田んぼの中の小さな奇跡〜みんな 心をもっている
おいらは一本のカカシ。
海辺の近く、緑に揺れる広い田んぼに、雨風いとわず ぽつんと立っている。
名前なんてお洒落なものはついてはいないけど、何をするかは決まっている。稲に実るお米を鳥たちから守るのだ。
季節はまだ早くても、あっちに立ったり、こっちに立ったり、お百姓さんの古い服を着て、ギョロリとあたりをにらみつければ、
「こわいこわい」
「あんなのがいるなんて」
鳥たちは、田んぼに近寄ることさえできやしない。
けれど、それは何年も前のこと。
いま着ている服は、まるでボロボロ、天日干しのワカメのよう。目玉のインクは剥げかけて、目はかすんでしまっている。ぼわりと見える麦藁帽は、ひしゃげた鳥の巣にそっくりだ。
そんなおいらを、鳥たちが怖がるはずがない。
「あーきがたーのしみ」
「はやくみのって、おこめになーれ」
ひどい歌をうたいながら、空をのんきに飛び交っている。
とはいえ、鳥たちに文句を言えるほど偉くはない。
おいらとて、
「まあいいさ。あちらは、お米を食べ放題。こちとら、居眠りし放題」
すっかり、捨て鉢気分になって、自分を慰めていたのだから。
ある日の昼過ぎのこと、おいらはツンツンツカツカ、頭を突つかれた。
・・どうせ、いたずら鳥がやっているんだ・・
目を開けたまま居眠りしていると、やたらに大きな声がした。
「これ、カカシ君、起きてくれ!」
横を見れば、竹竿の腕に一羽のカラスがとまっている。
「せっかく いい気持ちで寝てるっていうのに」
ぶっきらぼうに言うと、
「しっかりしておくれ。でないと困るんだ」
カラスは、とびきり強く突っついた。
「いてて、いくら布でできた頭だって、そんなにやられりゃ、痛いんだ」
無理矢理、しゃっきり目を覚まさせられた おいらだったけど、おかしなことに気がついた。
だって、おいらはカカシ、鳥たちを田んぼから追い払う者。しっかりしてもらってこそ 困るはず。
「いったい、どうしたっていうんだい?」
ついつい聞いてしまった。
カラスはすっとぼけたおいらの目を、じっと見つめて言った。
「山向こうの田んぼに、カカシの代わりに霞網が張られた。君にしっかりしてもらわんと、こっちにも張られてしまう。君が怖くて、腹が減るのは嫌だけど、網にかかるよりは、よっぽどましなんだ」
まったく、カラスに願い事をされるなんて。カカシのプライドもへったくれもあったものでない。まあ、それは抜きにして、よい返事はできなかった。
「けどな、こんな格好では、おいらは役に立てない。ほら、あんさんだって、怖がらずにとまっている」
「確かにそうだ。それじゃあ、人間の家にひとっ飛び、パリッとした服と、目玉を描くための太いペンをもってこよう」
「ちょっと待ってくれ」
さっそく飛び立とうとするカラスを、おいらは呼び止めた。
「あんさんがいろいろしてくれても、鳥たちは怖がらない。何しろ、あんさん自身が鳥なのだから」
「言われてみれば その通り」
カラスは翼をたたんで、溜息をついた。
その時だ。
【そんなの ぜったいだめ!】
いきなり大きな声がした。カラスは慌てて空に羽ばたいた。
竹竿の足元で、小さな女の子が腕を振り上げていた。
すぐ横の畦道を歩いてきて、靴は泥んこ。犬を連れているところをみると、散歩をしていたようだ。
・・あかりちゃん・・
おいらはこの子を知っていた。倉庫にしまわれている時に、羽根つきの羽根を探していた子。この田んぼの持ち主の娘だ。それに連れているのは、その家に飼われているシロ君だ。
「今の話、聞いていたの?」
おいらは聞いた。
でも、あかりちゃんは大きな目で見上げるばかり。そりゃそうだ、人間には、カカシの言葉は通じない。
【カラスに突つかれても、知らんぷりなんて、そんなのだめ。だって、あなたは役立たずなんかじゃないもの】
そう言って、あかりちゃんは連れていたシロ君を見つめた。白い毛並みに、ポツリと涙が落ちている。
「この子は、僕のことを思ってくれているんだ」
畦にへたりこんでいるシロ君が、しゃがれ声で話した。
「どういうこと?」
「僕は歳をとってしまった。もう目はしょぼしょぼで、足もふらついてしまっている。獣医さんにも言われた・・シロはもう、番犬の役も何もできないとね」
「なぁるほど」
それで納得した。
あかりちゃんは、シロ君が役立たずなんて、誰にも言ってほしくなかったのだ。
だから、おいらが突つかれているのを見た時、まるでシロ君がやられているみたいで、辛くてたまらなかったのだ。
【待ってて。わたしがなんとかしてあげる】
顔を上げたあかりちゃんは、きりっといい、シロ君を連れて、田んぼから出ていった。
「よかった。あの子ならやってくれそうだ」
空から降りてきたカラスが言った。
「そんじゃあ、居眠りも終わりってことだ。お休み返上 ざーんねん」
おいらは久しぶりに、大きな声で笑った.
【お待たせ、カカシさん】
太陽が少し動いたあと、意気揚々と、あかりちゃんが戻ってきた。大きな袋を抱えている。シロ君は置いてきたようだ。
【これから、バシッと変身よ】
あかりちゃんは、えいやーとおいらを引き抜いた。畦道にそっと置き、袋から、太いペンやら、あれこれ取り出した。
おいらはお任せ なされるまま。
さすがに服を脱がされるのはたまらない。恥ずかしくて、目を開けたまま なんにも見なかった。
しばらくして【でーきた できた】という声とともに、おいらは再び立ち上がった。
ギョリリン!
目玉の調子がひどくいい。周りがすっきりよく見える。
頭には、黄色の帽子のつばが見え、服は目も醒めるようなパッションピンク色。
ムラムラと力が湧いてきたけど、なんだかおかしいような気もする。もしや、変な格好をしているのでは・・
おいらの心配をよそに、あかりちゃんは、【こっちを見なさい!】と空に向かって声を張り上げた。
「カー、そんなカカシ、見たことない。怖い怖い」
カラスが叫びながら逃げていった。他の鳥たちも、ぐいっと遠回りして飛んでいく。
【カカシさん、できばえはバッチリよ。自信をもって、田んぼを見張ってね】
あかりちゃんが嬉しそうに言った。
もとより、おいらはカカシ。鳥を追い払うことができれば、格好なんて 気にする柄じゃない。つまらないことを心配していたと反省しながらも、どこにあるかもしらない胸を、ほっと撫で下ろした。
これでお米は守れるし、ついでに網が張られて、鳥が引っかかることもなくなったのだ。
けど、ひとつ気になることが残っていた。
「シロ君には、何かしてあげられないのかい。もう少し、元気になった方がいいと思うんだ」
【あっそうだ。後でシロを連れてこようっと。ピカピカのあなたを見たら、元気をもらえるにちがいないわ】
まるで、言葉が通じたようだった。あかりちゃんは、くるりとむこうを向いて、畦道をピッタボッタとスキップしていった。
太陽が西の山にさしかかったころ、賑やかな声が聞こえてきた。
【ほら、あれ!】
車の通る道から、シロ君を連れたあかりちゃんがこちらを指さしていた。
横には、父さん、母さん、それに兄さんも立っている。おいらを見せに、家族みんなを連れてきたのだ。
「どれ、素敵な格好を見てもらおう」
ビューと吹いてきた風に押してもらい、おいらは、ぐいっと前を向いた。ところが、
【まあ、あれは私のドレス。カカシが着ているなんて、町の人に笑われてしまうわ】
【あれは僕の小学生の時の帽子。今はかぶらないけど、思い出がいっぱい詰まっている】
母さんと兄さんが、怒ったように言いながら駆けてきた。
【だめ、だめよ】
あかりちゃんが止めようとしたけど、あっという間のこと、おいらは、ドレスと帽子をはぎ取られてしまった。
【もう十分に、働いてもらったさ】
最後にやってきた父さんが、おいらを抜き、顔を下にむけて、畦道に転がした。
大泣きしているあかりちゃんの声が、だんだん遠ざかっていく。
「ああ、シロ君。君にいいところを見せることができなかった」
おいらは湿った土にむかってつぶやいた。
あたりがずいぶん暗くなった時、誰かがおいらの頭を上に向けた。
「すまない。君をつっついたばかりに、こんなことになってしまって」
カラスが力なく首を下げた。
「いいんだ。最後に、しっかり仕事ができたのだから」
ギョロリとした目のままで、優しく言った。
「最後だなんて。そんな寂しいこと 言わないでおくれ」
「カラスどん。お百姓が、顔に土がつくのも構わずに、おいらを地べたに転がしたんだ。ということは、もう終わり。明日の夜明けまでに、おいらには羽根が生えているはずだよ。それで別の世界に飛びたつんだ」
カァーアー
言葉もなく鳴いたカラスは、おいらの頭を、そっと翼で包んでくれた。
その夜は、月は出ていなかった。おいらは温かい翼を枕にして、ぐっすり眠りについた。
真夜中にガサガサと音がして、誰かにあちこちいじられたけど、なにせまっ暗。そのまま知らんぷりで寝ていた。
ずいぶん時間がたったのだろう。目の中に、ほんのり光が射し込こんだ。
おいらはしっかりと目を覚ました。頭の後ろがムズムズしている。目には見えない小さな羽根が生えているのだ。
夜明けが近いのか、東の空が青くなりかけている。その彼方から、白い光の筋が伸びていた。
「お迎えの光がやってきた。カラスどん、さようなら」
羽根を振るわせて、起き上がろうとした時だ。
ーーカラーン!ーー
頭の上で音が鳴った。
竿だけのはずなのに、やたらとからだが重くなっている。
「なんだ、いまの鐘の音は?」
隣で寝ていたカラスが、目を覚ました。そのすぐ横で、毛むくじゃらのものが、モゾモゾと動いている。
慌てて跳ねどいたカラスは、田んぼの水に落ちこんだ。
「おはよう」
毛むくじゃらが、のそりと頭を持ち上げた。
「シロ君!」
さては、夜中に ガサガサと音を立てていたのはシロ君だったのだ。おいらのために、いろいろやってくれたらしい。
おいらがかぶっているのは、銀色のエサ入れボウルだった。舟の帆のように からだに引っかかっているのは、犬小屋にしかれていたシーツ。それに、泥で頭がベトベトにならないように、マットまでしいてくれている。
「どうかな、僕ができることといったら、それくらいだけど」
「君ってやつは・・」
おいらの目から、出るはずのない涙がこぼれようとしていた。そいつを堪えようと、前を見れば、空から伸びる光の筋が強く輝きはじめている。それに導かれるように、からだがフワリと浮き上がった。
「ほや、どこかにいくのかい」
目をしょぼつかせながら、シロ君が聞いた。
「だめだ。このまま、別の世界になんて行けやしない」
おいらは地面に降りながら、竹竿の足をマットに突き立てた。
「ああ神様。どうか、お迎えをお待ち下さい。おいらは、シロ君の気持ちに応えたいのです。せめて秋の収穫まで」
光の筋の ずっとむこうに祈った。
キラッ キラリ!
光が返事をするようにまたたいた。
それから間もなく、海の上に太陽が顔を出し、まぶしい光の中で筋は消えていった。
「カアー、たいへんだ」
いつの間にか、空を羽ばたいていたカラスが、悲鳴のような声をだした。
「ありゃまあ」
おいらも驚いた。足をマットに突き立てたまま、からだが稲の葉の上に浮かんでいたのだ。
「これは、なんとも素敵な気分だ」
マットに乗ったままのシロ君が、プリプリと尻尾を振った。
まったく神様も、粋なことをして下さる。おいらの見えない羽根を、そのまま残しておいてくれるなんて。
【シロ・・・シロ・・・】
太陽がすっぽんと顔を出したころ、女の子の声が聞こえてきた。あかりちゃんだ。目が覚めて、空っぽの犬小屋を見て、探しに来たのだ。
「心配かけてしまった」
シロ君が大切な人の方をむいた途端、マットは、稲の上を滑りはじめた。
ツツーと田んぼの端までいくと、シロ君は、目を白黒させているあかりちゃんの胸に飛びついた。息をハフハフさせて、小犬のようにじゃれついている。
【そんなになめないで】
シロ君のそんな姿は、本当に久しぶりだったのにちがいない。あかりちゃんは顔をしわくちゃにして喜んでいた。
しばらく遊んだあと、シロ君はマットの上にもどってきた。
「おや、こっちでいいのかい?」
「この上にいると、おかしなほどに元気になってくるんだ。そんな姿を、あかりちゃんに見せていたい」
シロ君が答えた。
【変な格好の不思議なカカシさん。シロをお願い。あなたと一緒にいたいらしいわ。ねっ】
ウワォーン!
背筋を伸ばしたシロ君は、怖ろしいような声で吠えた。
おいらは、じっと見上げるあかりちゃんの大きな目の奥に、美しい光を見たような気がした。
あかりちゃんは、シロ君の命が、もうすぐ終わってしまうことを知っている。いつも一緒にいたいけれど、シロ君のことを思って、おいらに任せたのだ。
・・まったく、このふたりは・・
頭のすぐ下が、炎を吹くかとばかりに熱くなった。ああ、おいらの胸は、そこにあったのだ。
「では、シロ君、今日の仕事をはじめるよ」
「がってん」
おいらのシーツが、風にハタハタと膨れあがった。シロ君がマットの隅に重みをかけると、
そのまま、
ツツツー・・・・稲の上を進みはじめた。
まるで海を走るヨットのよう。広い田んぼを、縦に横に、ずっとむこうに、そしてぐるりと大回りして・・・・
「こりゃ 近寄れない。でも楽しそう。高いところから見物しよう」
カラスは大きく羽ばたき、空の高みに舞い上がっていった。
☆ ☆ ☆
【田んぼを走るカカシがいるんだって】
【白い犬が運転しているらしいわ】
おいらとシロ君の噂は、町中に、いやいや世界中に広まっていったらしい。
田んぼの周りの道は、毎日、数え切れないほどの人で賑わった。
【どうして、そんなことが起こるのだ】
科学者たちも、秘密を探ろうとやってきた。でも、こちらをじっと見つめると、よけいな気持ちは消えていってしまったようだ。
【みんなが心を持っている。みんなが心を待っている】
誰もが同じようなことを言い、大切にしたい人や物が待っているどこかに帰っていった。
そうして、ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎた。
稲の穂は、今や、溢れんばかりの実を垂らし、あとは収穫を待つばかり。
やがて、黄金色の田んぼの入り口に、刈り取り用のコンバインが乗りつけられた。
「もう腹ぺこ。倒れそうだよ」
丸い月が照りつけるなか、腕にとまったカラスが言った。
「では、おいらたち、しっかり仕事をしたってわけだね。でも大丈夫さ。明日になれば、刈り取りのおこぼれがたくさんでるから。シロ君は満足してくれたかな?」
足元を見れば、シロ君は笑ったような顔をして目をつぶっていた。
「ああ、十分に満足しているみたいだ」
カラスがそっと言った。
「カカシ君、おらあ、迷ってる。君たちを見送るかどうか」
「ははあ、あんさんの仕事は、おいらたちの見送りではないよ。森にいって、明日のおこぼれのことを仲間に伝えるんだ」
「君は、仲間のことまで思ってくれているのか」
カラスは、おいらの頭に感謝のキスをした。
なんてこったい。
鳥にキスされるなんて、これから会うかも知れないご先祖様に顔向けできない。
けれど、すごく嬉しかった。
「ありがとう、いろいろ世話になったね」
「寂しくないのかい」
「ああ、友だちと一緒だもの」
「そうだね。じゃあ、いくね」
カラスはぐるぐると大きく回りながら、森の方へ飛んでいった。
夜明け間近、並び合った二本の光の筋が、東の空の彼方から伸びてきた。頭の横には、シロ君がフワフワと浮かんでいる。
「さあ、出発しよう」
「新しい世界へ!」
おいらたちは、光の中に飛び込んだ。
おわり