」リルハムはそこで今までとは雰囲気の異なる、妙に大人めいた微笑みを浮かべて言った。「次は黒い水晶を媒介にアストの魔力を【冥界】に繋いで、力を貸してくれる【邪神様】を探すよー。水晶に手を置いて、魔力を込めてねー」
「魔力を込める、か」
アストはそこで、不安げな表情を浮かべて呟いた。
「か、かあいー……!」その様子を見て、リルハムは目を煌めかせる。「ちょっと不安になっちゃったー? 確かに今ある魔力は吸い下げられてすこしふらふらーってなっちゃうかもしれないけど、回復するまでちゃんとリルが付いてるから大丈夫だよー! さっきのお返しに守ってあげるから、心配しないでー」
「ふむ。わかった」
アストは勧められるがままに、その白く小さな掌を黒水晶にかざした。
魔力を注入しはじめると、成人の儀の時とは異なる〝黒い光〟が球から放たれる。
「うあー、うれしいなー。まさかリルと契約できる人間がこんなにすぐ見つかるなんてー」
アストが魔力を流し続ける様子を愛おしそうに眺めながら、リルハムは続ける。
「最初に抱きしめた時から、すっごく濃厚な〝魔力のにおい〟がしたんだよねー。それになにより、リルが〝契約したい〟って思ったアストだもん。きっと邪神様の中でも上位の存在が気に入ってくれるよー!」
水晶から放たれる黒い光にあてられながら、彼女は無邪気に笑った。
「うあー、楽しみだねー!」
~10分後~
「……あれー? おかしいよー」
目の前で変わらず水晶からごうごうと黒い光を出し続けているアストに対して。
リルハムが困った表情を浮かべて首を傾げた。
「いつまで経っても冥界の反応がないー……てゆうか! ずっと魔力自体は水晶に吸い取られてるんだよー? さすがにそろそろ限界がきても良いころなのにー」
リルハムは思いついて、「アストー! 魔力はあとどれくらいもちそー?」
「む、そうだな。あと三年ほどは」
「三年ねー、わかったー! ――って、三年!?」
リルハムが目を丸くして叫んだ。
「単位がおかしすぎるよー!? というか三年もこのままだったら、魔力が枯渇する前にほかの原因で倒れちゃうよね!?」
そうだろうか、とアストは本当かどうか分からない調子で言った。
「もしかしてリルの言い方が悪かったかなー?」リルハムは頬を爪で掻きながら、「アスト、もっと強くしちゃっていいよー!」
「む? 魔力のことか?」
「うんー! もっと、全力でー!」
「全力?」アストはぴくりと眉を動かして聞いた。「全力で、良いのか?」
「もちろん! 全力がいいんだよー!」
「そうか」アストは短く息を吐いた。
「あれー? やっぱり不安になっちゃったー?」
「不安――確かにそうかもしれないな」アストはどこか寂しそうに言った。「また壊してしまわないか、心配だったんだ。ただ――お前がそういうのならきっと大丈夫なのだろう」
「うんー! 全力でやっちゃえー!」
そう言ったことを。
リルハムは直後、後悔することになる。
「――分かった」
アストはひとつ。大きく深呼吸をすると。
冥界に繋がるという黒い水晶に向けて。言葉の通りに。
全力の魔力を込めた。




