所謂『なろう系』に対する擁護 ~『やっても出来ない子』~
「なろう系? 現実で上手くいっていない奴が異世界で努力もせず尊敬されたりハーレムだったりする奴だろ。何が良いんだよ、理解出来ないね」
「理解出来なくて良いんだ。所謂なろう系小説は元から『やらなくても出来る子』と『やれば出来る子』を対象としていない」
「? じゃあどんな層を狙っているんだ?」
「『やっても出来ない子』さ」
「なんだそれ。怠けてるだけじゃないか」
「そう、世間では『やっても出来ない子』はほとんど『やらないし出来ない子』と区別されていない。でもこの両者は全く別の物なんだ」
「もうちょい具体的に言えよ。埒が明かない」
「『やっても出来ない子』はその名の通り才能に優れていない者を指す。悪く言い換えれば無能か。『やらなくても出来る子』は天才。『やれば出来る子』は秀才。『やらないし出来ない子』こそが怠け者と言える」
「それがこのサイトでなろう系が流行っている事とどういう関係があるんだ」
「これまでの作品というのは日常系を除けば大体天才か秀才が主人公なんだ。この二つを軸に主人公はどちらがふさわしいか、面白いか、好きかというのは良く匿名掲示板等で論争になる。でもね、無能というのは一貫して無視される」
「そうだよ。やっても出来ない奴が主人公になってもつまらない。天才系を求める人も努力系を求める人も、ストーリーが成功に向かう事を願うのは共通している。下手に失敗させると人気が出ないのはどの界隈も同じさ。無能は主人公になるべきではないし、味方にも要らない。敵でも萎えるな」
「そう、無能は物語において使いにくいことこの上ない。だが……結局の所、現実世界で成功出来る天才、秀才なんて一部の人間なんだ」
「一部だからなんだよ。出来ない奴は努力して少しでも這い上がるべきだ。一番上でなくとも、底辺にならないための努力という奴さ」
「そういう考え方は秀才の人がしやすい。誰でも努力すれば何でも出来る訳じゃない。やっても出来ない時、人は挫折する。すると、今までやってきた事すらしなくなってしまう。だが……」
「だが?」
「『やっても出来ない子』だって主人公になりたいんだよ。人から慕われたいんだよ、好かれたいんだよ。成功したいんだよ」
「だから異世界に行くのか? チート能力を無償で貰うのか? ひたすらチョロいヒロインが現れるのか? そんな世界で無双して何になる」
「共感出来る。『やらなくても出来る』なんて雲の上。『やれば出来る』はもっと現実的で、『やっても出来ない子』は『やれば出来る子』と比較され続けてきた。ひたすら辛い思いをしてきたんだ」
「なんだかレベルの高くない話だなあ」
「努力系の主人公は物語が進んでいけばドンドン成長していく。最終的には世界チャンピオンになったり、ラスボスを倒す。でも現実では努力をしたところで必ずしも成功する訳ではない。レベルの高い所で言えばいくら努力しても一番になれる訳ではない。その下で言えば努力しても必ずしもプロになれる訳ではない。更にその下でもクラスの成績で平均を取ったりそれなりにうまくやる事すら必ずしも出来る訳ではない。努力を凌駕する才能の無さというのは確かに存在する」
「一つ疑問なんだが才能ってどれほど人の能力に影響を与えるものなんだろうか。身長や体格なんかは分かりやすく『違う』と言い切れるが勉強や芸術は分かりにくい」
「分野によってそれは大きく変わる。音楽や数学的才能は遺伝による影響を受けやすく、語学力や動体視力は受けにくいらしい。一番残酷なのは遺伝によって影響を受ける要素の内、最も影響を受けると言われているのが努力に必要な集中力という点だ。だから『努力をしたら成功出来ました』という物語に『やっても出来ない子』は共感出来ない」
「じゃあ『やらないし出来ない子』との違いは?」
「『やらないし出来ない子』なら最初から成功なんて夢見ていない。『俺は本気を出していないから』と言い訳も出来る。つまり気楽なんだよ。でも『やっても出来ない子』に逃げ道は無い。他人に対して劣っているという現実を叩き付けられる。世間から存在を認められていない」
「存在を認められていないってどういう事だよ」
「さっきも触れたけど、世の中天才主人公か秀才主人公が求められる。その上、『やっても出来ない子』なんて存在は教育にも悪い。子供に『やっても出来ないなら努力しなくていいよ』なんて言えるはずもない。世間は努力を賛美する。『努力をすれば誰もが成功出来るさ。努力をしないから落ちぶれる』とね。まあこれは努力のきっかけを作るには悪い事じゃないけど。だが、現実には『やっても出来ない子』は存在する。人間元から能力も違うし、同じ訓練をすれば同じだけ能力が上がる訳でもない。加えて家の経済状況や親の教育熱心さも人の成長に大きく影響を与える。これらは個人の努力だけで解決出来るとは限らない」
「金の無い家は私立大学に行かせたがらないし、そもそも塾やら家庭教師やらで勉強出来る環境にも随分差が付くだろうなあ。芸術、運動、その他分野でも同じだろう」
「こうして、頑張った量の割に報われない『やっても出来ない子』が生まれる。しかも『やらないし出来ない子』と違って成功に憧れはある。それで自分と同じような『やっても出来ない子』が報われる物語を求めるようになる。なのに『やっても出来ない子』は既存の物語の主人公にはまるで向いていない。普通の物語に出てくる無能なんて範囲攻撃で『うわああああ!』と叫びながら纏めて吹き飛ばされる役や当たり前の考え方しか出来ずに主人公をけなす役しか出来ない。無理矢理無能が頑張ろうとすると大抵物語が破綻する。こんな奴出すなと読者から叩かれる」
「それで、なろう系の登場という訳か」
「『やっても出来ない子』が主人公として共感出来る物語。それがなろう系なんだ。最初から天才、秀才向けに書かれていない。これなら人によって拒否感が出て当たり前さ」
「だから自分で努力しなくても活躍出来るようになってるのか」
「活躍するのに努力が要るなら現実世界と変わらないからね。浅い現代知識やちょっとした習性で無双出来ないと。あるいは無償で手に入れたチート能力か」
「じゃ所謂なろう系がやたら売れるのって……」
「そういう人間が思いの外多いという事だ。今まで無視されてきた存在をごっそり拾ったんだ」
「大体理解出来た。そういう事ならもう何も言わない方が良いな。その方がお互い身のためだ」
「うん、基本ほっといてくれ。最初から天才や秀才は相手にしていない」
参考ページ
https://matome.naver.jp/odai/2141244744983299901
http://netgeek.biz/archives/99094