ぶっちぎれ!中間考査、前編っ
桜は、もう散ってしまった。少女は、校門前の大木を見つめて、一か月前を振り返る。あっという間だった一か月。不思議な人達とも知り合いになって、運動会も楽しくて、とっても楽しい日々だった。でも、将也くんは機嫌が悪かったな……。
少女は二つ結びの髪をゆらゆらと揺らして、校門を潜る。彼女はちょっとだけ憂鬱な気分だった。きっと、学校のどの生徒もそんな風に思っているだろう。
だって、後二週間でテストなのだから。
ふう、と珍しく嘆息した少女は、廊下を通るときに女子生徒の噂を聞いた。
「会長、誕生日なんだってね」
「テスト前にって、つらくない?」
千年先輩、誕生日なんだ。少女は、学食で出会った食いしんぼうの会長さんを思い出して、クスリ、と小さく笑った。幸せそうにプリン食べてたな。
何か、誕生日にあげようか。きっと、お菓子を喜んでくれるだろう――名案だ。なんてことを思いついて、少女はうきうきとしだした。自分の分もお菓子作ろうかな。副会長の閖里先輩にも、あげよう。
スキップをする少女を、見る人見る人がぼうっと見惚れて――。
[誰だこいつうううう!?]
あ、ゲームの「咲」か。あまりに現実と違うから、思わず叫んでしまったよ。
どうも、生まれ変わったら幽霊さんな私です。名前はまだない。というのも、幽霊だから名前付かないし、前世の名前とか名乗ってもしょうがないんだよね。だって、見た目があまりにも違いすぎて。
前世では、おばあちゃんになる前は真っ黒い髪がぼさぼさと。手入れとか面倒だったからなあ。綺麗に白髪になって、孫から「きれいー」って褒められたから、調子に乗ってトリートメントとリンス使い始めたんだ。ほらそこ、今更じゃない?とか言わないの! 成果はちゃんと出たのだから。肩にかかる、さらさらの白髪ヘアーになりました。
今は、すっごく微妙に紫がかってる白、なのかなあ。色辞典っていうのを、図書館で見ている人がいたから覗いてみたけど、そのときに見た「オーキッド」って色に似ているのかな。それよりももっと薄いけども。
目もね、黒くなくて紫なんだよね。もはや日本人の名残はさっぱりないのだけど。
ちなみに服は、桜庭高校の制服。服はイメージすると、勝手に変わるんだ、何故か。髪と目の色も変えられたら良かったのに、それは無理みたい。
それはさておき、私がなんで叫んでいるかというと、夢を見たからだ。ゲームの夢を……。咲ちゃんが全くイベントを起こさず、黄染さんと幼馴染くんの間にも、特に何も起きていないから、非常に恋愛不足だよ。どうしよう。夢にまでゲームを思い返してしまうくらいだ。
ふよりと起き上がる。東の空が、薄赤く染まってきている。朝焼け、綺麗だなあ。最近の私の寝床は、咲ちゃんの家の屋根。寝る前に見る星空は格別だ。
「あと、一週間でテストだとう……!?」
「だとう……!?」
咲ちゃんと風野くんが、そろってうめき声を上げた。あーあ、だから毎日、ちゃんと先生の話を聞けって言ったのに! といっても、咲ちゃんたちに私の声は聞こえないのだから、まあ意味はないんだけどね。
代わりに、幼馴染くんが口をすっぱくして常々言っておりました。成果は……なかった。だって、咲ちゃんと風野くんだもの。咲ちゃんは「物理、意味分かんない……」って言って寝ちゃうし、風野くんはいまだに寝まくっている。もうどうしようもない、ここに残る最後の善意は、我らが天使、内田さんしかいないのだ。
「咲ちゃん、幹久くん、後で勉強会しようか?」
そんな優しい提案をする内田さん。幼馴染くんも、仏頂面になりながらも「俺も付き合ってやるから」と言った。……その台詞、告白のあれではないのだよね。今の言葉で妄想しちゃう私は、重症かもしれない。ぐすん。
勉強会のメンバーは、黄染さんが顔を赤らめながらおずおずとお願いしてきてプラス一。さらに梢さん、赤野さん、阿部さんが参加してきて、そして最後に、赤野さんが木塚くんを連行してきた。
「東くん、頭いいからみんなに教えてね!」
赤野さん、すっごく晴れやかな笑み。ああ、木塚くんに自分の勉強させる気ないな……。可哀想に。でも、木塚くんはどうにかなるでしょう。日頃努力している人だし。
勉強会は、学校の図書室で。賑やかにしても怒られない、旧校舎の図書室で行うみたいだ。新校舎の図書室では、受験生のみなさんが、ぴりぴりしてるからね……。そっちは入りづらいということで、旧校舎の図書室も開いたままなのだ。司書さんは本を探すたびに校舎を移動して、大変そうだけどね。
「にゃー……。運動方程式ってなんだっけ」
「咲、お前その授業で寝てただろ! そこは質量と加速度を……」
「加速度ってなんだっけ」
「春からやり直してこい」
もはや、咲ちゃんと幼馴染くんの会話は、教えるというより漫才っぽい。阿部さんが笑いをこらえてぷるぷる震えてるよ。
「さあ東くん! 教えてくれ!」
赤野さんが、やっぱり木塚くんをこき使っていた。
「分かったよ……。どこから?」
「全部」
「答え見たらどうかな」
どうも、こっちでもまともな勉強会になってなかったみたいだ。あれ、勉強してるのって誰……?
「沙良、そこどうなった?」
「二十メートルだよ」
「うーん……どこ間違ったのかしら」
「雪綺は計算ミス多いから。見して? ……ん、ここ、かけ算じゃなくて、たし算ね」
「あら。こんなとこで間違ってたなんて。ありがとうね、沙良」
「どういたしまして」
梢さんと黄染さんは、自分で解きつつ、分からないところを質問し合っている。これだよ、これこそが勉強会というものだよ! 他にはちゃんと勉強してるやつはいないのか!
あ、いた。内田さんと風野くん。梢さんと黄染さんとは違って、教え合うというより、内田さんが一方的に教えてるけど。
「幹久くん、そこ漢字間違ってるよ?」
「あ、ミスった……」
ごしごし。消しゴムの音が鳴る。風野くん、咲ちゃんとは違って真面目にやってるね。しかしてミスが多いみたいだ。たぶん、授業を聞いてないのも原因だろうけども、他にも理由がある気がする。勉強会中、ぼんやりと考え事をしているときがあるのだ。
ああ、聞きたい、理由が知りたい! なぜあんなにムードメーカーだった風野くんは、そうなってしまったのかね!? わしにも教えてくれい! ちょっとおじいさん風に。
内田さんに、念を送ってみた。聞いてくれ、風野くんがなんで元気ないかを!
念が伝わったわけではないだろうけど、内田さんは何度か躊躇して、風野くんに尋ねる。
「あの、幹久くん。最近元気ないけど、どうしたの?」
「へ? 俺はめっちゃ元気だよ」
いやいや、嘘を言ってはいかんだろ。どう考えても、風野くんは疲れているのだから。大体、運動会の打ち上げだっておかしかったし。
そう、それはつい三日前ほどのことだった……。
亜田先生の奢りで、日曜に一年四組は打ち上げに。場所は、いろいろ案が出たのだけど、センヤキに決まったようだ。
センヤキっていうのは、焼き肉の食べ放題のお店、らしい。クラスの大口透也くんのお母さんが経営している。
大口くんは、昼休みになると教室を飛び出していっちゃう人だ。青井さんと赤澤くんの席から近いからね……。
「さあ! 食え食えみんな! 全員分の代金払っても、先生の賭け……ごほん、こづかいは全く痛まないからなー!」
亜田先生もご機嫌だ。どうやら、賭けてもうかったお金が余るから、嬉しいみたいだ。……一体、いくら賭けてたんだろうか。たぶん先生は、一年四組と言う大穴に一人でつぎ込んでいたのだろう。普通ならみんな九組が入賞すると思うだろうからね。
「うしっ……。先生の懐も痛まない。私は全て食える!」
「一応、大口くんの家のことも考えてくれ……」
咲ちゃんをたしなめる、幼馴染くん。幼馴染くんよ、君、本名なんだっけ?
「菊地くん、と江上さん、隣いいかしら」
「おー! 梢さんいらっしゃい! 黄染さんもどうぞ」
「あ、ありがとうね咲ちゃん」
梢さんと黄染さんが入ってきた。黄染さんは、梢さんに促されて幼馴染くんの隣に座る。二人三脚で慣れたとはいえ、やっぱりこういうときに顔が赤くなるんだなあ。
そして、梢さんのおかげで思い出した! 幼馴染くんの名前は菊地将也くんだったね。いやあ、ずっと「幼馴染くん」と呼んでいるから、忘れていた。同じ理由で、他の攻略対象さんたちも名前覚えられないんだよね。だって、放送さんは放送さんだ。五十公野三月なんて、名前が長くて覚えにくいじゃあないか。
「あの、咲ちゃん……」
「なーに黄染さん。……あ、沙良ちゃんって呼んでいいかな?」
「あ、もちろん! 雪綺のことも……」
「雪綺って呼んでね、江上さん。咲ちゃん、でいいかしら」
「いいよー。よろしくね、雪綺ちゃん!」
今まで名字呼びだったからなあ。これで、もっと黄染さんたちと仲良くなれるね! 私としては、こうして仲良くなることで、黄染さんと幼馴染くんの距離が縮まらないか、という期待もあるんだけどね。恋よ来い、カモン! そしてその期待は梢さんも持っていたりする。
「あのね、咲ちゃん。ここだけの話なんだけど」
ひっそりと耳打ちをする梢さん。その顔はにやにやと緩んでいる。咲ちゃんの顔は、ぽかーん、って感じだ。
「沙良、菊地くんのことが気になっているのね」
それを聞いて、「嘘ぉ!?」と叫びかけた咲ちゃんは、慌てて口を押さえた。
「それで、沙良がずっと気にしてるんだけど。咲ちゃんと菊地くんの間に、愛はあるかしら」
「え、愛?」
梢さん、言い方。梢さんってときどき、高校生らしくないこと言うんだよね。普通はそんな真顔で、「愛」なんて言えないよ。
「ありえない、ありえない」
咲ちゃんは、梢さんの問いを聞いて笑ってる。まあ、そうなるよね。二人の間に愛があったとしたら、それは兄弟愛だし、もしくは……咲ちゃんが受験勉強中によく振るわれていた「愛のムチ」か。
梢さんは、咲ちゃんの反応を見てほっとしたみたい。まあ、万が一咲ちゃんが幼馴染くんと恋愛で何かあったら、自分の親友の恋が叶わないものね。
「良かった。で、咲ちゃんにお願いしておきたいんだけど、沙良と菊地くんが一緒になれるときには協力してほしくて」
「もっちろーん。しょーくんと沙良ちゃんなら、お似合いだものねえ」
のほほんと話す咲ちゃん。やっぱり、誰から見ても黄染さんとはお似合いだよね! いつか成就してほしいものである。
「なんの話してんだ?」
幼馴染くんが、不思議そうに咲ちゃんと梢さんのところを見てくるけど、これは乙女の秘密ですね。ふふ。
そんな風に穏やかな空気が流れていたとき――とはいえ、赤野さんが、店の付属のカラオケで熱唱してたり、井上くんや垣根くんたちがゲームしていたりするけれど――。空気を裂くような音が響いた。
カキャン!
いっせいに、みんなが音のした方を見てみると、風野くんが慌てて床に散らばったグラスを拾い上げていた。あ、こら、素手で拾ってたら……。
「いって……」
案の定、ガラスの破片が手に刺さったみたい。阿部さんが、ちりとりを貰いに店員さんを呼びに行った。
「平気、幹久くん?」
天使な内田さんが、彼にハンカチを渡して、自分はゴム手袋をつけてガラスを拾い始めた。用意がいいな、内田さん。風野くんは、血が流れたところをハンカチで抑えてる。呆然としているみたいだ。しかし、なんでグラスが? 取り落としてしまったのだろうか。
「風野くぅん」
そう声をかけるのは、……誰だっけ? 木塚くんの後ろの席の子。たしか、熊坂恭子さんだったかな。いつも、えっと、向坂美羽さんと志田包美さんと一緒にいる。三人とも、大人しくて目立たない女子……だったはずだ。
しかしなんだ、今のは? 鼻にかかったような気持ちの悪い声。
「大丈夫ぅ?」
声をかけられて、風野くんは笑って答えた。
「へーき。心配してくれてありがとね」
返事が風野くんらしくなく、かっこいいのですが……!? それはともかく、風野くんは目の下真っ黒だし、絶対平気ではない。みんな心配してるんだけどねえ、いつも「平気」としか言わないから。
それにしても熊坂さん、声をいろいろかけているけども、内田さんの手伝いをしようとはしない。分かったぞ、君、風野くんに話しかけたいだけだろう!
風野くんも幼馴染くんに負けず劣らず顔が良い。「アイドル系は菊地と風野、美人系は羽生と女頭目」っていうのが他のクラスにまで伝わっているらしい。これじゃ何かのキャッチコピーだな。
風野くんはこの日、大丈夫と平気を繰り返したのだが、この後も何度かコップを落としそうになっていたのだった。
そしてだね、ガラスを拾い集め、風野くんを心配そうに見守っていた内田さんが、彼の異常さに気付かないわけないのである! もう観念しようよ、風野くん。
「別に、はぐらかすのもいいのだけど……。つらくなったら言うんだよ? 将也くんでもいいから。悩みごとは人に相談した方がいいよ」
ああ、なんて天使なんだ、内田さん! 無理に聞こうとはしない、一歩引いた優しさ。風野くんも流石に、ほだされてしまったようだ。
「……ちょっとだけ、話していい?」
彼は眉尻を下げて、おずおずと内田さんに言った。なぜ、ときどき彼はかっこよくなったり可愛くなったりするのだろう。上目づかいが女子より似合うって、どういうことよ。
内田さんはにこやかに、「いいよ」と頷いた。
そして風野くんがついに告げた「悩み」は、とんでもなくゴージャスで驚きの内容だったのである。
「あのね、俺の父親、ユートイスの社長なんだけど」
「え!?」
[ええええええー!?]
内田さんが小さく驚きの声を上げる。すごいぞ、内田さん。私なんて、驚いて空中で一回転してしまったというのに。大声で叫びまくっていたというのに。私の声が、人には聞こえないもので良かったと、このとき初めて思った。
ユートイスといったら、今日本で一番有名な会社と言っても過言ではない。今の社長の前の社長が創立し、社長が変わってからも売り上げを順調に伸ばしているという。
ただ単に椅子を売ってるところなんだけど、この椅子がなんとも言えない座り心地。キャッチフレーズは「一度座ればユートピア」。実際、全国の奥様方が、家事を終えてこの椅子に座ると、それっきり一日中椅子に座りっぱなしとか。
内田さんの反応を見て、風野くんはふぅ、と息をついた。
「……やっぱり驚くよね。だから、みんなには秘密にしときたいんだけど」
「うん。でもいつか、将也くんには、言うんだよ? 友達だしね?」
「……分かってるよ。でも、今はムリ……」
風野くん、泣き顔だ。どこまで切羽詰まってるのだろう。社長の息子で、何が問題なのだ? 存続財産とか? 大学とか?
「俺、誕生日が四月八日なんだけど」
「入学式と一緒だね」
「うん。そんで、誕生日と入学式の祝いは一緒にするって言われてたんだ。入学式の日に帰ってきたら、家に知らない女の子がいて」
……うん?
「その子が言うんだ、『ついに来たわね、私の敵!』って」
いったい何があったんだ……? 内田さんは目を丸くしながらも、黙って聞いている。
「ちょっとたったら母さん帰ってきて、『あ、許嫁ちゃんも来ていたのね。さあ、上がって』って……」
「フィアンセ?」
「つまるに、俺の誕生日プレゼントかつ入学祝は、許嫁のその子だったってわけ……でもこの子、もう彼氏がいるらしくって。その子――雪乃ちゃんって言うんだけど、親には内緒で付き合ってたらしいのね。そーしたら、いつの間にか親同士で意気投合しちゃったらしくて」
しかし、当の雪乃氏は風野くんと付き合うつもりは毛頭なく。でもって親は、「雪乃ちゃんと会ってどうだった?」とにこやかに聞いてくるのだ。雪乃氏は親に、彼氏がいることを伝えられないまま反発。
雪乃氏のやつ当たりと、親の泣きごとが全て風野くんに来たらしく――なぜか、雪乃氏の親も風野くんに愚痴を言いにくるらしい――そのしわ寄せで彼の睡眠時間は大幅に減少。しかも、話の中心は自分で、基本的に嫌味を言われて精神的にもきついらしい。
「どーすりゃいいのか、分かんないよ……」
彼はそのままぐでりと机に突っ伏した。内田さんは、迷いつつも風野くんに進言する。
「その……どうすれば許嫁との子の婚約解消をしてくれるとか、あるの? 手伝えることなら、手伝うけど……」
彼は困ったように口をへの字型にした。
「美子ちゃんがそー言ってくれるのはありがたいけど……悪いからやめとくよ」
「なんで?」
きょとんと聞く内田さん。やばい内田さん可愛すぎる。……と、つい内田さんの可愛さを語ってしまいそうになるね。
「だって……だもの」
「何?」
彼の声は聞きとりづらく、内田さんが聞き返した。
「婚約解消は、俺に恋人できたら、だもの……無理っしょ?」
マジですか、風野くん。