幕間1
人類諸国連合の最北端。
万年雪に覆われた山脈とブルカナ湖の間には、マジノス迷宮と呼ばれる場所がある。
冥界の主が住まうという魔王殿ヒラヌマには、このマジノス迷宮を超えて、さらにその先にある砂漠を東に進まねばならないらしい。
イスカンドリアの港からブルカナ湖を超えて魔王領に向かう密貿易船が存在することは公然の秘密であるが、それを利用するのは勿論魔族の商人だけだ。
人間の兵士は勿論、冒険者や商人が船で湖を越えた事はない。
つまり現在のところ、魔王城に向かう方法はこのマジノス迷宮を抜けるしかないという事になる。
そのマジノス迷宮の中で、一人の冒険者が生命の危機に瀕していた。彼は五人の仲間と共にこの迷宮に挑んだ。
「単なる様子見?なに、軽く突破してやるさ」
その認識は甘かったとしか言いようがない。休息をとる際に、迷宮の十字路でキャンプを張ることにした。
どこから魔物が来ても逃げられるように。
判断を下したのは自分だ。
それが悔やまれる。
まさか全方向から魔物の大群が押し寄せてこようとは。
魔力を回復させるため寝入っていた魔導士は言った。
「三十分?魔力を回復させるためには六時間は眠りたいわー」
彼女は無事だろうか。仲間たちは分断され、暗い迷宮の中行方を探すこともままならない。
それどころかスケルトンの一体に手傷を負わされ、自らの命すら危うい。
「左手をかざすだけで体力全快?やだなー、魔力はそんな万能じゃありませんよ。もしそうなら薬剤師も医者も村の小さな診療所で細々やってる魔法医も全部廃業しなくちゃならなくちゃなりませんからねー」
神官はそんなこと言っていた。荷物袋から薬瓶を取り出す。
「くそ、空かっ!」
苛立ち紛れに空き瓶を投げ捨てた。
次の瞬間、冒険者は自分がロクでもないことをしてしまった事に気が付いた。迷宮の土床に叩きつけられた空き瓶はガラスなので簡単に割れた。
周囲によく響き渡る音を残して。
「しまったっ!!」
冒険者は後悔した。そう時間もなく、今の音を聞きつけて魔物達がやってくるだろう。
ハイヒールで床を踏むのにも似た、リズミカルな音。
そんな音が聞こえた。
そして出血の治まらない両腕に力を込める。そして杖代わりにしていた
剣を握りなおした。仲間の仇は無理だろうが、冒険者らしく、恥ずかしくない最後はとりたいものだ。
「こんにちわ~(^^♪」
現れたのは女だった。
ポニーテールの、長方形のメガネをかけた娘。
背中にはかなりの荷物が入ってそうな登山リュックのようなものを背負っている。
肌は若干青みがかかっている。人間ではない。
「く、来るな・・・!」
「まぁまぁそんな慌てなくてもいいんですよぉ?貴方上の階でお亡くなりになってた人間さんのお友達ですねぇ?」
「お亡くなりに?誰だ?クリムトか?テートか?」
「うーん?名前は知りませんが弓をお持ちでしたねぇ。あ、もうスケルトンの皆さんが回収してると思いますから一か月以内にスケルトンアーチャーになると思いますよ?」
「という事は死んだのはヤミエか。俺もそうなるのか・・・」
「そうなる前に一つ御商談なのですがぁ」
魔物の女はリュックを降ろした。そして中に入っていた荷物を床に広げる。
マスケット銃の弾丸と火薬。鉄製の矢。銅製の矢。骨製の矢。
短剣に松明。油瓶。
酒瓶に乾燥肉にビスケット。
そして何かしらの薬草類とクスリ瓶が多数。
「私、洞窟商人と言いましてぇ。このマジノス迷宮でお会いした人間の方々相手に商売をしてるんですよ。勿論洞窟内で見つけたお宝があったら買い取りますよ?」
「お前魔王の手先だろ?なんで人間相手に商売しているんだ?」
「魔王?ああ、人間の皆さまは不死公様のことをそう呼んでいますねぇ。まぁどうして人間の方々相手にこんな事してるかといえば、私にこのメガネくださった方に感謝してくださいとしか言いようがないですねぇ」
「そのメガネ、何か魔法の品なのか?」
「いえ。只のガラスですよ。私の視力に合わせて調節したレンズが入っているだけです。私はこのメガネを造ってくださった方のために商売しているようなもんですねぇ。・・・それで、何か買います?」
冒険者は広げられた商品を見た。買うべき商品は、今必要な物は一つしかない。
「薬草だ、薬草を売ってくれ」
「はい。一つ金貨八十枚になります(^^♪」
「ちょっと待て。普通に店で買うより十倍、いや百倍の値段だぞ?」
「ここ実は地下六階なんですよ?無事にでれますかねぇ?あ、もし十個まとめてお買い上げなら五百枚でいいですよ(^^♪」
「・・・十個売ってくれ」
「お買上げありがとうございます(^^♪」
買った薬草で早速傷の手当てをしながら思った。
どうせこいつは魔王の手先の魔物だ。人間じゃない。
殺して荷物を全部奪っても問題ないのではないか?
そう思って彼は剣を再び握りしめた。
「そうそう、大事なものを渡すのを忘れれておりました」
「な、なんだ?」
まさか気づかれたか?
そうではない。洞窟商人はベルを出すと、冒険者に渡した。
「このベルは私の特注品でして。それを鳴らしていただきますと、私か、私の仲間が取引に行くと思いますよ」
「そ、そうなのか?」
「それでは今後とも、当洞窟商会をよろしくお願いいたしますねぇ~♪」
洞窟商人と名乗った魔物の女は笑顔で去っていった。
「まぁいい。あいつにはまだ利用価値がある」
魔王を倒す勇者には相応しくないセリフを冒険者は吐いた。
傷の手当はすんだ。当面の命の危機はない。
後は出口を探すだけだ。
あるいはどこかにゆっくりと体を休める場所はないだろうか?
迷宮の通路の壁にドアがある。冒険者はそのドアの向こうに凶悪な魔物の手段がいないことを祈りつつ、扉を開いた。
中は割と広く、温かい部屋だった。土ではなく、壁や天井は木板で覆われ、断熱の工夫がみられる。
ベッドがいくつかあった。その一つにはオークがイビキをたてて、寝ている。
壁には暖炉があり、おいしそうなシチューの匂いがした。
そしてそのすぐそばのテーブルにはトカゲ頭の男が椅子に座っていた。勿論人間ではない。
「よく来たな。薄汚い人間よ。ここは洞窟の宿屋だ。本来は我々不死公様に仕える者達が疲れを癒す場所だ。だがその様子では満足に剣も振るえないだろう。特別に休むことを許してやろう。一晩金貨四十枚だがどうするのだ?」
冒険者は買ったばかりの薬草を床に叩きつけた。