ぶっちぎれ!序章っ
――春。新しい命が芽吹き、可愛らしいつぼみが花弁を開き、新しいことばかりの素敵な季節。白塗りの壁は、桜に縁取られたよう。風に揺れて春が音を立てる。
少女は、真新しい門を前にして、期待に胸を躍らせる。彼女は、そっと手を広げ、春の空気を堪能した。
「これから、高校生なのね」
なんて、感慨深げに言ってみたり。
そんな彼女をぼうっと見ていた少年は、その声を聞いて、はっと我に返るのだ。
「……早く、行こうぜ」
そう声をかけると、彼女は顔を緩めて、
「ごめんね、待たせちゃって」
彼は、見とれていたなんて言えずに、ぶっきらぼうに言う。
「……別に」
そう言って、さっさと歩きだす。少女は「待って」なんて言って、慌ててついて行く。長身の彼は、脚も長くて、少女はちょおっと小さいから、彼を小走りで追いかけなければならない。
優しくてロマンチストな少女の、ステキな高校生活が、今、始まるのだ――。
――だった、はずなんだけどなあ。私はそんな始まり方を夢想していたのだけど。
「桜っ! 団子を美味しくする、極上の調味料……。ああ、花見するしかない」
かっと目を見開いて叫ぶ少女の目には、満開の美しい桜が映っているのだろう。しかし、言葉はなんだか残念だ。彼女を呆れて見ていた少年が、彼女の肩をぽんっと叩いて、
「早く行くぞ、咲。入学式始まっちまうから」
「ふおぅ、もうちょっと妄想しても……待って待って!」
彼について行くために、少女は小走りで駆けていく。彼女の二つに結んだ髪が、ふわりと揺れた。
彼らがフェードアウトしてから、私は大きなため息をついた。肩もガクッと落として。なんて残念なプロローグ。主人公ちゃんは早速ぶっちぎってしまったようだ。……まあ、すでに幼馴染くんの反応からして、無理なのは分かっていたけどさ。
私は、すうっと滑り出し、二人が消えた方へと向かった。
彼らが入る芽吹丘市立桜庭高校。ここはとあるほのぼの乙女ゲームの舞台だったりする。そして私は、その乙女ゲームをしていた前世持ち。
え?脇役なのでしょって?そうだよ、私は、ゲームの背景にも映らないほどの脇役だ。そして、傍観しようとしたらいつの間にか主人公ポジション?いやいや、違うよ、絶対そうはならない。
なんでって、私は幽霊だからです。壁も通り抜けてしまう、実体なき幽霊さんなのです。ちょっとオーバーなため息も、見られて恥ずかしいことはない。見る人、そもそもいないし。
私は咲ちゃんとは、一方的に十年来の付き合いだ。咲ちゃんが五歳の時、記憶障害で入院していたところを見かけてから一緒にいる。なんだか同じにおいがするからだ。……そう、咲ちゃんも、私と同じく前世持ちなのである。
前世持ちで、ゲームの主人公。そんな咲ちゃんをずっと見ていたけれども、彼女はとにかくスポーツ、食べ物、外遊び、お菓子、と頭の中はそれらで一杯。五歳まで――前世の記憶がなかったころ――の方が、もう少し女の子らしかった――ということを、咲ちゃんの家族が嘆いていた。
咲ちゃんはあのゲームの主人公とは違うけれど、とても優しい子だとは思う。今の彼女も、家族から愛されているし。
私は、先にいなくなった彼らに追いついた。
「食べ物のにおいがする……」
「……入学式終わったら、行けばいいだろ。ほら……そっち行かない、会場こっちだから」
……うん、幼馴染くんからも愛されているよ。しかし、彼の咲ちゃんに対する感情は、恋愛ではなく親愛。手のかかる妹を宥める兄のごとく。
「お腹空いた……」
「まだ一時。さっき昼飯食べただろ? 入学式終わるまで我慢しろって」
自分より随分と小さい咲ちゃんの頭を、ぽんぽんと叩くように撫でる。おお、なんて柔らかな笑み。ゲームだと入学式時点では仏頂面なのにね。
「入学式が何時間あると思ってるの。しかもまだ始まってもいない! 死んじゃうよー」
ムンクの叫びをする咲ちゃんを見て、幼馴染くんは苦笑した。私も苦笑い。咲ちゃんは、三十分口に物が入らなければ「死んじゃう」って言うからね。
「ほれ、進め」
幼馴染くんは、咲ちゃんの結ばれた髪をひと房掴み、引っ張って連れていく。
「にゃー! しょーくん、そこ引っ張らないで、痛い!」
「じゃあ自分で歩けー」
ふより、と浮かんで、私もついて行く。引っ張られて頭の皮膚が痛むのか、咲ちゃんは涙目だ。私はそっと彼女の頭を撫でた。彼女は触られていると感じていないだろうけれど。
ぜひとも、これから起きる出来事を、ぶっちぎらないで欲しいな。そう思うけれども、たぶん無理だなあ、だって咲ちゃんだし。
入学式中爆睡していた咲ちゃんは、もちろんクラス分けの紙も見ていない。どの教室に入るかうろうろしていた咲ちゃんは、いきなり後ろから肩を叩かれ、飛び上がった。
「やっぱり、クラス分かってなかったんだな。俺と同じ、四組だから」
そう言って、咲ちゃんを案内する幼馴染くん。彼は見目がいいので、さっそく他の女の子達から注目されていたりする。対して咲ちゃんは、かわいいのだが幼馴染くんとのやり取りのせいで、小動物を見るような目で見られていた。うん、小動物ってのがぴったり。彼女、身長はたったの百四十センチメートル。お腹空いたと叫ぶ姿、ぴょこぴょこ揺れる髪はうさぎの耳みたい。
咲ちゃんが幼馴染くんに噛みついている姿は、何回見てもつい頬が緩む。彼は百八十センチに届こうかという高身長。差が、頭二つ分くらいはあるものなあ。
そうこうしているうちに、教室へとたどり着く。すでに四組は、咲ちゃんと幼馴染くんを除いて、みんな着席していた。
「遅いぞ。そんなルーズだと置いて行かれるからな、二人とも。……ええと、菊地将也と江上咲」
ゲーム通り、担任は女の先生。この先生はなかなかの人気を誇る脇役キャラだった。先生の言葉に幼馴染くんは苦笑いで、すみませんと小さくこぼす。咲ちゃんも慌てて頭を下げた。
「すみませんっ、クラス分け見ていなくて……。(学食が)楽しみで、つい忘れていて」
咲ちゃんが早口で告げると、先生は破顔した。
「そんなに(学校生活が)楽しみだったのか」
……二人の間で、何か情報伝達が失敗しているみたいだけど、仕方ないか。咲ちゃんと幼馴染くんは、自分の席に腰を落ち着かせる。二人の席は隣同士だ。
ああそうだ、もう幼馴染くんと呼ぶのは可哀想だ。彼は菊地将也くん、咲ちゃんの幼馴染である。恋心は五歳なりに持っていた時期があったけど、咲ちゃんの性格が豹変してから、その心は兄のようになってしまったんだよね――ということを、おばさんが井戸端会議で話しこんでいた。
先生は教室をぐるりと見渡し、よく通る声で生徒達に話しかける。
「……これから一年間、このクラスで過ごすことになる。高校生になって、どうなるのだろう? そんな風に不安に思っているやつもいるだろうな。まあ、その時は先生に相談してくれ。これでも二十年前は花の高校生だったからな」
真顔で言うものだから、みんな笑ってしまう。
「……おい、笑うな。まあ、部活もある、委員会もある、行事だってたくさんある。楽しいだろうから、不安なんてぶっ飛ばせ。大丈夫だ、お前らこの高校に憧れて入って来たんだろう? ならば憧れの生活、思い描いていた日々を思う様に過ごすんだ。何とかなるからな。
と、この辺にしておいて。自己紹介からだな。誰か、私の名前分かるか?」
何人かが手を上げる。その中に咲ちゃんがいてほっとした。なぜなら……。
「……では、遅れた生徒から聞いてみよう。なんだ、江上は知っているのか。じゃあ菊地」
突然回ってきて、将也くんは目を丸くする。うむ、むずがゆいな、幼馴染くんでいいや。幼馴染くんは、びっくりしつつも答えた。
「えいだ先生、ですよね……」
少し自信無さ気に答えている。けど、よくやった幼馴染くん、大正解だ。さすが咲ちゃんのお兄ちゃんだね! ……なんて、面と向かって言えば怒りだすだろうなあ。
ゲームだと、咲ちゃんが当てられて答えるんだけど、今は代わりに幼馴染くんが答えた。ちょっとした違い。この程度はたいした違いではないのだけど、本当に咲ちゃんは知っていたのかな?
「咲、先生の名前知ってたのか……」
感心したようにささやく幼馴染くんに、咲ちゃんは小さな胸を張った。
「ああいうのは、手を上げていない人に当たるって相場が決まっているんだよ。いやあ、成功して良かった」
案の定、咲ちゃんはダメ人間だった。入学式で爆睡していて、先生の紹介なんて見ている訳がなかったね。幼馴染くんも額に手を当てて黙りこんでいる。
二人の密談にも気付かず、先生は自分の名前を黒板に殴り書きした。
「まあ、こう書いて『亜田』だ。読み方が特殊なんでな、漢字は覚えても覚えなくてもいい。名前は『泉』。担当は英語、陸上部の顧問をしている。ぜひ陸上部に入ってくれ」
もともと陸上部に入るつもりだったのか、数名、この先生で良かった、とぼそぼそ嬉しがっている。
あと、この先生、結婚してるんだよね、ナイスミドルと。子供はまだいなかったはず……。
「それと後はそうだな、今十歳の男の子と十五歳の女の子がいる。もう、可愛くてな……」
二人も子供がいるとは、驚いた。ゲームとは違うのね。まあ、咲ちゃんという大きな例外がいるけれど、こういうところで違うとは思わなかったなあ。まあ、年齢からして、すでに子供がいてもおかしくないのだけどね。
亜田先生は、ひたすら子供自慢をしてから、
「……はっ。つい話し過ぎた……。では、今度はみんなの自己紹介だな。まずは青井」
出席番号順の自己紹介。みんな、好きなこととか、入ろうと思ってる部活とか、無難なことを言っているね。咲ちゃんはというと。
「八番、江上咲です。好きなことは食べること、お菓子関係の部活に入ろうと思っています。趣味は菓子作りです。特技はチャーハンを炒めること。嫌いなことは食べられないことです。苦手な教科は英語です。よろしくお願いします」
どうしてだろう、無難なことを言っているはずが、すごく目立つ紹介だ。幼馴染くんも目頭を押さえている。私も君も、苦労が絶えないね。君の方が大変だろうけど。
間違ったら「この子、大丈夫?」と引かれる自己紹介だったけど、咲ちゃんはもともと可愛いし、しかも「食」についての話ですごく目を輝かせるから、そんな子なんだ、って感じで自然に受け入れられた。……これで咲ちゃんがハブられたりしたら、私が寂しい。本当に良かった。
「十四番の菊地将也です。スポーツは何でも好きです。陸部に入ろうと思います。趣味は裁縫です、よろしくお願いします」
幼馴染くんは運動神経がいい。咲ちゃんもだけど。そんな彼は陸部でエースになる――予定。ゲームとは違くなるかもしれないからね。そして、最後の趣味については、「何でもできるんだ~」って感じで女子が目をキラキラさせている。すごい、もう人気か、幼馴染くん。
「お前、もうちょっとどうにかならなかったのか?」
こつん、と軽く頭を叩く、幼馴染くん。叩かれた方は、頭を押さえながら、
「全部本当のことだもん。いいじゃん、これでみんなが調理実習の時に頼ってくれるかなあ、っていうステキな打算もあったんだから」
「打算って……。まあ、咲がつくるのは美味いから、みんな喜ぶだろうな」
「えへへ」
美味しいと言われてはにかむ咲ちゃん。彼女はなんでこんなに、見ていて癒されるかな。ゲームの「咲」は、すごく優しくて乙女で、可愛かったけれど、それとは違う可愛さを持つんだよな、咲ちゃん。
ゲームと現実の違いか……。今回びっくりなのは、幼馴染くんのスキンシップだね。本当なら、咲ちゃん見るとアガっちゃって、全く話せないのに。咲ちゃんとは恋仲になりそうにないけど、今の二人の関係も、素敵なんじゃあないかな。