4.新しい服《僕の扱い》
あれから数日がたった。
起きる気配のない“ボク”の存在を頭の片隅に寄せておき、自分の部屋や沢山の本があるあの場所の掃除をしたりと、様々なことをした。
掃除は2日くらいで終わり、そのあとは本を読んで知識を蓄えることに専念した。
僕には、御祖母様から貰った知識があるけれど、その知識を“ボク”は知らない。
それに、これは僕のものという風に分けられているから、成人して僕が消えたら、“ボク”の中には何も知識が残らない。
だから、知っている知識でも、知らない知識でも、なんでも詰め込んで“ボク”の知識の糧としなくちゃいけない。
それにしても、あんな大量の本……誰が集めたんだろう。
それぞれの分野に特化した専門書から、子供が読むような絵本まで、ありとあらゆる本があるあそこは、正直言って異質だ。
まるで、僕や、僕に似た誰かの為に集められたかのような……そんなわけないか。
僕等の誕生日の次の日に、ステラさんに頼んで僕の下の部屋から持ってきてもらったベッドから降り、窓を開ける。
海の月だから、まだ4時なのにもう上り始めた太陽を見ながら、窓と反対方向にある扉へと振り返る。
その瞬間、バンっ!という激しい音を立てながら勢いよく扉が開いた。
そこにいるのは、目を僅かに伏せたまま、姿勢よく扉の前に立っているステラさん。
……僕、なんか悪いことしてましたっけ?掃除用具を持って行く時に本館に入ったけど、それは、ステラさんがベッド持ってきた時に、さらっと釘さして行ったよね?
「ご自身でお掃除されるのは大変結構ですが、これらは私たちのお仕事ですので」って、余計なことするなって言ったばかりだし、特に注意することなんか、この数日の間にしてない……よね?
ゆっくりと、ステラさんの瞳が僕を見据える。
何を言われるのかとビクビクする僕の耳に、ステラさんの声が届いた。
「服を買いに行きますよ」
……え、決定事項?
*
ステラさんに、いつの間にか持っていた膝まであるフードのついたポンチョを着せられ、マフラーを剥ぎ取られたあと、馬車へと乗せられた。
動くたびに振動でぴょんぴょんと跳ねる体を抑えながら、僕はステラさんの方へ顔を向けた。
「ステラさん。どうして急に服を買いに行くとおっしゃったんですか?」
「……主様。私はあなたの専属のメイドですので、下の立場の者を“さん”付けで呼ぶのはおやめください。敬語も不要です」
「あ……すい……ごめん」
「謝罪もいけません」
「……わかった」
年上の人には敬語の方がいいかなって思ってたら、ダメだしされました。
御祖母様の知識を見ると、確かに、メイド……というか、側仕えの人や召使、その他僕より地位の低い人には、敬語をしてはいけなくて、謝罪も禁止。どうしてもしたいときは、遠まわしにいうか何か物を贈るらしい。
“ボク”は今まで、必要最低限の接触しかしてこなかったし、本邸にいる人は僕をいない人として扱うから、今まで知らなかった。
僕自身、これから、知るだけじゃなくて身につけていかなければいけないのかもしれない。
「じゃあ、改めて……なんで、服を買いに行くって急に言いだしたの?」
「本日、王城でイリス公爵家の当主任命式があるからです」
ステラさんが言うには、御祖母様が亡くなられたから、当主を新しく立てなければいけない。
その当主は御父様に決まっていて、日取りも決まっていたけれど、僕のメイドであるステラさんには、直前まで知らせてなかったそうだ。
当主の任命式には、なんらかの原因があって出られないもの以外、親戚筋や家族は絶対参加で、服も誂えなければいけないというのにだ。
当主任命式というのがよくわからなくて御祖母様にもらった知識を見てみると、どうやら、王族の誰かから直接「この土地の管理を○○に任せる」という様な言葉を賜る式らしい。
これは、さっき言ったように親戚や家族は理由がない限り絶対参加で、それに加え、周囲へ自分の立場を示すために、なるべく沢山の人を集めるみたいだ。
任命式は王族が必ず来るからか、いつもは来ない人も来たりして、社交の場としては絶好の場所であるそうだ。
沢山の人が来るということは、沢山の人の視線に晒されるという意味だ。
服を誂えるのすら憂鬱になり、思わずため息をこぼすと、馬車の揺れがおさまった。
ステラさんが先に扉を開け、馬車の外へと出る。
開かれた馬車の扉から外に出ると、ステラさんが馬車の扉を閉め、御者の方へと向かい、何か話をし始めた。
僕がやることは何もないだろうとそこから視線を外し、周りを見回す。
僕の住んでいる洋館よりももっと小さい木造の家が沢山並び、道路には人が沢山あるいている。
僕の家がある貴族街よりも更に城から遠いところにあるこの城下街は、僕の知識の中にある平民よりも裕福らしく、ツギハギだらけだったりということはなかった。
それでも、僕の家ほどということはないけど。ちなみに、僕はここで歩いている人たちより粗末な服を着ている。ツギハギではないけど。
周囲から視線を外し、今度は目の前の建物を見上げる。
周りの建物よりも一回り大きく、全体的に綺麗で、装飾にも凝っているこの店は、貴族向けなのかもしれない。
それでも、普通はオーダーメイドなのに、“服を買う”というステラさんの言葉で既製服が売っているのがわかることから、公爵家が普通買いに来るところじゃないんだろうな。
……あぁ、このポンチョは、僕の粗末な格好や、僕自身を晒さないために用意されたのか。
濃い青色のポンチョについたフードを目深に被り直すと、御者と話し終えたステラさんがやってきた。
馬車はすでにどこかへ行っており、買い物が終わる頃に再びやってくるようだ。
「では、参りましょう」
その言葉に頷き、建物の扉をステラさんが開ける。
僕は恐る恐る、けど、怯えてるように見えないよう、ゆっくりと入っていく。
白く、清潔そうに見える壁と床、周りを照らす、煌く明り。
その光の下で、キラキラと輝く、色とりどりの沢山の服。
その量に圧倒されていると、奥の方にいたこの店の人が、近づいてきた。
「お久しぶりです。お嬢様」
「今はこの店の本家筋の者ではなく、この方のメイドとして来ているのですから、お嬢様はやめてください」
この店の本家筋のお嬢様?……メイドさんって、どんな地位にいる人がなるの……?
気になって知識の中から探して見ると、男爵家などのいわゆる下級貴族の人が花嫁修業としてなることが多いみたいだ。
もちろん、平民の人もいるけど、メイドさんのように主人に訪ねてきた客の対応をしたり側仕えの様な主の身の回りを整えたりと、全ての仕事をこなさなければいけない重要な仕事は、与えられないらしい。
どうりで、気怠げだけど仕事をちゃんとやるし、仕草も綺麗なわけだ。
仕事をきちんとしなければ自分の、ひいては家の評価につながるし、お嬢様だったのだから、動作や仕草などの細かい部分も、徹底して躾られているはずだ。
ステラさんについてわかったところで、ステラさんに連れられて、僕は試着室へと入った。
どうやら、僕が知識を探っている間に、何着か服を見繕ってくれたみたいだ。ありがたい。
ポンチョを脱いだあとは、ステラさんに脱がせてもらう。
……身長も低いのに比例して、手も小さいから、上手くボタンが外せないんだよ……。
脱がせてもらったあとは、僕が今まで来ていた白いワイシャツと同じ、けれども、質や綺麗さが一回りも二回りも違う服の袖に腕を通し、ボタンをとめてもらう。
ズボンも、ワイシャツと同じように似ているけれど質の違うものを履き、靴下を履く。
ループタイと呼ばれる紐状のネクタイを締めてもらい、上着を来てボタンをとめてもらう。
着替え終わった僕の姿をじっとみたステラさんは、櫛を取り出して僕の髪の毛を軽く整えてから、僕を姿見の前にそっと押した。
その姿見に映った自分の姿をみた僕は、驚いた。
まるで貴族の子供みたい!!
……いやいや、僕貴族の子供だから。いつも薄汚れたシャツとズボン履いてるけど、ちゃんと僕、貴族の子供だ……よね?
ご飯もろくに与えられてなくて栄養失調気味だけど、ちゃんと貴族の子供だよね?
今思い返してみると、もしかしたら僕は、拾われた子供なのかと疑うくらい酷い境遇だ。平民の子供でも、こんな扱いは受けてないに違いない。
ちょっと自分の立場にしょんぼりしていると、ステラさんが声をかけてきた。
「これで精算したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「うん。これでいいよ」
いつもより綺麗な服なのに、不満なんかあるわけないしね。
再びポンチョを被るようにして着ると、試着室から連れ出された。
そこで待つように言われ、精算に向かうステラさんの姿をボーッと見つめる。
服は整えたけど、これから一旦帰るのかな。
この店にかけてある時計をちらっと見たけど、9時くらいだった。
向こう側も準備があるだろうし、もうちょっと後だろうから、たぶん帰るだろう。僕的にも心の準備が欲しいし、知識はあるけど身についていない今じゃ、ほかの人にどんな失礼をするかわからない。
そう考え込んでいると、ステラさんが慌てたようにこっちにきた。
その足は、走ってはいないものの、かなり速い。
僕の元へときたステラさんは、僕の手を掴んで焦ったように言った。
「もう時間がありません。このまま王城へ向かいます」
そう言われて、僕は、お店の前にちょうど来た馬車の中へと少々手荒に入れられた。
……待って。ねぇ、ちょっと待って。
焦っている間に、ステラさんは御者と話を終え、馬車に乗り込んでくる。
そして、扉を閉めると同時に、馬車は走りだした。
僕……大丈夫かな
僕の服は、貧しい平民が着ている服みたいに汚いです。真っ白なワイシャツなので、汚れが目立ちます。
ただ、継ぎ接ぎされたところは1つもないため、何も知らない人が見たら、貴族で一番位が低い男爵家の、妾のひどい扱いを受けている子供だと思われるでしょう。実際は一番位の高い公爵家の、妻の子供ですけど。