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プロローグ 

 ボクはスマートフォンを買った。


 なんてことのない普通の、ごく一般的なスマートフォンだ。

 それまではガラパゴスケータイ・・・いわゆるガラケーを使用していたんだけど、大学生だし、一人暮らしを始めるし、周りみんなが使っているし。欲しくなってしまった。

 あぁ、そうだ、買ったのはほかにも理由がある。

 こういう新しいツールを持つのが「男の」ステータスだとも思っていたせいもある。

 なにを隠そう、ボクは注目されたいと思っていた。ある人たちから。


 ボクが今年、大学に入学してすぐ、新入生勧誘で声をかけられて連れてこられたアヤシゲなサークル。

 その名も「都市型SF研究会」。入会する気なんか全くと言っていいほど微塵もなかった。


 なんだよ、都市型SFって・・と鼻で笑っていた。大方、アニメやロボットなどのおたくの集まりなんじゃないかと。


 新入生歓迎コンパを夕方5時から大学近くの公園で花見をしながら行うとのことだったので、ホイホイ行ったわけだ。ただの花見。新入生はコンパの会費無料で飲み食いできるというので、食費が浮くと考えたらボクはついて行ってしまった。

 他のサークルでは新入生といえど会費を徴収している所もあったようなので、生活費に余裕がないボクは敬遠していた。でも、大学生になったからにはこういう新入生歓迎コンパとかは、経験しても良いんじゃないかと考えたわけで。

 飲み食いをするだけして、サークルに入らないでドロンする。

 そういうことをしても、入学したての1年生は許される。

 だから、軽い気持ちでついていった。


 この時までは。

 軽い気持ちしかなかった。


 勧誘の先輩部員の後に続き、テーマパークの入口かよと思うようなアーチのついた大学の正門を出て、H山通りの信号を渡り左折。

 トラックが2台止まっている大きな印刷会社を尻目に、すぐその先の角を右に曲がるとテニスコートらしきものが見えた。その奥には確かに公園があるらしい。広い敷地が見える。

 春と言えどまだうすら寒く、誰もいないテニスコートの脇を歩いていくと公園の入り口があり、その中ですでに会場が出来上がっているのが見えた。


 大きく枝を伸ばした桜の木が数本。

 その真下にブルーシートを引いた十数名ほどの一団が酒の一升瓶やら缶ビール、おつまみやらスナック菓子やらをその中央に準備して待っていた。


 夕方5時、この春先は明るく適度におなかをすかせたちびっ子たちがブルーシートの上に準備されたスナック菓子を分けてくれやしないかと羨望の眼差しでに見ている。なんとも珍妙な光景だ。

 それも仕方ない、花見会場が設けられたのは馬の形の遊具やら鉄棒やらが並ぶ児童公園の中。そんな場所で宴を開こうってんだから。気にならないほうがどうかしてる。

 お金のない学生にとって、この花見の会場は穴場なのかもしれない。そりゃ確かにどこかの居酒屋に行くのと比べれば飲み食いするものを持ち寄ってくればはるかに安価だ。


 でも、子供たちの目にはどう映っているんだろう。

 そう思うと気が引けた。


「大丈夫よ。もうそろそろ、あの子達も帰る時間だから気にしないで。ホラ、座って。」

 大学からこの会場に案内してくれた先輩部員に促され、ボクは周囲を警戒しながら靴を脱ぎ、ブルーシートの端に正座した。

 だがシートの下は冷たくて硬い地面だ。情けないことにすぐ足が痛くなってしまって、正座を崩して胡坐をかいた。


 まだ大学構内にいる勧誘部員が戻ってきたら花見を始めようか、などという話もあったみたいだけれど・・・。なんというか、あんまり真面目な人たちではないらしくその場に勧誘されてきたボクたち新入生はプラスチック製のコップを渡されてすでにそれぞれに好みのジュースを注がれていた。

 正直気が進まなかった。

 なぜなら、ボクはジュースはあまり好きではなくて、コーヒーかお茶を飲みたかった。

 けれどあきらめることにした。

 最初からそういう、自分の思うままの飲み物を飲んでたら空気がシラけてしまうだろうから。

 ・・・そういう心配。気にするだけ無駄なことだとは知ってるけど。


 でも、コーヒーが飲みたくなっていよいよ我慢できなくなったら、近くの自動販売機で買ってくればいいだけの話。そんなことを考えながら、まだまだ自分は子供っぽいと思いつつオレンジジュースを入れてもらった。

 その場にいる新入生みんなに飲み物が行き渡ったところで、部長を名乗る男が指の脂がついて白く曇っためがねを中指で軽くあげながら挨拶を始めた。


 高ぶる感情のままに早口で話すその様子はいかにもオタクらしい。

 白っぽいチノパンに白っぽくしかも汚い運動靴。長い期間着続けたのか伸びてよれた大きめの黒いTシャツをズボンの中に入れ、布製のベルトで締めている。細いからだがより細く見えて鶏がらにしか見えない。

 ゆでたら良い出汁が出るだろうか?灰汁しか出ないだろうか?

そんなことが脳裏をよぎって少し愉快だった。


 「え~っと・・、だからぁつまりは、まぁ、飲みサークルみたいなもので、運動部みたいに大会とかがあるわけじゃないし、文系部みたいに発表会もないし。OB・OGのいた頃は、かなりこのテの話が好きな人がいっぱいいて、・・・なんていうか要は民俗学が好きな人たちの集まりだったのが最初ってカンジだな。うん。」


 ぼさぼさに肩まで伸びた髪を掻きながらの部長の挨拶をよそに、ほかの女性部員がブルーシートから離れて電話をしている。

 「もう始まってるからいいよ。早く戻っておいで。・・・え?来てるって誰が?」


 電話をしている女性部員の声が張り詰め、顔が青ざめていく。

 何か揉め事の予感を感じるけど、まぁ、満腹になったらドロンするからボクには関係がないことだ。それに、新入生が見ている前で何かトラブル起こすわけにもいかないだろうし。

 今は楽しませてもらうことにするし、今日の夕飯の代わりにさせてもらう。


 部長の挨拶の話では、OB・OGも頻繁に遊びに来るから怖い話とか不思議な話が好きな人はぜひ入部を、とのこと。

 ただの集まりのサークル。飲み会を開くだけのサークル。

 きっと本当は卒業したOBやOGが社会にもまれ疲れて、その愚痴や不平不満を吐き出すために飲み会を開くんだろう。そんなの聞かされるなんてお断りだ。

 それなら、サークルの名称も変えればいいのに。こんなアヤシイ名称のサークルなんてボクなら敬遠したい。この花見だって、タダじゃなかったら来ていない。

 もうさっさと時間を見限って帰ってしまおうか、そんなことを考えていた。


 「部長・・、先輩・・いらしてるみたいです。」


 さきほど電話をしていた女性部員が鶏ガラのようなオタクにそう報告しているのが見えた。よっぽど嫌われている先輩が来ているらしい。


 「そう言うモンじゃないよ。あの先輩がいらっしゃるからこそ、このサークルが未だにサークルとして存続しているんじゃないか。」


 女性部員はその人物を迷惑そうに語っている一方で、鶏がら・・・もとい、部長はそうでもなさそうに話す。その口調は先ほどの挨拶の時のような早口で抑揚のないものと違い、穏やかでゆっくりと諭すような話し方だった。

 その違いにボクは得も言われぬ不思議な感覚に襲われた。

 おそらく、おそらくだけど、こっちが鶏ガラ部長の「素」なのだ。ならばさっきのは何だったんだ?テンションが上がったまま早口でまくし立てるように話していた姿がまるで何かの間違いの様だ。

 いや、気にしても仕方ない。


 手元のコップに入っている中々減らないオレンジジュースを見て、やっぱり物足りなくなり、コーヒーを買いに行こうかなと思ったその時だった。


 「こんばんはぁ。みなさんお元気かしら?」


 ボクの頭上から声がした。

 体育会系のようなすぱっとした声だけど、品のある女性の声のような気もした。

 見上げると重そうな黒い革のコートを着た女性が仁王立ちしていて、肩には何かダンボール箱を担いでいた。


 「ごめんね急に。来るつもりはなかったんだけれど。」

 にこりと微笑むその女性に対し、先ほど電話をかけていた女性部員が即座にとげとげしい言葉を投げかけた。

 「ご卒業した身なんだし来るつもりがなかったのなら今すぐ帰ってもらって結構ですよ、センパイ。」

 「あら、ご挨拶ね?本当は私のこと気になって仕方なかったのでしょう?」


 余裕にうふふと笑いながら言葉を躱す黒コートの女が挑発した。


 ピリッとしたムードが漂い始めた場を早口の抑揚のない声が切り裂いた。

 「あははー!いえいえ、いいんですよぅ立花せんぱぁーい。お荷物、どうぞ降ろしてください。わー!すんごいお荷物!!重かったでしょう?・・・もう、副部長・・キミもいい加減よさないか。」

 「まぁ部長ったら。副部長と違って優しいのね。アリガト。」


 肩に担がれてた段ボール箱は部長の手に渡り、そこからゴスっと重い音を立ててボクの隣で着地した。


 ふと後ろを振り返ると「副部長ごめんなさぁい」といわんばかりに手を祈るように合わせ肩を小さくする女性部員たち。男性部員たちはみんな嬉しそうな表情をしている。

 そうか、この女性は冷たく気の強そうな印象はあるけれど、とても美人だ。


 肩から前にかかる長い髪の毛を右手で後ろへ払い、重厚な黒いコートを脱いで部長に投げて渡すと、よっこいしょとボクの近くで座った。

 そして鼻歌を歌いながら持ってきた段ボールをベリベリと音を立てて開け、中から缶コーヒーを出した。ロット買いした缶コーヒーだそうだ。

 ボクの目の前で「疲れているときにはコレに限るわねー」とマイペースに缶コーヒーのプルタブを開け、品のよさそうなたたずまいを崩し、まるで仕事に疲れたサラリーマンがビールを呷るかのように飲み始めたのだ。


 彼女の前にある段ボールの中身はすべて缶コーヒー。

 ボクは目の前で飲まれているその琥珀色の飲み物に唾を飲んだ。


 その缶コーヒー、くれないだろうか。

 

 正直なところ、このサークルの人間関係なんてボクにはどうだって良い。

 このムードの悪さだって、たぶん色恋とかそういうつまらないことで副部長は卒業したこの先輩が嫌いなんだろう。そういう風にしか見えない。というか、そんな事関係ない。

 知ったこっちゃない。

 そう、今ボクに必要なのは缶コーヒーだ。


 ミルク入りの微糖。

 白いのどを、白濁した琥珀色の飲み物が通っている。その様子が上下するかすかな喉仏の動きから伺える。


 「あ・・、あの、缶コーヒー、これって、今 、春の、新作、です、よ 、ね?」


 こんな挙動不審な質問をしたことは、産まれて初めてだった。言葉が思うように出ない。

 缶コーヒー下さい、と、言いたいのを我慢した。


 初対面の女性に言うせりふじゃないことに気がついて、変にしどろもどろな言葉になってしまった。


 「えぇ、そうよ。キャンペーンのシールを集めているのよ。手伝ってくれる?」

 そして、目の前に缶コーヒーが差し出された。

 「くっ!くれるんですか!?」

 「飲んだらシール剥がして私にちょうだいね。」


 ボクはもちろんですと返事をした直後、手渡された缶コーヒーのプルタブを即座に倒し、わき目も振らずに口をつけた。ここでふとあることに気がついた。

 この花見の場にいた半数以上の人たちから、変人を見るような視線を向けられているのだ。それ以外の部員の人たちからは何か同情にも似たような目で見つめられていた。

 ボクは缶コーヒーごときで少し羽目をはずしてしまったのか、と思った。


 自分自身がカフェインジャンキーのようにコーヒー好きなのは重々承知してはいる。でも、こんなに注目される言動をしたとは思わなかった。

 それも、この立花先輩の存在感のせいなのだろうか。


 「ねぇ、アナタ面白いのね。」立花先輩はくすくすと笑いながらボクの顔を覗き込んで目を光らせた。

 するとすぐヒステリーっぽい女性部員の声・・・副部長の声。

 「ちょ・・・、やめてください!まだ入部してない新入生なんですよ、彼は!」

 ボクと立花先輩の間に副部長が間に入った。

 肩までの長さで内側に髪を巻いている副部長はカワイイ系で好みだ。色白で透き通るような肌、ヘアカラーで明るくした髪も素敵だ。着ている服も淡くかわいい色で品が良い。本当に近くで見ると、とてもかわいいプリンセスフィギュアのような人だ。


 だけど、まっすぐ見つめてくる立花先輩の魔力のこもったような瞳・・・背筋がぞわっとするようで、でも心地いい。例えば彼女が蛇で、ボクが蛙だとしてもこの心地よさを味わいながら食われるのなら本望だ。

 そんなことを感じるほどの熱い眼差しだった。


 「フフ、私は誰だっていいの、聞かせてみたいのよ?」

 立花先輩はボクの頬を撫でた。

 「ねぇ、アナタ。興味あるかしら、こんなハナシ。」


 ずい、と顔を寄せてきた。

 キスされるのかと思った。


 傍らで、がバッと副部長が両手で耳をふさいでしゃがみ込み「もうヤメテクダサイ、ヤメテクダサイ・・ほんとにもうオネガイシマス・・・」と懇願している。

 その様子を見て、立花先輩はボクをほっぽって意地の悪い顔をしながら副部長の塞がれた耳に口を寄せて何かをつぶやいている。

 

 なるほど、この二人は色恋で関係が悪化したわけじゃないようだ。


 さっき部長が言っていた、怖い話や不思議な話が好きな先輩ってこの立花先輩のことで副部長はそういう話が苦手な人で・・・?

 怖い話が好きな人の中には怖がらせて喜ぶタイプの人もいる。こんなに分かりやすく怖がってくれるなら、とボクも分かる気がした。


 「あのね・・・、こんなハナシなんだけど」


 本当のところ、ボクはあんまりこの手の話には興味がなくてうろ覚えだったけど、大まかなところはこんな内容だった。


 ある人が電車に乗っていると、いつの間にか乗り越してしまったのか知らない駅についてしまいそこで降りた。誰もいない、無人駅。駅員もなく改札を出ても誰一人いない。仕方なく線路を歩いて戻ろうと進むとトンネルに差し掛かり、そこを通り抜けていく。抜けた先には人がいて、この先の駅の近くまで送ってくれるとのこと。駅前にはビジネスホテルがあるからそこに泊まっていけばいい、という話。その好意に感謝しつつ車に乗せてもらうと、その駅とは反対方向に車を走らせて・・・


 ハナシはそんな曖昧なところで終わっていた。


 「そ・・・っそれで、おしまいなんですよね?ねっ?」

 副部長が涙目でハナシの終わりを求めていたが、立花先輩はただ不敵な笑みを返しただけだった。

なんだかんだ言っても、副部長はハナシを聞いているし、本当はこういう不思議な話が好きなのだろう。


 だとしても、涙目で唇を震わせている様子は何だか哀れだった。


 「あの、それって誰か見てたんですか?そのハナシって生存者っていうか、戻ってきた人がいないと分からないはずですよね?」


 ボクは副部長のために助け舟を出したつもりだったのだけど、それが逆で火に油を注ぐ結果になってしまった。

 立花先輩はニヤッと笑うと「やっぱり、キミは素質があるのね。」と嬉しそうな声を出した。


 「このハナシはね、リアルタイムで発信されてたの。ある人が、異常とも言えるべき状況においてネットにアドバイスを求めたのがきっかけだったわ。でもね、その状況はネットでアドバイスできるはずの人たちがどう検索しても状況を打破できる回答は出せず、憶測でしかアドバイスできなかった。本人からの書き込みは、実況するに留まり、最後には車の中から『頃合いをみて逃げ出す』といった内容で終わっているの。その後の書き込みはなかったみたいよ。」


 そういえば確かに実況という形でネット掲示板に書き込んでいくのが好きな人やその成り行きを見るのが好きな人たちっているなぁ、なんてことを考えていた。ボクも掲示板のまとめサイトは好きで良く見てはいるけどこういう不思議な話の実況はまだ遭遇したことがない。

 リアルタイムで実況を見守る人はどんな気持ちになるのだろうか?


 「そ れ で ね 、」


 立花先輩は続けた。

 このハナシ、違う人がほぼ同じような経験をしているという。

 その人はSNSでつぶやいていたらしい。前の話と違うのは、その人は戻ってきたところまでの記録がある、ということと、かなり具体的な路線名や駅名を記載しているということ。駅の時刻表などは日本語のようで日本語ではない何かの言語で書かれていたとのつぶやきがあり、吐き気をもよおすようなものであったという。


 「興味あるでしょ?吐き気をもよおすような言語。それは―――」


 「もうイヤ!やめてください!あたしがこういうの嫌いなのを知っているくせに!今日、絶対、夢に出てくるんですからっ!もう本っ当にやめてください!!」


 その場にいるみんなが立花先輩の言葉に耳を傾けていると副部長が半泣きになりながら体を振って、まるで駄々っ子のように拒絶している。ふと部長を見ると鶏ガラが共食い・・・いや、焼き鳥に舌鼓を打っているところだった。


 「立花ふぇんぱい、もうその辺でやめたげてください。彼女怖がりですし、支障が出たら困りますし。」


 焼き鳥を頬張りながら部長は言った。めがねのレンズはさらに脂っぽく曇っているように見えた。それでもニヤついているのが見える。この人は2人のやり取りを楽しんでみているようだったけど、止めたのはどうしてだろう。


 立花先輩はふふっと楽しそうに笑った。

 

 「ねぇ?副部長、今度・・・何かイイ体験をしたら教えてね?例えば、今夜あたり。それとも、私もご一緒しましょうか?」


 副部長の耳元で蛇のようにささやく立花先輩の瞳には魔性が宿っているようだった。

 やはりその目にはなにか熱い絡みつくような何かを感じる。

 ささやかれた本人は、その相手の腕にしがみついて「責任とって下さい」やら「一人にしないで下さい」やら懇願し始めている。


 その様子を他の部員たちは少し酔ったみたいだね、とボクら新入生たちに説明していた。二人のやり取りを見て百合っぽい展開を想像してしまう自分が、少し汚れてきたような気がして恥ずかしく思えた・・・。


 ボクはストレートで大学に入学したから、未成年だ。

 この花見の席では二十歳を超えていない1年生は学生証で確認されて飲酒をさせないようにこのサークルの先輩たちは徹底していた。

 二十歳すぎて飲酒できるようになったとしてもお酒に弱い人はいる。

 副部長はそういう人なのだと思った。

 そうこうしている内に副部長は立花先輩にもたれかかった形で寝てしまったらしい。時間は寝てしまうにはまだ早い19時半だ。


 「うふふ。いい子ね。」


 立花先輩は嬉しそうな声をあげた。

 片手で使い捨ての透明なコップを持って、中の液体をすする部長はその様子を尻目に見ながら「あんまり無理をさせないで下さいよ」と言った。

 それを聞いて、冷ややかに「どうかしら。今夜は忙しくなりそうだから。」とほくそ笑む立花先輩の表情はまさに魔女のよう。


 春といえどまだ風は冷たくて、桜の花びらが吹雪いてくるとまるで底冷えのように肌が粟立つ。

 魔女の背中から桜吹雪が起きているかのようだった。


 新入生の自己紹介やら、部員たちの自己紹介やらサークル活動の話とかグダグダに花見が進んでいつの間にか21時になっていた。ボクは特に話すこともなくただそこにいて、立花先輩と缶コーヒーを飲んだり・・・思い出してみれば他にはほとんど何もしていない。


 お開きの時間。


 酔い潰れて眠っている副部長は立花先輩が送っていくとのことだった。だけど、どう思い返しても副部長はそんなに飲んだかと、ボクには記憶がなかった。他の部員や新入生たちの事を気にして立ち回っていた人がお酒を飲む暇があったのかと。

 お開きの挨拶もそこそこに解散。

 先輩たちは片付けのため、ブルーシートなどを持っていったん部室に帰るのだそうだ。新入生はこのまま帰って良いとのこと。

 子供のいない、暗い児童公園はなんだか不思議な夜の輝きを放っているようで胸が高鳴った。けど、同時に遊ぶ者がいない暗い公園というのは、何か別の存在が遊びに来ているのではないかと必要以上に妙な想像をしてしまう。


 モラトリアムという猶予期間を得たダメな若者が遊具に抱きついたりしたが、皆帰宅するので誰も相手にせず児童公園を出て行った。

 部長や何人かの部員は片づけをした後、ブルーシートやら繰り返しつかえるものを部室に返してくるといいに大学へと戻っていった。


 大学は夜間の授業枠があり、夜は22時半くらいまで正門は開いているのだという。


 ボクは住み慣れた地方の田舎から離れて東京の大学に来た。

 頼れる人がいないから一生懸命アルバイトしてお金を貯めてきた。大学の近くに下宿をとり、先週から一人暮らししている。正直、少し寂しい。

 他の新入生たちのほとんどは親元から通っているのか皆駅に向かっていく。ボクはその集団の中に入る事なく一人で帰ることにため息をつく。


 入学式を終えて2日目、特に友達もいないし同じ学部生であってもまだ仲良くなれそうな人も見つけ出せない。だから誰にも気づかれぬよう黙って離脱した。


 集団は2つ。JRに向かう集団と、その間逆の方向の地下鉄線に向かう集団。

 ボクの向かう先はちょうど真ん中をH山通りの平行線上に下る。

 帰り道は車どおりが多いので夜でもとても明るく、この通りにいる間は安心して歩いて帰れる。


 しかし一つ道を曲がったところで、ふと違和感を覚えた。

 大通りからほんの少しでも外れればとても暗い細道になる。

 それは知ってる。


 けど。





 背後に尾行されているような気配。





 ボクが立ち止まれば止まる、歩き始めたら背後の気配も動き出す。足音は一つなのか、二つなのか。または・・・足の数が多い何かなのか―――。

 背中にゾクゾクとした寒気を感じながら足早に巻いてしまおうと考えつつ、そして本当に何かが自分の後を追ってきているのか、を確認しようとゆっくり振り返った。


 「あぁ、やっぱり缶コーヒー君ね。人違いだったらどうしようかと思ったわ。」


 思いがけない声だった。

 背後の違和感の正体はとんだ枯れ尾花。

 立花先輩が、意識が遠くなってグデングデンになっている副部長を肩に支えながら、半ば引きずっている。「キミもこっちだったのね」と嬉々とした表情で近づいてくる。

 正直、気が抜けた。安堵の気分だ。


 しかし、こんなに引きずられていて、本当に人形のように眠っている。


 「副部長サン・・・起きないんですか」

 「えぇ、そうね。いつものことだわ。」


 ボクは、手伝いますと副部長のもう片側を支えた。


 ・・・いつも・・・?


 こんなに世話になっておきながら、なんでこの人はあんなに嫌っているんだろう。そう思って、副部長の寝顔を覗き込むと「いつも、このコを巻き込んでいるの」と立花先輩は話し始めた。


 「このコ、とても想像力が豊かでね。それでいて変わったチカラというのか、簡単に言えば、それが私のお気に入りなのよ。ある意味、都市型SFのひとつだわ。」


 そう話す瞳はとても優しいものだった。

 きっと本当はとても仲がいいのだ。仲が良すぎて遠慮がないから、衝突するんだろう。

 そういう関係がうらやましく思えた。


 ふとボクは湧いた疑問をぶつけてみることにした。


 「あの・・・、サークルの名前も都市型SFっていってますけど、何なんですか?」


 すると、待ってましたとばかりに立花先輩は、目を光らせた。


 「都市型SFっていうのはね・・、都市型、S【少し】・F【不思議】、って意味よ。最初、このサークルを開いたのは私の3つ上の先輩たちで、彼らは都市伝説好きだったわ。私もそうよ。そのテの話、何よりも大好物。SFって称し始めたのは、時代に迎合したの。でも今は、飲みサークルになっているわね。その方が怖がってくれる部員を獲得できるって利点もあるわ。」


 恍惚とした目で「大好物」と舌なめずりしたその顔は魔女ともいうべき暗さを湛えた。


 「副部長サンはまさにそういう人物だったわけですね。」

 意味深に微笑みながら、他の部員たちはそう思っているのかもね、と言葉を漏らした。

 その時、妖しく光った目にボクは釘付けになった。


 「ねぇ、どこまで送ってくれるの?アナタ、おうちは?」

 「あ・・、もうすぐ近くなんです、ホラ、あそこ角にある一軒家みたいな・・・小さい下宿のアパートです。でも心配しないで下さい。ちゃんと送りますよ。女性をこんな時間に歩かせられませんから。」

 「あそこ?窓がステンドグラスになっているおしゃれな部屋のこと?へぇ・・・、それなら、アナタの部屋にこのコ泊めてくれない?私も一緒に泊まるから、安心でしょ?それに、このコがサークルにとどまっている理由も見せてあげられるわ。」


 は?泊める?


 一瞬何を言われたのか分からなかった。

 そして、安心って何がだ、とツッコミたくなった。

 2階建てアパートの1階、1Kの何もない部屋に・・・。一人暮らしを始めて1週間ほどで女性が・・・。

 その状況に少し浮かれかけたけど、よく考えてみるとボクの寝場所がなくなるという事でもあった。いや、しかし、こんな時間に女性たちを歩かせるわけにはいかない。うん、そうだ。

 ボクが少しくらいの我慢をすることで、彼女たちはいらぬ心配をしなくてもいい。

 立花先輩の顔をちらっと横目で見ると、どうやら泊まっていくのは決定事項らしい。


 

 ポカーン・・・



 22時半を過ぎて、立花先輩は勝手に風呂を使ってさっぱりしている。

 取り留めのないような話をしていたが、23時過ぎには就寝。

 うん・・・、健康的だ。もっと早くに就寝したかったけど。

 一応、就寝の挨拶をして、ボクは床に敷いた毛布にくるまった。先輩たちにベッドを明け渡して。

そして間もなく微睡む瞼の裏に黒い靄がかかって眠りに落ちた。

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