☆ぶっちぎれ!出会いのその二っ
ここの高校は、学食がとても美味しいらしい。
特に、一か月に一日だけ限定で現れる「季節シリーズ」は味も良く、リーズナブルで、男女問わず人気だという。
咲がそこへ向かったのは、ただ自分が食べたいだけ、ではなかった。
「五十公野先輩、だったよね。桃、好きかな」
この間の校内見学で、困っていた自分を助けてくれた先輩。背の小さな自分では一生懸命見上げないと顔が窺えない高身長で、丁寧に染められていた金髪が整った顔にはよく似合っていた。普段なら、金髪の人と話すのは気後れしてしまうけれど、あの人は相手との距離をいつの間にか縮めてしまうような、そんな雰囲気だった。
「気さくだし、かっこよかったなあ……」
あっ、違う違う、と咲は顔を振った。その先輩へ一度お礼をしたいと思ったのだ。季節シリーズはいつも激戦で、なかなか手に入ることができないらしい。噂ではたまに季節シリーズに並ぶ五十公野先輩が見かけられるという。
「ん、こうしちゃいられない。早く行かなきゃ」
咲はぱたぱたと駆けて行った。
――というのをきっかけに、咲は他の攻略対象者との出会いイベントを発生させるんだけど、私はとても不安です。
何故なら咲ちゃん、そもそも放送さんに借りができていないのです。むしろ放送さんがいきなり連れ込んで放送させて、そちらがお詫びを持ってくるレベル……とまではいかなくとも、少なくとも咲ちゃんが今後放送さんと会う可能性は低い。
まあ、他の二人については、考えてみると出会う可能性がなくもないんだけれど。
ここ、桜庭高校が舞台の乙女ゲームは、攻略対象者が五人いる。その中で幼馴染くん、放送さんとは既に出会って、一人はしばらく出てこないから、後二人。この高校の生徒会長さんと、副会長さんだ。
この二人との出会いイベント、学食に向かう途中で副会長さんと、学食では会長さんと出会う。副会長さんと出会うイベントはその日じゃなきゃいけないものでもないし、もしかすると偶然会ったりするかもしれない。
それと会長さんは――うん。今の咲ちゃんとは、いずれ絶対に会う気がします。そっちは全然心配していないんだ。
「そういえば今日学食で、一カ月に一度限定の『季節シリーズ』が出るらしいよ。毎回競争率が高いんだって」
朝に、咲ちゃんにそう告げたのは、毎度おなじみの白衣の天使、内田さん。一か月に一度の限定と聞いて、咲ちゃんが黙っていられるはずがない。咲ちゃんは、昼のために英気を養い始めた。
つまり。
「だからって寝るなよ……!」
幼馴染くんのストレスが増えるということだ。隣で幼馴染が寝ている、先生の授業を聞かなければ、しかし、いつ幼馴染が落ちているのが先生にばれてしまうかとひやひや。大変だね幼馴染くん。風野くんも寝てるしね。というか、なんでこの二人は寝ているのがばれないんだ?
倫理の先生の、朗読が続く。
「えー、そしてアイデンティティーは……」
四次限目。咲ちゃんはやる気十分、といった調子で、英語の授業を受けている。というのも、眠気覚ましのためだそうな。幼馴染くんはげっそりとしていた。どんまい。
英語の先生に当てられて、咲ちゃんが元気に音読する。
「Her heart was filled with sadness. She thought……」
そして、鐘が鳴った瞬間。咲ちゃんはあいさつもそこそこに、教室を一気に飛び出した。青井さんと赤澤くんを気にせず、前のドアから。なんて恐ろしい、限定シリーズのためには咲ちゃんはどんなことでもやってのけるのだ……!
そして、私も、もしかすると普通に行われるかもしれない出来事のためになら、空も飛べるのだ……!
というわけで、いつもの天井すれすれ飛びをする。さすが限定シリーズがあるだけあって、すでにみんな学食へと向かっているのだ。廊下は、学校案内の時ほどではないものの、混雑している。こんなところですり抜け酔いを起こして、咲ちゃんを見失うわけにはいかない!
今の咲ちゃんは、確実に季節シリーズのために全力を出している。はたして、ちゃんとイベントが起きるものか。
「待ってろ桃プリン……!」
叫ぶ咲ちゃんは、角を曲がった瞬間人にぶつかってしまった。その人はすらっとしているけれど咲ちゃんよりずっと背の高い男子で、どうしたって咲ちゃんが吹き飛ばされてしまう。
廊下で尻餅をついた咲ちゃんを見下ろし、ぶつかった男子はすっと手を差し出した。
「おい、平気か?」
「あ、ありがとうございます」
咲ちゃんが手を重ねたら、男子は難なく彼女を立ち上がらせた。勢い余って咲ちゃんが一瞬浮き上がるくらい……と、思ったら、ちょっと彼は怒っているらしい。
「で。俺に何か言うことは」
「ぶつかってごめんなさい……」
男子がプラーンと咲ちゃんをぶら下げながら、思い切り眉間に皺を寄せて凄んだ。咲ちゃんは怒られてしょぼんとしている犬のようだ……。
「フン、すぐに謝るくらいの頭はあるんだな。だったら廊下を走るな。人に当たって怪我をするのはお前の方だ」
言い方がキツイけれど、言っていることは正論だった。咲ちゃんは小さくて軽くて、ぶつかったら大体吹き飛ばされるのは咲ちゃんの方だろう。
言い方がキツイけれど。
「ごめんなさい……」
咲ちゃんは涙目だ。たぶん頭の中の何割かは「今の間に桃プリンが売り切れていたらどうしよう」という絶望もあるだろうけれど、彼女は基本的に悪いことをしてしまったらキチンと謝るし後悔もいっぱいする子なのである。
咲ちゃんを叱った男子は、涙目の咲ちゃんに一瞬たじろぎ、ポケットの中を探ってハンカチを取り出した。
「おい、その程度で泣くな。俺が泣かせていると思われたらどうするんだ」
いや泣かせているのは実質あなたですよ? なーんて言っても、彼は言い方がキツイけれど間違ったことはしていない。
しかもハンカチを渡してくれる紳士ぶりである。普通の男子ならそんなことできない。
女子も羨むサラサラの髪、日の光が当たれば天使の輪ができるそれはほんの少し緑がかった黒。切れ長の瞳に細身のメガネは、仕事のできる男の象徴。メガネを付けても美青年、外しても美青年の、ギャップ狙いとかどうでもよくなる神の与えたもうた造形。
何を隠そう、彼はゲーム「花咲く日常」の攻略対象者さんである!
隠してもないけど!
そう、これは生徒会副会長の閖里出雲との出会いイベント。咲ちゃんの鬼走りっぷりを見ていて、彼とのイベントが発生しない気がしたんだけど、まさかの曲がり角での衝突だ。しかも。
「ふくかいちょー、どこにいるんですかぁー?」
「一緒にご飯食べましょうよ〜!」
どこからか聞こえてくる声に、副会長さんは顔を顰めた。ハンカチを受け取って涙を拭く咲ちゃんは、ぐぅっと男泣きみたいになっていたけれど、副会長さんの顔を見て首を傾げた。
「おい、お前」
「何でしょう」
「今すぐここを立ち去れ。ハンカチは洗って返せよ」
私は彼の言うことの意図がゲームから察せられたけれど、咲ちゃんにとっては突然すぎてビックリだろう。それと、おそらく咲ちゃんは彼を認知していない。生徒会副会長挨拶の間寝てたに違いないからね!
「え、えっと、お名前は」
「……? 俺を知らないだと? まあいい。俺には多少なりとも好意を抱く奴が多くてな。やっかみを受けたくなければさっさといなくなることだ」
俺と二人きりなんて滅多にないぞ。なんて付け足した副会長さん、自意識過剰のナルシストとかじゃなくて、本当にそうなのだからやっていられない。
――そう、しかも、ゲームのイベントだって、本当は彼の取り巻き付きで起こるものだったのだ。
廊下にたむろする取り巻きのせいで道が塞がれていて、咲は先輩に対してでも動じることなく「通らせてください」と言う。その時副会長さんとは「顔見知り」程度になる。
その後副会長ルートに進むと、取り巻きからのいじめだの何だので咲がちょっと泣いてしまうのだけれど、そこで初めて彼はハンカチを取り出し、そっと彼女の頬を拭うのであった――。
現実はそうはいかないけどね! というより副会長さんの取り巻きが咲ちゃんを万が一いじめたら頑張って祟ってやるけどね! ……とは言ってみるものの、私は十数年間善良な幽霊ライフを送っているので、祟りとか呪いは起こせません。あなや。
つまるところ、確かに副会長さんに出会った訳だけれど、内容は私が知っているようなものではなかった。でも、フラグが折り切れた訳じゃない、どころかむしろ良い(?)のではないだろうか! 私はちょっとテンションが上がっている。
ありがとうございました、と言って走る咲ちゃんは、後ろの様子が気にかかりながらも凄まじいスピードで学食に向かったようだ。
「……そういえば俺のことを結局知らないままじゃないか、あいつは」
あっ、そうだね!? でもそれ、副会長さんがまあいいとか言って流したせいだと思うよ! なんてツッコミを入れるのも、私しかいなく。
「まったく……。一年だろうな。後で探すか」
あのハンカチが返ってこないのは惜しい。などと言う副会長さんのハンカチは、確かに安物ではなかったような。もしかして副会長、ブルジョワなのだろうか。そこまでゲームは家事情にツッコミ入らなかったからなあ。
取り巻きに見つかった副会長は、あっという間に連れ去られていった。たぶんどこかでまとまってお昼を食べるんだろうなあ。取り巻きが交代でご飯を作っている、という時もあったような、なかったような。
とりあえず、これからもう一つ。見届けるために……ついでに、咲ちゃんが本当に桃プリンを手に入れられるかも確認しに。私は学食まで飛び始めた。
「うらああああ!」
……やっぱり、確認しなくて良かったかなあ。私は学食の光景を見て、目を覆った。咲ちゃんが、最近多い奇声を上げて、学食の列に突っ込んだのである。ああ、乙女よ、どこにいった。
全身で酸素を吸い込む咲ちゃんの前に、ふっと影が立った。ああ、やっぱり心配要らなかったな……ちょうど咲ちゃんが最後尾になったのは、ヒロイン補正なのだろうか。
「……お前が最後尾か」
低い声で、おどすようにささやく男子生徒。尋ねられた咲ちゃんは、
「わ、たし、でっ……。最後です」
咲ちゃんのすぐ後ろには、「桃プリン完売」のカードを持つ学食のバイトさん。
「……ゆずれ」
「嫌です」
即答する咲ちゃん。しかし、「ゆずれ」って実際に聞くと横暴だよね。本人にそういう意図は含まれていないんだけれど。
ちなみに、「咲」は五十公野先輩に桃プリンを贈呈したいため、必死に最後尾を守ろうとする。咲ちゃん? うん、見ての通り自分のためだよ!
無言で、列の間に入り込もうとする男子生徒。それをさりげなく阻止する咲ちゃん。二人の間で、静かな緊張。……これなんてお菓子アニメ?
彼は、しばらくしてから、諦めて壁際に寄った。じっと、桃プリンの看板を見ているけどね。そんなに食べたかったのか、無理もないけど。なんてったって、周りから「あの会長を退けたぞ、一年……」と、感嘆の声が上がるほどだ。生徒会長は、お菓子の番人。
またの名を、千年涼。あれ、順番違った? 「またの名」って普通、お菓子の番人の方だな。まあとにかく、千年会長はお菓子と仕事に生きる人として有名なのだ。そして攻略対象さん。
今のは、出会いイベントです。うん。まだ終わってないけど、この咲ちゃんは続きは無理かも。ずっと壁際にいる会長さんが、あんまりしょんぼりしているものだから、「咲」は桃プリンを会長さんにあげるのだ。放送さんには何か別のものを見繕おう、と決めて。
咲ちゃん? 自分が食べたくてしょうがないのに、人に譲る気がしないよ!
息も切れ切れで、壁際で心なしか髪の毛がへにょっとしている会長さんを視界に入れる余裕すらないからね!
と、思っていたら。
「……おおう……!」
咲ちゃんが、ある一点を見つめて感動している。何があったのやら? と彼女の視線をたどると、そこには「桃パン」なるものが。
咲ちゃんはしばらくうんうんとうなり、レジの会計で、
「桃パンと桃プリンを一つずつ」
「合計千円になりまぁす」
桃パンを頼むかどうか悩んでいたのかな? 高いものね。そう、楽観的でいたころもありました。
咲ちゃんは、なんと会長の元へ歩きだしたのである。何をするつもりか、と、周りの人と一緒に息をのんで見守っていると。
「はい」
「……ん?」
なんと咲ちゃん、桃パンを取り出した袋を、会長に押しやった。
「……桃プリン?」
そう、桃プリンが入った袋を。まさか、まさか、咲ちゃん!
会長さんに、桃プリンをあげるのか、一体どういう心積もりで!? ハラハラしながら見ていると、咲ちゃんは胸の前で手を組み、目を輝かせながら話し始めた。
「私は……出会ってしまったのです。運命の相手に! そう、桃パンは私を食べてと、照明を一身に浴びながら叫んでいたのです。私は桃パンを食べなくてはならない。しかし」
そこで言葉を切って、咲ちゃんは会長を睨む。
「お金がない」
会長ははっとした。……いや、なんで?
「いいですか、某先輩。あなたに、この桃プリンを食べる使命を与えます! んで、プリンの代金をください」
「……承った。プリンは……七百七十七円だな」
会長のだした小銭を、うやうやしく両手に収める咲ちゃん。二人は同時に笑った。
「「菓子に栄光あれ」」
二人が去ってからも、学食の空気は固まっていた。私も固まっていた。あれは、一体、なんだったのか。乙女ゲーじゃないよね、なんか料理とかお菓子をめぐって争うドラマだよ。そして、今、千年涼と江上咲の間で熱い友情が……!
なんでやねん!!
ちなみに、私は関西人だったことはない。念のため。
常に無口無表情の会長が、いきなり出会いイベントで笑ったのは別にいい。むしろ良い。普段絶対笑わない人の笑顔ほど、破壊力のすさまじいものはないのだから。くう、会長さんの笑顔が見れるタイミングが早すぎる。嬉しいけれど。
でも、それってなんかこう、違うでしょ! 歴戦の勇者が互いを讃える雰囲気で発動するものではないでしょ! 全く恋愛に進む予感がしない!
咲ちゃんはどうやら、恋愛フラグを思い切りぶっちぎり、お菓子ドラマフラグを打ち立てたようです。謎すぎる。
[ちょ、ちょっと整理しよう]
幼馴染くん。咲ちゃんの見事な兄貴分へと成長。ゲーム開始時点で既にフラグなどぶっちぶち。
放送さん。咲ちゃんに対し「面白い」発言。とりあえずナンパする女の子対象になってない。たぶんフラグはぶっちぎれてる。
副会長さん。ちょっと違うけれど無事に出会った気がする。しかもハンカチをゲット。これは接点ができるに違いない。そう信じてるよ私は!
会長さん。咲ちゃんとお菓子を讃える仲間になった。咲ちゃんはお菓子をくれた優しい女の子じゃなくて、共にお菓子を愛する同士である。フラグなどとうに無い。
副会長さんだけじゃないか!
本当はもう一人、ちょっと時期がずれて登場するけれど、彼のルートは「花咲く日常」にしては家族ぐるみに物語が発展していってどシリアスなんだよねえ。咲ちゃんがどうにかできるかっていうと、おそらく、性格的に合わない。
ゲームの展開がどうとか、どうでもいい(本当ならせっかくだしキュンキュンするイベントを見せてほしいけれど!)。でも、でもだよ! ちょっと不安になるんだ。
咲ちゃんは、素敵な恋人さんを見つけることができるのかって!
咲ちゃんはいい子だ。そりゃあまあ、ちょっとというか、突拍子もないことしでかすけど、人のことをすっごい大事にする素敵な女の子なんだよ。こう見えて家庭的なんだよ!
だから、いつかはきっと大丈夫! って思うけど、けどだよ! なんだかんだでゲームと似たように出会いイベントが発生しているのに、ヒロインたる咲ちゃんが何の成果も得られませんでしたって悲しいじゃないか!
ふ、副会長さんに期待するしかないのか……!? それとも折れたフラグが瞬間接着剤で修理される可能性に賭けるしか……!
咲ちゃんの今後を思い描きながら、私は宙をグルングルン回ったのであった。うう、酔う。