前編
「ローゼマリー・サーマセット‼ 貴様との婚約を破棄する‼」
煌びやかな卒業パーティー会場に怒りを乗せた青年の声が響き渡る。
その声の主――アルフレット・エルドラン王太子殿下はその言葉と共に私を睨みつける。
アルフレットの周りに彼と親しくしている三人の男子生徒―――確か、宰相の長男と騎士団長の次男との枢機卿の息子だったかしら―――と殿下の腕に抱き付いている女生徒が一人。
私達を囲むように他の生徒達が様々な感情を乗せた目線で眺めている。
私がまるでお芝居の舞台に立っているような光景に笑いが零れそうになるのを我慢する。
アルフレットは私の婚約者。
光り輝くように美しい金髪に見目麗しい容姿の彼。
誰をも魅了するような美しいお方。
空のように澄み渡る青い瞳。
その瞳の彼が私を―――
『マジかぁ~。ほんとにやっちゃったかぁ~』
―――睨みつけている。
彼は私を睨みつけながら罵倒していく。
「貴様がマリナを害そうとしていたことは分かっていのだ! つまらない女だと―――」
『はぁ~あ、マジでボンクラ! 信じらんないわぁ!』
「――――分かっていたことだが、影でこそこそいじめをするようなくだらない女だとはな! 数々の嫌がらせをか弱いマリナに―――」
『こいつほんとクソだわぁ! な~にがか弱いよ! ぶりっこしてるだけでしょ!』
「うるさい‼‼‼‼‼」
扇子を握りしめながらの私の大声にざわついていた雰囲気が静寂包まれる。
あ……。
あぁっ‼‼
羞恥で顔を赤くしながら私は右上を睨みつける。
『エミィ! 貴方のせいよ!』
『え~、そこの責任転嫁はおかしいでしょ』
私の右上には、男性の服装のようでそれでも女性の服装のような紺色の服装の黒髪の女性がおちゃらけた顔で私を見つめている。
しかも、ふわふわと宙を浮きながら……。
その変な服装は“スーツ”っていっていたかしら?
膝から下が見えるスカートなんて本当にはしたないわ……。
『ねぇねぇ、ローズちゃん。現実逃避しても会場の雰囲気は変わらないよ~。ほら、ボクンラ王子は怒りでプルプルしてるし~。ウケる~』
私を睨み怒りで震えるアルフレットをエミィは指さしながらケラケラと笑っている。
エミィは大きな声で笑っているけど、それに気付いているのは私しかいない。
彼女は私にしか見ることも声を聞くことができない幽霊。
自分で悪女だと自称する変な女性の幽霊。
この訳の分からないケタケタ笑う幽霊――エミコ・マツザキと出会ったのは十年前だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『お~い、もしかして私が見えてる? ねぇねぇ? お~い』
「え? だ、れ?」
私は5歳になってすぐくらいのときに病気にかかって熱にうなされていた。
何日も寝込んでいたみたいで私が目を覚ますと、周りにいたメイド達が慌てて色んなことをしている。
私の熱を測ったり、お父様達を呼びに行ったりしていたけど、私は目の前でフワフワ浮いている紺色の男装風の女性が気になって仕方ない。
長い黒髪をユラユラと揺らしながら浮いていた。
彼女は私の顔の前で手を振ったり、顔を近づけたりしてくる。
私が目の前に変な女性が浮いてるとメイド達に伝えても、心配そうな、優しい顔でもう少し寝ていてくださいとしか言ってこない。
お父様達にいたっては顔を顰めるだけ。
何で気付かないの?
『そりゃそうよ。あんたにしか見えてないらしいし』
え? 心が読めるの?
『みたいねぇ~』
フワフワ浮いたまま、うんうんと頷いている。
ベッドで横になりながらチラッと待機しているメイド達がいることを確認する。
それならメイド達に気付かれずに会話できるのね。
『そうよ。あんた、ちっちゃいのに頭いいのね』
あんたじゃないわ。私の名前はローゼマリー・サーマセットよ。
『ふ~ん……、アメリカ系? いや、この部屋の雰囲気は貴族っぽいしイギリス系? でも、なんか変ね……』
アメリカ? イギリス? 聞いたことがないわ。他国の家のお名前かしら?
『はぁ? 何言っての? アメリカとイギリスを知らないってどんな教育をしてるのよ』
むぅ! 私はサーマセット公爵の令嬢として恥ずかしくない教育を受けていますわ!
『はぁ、公爵令嬢ねぇ……。お貴族さんの子供ってマセてんわねぇ』
馬鹿にしたようなニヤニヤした顔で私を見つめ来るのでイラッと来る。
貴方こそ誰よ! どうせ、お化けなんでしょ? それか卑しい魔女よ!
『あははは! 魔女? 魔女ねぇ……確かに魔女かもしれないわねぇ』
大きな口を開けて下品に笑う姿に思わず私は眉を顰める。
顔立ちをよく見ると美人だとは思うけれど、お腹を抱えて笑う姿でそれを台無しにしている。
それに黒い髪を揺らしながら大きく笑う姿はちょっと怖い……。
『あぁ~あ、マジでウケる……あ、何? ビビってんの?』
こ、怖くなんかありません!
『誤魔化そうとしても私はあんたの心の声が聞こえるから無理なのよねぇ~』
ニヤニヤと笑いながらフワフワ浮かぶ姿は腹が立つ。
声を上げて怒りをぶつけたいけれど、またメイド達に変な目で見られるのも嫌よ。
うぅ……、卑怯よ!
『ちびっこがそんなに睨んでも可愛いだけよ。かわいいでちゅね~』
馬鹿にしているでしょ!
『ええ、そうよ。でも、そうね……私の質問に答えてくれたら心の声を無理矢理には聞かないようにしてあげる』
ニヤニヤしていた顔が急に考え込むような表情になって怖いくらい真剣な目になって聞いてくる。
え? そんなことできるの?
『出来るわ。一応、言っておくけど質問は一つじゃないわよ』
でも、それって……いつまでも心の声を聞かないようにすることもできるじゃない!
質問の数か、日数や時間を決めないと受け入れられないわ!
『へ~、すごいじゃない。頭良いのね。あんた、何歳よ?』
あんたじゃないわ! ローゼマリー! 五歳よ!
『はぁぁ!? マジで五歳!? 信じらんない! 嘘でしょ!』
嘘じゃないわ!
『そっかぁ。……最高に聡明な私の五歳の頃より頭よさそうじゃん。あんたってすごいのね』
さっきまで馬鹿にしたような目で見ていた幽霊が、驚いたような表情から柔らかい顔になって優しい声をかけてくる。
その変化に困惑していると、少し近づいてきた。
『私はね、ガキは嫌いだけど、頭が良い子は好きなのよ』
ふ~ん、じゃあどうやったら心の声を聞かないようにしてくれるのかしら?
『最長で明日の日が昇るまでどうかしら?』
窓からさす陽の光を見るに、今は大体昼過ぎぐらいかしら?
夜更かしはしたことが無いけれどたぶん大丈夫だわ。
心の声を幽霊に聞かれないようにするためだもの我慢しなきゃ。
『それじゃまずは……』
幽霊である彼女の質問は不思議だった。
私が知らない単語がいくつも出てきて、分からないって言っても満足そうに頷く。
それに、この国の名前や国王陛下の名前とか、貴族と平民の違いとか当たり前のようなことを初めて聞くかのように質問してくる。
もしかすると、ずっと昔に死んだ魔女の亡霊なのかもしれないと思って、なるべく古い土地の名前を言って見たけど、それも聞き覚えなさそうなので不思議だった。
『ねぇ、ここはエルドラン王国っていうのよね?』
そうよ。
『どっかで聞いたことがあんのよねぇ~……なんだっけ? てか、マジで地球じゃないかもしれないってことが重要よねぇ~』
そろそろ陽が落ちそうな時間になるまで質問攻めを受けていたけど、“チキュウじゃないの!?”って言い始めてから、幽霊は何度も頭を抱えて唸っている。
何を悩んでいるのか分からないけど、早く心の声を聞くのを止めて欲しい。
『あぁ‼ もしかして【聖女と呼ばれた私の世治し計画】!?』
なんですか、それは?
『恋愛小説で、ヒロインが現代知識を使って異世界の王国を発展させたり、戦争に勝ったりして、王子様との愛を深めていく物語なのよ! イケメンヒーロー達もそれぞれ良さがあって、サブキャラクター達も魅力的でね……って、何言ってんの、私、小説の中の世界? 馬鹿らしい……。でも、実際に私が幽霊だってことが非現実的だし……この子の情報から考えると……』
幽霊はいきなり楽しそうに語りだしたと思えば、また頭を抱えて、怖い顔でブツブツと何かを言っている。
その姿が最初は怖く思ったけれど、数分も眺めているとだんだん呆れてくる。
もう質問がないなら約束を果たして欲しいですわね。
『……まだ質問があるわ』
ブツブツと繰り返すつぶやきをぴたりと止めて、黒い髪の隙間から見える彼女の瞳が私の目を縫いとめる。
思わず悲鳴を上げそうになったのを飲み込んで我慢する。
『あんたはローゼマリー・サーマセット公爵令嬢よね?』
え、ええ、そう何度も申し上げたはずですけれど?
『王子が婚約者であってる?』
え? 違いますが……可能性はあるかもしれませんね。
何を聞いているのだろうか?
私が王子殿下と婚約しているという話は聞いたことがない。
事実ならば権力を得ることが大好きなお母様が私に言っているはず。
だって、熱で倒れる前もお母様は私が王子の婚約者になれるように努力しなさいって叱っていたもの。
でも、公爵令嬢だから可能性はある。
お父様はもう一つの公爵家―――フランチェ公爵家が嫌いで、そこには私と同い年の令嬢がいると聞いている。だから、お父様はフランチェ家には絶対に負けることは許さないと私を叱ってくるもの。
『……婚約者じゃないのね。それなら……おかしい……小説通りなら出生前から決まっていたはず……でも……』
はぁ、何をおっしゃりたいのか分かりませんね。
ところで、まだ質問があるのですか?
『まだあるというか、分からないことが多すぎて質問がまとまらなくなってきたのよねぇ』
え~と、そろそろお腹がすいてきたのですが……。
『え? 食べながら会話すればいいじゃない。口はつかわないでしょ』
言われてみればその通りで、気付かなかったことを恥ずかしく思いながら起き上がり、何か食べ物を持ってくるように待機しているメイド達に伝える。
指示の通りに私に食事を持ってきたり、飲み物を渡してくれる。
食事は野菜のスープだけだけど、寝込んでいた私のお腹に染みわたって温かい。
そのスープに舌鼓をうちながら心での会話を続ける。
『ほぇ~、召使達が何でもしてくるのを見ると、ローゼちゃんはやっぱり貴族なのねぇ』
ローゼちゃん?
『そ、もしかすると、あんたは私のローゼちゃんかもしれないからね』
貴女のモノになった覚えはありません!
『ふふふ、そうね。私が勝手にそう思っているだけだもの』
そう言葉にする彼女の声が粘り気の在るような、湿り気の在るような、恐ろしさを含んでいて背筋がゾクゾクとした。
そ、それより貴女は誰なのよ!
『あぁ、そうね、伝えていなかったわね』
彼女はフワフワと浮きながらスッと背筋を伸ばして、片手を胸に手をあてると微笑んでくる。
その微笑みは今まで見たどの女性より綺麗で目が離せないのに、とても怖かった。
『私はエミコ・マツザキ。魔女とか悪女とか呼ばれているわ』
これが私とエミコ―――エミィとの出会い。
エミコって言いにくいので、エミィっていうことにした。
エミィはその日以降、本当に心を読んでくることは無く、私の側でフワフワと浮いているだけ。
たまに私が勉強を教わった後に、色々と質問してきり、計算の仕方を教えてくれた。
それ以外は無表情に眺めてくるだけ。
最初のおしゃべりな雰囲気は無く、一日中何も話しかけてこない日もあった。
正直に言えばそんなエミィが怖かったけれど、特に被害も無かったから嫌じゃなかった。
むしろ、たまに話しかけてくれることが嬉しかった。
でも、無口なエミィでいたのは約一年だけだった。
『あぁぁ! やっぱり! やっぱり! ローゼっちゃん! 私のローーーゼちゃん!』
いきなり彼女が叫び出した時はびっくりして周りを誤魔化すが大変だった。
彼女が発狂したように叫んだのは、王宮で行われた建国祭でのパーティーのとき。
私と王太子の婚約が発表された瞬間だった。
私の周りでグルグルと周りながら恍惚の表情で叫び続けるエミィを必死に無視しながら、その婚約の経緯を聞いていく。
どうやら私と王太子であるアルフレット・エルドランは仮婚約ということが出生前から決まっていたらしい。
なぜ仮なのかというと、我家の政敵であるフランチェ公爵の願いもあって、私が6歳になるまで健康に不安があるならば再考の余地があるとして正式には婚約にはなっていなかったらしい。
私はエミィと出会うことになった熱病以外で寝込むことなく健康であるという判断になったということらしい。
私も婚約の話にもびっくりしたので、エミィの声で驚いたことを上手く誤魔化すことができた。
それに何より私が驚いたのはアルフレットの姿。
国王陛下の紹介で私の前に立つアルフレットは一言で言って―――
―――天使だった。
サラリとした光り輝くような金髪に、王族の証である太陽を閉じ込めたかのように美しく輝く金色の瞳。
立っているだけで荘厳な音楽が鳴り響き、光を纏っているかのような美しさに私は目を奪われた。
見ているだけでうっとりとするような美しさ。
この方が私の婚約者……。
なんて幸せなのだろうか……。
きっと私はリンゴのように紅く染まっているに違いない。
きっとお声も素敵なのだわ……。
「狐みたいな女が俺の婚約者? 俺は嫌ですよ、こんな美しくない女は」
え?
『ぎゃははは! 狐って、確かに、釣り目だしねぇ~、ぎゃははは!』
はぁぁぁぁあああ!?
美しい天使のようなお声で最っ低な言葉を発しているのよ!?
この公爵令嬢として美しい私を“美しくない”ですってぇ!?
お母様の美貌を継いで美しいと褒め称えられる私をぉ!?
確かにお母様譲りの釣り目ですけどぉ!
『この王子最高に面白いわぁ~、ぎゃははは!』
お腹を押さえて笑いコケるエミィを首を動かさず睨む。
『エミィ! うるさい! 黙ってなさい!』
『ひひひ、はいはい、分かったって、悪かったわよ。そう睨まないでよ、狐の目でさぁ~、ひひひ!』
エミィから心を読まなくなったけれど、私が伝えたいと思うことはエミィに伝えられる。
口を動かさなくても心の声で会話できることは変わらないようだった。
エミィの腹の立つ笑い声を聞いていると、だんだんと冷静になってきた。
アルフレットの言葉のせいで陛下達大人が慌てている様子を落ち着いて認識する。
一番慌てているは陛下で、一番冷めた目で見ているのはお父様だ。
お父様は私にはあまり興味がないのは分かっているので、たぶん怒っているというより私とアルフレットの間の好き嫌いは気にしていないから。
陛下とお父様の反応の差を見るに、きっとこの婚約は王家からの要望だと思うから、この婚約が無くなることは無いとお父様は考えているからだと思う。
今までの色々な大人達の様子を思い出せば、きっとあっているはず。
アルフレットに目を向けると、ふてくされたような顔で私とは目を合わせようとしない。
私が視界に入るのを嫌うように、陛下に抑えられている身体ごとを捻らせている。
は? 何なの?
どんなに天使のように美しいお方であっても、私の美貌を貶すなんて腹立たしいわ!
パーティーが終わり、屋敷に帰ると、一人にして欲しいと言って速足で私室に戻った。
「あぁぁ! ムカつくわ! 何なの! 天使だからって! 調子に乗らないでよ‼‼」
私は苛立ちを抑えられず、部屋のクッションやらぬいぐるみを壁や床に叩きつけながら叫ぶ。
何度も、何度も、叩きつけても苛立ちは収まらなかったけれど、先に体力が無くなって床にへたり込んでしまう。
肩で息をしながら床を睨む。
『気は済んだ? ローゼちゃん』
「なによ……今日は騒いだり、静かになったり」
不思議なくらいに優しい声で語りかけてくるエミィを訝し気に見上げる。
エミィは、なんといったらいいのか分からない見たこと無い優しい表情で見ている。
「き、気持ち悪い表情で何見ているのよ!」
『気持ち悪いってこんな最高の美女なんてこというのよ! さっきローゼちゃんも言われて腹が立ったんでしょう?』
うっ……。
いつもの怖い雰囲気が無くなって優しく諭されるように言われると、罪悪感があっても、ちょっとイラッとする。
「しかたないじゃない! いつもエミィは何考えているか分からない表情をしているのに、今はやさ……」
優しそうな顔って言おうと思ったけど、なんだか恥ずかしくて顔を伏せる。
『はい? “今わやさ”の続きは何なのよ?』
「な、なんでもないわ!」
『そう?』
いつもより優しい顔で首を傾げるエミィは女神のように見えた。
それを直視できなくて私は顔を背ける。
『それより、本当に貴女は私のローゼちゃんだったのね』
「え?」
何を言っているの?
去年も言っていたけど、エミィの私ってどういう意味なのだろう?
『【聖女と呼ばれた私の世治し計画】で長くライバルとして描かれる女の子。王国の王妃になることを誇りに幾重もの権謀を繰り広げるわ。最初はしょうもない悪戯ばかりだったけれど、失敗するたびにどんどん悪辣な方法でヒロインを消そうとしていくの。それでもいつもヒロインに敵わない盛り立て役としての悪役令嬢』
突然エミィが建国祭のパーティーで見せていたような恍惚とした表情で語っていく。
目を虚ろにして頬に手を当てながら朗々と語っていく姿は怖い。
『彼女の目的はただ一つ。王妃となること。冷たい家族に厳しく育てられて、家のために、いえ、自分の誇りのために王妃になることだけを考えて身も心も傷つきながら生きていた。そこに王太子の寵愛を受けるヒロインが現れるの。“愛”というモノに立場を崩された王妃になりたい彼女は苦しむの。そこから自分の立場を取り戻すために奮闘する姿に私は感動したの! そう、最期には破滅してしまった彼女の運命に私は涙したのよ!』
狂気に染まったようなエミィの焦げ茶色の瞳が私を覗き込む。
「ひっ!」
それが怖くて座ったまま後ずさるけれど、それに気にすることなくエミィは顔を近づけてくる。
『あぁあ! 私ならこの子を王妃にさせてあげるのにって思っていたのよ! 可愛いヒロインが王子様と恋をして結ばれるのも素敵だけど、それよりも権力も財も手中に収めようと手を汚しながら頑張る女の子が好きなのよ!』
訳の分からないことを叫びながら、鼻がくっつくほど顔を近づけてくるエミィが怖い。
無害だって思っていたけど、やっぱりエミィは人の魂を食べる魔女だ。
物語の敵として出てくる黒い髪をなびかせた人喰い魔女なんだわ!
「た、たべないでぇ!」
『うふふふ、確かに食べちゃいたいくらいローゼちゃんは可愛いわねぇ』
「ひぃぃぃ」
床を這って必死に逃げたけど、そこは扉の反対側の壁。
ゆっくりとエミィの顔がまた近づいてくる。
私の目を逃がさないように見つめてきて身体が強張っていくのが分かる。
また、鼻がくっついた……。
あ……、私ここで食べられてしまうの?
『あぁ、可愛い、可愛いローゼちゃんを私が王妃にしてあげるわ。私がローゼちゃんを破滅の運命から救ってあげるわ!』
突然に優しい顔と声になって私は困惑する。
「へ? 私を救う? た、食べないの?」
『ふふふ、本当に食べられるってビビった? 可愛いわねぇ~』
エミィがクスクスと笑いながら身を引いて、私を撫でてくる。
でも、幽霊だから感触は無くて、何度も腕が左右往復するのを私は唖然としながら眺めていた。
『あぁ~あ、触れないってのは残念……でも、おどかして可愛い顔を見れたから、いっか』
「なっ! わ、私をおどかそうとしたの!?」
私はエミィを睨みつけながら立ち上がる。
それを見たエミィがまた小さく笑ってくる。
『幽霊になったのなら人をおどかすのはやるべきと思ったのよね~。大成功~』
ニヤニヤとしているエミィを無視してベッドに座る。
怖かったのは本当で……その、お、おもらしをしそうだったのを誤魔化すために場所を変えたかった。
そんな私にニヤニヤしながらエミィはついてきて、私の前でフワフワと浮いている。
「それよりどういうこと?」
『どれのこと? 小説の話? これからのローゼちゃんの未来? それとも私の正体?』
「全部よ!」
そう私が言うと、エミィの口の端が吊り上がっていく。
綺麗な顔で微笑んでいるはずのその表情が怖い。
その鋭い三日月のような口がゆっくりと開いていく。
隙間から白く光るエミィの歯が断頭台のギロチンのように鋭く光っているように見える。
『いいわ。全部教えてあげる。私がしたいこと。それと、貴女が破滅する運命を、ね』
エミィの語った内容は信じられなかった。
最初に語ったのは、ここが小説の世界であること。
そして、私に与えられた役は倒されるべき敵―――悪役令嬢であること。
8年後に異世界から現れる“聖女”と呼ばれるヒロインを盛り立てるために用意された最期には何もかも失ってしまう“私”の未来。
ヒロインと“私”の婚約者であるアルフレットの恋を邪魔する“私”。
ヒロインへの悪戯、妨害、殺意。
様々な方法でヒロインをアルフレットから引き離そうとしていく。
だけど、全て失敗。
最後には全てを失って炎の中に消えていく。
語られた物語の中の“私”は王妃になるべく育てられ、その未来を直前にヒロインのせいで失う。
それが許せなくて、自分が王妃になれない未来を否定したいがために凶行に及んでいくらしい。
「ねぇ、何でその物語の“私”は王妃に固執したの?」
その話を聞いていて疑問に思った。
どうやらその“私”もアルフレットに恋をしているわけでなかったのに、婚姻を結ぼうとしていた。
それがよくわからない。
結婚しなくても権力もお金も公爵家であれば不自由しないと思うのに……。
『それは簡単な理由よ。この婚約が無くなればローゼちゃんは公爵家から捨てられると思っているからよ』
どうして公爵の血を引く令嬢を捨てることになるのか分からない。
私の存在に価値があるのは大人達の反応を見ていたら分かるもの。
『そうねぇ~、ローゼちゃん、彼女は悲観的に考えすぎたのよ。兄の、次期公爵の座を揺るがす存在だと家族から思われてるってね』
「え? 私は女性なのよ?」
私には5歳上のお兄様がいる。
特殊な例外を除き爵位を継ぐのは、直系の男性だと決まっている。
習った歴史の中で、女性が継いだ事例はほんの数人。
現在は女性で継いでいる者もいないはず。
なのにどうして?
『物語のローゼちゃんは優秀だったの。勉学だけでなく剣も扱えた……男のように、ね』
それを聞いて血の気を引くのを感じた。
勉強で学んで印象に残っていたことが頭によぎった。
―――爵位を継いだ女性は全て勲章を授与されている。
「もしかして、“彼女”は武勲を立てたの?」
『正解』
にっこりとエミィは笑うと、楽しそうに言葉を続ける。
『そこが私が惚れ込んでしまったところでもあるのよぉ。過去編で語られるのだけど、ローゼちゃんは13歳のときに王子様と王妃様を襲撃した賊を撃退するのよ! それで王様から直接に勲章を授与されたの! いやぁ~、あのシーンの挿絵ほんとに最高だったわ! まさに戦乙女!』
なんてことなの……。
それなら婚約を解消しても私に公爵家で居場所は無いはずだわ。
他家に嫁がせるにしても元王妃候補を迎えられる家は多くない。
しかも剣も扱えると成れば家を乗っ取られることを恐れる。
貴族とは、権威であり力の象徴。
だから、当主となる者が剣を扱えること必須となっている。
文官の家系もあるが、剣を触ったことの無い当主はいない。
隣国や蛮族との戦闘が絶えることの無い王国では、戦えることが貴族の証として見られる。
だから、戦功の多い者が爵位継承することが望まれる。
この理由があるから女性が爵位を継ぐことがない。
歴史上で爵位を継いだ女性は、夫より剣の扱いに長け、勲章を授与されていた。
前例では婿に迎えて血族の女性が継いだが、もし嫁いできた女性に爵位を奪われれば醜聞になる。
エミィの言っていることが正しいなら、陛下から直接に授与された私は下手な勲章より高いものを貰っているはず。
ここ十年ほど戦争をしていないので勲章を持っている者は少ない。
お父様もきっと私の扱いが面倒に思うだろう。
お兄様にとっても邪魔な存在になる。
だからといって、私が平民の生活を耐えられるはずがない……したくない。
そして、王妃教育を受けた者が国外に出ることを許されるはずがない。
彼女は、物語の中の“私”は、王妃になる以外の道が無かったのね……。
『そう、ローゼちゃんはヒロインの現れる約一年前に後戻りできない状態だったのよ』
「それなら私は武勲を立てなければいいのね?」
そんな未来は勲章を得なければ回避できる。
そうなれば他の貴族のところに嫁げばいいもの。
『ん~、それも手なんだけど、これからは否応が無くクッソきつい王妃教育させられるし、そのまま王妃になってみたくないの? 勿体無くない?』
「あ~、う~ん……勿体無いかもしれませんわね」
そう言われるそんな気がする。
今でさえ叩かれたりしながらマナーや教養を教えられているのに、王妃教育になったらもっと厳しくなるはず。
お父様が婚約に乗り気のようだから私は逃げられそうにもない。
エミィの語った物語によると15歳のときに婚約破棄されるらしいけれど、ほとんど王妃教育が終わった状態からの婚約破棄ということ。
……それは腹が立つかも。
『でしょ? だからさ、私が知恵を貸してあげるから王妃になって、この国の権力も財も全て手に入れてみない?』
エミィは本当に楽しそうな黒い笑みを浮かべながら私に手を差し伸べてくる。
私には悪魔や魔女の契約を持ちかけられている気がして、疑いの目を向ける。
「知恵を貸すって、貴方に何が出来るのよ」
エミィは一瞬きょとんとした顔になった後、大きく口を開けて笑い始めた。
『あははは! 確かにそうね、信じられないわよね。その警戒は正しいわ』
「やっぱり騙そうとしたのね」
『それは違うわ……これでも私はね、生前に“悪女”とか“魔女”って言われていたの』
「それがどうしたのかしら?」
『多くの人を操って、騙して、誘惑して、命を奪って、金と権力を手に入れた実績があるのよ。まぁ、最期は油断して、つまんない男に殺されちゃったんだけど、ね……』
さっきまでニヤニヤした雰囲気を消して、無表情に冷たい声でエミィの生涯を語ってくれた。
エミィ―――エミコ・マツザキは裕福な商家の長女だった。
成績もよく国の最高峰の教育機関を卒業して、政務官の秘書を務めることになる。
正確には違う名称を言っていたけど、私の国に合わせてかみ砕いて説明してくれた。
ともかく、エミィの国でも若い女性が政治に関わるのは難しかったらしいけれど、人脈を駆使してその地位を手に入れた。
その傍ら新興商会の若い主を夫とするために、その相手の恋人を排除する計画を実行。
恋人に不貞疑惑をでっちあげたり、その親に借金を負わせたりして別れさせる作戦をやったらしい。その過程で何人かを自殺に追いやった。
それを成功させ、今度は自分が政務官となるための準備を整えていた。
それも順調に進み間もなく政務官になれるという日に、エミィに横恋慕していた男に刺殺された。
「正直、聞いていて殺されても仕方ないって思うわ」
多くの人を不幸に落としながら自分の利益だけを求めてきたのだから、恨まれても仕方ない。
エミィを刺した男も期待を持たせながら利用するだけ利用して捨てられた男だ。
『まぁねぇ~。思い返せばやり過ぎたなぁって自分でも思うし。反省、反省』
声色からは全く反省しているように聞こえない。
『ふふふ、そんなに睨まないでよ。まぁ、聞いていて分かったと思うけど、私ってお金と権力に関する嗅覚は優れているのよ』
「……そうみたいね」
『最後は失敗してけど、人を利用するのは得意なのよ』
「それがどうしたの?」
『小説のローゼちゃんに足りなかったのは人脈。個人がいかに優れていよう集団には勝てない。特に政治では、ね』
エミィの語った物語の“私”は賢く、力もあり、財もあった。
でも、ヒロインとその仲間には勝てなかった。
確かにエミィの言う通りかもしれない。
「……分かったわ、これからいろいろ教えて」
『うふふふ、やっぱり王妃になりたいのね!』
嬉しそうに笑うエミィの反応に私は首を振る。
「別にそういうわけじゃないわ。私はサーマセットの娘、お父様の意向に逆らうことは出来ないわ」
なりたいとか、なりたくないとか、関係ない。
陛下とお父様の間で決まったことだもの。
娘が駄々をこねてどうにかできるものではないわ。
でも……。
「本音を言えば、私の美貌を貶したあんな男との婚約なんて私からも願い下げよ!」
思い出しただけで腹が立つわ!
『ねぇ、ローゼちゃん?』
「なに?」
『もしあのバカ王子を一生見下し続けることが出来る方法があるって言ったらやる?』
私は思いっきり頷こうと思ったけれど、エミィの顔を見て固まってしまった。
小さく微笑んでいるはずなのに頬が裂けるような深い笑みを浮かべているように見える。
これに頷いてしまったら、なんだか取り返しのつかないことになる気がする。
エミィと話すのは、不思議と心が安らぐ。
でも、やっぱり時々怖い。
この国にも魔女の物語がある。
黒い髪で絶世の美女な魔女は人を惑わし、国を滅ぼしてしまう物語。
エミィはその魔女にそっくり。
黒く長い髪に誰が見ても目を奪われるような美女。
私以外に見えることなく、意味深に微笑み漂うエミィ。
頷けばこの国を破滅もたらすかもしれない。
でも……、私は頷いた。
「教えて、ううん、教えなさい!」
『喜んで教えるわ! 私のローゼちゃん!』




