000 プロローグ 俺は友達が居ない
思いついた設定の話についてとりあえず導入部だけ投稿します。
続きが書ければ投稿しますが、どうなるかは分かりません。
作品名とこの話のタイトルはまあそういうネタです。不愉快に思われた方は申し訳ありません。
続きを書く時が来たら多分変えます。
俺には友達が居ない。
少ないのではなく、一人も居ない。
友達が居ないとか言いつつ、恋人未満の関係性の女子を集めたハーレムを作っていたりもしないから安心して欲しい。
中学時代は学校では教師以外の誰からも話しかけられず、登校してから下校するまでの間に一言も喋らないままというのも珍しくない正真正銘の一人ぼっちだ。
中学に入った瞬間には重度の厨二病に罹患していた事を考えれば完全に身から出た錆だが、自業自得の一言で割り切れるならこんなに苦しんではいない。
隠さないタイプの厨二病だったのでほとんど全校生徒にその事が知られていた。知られていたと言うか、知られるように全力でアピールを繰り返していた。
いじめ問題については滅茶苦茶うるさい昨今なので直接的な危害はほとんど加えられなかったが、全生徒から避けられて遠巻きにされた。
今の俺でもあの時の自分の事は多分、いや間違いなく全力避けるだろうから仕方がない。
むしろ、大人の居ないところで陰湿な暴力を振るったりしなかった同級生達と、問題が発生しないように尽力してくれた教師達には感謝したい。それが例え自己保身のための行動だったとしても。
彼らに対して感謝する以外の事は何もできそうにないが、スクールカウンセラーの山田先生にだけは近いうちにどうにかして恩を返したいと思う。
そんな訳で、両親も含めた周囲に対して無差別に厨二病の自己主張を披露した結果、小学生時代の友人も少しずつ周囲から離れていき、中学時代最初の夏休みを迎える頃には正真正銘のぼっちが一人完成していた。
選民思想バリバリだった俺は当時、周囲に対して「フン……愚か者どもが」とか言っていたが、愚か者はお前だと後ろから殴りつけて、そのまま殴り殺してやりたい。
表面上はそんな感じでも心の奥底では自分が変なことをしているのは理解している訳で、でもいったん厨二病によって創られてしまった周囲との壁を自分から壊す勇気が持てないまま日々を過ごしていた。
その壁は他人を遠ざけてしまう邪魔な壁だったのと同時に、傷つきやすい自分を守る壁でもあったからだ。
厨二病が快癒し始めるきっかけになったのは2年生の夏休み明けに実施された進路調査だった。
相変わらずぼっち街道を邁進中だった当時の俺は、将来の事を想像して目の前が真っ暗になるような感覚に襲われた。
このまま、一生に一度しかない学生時代をずっと一人ぼっちで過ごしていくのかと考えた時、とてつもない恐怖を感じてしまったのだ。
体調を崩して病院に行き精神的ストレスから来る症状だと診断された俺は、学校に常駐しているスクールカウンセラーからカウンセリングを受けることになり、そこで会ったのが山田先生だった。
山田先生は俺が話し始める何日もまで辛抱強く待ってくれた上に、俺が話す馬鹿な内容を内容を否定せずに聞いてくれた。親からも匙を投げられていた当時の俺がどれだけ救われたかについて、馬鹿な俺は上手く伝える言葉を持っていない。
ああ、心配せずともそれがカウンセラーの仕事でカウンセリングの手法だというのは今は理解している。
俺を無限とも思われた暗闇から救いだしてくれた山田先生のことを神のように崇め奉って、いっそ新たな宗教でも興そうかという勢いだった俺に苦笑しながら先生本人が後日教えてくれたからな。
俺が山田先生をどれだけ尊敬しているかについては別の機会に語るとして、今はカウンセリングを受けた後にどうなったかという事について説明するとしよう。
俺の精神を蝕んでいた厨二病が治り始めた俺がまずやったのは、両親に対して土下座してこれまでの親を親とも思わない行いの数々を謝罪する事だった。
両親は驚きながらも安心した様子で、やる前に考えていたよりずっと簡単に謝罪を受け入れてくれた。最初はまだどこか腫れものを触るような感じではあったが、徐々に小学生時代と同じような親と子の関係に戻っていけたと思う。
逆に、学校での友人関係と言うか、対人関係の構築は思っていたよりもずっと困難が伴った。
使われない筋肉がだんだんと小さくなっていくように、使われない能力も劣化していく。
2年近くもの長い間、全くと言って良いほど使用されなかったコミュニケーション能力はすっかり退化しきっていた。
小学校に入学する前の人見知りだった幼児期よりもある意味では酷い。
ゼロに等しいコミュニケーション能力でも、ゼロから人間関係を構築していくのであればまだ何とかなったのかもしれない。だが、残念ながら中学校という一種の閉鎖空間では既に濃密なコミュニティが成立しきっており、そこからの俺に対する評価はゼロどころかでっかいマイナスが付いていた。
事務的な連絡ぐらいはしてもらえているがプライベートな友人としての会話は尽く拒絶され、以前とは別の意味で精神を病みそうだった俺を救ってくれたのはまたしても山田先生だった。
先生は、俺に偉大なる先人の知恵を授け給うた。
高校デビュー。
何と甘美な響きだろうか。
この言葉の意味を知らない人もなかなかいないだろうが、俺みたいに知らない人がいると困るので一応説明しておくと、高校デビューとは「高校への進学時などそれまでの人間関係がリセットされるタイミングで自身のイメージチェンジを図り、それまでとは違う学校内での立ち位置を手に入れること」だ。
厨二病のせいで友人が出来なかった中学時代の自分を捨て、ごく普通の一般人として高校生活に挑もうというのだ。
高校デビューを決意した俺は迅速に行動を開始した。
まず決めるべきは進学先だ。進学先に中学時代の俺を知っている奴が居てはまずい。
厨二病である事は同級生だけではなく全校に知れ渡っていたから、同級生だけではなく2学年上の先輩までが危険だった。学年が違っていても部活動などでの縦の関係によって同級生にまで情報が伝わってしまう可能性がある。
1学年下の後輩も危険といえば危険だが未来のことまではどうにもできないし、後輩が入学してくるまでの1年の間に気の置けない友人になれていれば、自分からバラして笑い話にしてしまえばなんとかなる。
悪い話は他人から暴露される前に自分から言った方が被害が少なくなる。
進学先の選定には困難を極めた。
少子化なのに、いや少子化だからこそ小中学校の統廃合によって一校あたりの生徒数がかなり多くなっているので、自宅から普通に通える範囲の高校には全て先輩の誰かしらが進学している。
両親も俺の行動についてある程度は理解してくれていたが、知っている人間が居ないからという理由だけで普通に通えないような遠方の学校へ進学することなど許されなかった。
許されない理由が心情的なものだけであれば泣き落としでもなんでもしたのだが、金銭的な理由とあっては強くも言えない。
そんな状況下であえて遠方の学校を進学先に選ぶとすれば、それ相応の「そうしなければいけない」理由をでっち上げる必要があった。
逆に言えばきちんとした理由さえあれば許してくれるという事だ。
そこで俺が目をつけたのが<竜騎兵>養成学校だった。
<竜騎兵>というのは単なる俗称で、正式名称を「二足および多脚型の動作補助装置付き外骨格なんちゃら」だか何だかいうよく分からん長ったらしい名前だが、要はパワードスーツだ。そのうち主に軍用に使われる装甲付きのものが<竜騎兵>と呼ばれ、民生用の場合は「強化服」とか「強化外骨格」とかそのまま「パワードスーツ」「スーツ」と呼ばれたりしている。
約20年前に実用化されたパワードスーツは、今では先進国の軍事・産業において欠かせない物の一つと言える迄の存在になっている。それに、何と言っても巨大な二足歩行ロボットは男の子のロマンでもある。
その<竜騎兵>を開発・製造・運用するための人材を育成する目的で設立されたのが「<竜騎兵>養成学校」と云う訳である。3年制の高校ではなく5年制の高専なのだが、そんな違いは些細な事だ。
日本国内に数校しか存在しない<竜騎兵>養成学校は全国から生徒が集まる事を考えて寮が整備されており、教育カリキュラムの関係もあって例え通学可能な距離に自宅があっても寮に入ることが推奨されている。
調べた限り、過去に同じ中学校から俺が狙っている私立結城学園高等専門学校に進学した生徒はおらず、家から離れた場所に進学する口実にもなり、さらに卒業後の進路も選り取り見取りという素晴らしい場所だった。
問題は専門職養成機関であるがゆえの合格難易度の高さと金銭的な負担だ。
俺は重度の厨二病だったという唯一の問題を除けば、学校での授業態度は良好で成績も悪くはなかった。教師たちにとってはその唯一の問題こそが大問題だっただろうが。
俺の仮面と言うか化身と言うか、妄想の中の本当の姿は「文明が進んだ平行世界から紛れ込んでしまった存在で、人並み外れた知性を持つが故に一般人には理解されない孤高の存在」というアレだったのでらしく見えるように勉強は欠かさなかった。
友人が居なかった俺には勉強に使うための時間はいくらでもあったので、No.1は無理でもトップクラスを維持することは不可能ではなかった。人並み外れた知性を持ってるのに一番じゃねえのかよというツッコミは心が痛くなるのでやめて欲しい。
そして、その世界というのが「この世界よりも高度に科学技術が発達した世界」だったので、技術の粋を集めて作られる<竜騎兵>については他人に対してそれらしい話をするための題材として散々調べていた。
話をする相手など1人も居なかった訳だけれど。
教師から学力的には難易度が高いが不可能ではないという御墨付きをどうにか得て両親を説得し、金銭的な問題は学園側で用意している奨学金を利用するというプランと、足りなければ一般的な学資ローンを卒業後に自力返済するという主張でねじ伏せた。
奨学金については、卒業後に学園の母体である結城重工が指定する企業や研究所などに一定期間勤めることで返済が免除されるというアレだ。
なんとか結城学園を目指す環境を整え、そこからは受験のために全力を尽くした。
勉強し、体を鍛え、来る高校デビューのその日に向けて笑顔や発声練習、ファッションや男女交際などについてもこっそり情報収集した。
<竜騎兵>養成学校と一口に言っても様々な課程があり、そのうち開発学科が第一志望だったのだが、複数学科の併願はいくらでも可能だったので受験可能な学科は全て受験した。
あっという間に受験までの日々は過ぎ去り、受験日当日が訪れ、そして忘れもしない合格発表当日。
俺は無事に操縦科への合格を決めた。
合格を知った時は家の中で奇声を上げ、転がりまわって喜んだ。それを目撃した両親がまた病気が再発でもしたのかと不安そうな目でこちらを見ていたので、すぐに合格した事を伝えて家族3人で喜んだ。
操縦科だけが唯一の合格だった。<竜騎兵>のパイロットは花型職と言われ、それを養成する操縦科は最も競争率が高いので不思議に思わなくもなかったが、合格だと言われているなら結果に不満などあろうはずがない。
中学側に合格した事実だけは伝えたが、卒業するまではその事実も非公開にすることを要請し、義理はあっても何の責任もないのに受験にも協力してくれた山田先生にだけは、本来の意味でのお礼参りをした。
いろんな感情を抱きつつ中学の卒業式を無難に乗り越え、未来への希望に満ち溢れた春休みを迎える。
結論を言えば、俺の高校デビューは失敗に終わった。
入学式を数日後に控えた4月1日の入寮日当日。
何だか朝起きた時から体が重く、眠気がひどかったので駅のホームでベンチに座って目を瞑った後、目覚めたら病院のベッドの上で身体に色々な管を繋がれていた。
ただの疲れから来る風邪だと思っていたものが実は季節外れのインフルエンザで、それまでの1年間近く無理をし続けたのが祟って体力の落ちていたことから軽い肺炎になっていたというのが医者から下された診断だった。
それから1週間ほど入院し、自宅療養の時に無理をしたせいでぶり返してしまうという馬鹿な事をしていたせいで、結局学校の寮に入れたのは入学式から2週間以上経過した時だった。
出席してすぐにクラスに合流できるわけではない。
入学式直後のオリエンテーションやら体力測定やら何やらを丸ごとやってない訳で、それを一人だけでこなすために1週間。
その他にも細々した何やらかんやらがあり、結局クラスメイトと同じ行動を取れるようになるのはゴールデンウィーク明けになっていた。
新しい環境になってから最初の一ヶ月というのは、そこで新たな人間関係を作るために最重要な時期だと俺は思う。
その重要な時期を丸ごと逃した奴が簡単に挽回できるようなら、中学時代にもう少し何とかなっていただろう。
一人寂しく食堂で昼食を摂りながら、たかが風邪などと考えずにもっと早めに安静にしていれば……と後悔するのだった。
【BAD END No.1 ...変わらない一人ぼっち】