風と流星と半分の二人
「ねえ、天使っていると思いますか?」
夕暮れの美術部で、真っ白なキャンバスと向かい合っている少女が、唐突にそんな質問を投げかける。
「いるんじゃないかな。」
そう答えたのは、少女の隣に座る少年。
彼のほうには、しっかりと色のついたキャンバスがある。
「即答ってすごいですね……じゃあ、先輩は妖怪っていると思いますか?」
「天使がいるんだから、悪魔だろうが妖怪だろうが吸血鬼だろうがいるんじゃないかな?」
少女に対してそんな答えを返した少年は、赤色の絵の具を筆につける。
「じゃあ、先輩は、妖怪を見たことがありますか?」
「今日はやけに積極的に話してくるね。妖怪を見たことあるかだった?ある……かな。」
少年の答えに、少女は少し驚いたような表情を見せる。が、すぐにいつもの真顔に戻ってしまう。
そんな少女の様子に、少年は一つ疑問を持つ。
「……何かあったの?」
「はい。嫌なことがあって。」
「失恋?」
「違います。ただ、急に不安に襲われただけです。あんなに澄んだ夕日を見せられたら、澄んでない私なんかじゃあすぐに壊れちゃうんです。」
「そっか。」
ただそれだけを答えると、またキャンパスに色をのせていく。
一陣の風が、開けっ放しの窓から吹いた。
「……先輩は、誰かに告白されたらどうしますか?」
「相手による。って答えじゃあ駄目かい?」
「別にいいですよ。」
夕日はほとんどが沈んで、星がちらちらと見え始める。
そんな空を見て、少女はまた口を開く。
「先輩は、私の言葉を信じていますか?」
「真面目そうに言った言葉は信じてるよ。たまに冗談まで信じちゃってて怖いくらい。」
「……信用があるなら、それでいいです。」
「信用じゃなくて信頼だよ。」
それを聞いた少女は、何かを言おうと口を開けるが、結局そこから言葉は紡がれない。
何か言いたそうにした少女を見た少年は、何か話しかけようと思うが、結局どんな言葉も見つからない。
暫く、二人の間を静寂が包む。
その間に、どんどん日があった面影はなくなっていき、夜が訪れる。
流れ星が一つ。流れては消えた。
電気をつけていない美術室は夜でも影ができるほどに暗い。
「……先輩は、私が妖怪だって言ったら信じますか?」
ほとんど呟くようにして言われたその言葉。
でも、それは静寂の中ではしっかりと少年の耳にも届いた。
「正確には、半分妖怪じゃない?」
「知ってたんですか?」
「まあ、わかっちゃうんだよ。そういうの。」
そう言う少年の両目は紅く、口には牙が生えていた。
その姿に当てはまるモノといえば……
「……吸血鬼?」
「正確には、半吸血鬼だね。キミもそうでしょ?」
少年は少女の目を見ながら言う。
「そうです。母が猫又なんです。」
そう言う少女からは、猫のような耳が生えていて、しかも尻尾まで生えていた。
「変……ですよね。こんな耳と尻尾。人間じゃないですもん。かといって妖怪でもない。私って何なんですかね。」
少女は俯きながらそう言う。
「さあ?自分が何者かなんてわからないんじゃあないかな?僕もよくわからないし。」
「……先輩も……ですか?」
少女はその言葉に驚きを見せる。
「そりゃあね。というか実際、何でもいいと思うよ。キミにどんな血が入っていようが、僕が何だろうが。今キミと僕はこうして会話をしていて、絵を描いている。それが大事なんじゃないかな?」
「でも……」
少女が俯きながらそう言うのを遮って、少年は少女の両頬をつまむ。
少女の目からは涙が溢れており、外から入る僅かな明かりに照らされて煌めいて見える。
「い、いひゃい……」
「でも……じゃないの。自分を卑下しないで。僕はキミを『一番大事な後輩』だと思ってるし、そこに何の問題もない。疎外感を感じて生きてきたせいでそうなっちゃってるのは分かるけど、僕っていう味方がいるんだからもう少し自信を持ってよ。」
少年はそこまで言うと、両頬から手を放して、その手を少女の頭の上に持っていく。
そして、その手で優しく少女の頭を撫でる。
「……はい。」
「うん。いい返事。」
少年はそう言うと少女を撫でるのをやめて、自分のキャンバスの前に戻ろうとする……が、少女に服のすそを掴まれて立ち止まる。
「でも、やっぱり怖いものは怖いです。先輩を頼っても、いつかいなくなるんじゃないかって。だから……」
少女はそう言うと涙の痕が残る顔を上げ、少し赤らんだ頬を見せながら、少年に向かって言葉を放つ。
「私と、ずっと、ずっと、死ぬまで一緒に居てください。」
それを聞いた少年は、驚いた表情を見せるが、少しずつその表情が綻んでいく。
「一生じゃ足りないくらい、キミの為に尽くすよ。約束する。」
「絶対ですよ。破ったら、どんな力を使ってでも先輩を呪いますからね。」
「日本の妖怪が言う呪いは洒落にならなそうだね……あ、僕からも一個お願いがあるんだけど、いいかな?」
「……内容によります。」
「そんな難しいモノじゃないよ。ただ、定期的にキミの血を少しでもいいからくれるとありがたいなぁって。」
「貧血になるくらい吸わなければ、良いですよ。」
そう言うと少女は椅子から立ち上がって、少年に抱き着く。
「私が美味しいかはわからないですけど。」
少女は背伸びをして、少年の口に柔らかいキスを落とす。
卑屈にならないでいいこともあると思います。
その人が悪くないこともあるから。