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渡しそびれた手紙

作者: 雅

長かった寒い冬が終わり、春の温かい日差しを日中浴びる機会が増えてきた。

冬に活躍してくれた重たいコートや厚手のマフラーなどを防腐剤と一緒に箱に詰めて、懐かしいスプリングコートを取り出す。

干し竿の代わりにカーテンレールにハンガーで引っ掛ける。

窓から風が入り、私の髪とコートを軽くなびかせた。

春の陽気につられてパッヘルベルのカノンを鼻歌交じりに先程の段ボールにゴムテープをぺたぺたと張り付けた。

運びやすいように段ボールを廊下付近に積み上げて、黒のマジックペンで“冬用”と記した。

ラグマットやベッドなどの家具で隠れてしまっていた焦げ茶色のフローリングが露わとなり、部屋全体がいつもより広く感じられた。

それと同時に、今日この住み慣れた場所から引っ越しをするんだと胸が少し熱くなった。



高校を卒業して、大学の入学と同時に実家から離れ一人暮らしを始めた。

通う大学が実家からは遠かったので、自立する為に思い切って両親へ相談すると半ば母の協力もあり、寂しそうな父から許可を貰えた。

実家へは電車で約3時間。

都道府県を変えてまで離れている人たちに比べたらすぐ戻れる距離だったけれど、初めて親元を離れた時は慣れるまで色々と時間が掛かった。

余りにも寂しさで押し潰されそうになった夜は、よく無駄にTVを付けっぱなしにしながら朝を迎える事も多かった。

慣れない料理のノウハウや、節約術など気になる事があればすぐに実家へ電話したので、携帯の電話料金が上がった時は驚いてすぐ携帯会社へプラン相談をした事もあった。



再び慣れた地を離れる不安感はあるが、ここで過ごして学んだ一人暮らし生活を生かす事が出来る。

引っ越ししてから数週間は市役所や荷解きなどでバタバタするけれど、1度経験しているとそこまで身構える必要もない。

泣きじゃくって断固反対と言い張る父を一緒に説得してくれた母にはとても感謝している。



堅物なイメージしか無かった父の震わせる肩を思い出しながら頬を緩ませていると、風に吹かれて桜の花びらが数枚ひらひらと部屋の中を舞っている事に気付いた。

ついつい思い出に浸ってしまったが、もうそろそろ引っ越し業者がこちらに到着するはず。

引っ越しが決まってから少しずつ荷物をまとめて居たが、当日になると詰め込み忘れが無いか心配になってしまう。

入れ忘れがあった時のため、一つだけ段ボールは閉じずに置いて、各部屋を周ってみる。

実家の様に足を延ばして湯船に浸かれなかったが、ユニットバスでは無かったのが幸いだったお風呂場。

得意料理が増え、使う調味料や素敵な食器などをコレクションの様に集めては飾っていた台所。

家族や友達、好きな花や猫や空などお気に入りの写真がすぐ目に入る様に壁に飾っていた廊下。

楽しい事も辛い事も寂しい事もたくさんこの場所で過ごしていた私の部屋。

何も忘れ物が無い事を確認しつつ、もう私の家じゃない様に思えた。



最後の一つの段ボールを閉じようと屈むと、さっきひらひらと舞った桜が1枚中に入っていた。

どの種類にも属さなかった物たちが入っている段ボールの、小さな四角いお菓子の缶に乗っていた。

結局再度の最後までどうしようと悩んでいたが、段ボールの中へ入れようと決めたのはつい昨日の事。

その中身は昨日も確認をしたので、今は開けない。

昨日の時点では何が入っていたか覚えていなかったので確認をしたが、自分でも驚いて、可笑しくて笑った。


その中身は、10年前に片思いしていた2つ上の高臣(たかおみ)先輩へのラブレターだった。


高校入学してすぐの部活動紹介の時、先輩は吹奏楽部でトランペットを演奏していた。

その姿が格好良くて、学校のライトがきらきらと先輩をより一層輝かせているように見えた。

私は一目惚れして、16歳で初めて恋をした。

その後すぐに吹奏楽部へ入部し、トランペットを希望したが希望数が多く、くじ引きの結果外れてしまい、第二候補で出していたフルートを担当する事になった。

そしてそのまま練習に入った時、私は気付いた。

フルートは木管楽器で、トランペットは金管楽器。

なのでグループ別での練習となると離れ離れになる事に。

それを知ったからと言って担当を変更して欲しい、とやましい気持ちしか無かったので我儘は言えない。

高臣先輩とは先輩後輩の一定距離を保ったまま、特に親しくなれるようなイベントも起きず、とうとう卒業式シーズンの3月を迎えた。



その時に綴った思いが込められたラブレターが、私の手元に残ったまま。



卒業式の1週間前、高臣先輩に同学年の彼女が出来たのだ。

同じ部活動の友達から回って来た噂だが、告白したのは高臣先輩自身らしい。

ラブレターを書いた翌日の事だったので、思いが高ぶっている状態で地の果てに落とされた気分になった。

その後の授業と部活動は全く手につかず、どこかで高臣先輩と彼女のカップル姿が目に入ったらどうしようと悩んでいる内に風邪をひき、そのままインフルエンザになってしまった。

私の初めての恋は実る事も伝える事も出来ず、自分の手元に紙として残ってしまった。

捨てようかと思ったが、先輩への思いを断ち切る事が出来ず、とりあえずお菓子の缶へ封印する事にした。

それが10年後の私が開ける事になるなんて、16歳の初々しい私も驚いているだろう。



あの頃の伝えきれない思いを胸に閉じ込めながら高校、大学出て社会人になって数年余り。

仕事は大変だが、学生時代のバイトに比べると裕福な暮らしが出来てきたので私は趣味を探し始めた。

料理は好きだが教室まで通いたい程ではないし、体を動かすのは得意ではない。

最寄りの駅付近で習い事が無いかスマホで探していると見つけたのが、ブラスバンドサークル。

高校生の時にしか触れなかった音楽だが、純粋に楽しかった事は今でも鮮明に思い出せるし、これなら気分転換にピッタリかもしれない。

すぐに通う事を決め、手頃な金額でフルートを購入し、週2回で通い始めた。

特に大きな教室って訳では無いが、月1回は他の教室の人達と集まり、市民ホールを借りてミニコンサートなどを開いたりした。

大人になっても友達が出来る快感はとても良かったし、心の底から嬉しかった。

そして私は一人のトランペット奏者と出会い、仲良くなり、人生で何回目かの恋をした。



その恋は大人ならではの色々な壁と乗り越え、順調に進んでいった。

順調に進んでいった結果の引っ越しで、これからは2人で暮らしていく事になる。

言わずも何も、遠く離れてしまうので父はまた肩を震わせていた。



ピンポーンと静かな部屋に響く。

モニター画面を確認し、応答ボタンで「はぁい」と返事すると引っ越し業者の人が私の名前を呼んだ。

数秒後、またピンポーンと鳴り、念のためドアスコープで確認してから鍵を開ける。



「今日はよろしくお願いしますね」



若手の従業員の方々から元気の良い返事を貰え、私は自然と笑みを浮かべた。

軽いお辞儀をして、運んで欲しい段ボールをお願いし、最後の一つをガムテープで閉じて“思い出”と書いてからマジックペンを手提げ鞄に入れた。

パワフルな動きによって長い月日をかけて積み上げてきた段ボールの塔が無くなっていく。

最後の一つが運ばれたのを見届けて、カーテンレールに掛けていたスプリングコートを羽織り、ハンガーも手提げ鞄へと差し込む。

もう少し大きめの鞄があれば良かったが、このまま車に乗って新居へ移動するから多少ハンガーが鞄から見えても問題ないだろう。



この窓の外から見える景色も最後。

見送ってくれるかの様にまた風が優しく吹き、桜の花びらが気持ち良さそうに舞った。

新居先にも桜の木が見えたら良いな。

そう思いながら静かに窓を閉めて外れない様しっかり鍵をした。

玄関の鍵も閉めた時、無くさない様に鈴のキーホルダーを付けっぱなしの事に気付いので外していると下の駐車場から私の名前を優しく呼ぶ声が聞こえた。

晴れた空の様な色の車の前で手を振る愛する人に私も元気よく応える。



「陽介さん!お迎えありがとうございます」


「どうってことないよ。それよりも忘れ物はしてない?」


「はい!ちゃんと隅々まで確認しました!」


「よしよし。じゃあまずは鍵を返しに行こうか」


「そうですね。でもその前にコンビニに寄ってもらっても良いですか?飲み物が欲しくなって」


「あぁ構わないよ。俺も喉乾いてきたところだし」



他愛のない会話でも愛する人とは特別な会話に思えてにやけてしまう。

新婚特有のオーラが出ているとこの前友達に言われたが、もしかしたら今も出ているのかもしれない。

「タメ口になってないよ」と指摘されてしまい、私はすみませんと苦笑いをするしかなかった。

どうしても昔の感覚になってしまって敬語になってしまうのだ。



「では正臣さん。荷物を全てお預かり致しましたので、このまま新居先に向かいますので」


「はい、お願いします!」


「じゃあ俺たちも行こうか」



助手席に乗り、シートベルトをして自分の手を見て思い出す。

手提げ鞄の中からポーチを取り出し、その中に入っている小さな布の袋を取り出し、そっと中身を取り出す。

取り出した時大きな手で覆われて、彼の両手が離れた時には私の左薬指にまだ傷が付いていないシルバーのリングが嵌められていた。

嬉しくて照れ笑いをすると大きな手で頭をわしゃわしゃと撫でてもらった。



渡せなかった手紙は私の思い出の中に入ったままだが、その分の思いはまたゆっくり大好きな彼に伝えていけばいいだろう。

いつかはまたラブレターの事を忘れてしまうのだろうが、きっとまた何かのきっかけで思い出すだろう。

それが何年、何十年後になるのかは分からないけれど、渡すかどうかはまたその時の私に任そう。


願わくば、2人で笑って読み返していますように。

とある女性の引っ越しの物語でした。

失恋し、幾度も恋愛をしてきた中、地元から離れた地で再び初恋の人と出会うとなれば運命と感じても可笑しくはないだろう。と妄想を膨らました結果の作品となりました。

あと、春なので“出会い”“別れ”“引っ越し”“新居”ともりもり入れてみました。


名前に思えた“正臣”は苗字でした。

異性の先輩を下の名前で呼ぶのは無いかなと思い、“正臣 陽介”という人物に致しました。

主人公の名前を書こうかと思ったのですが、書くとしても名前を呼ぶその場面しか出なかったので皆さまで色々な名前を付けてあげてください(笑)


最後まで読んで頂きありがとうございます。

また別の作品でお会い出来たら幸いです。

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