第七話
夜空に浮かぶ白銀に輝く月。
その形は完全な円となっており、見ていて飽きることはない。
ユウトはそれを窓越しに、ベットの上に座りながら眺めていた。
ひんやりとした風が、ユウトの身体を撫で、月光が顔に直射する。
その中でユウトは、ぼんやりとした思考を巡らせながら、この数時間の事を辿っていた。
この村──《ヨールド》の村長は、探求者を受け入れることには最初は断固反対した。
だが、この《夢の世界》でも屈指の実力を持つらしいリーシャとローザが口をそろえて要求したところ、その村長はかなり渋ったものの最終的に、受け入れることを了承した。
《ヨールド》の村の人々の反応はまちまちだった。
酷く《探求者》に怯える者もいれば、普通に接している者もいる。
大変だったのは、《探求者》の方だった。
喚き散らすものが大半で、中には目の前で魔物に人間が殺されたのを見たため、精神的に不安を抱えている者もいた。
さらには、ユウト、リーシャ、ローザがここが《アリスが行った夢の世界》だと、説明しても信じないものが多く、誘拐犯と間違われ『今すぐ、家に帰せ!』と怒鳴る者もいた。
そして、最後にリーシャとローザが探求者の目の前で魔法を披露し、ようやくここが異世界であるという事を信じさせることが出来た──が再び、帰れない可能性が浮上してきたため、泣くものも少数、現れた。
それを三人で宥め、ようやく沈静化したところで今に至っていた。
頭上に君臨する月は、ようやく頂点へと上りつめようとしていた。
月光が辺りを照らし、穏やかな風が、背丈の低い草をなびかせる。
眠れないユウトは、ベットから抜け出し、その月の下で歩いていた。
辺りはすっかり暗闇で覆われ、その暗闇はユウトに六年前の逃走劇を彷彿とさせた。
心は晴れることなく、得も知れないモヤモヤがユウトの中を渦巻く。無意識に、ユウトはぼんやりと自分の意識を思念の渦に埋め、この《夢の世界》に来てからの記憶を辿った。
記憶を辿ったユウトの脳裏に浮かぶのは、リーシャの一挙一動だった。
自分を《ゴブリン》の群れから助けてくれた後に見せた、悲しそうな表情。度々呟く、悲痛に満ちた声。大人のようで、子供のような態度。鬼気迫る姿と脆く、儚い姿。
いったい、どれが本当のリーシャなのかユウトには計りかねた。
そして、ユウトの脳裏に最後に浮かんだのは、数時間前リーシャが叫んだ光景だった。
『……ユウトにはわかんないわよ! 理不尽な力を持ってると、どうなるかなんて! どんな風に見られるかなんて! わ、私は……私はね……』
理不尽な力。
だが、リーシャはそんな力を持っているようには思えなかった。
確かに、リーシャは強い。仮に、今まで自分の目の前で見せてきたのが実力の片鱗だとして、この《夢の世界》でも頂点に君臨するほどの力を持っていてもおかしくない。
だが、所詮それまでなのだ。
あくまでも、それは常識内範疇の力なのだ。
理不尽の力と言うのは、人々から《化け物》と恐れられるような人間が持つようなもの。
そう言うのであれば、この《夢の世界》を百八十度狂わせたアリスが使う《夢の法則》のようなものだ。
この《夢の世界》には魔法や魔力のような異能の力があるが、《夢の法則》を決して超えることは出来ないだろう。
それほどまでに、《イメージ具現化》が強力だからだ。
思考を巡らせるユウトは、無意識の内に歩を進めた結果、村と森の境界にさしかかったことに気付いた。
薄暗い森が、ユウトの目の前に立ちはだかり、進路を変えるか迷っていると、背後から声が聞こえた。
「私は、その先に行くことをおすすめするわ」
振り返ったユウトの視線の先に居たのは、黒色の髪の麗人だった。まだ、装備を解いていないのか、まるで今から《戦い》に赴くような格好だ。
「……一応聞いときますが、何でですか? ローザさん」
ユウトの声に、ローザは微笑を浮かべ応える。
「この先に、リーシャがいるのよ。まだ、あんた達、仲直りしてないんでしょ。なら、早く行きなさい」
「……なんで、そんなことを教えてくれるんですか?」
ユウトは、微かに驚愕を含ませながら尋ねた。
六年前から、人の優しさにほとんど触れたことがないユウトにとって、ローザの気遣いは疑問しか生まなかった。
その疑問にローザは、ぱちくりと瞼を瞬いた後、顔に苦笑の色をにじませた。
「……そうね……二人とも私のお気に入りなのよ……だから、かな」
「……オレも……ですか?」
ユウトはローザと今日初めて会い、一緒にいた時間は半日程度しかないのだ。そんな自分を、何故気にかけてくれるのか。
「そう、ユウト君もよ」
にっこりと笑みを浮かべながらローザは答えた。そして、さっと行きなさい、と言うようにしっしと手を振る。
それに促されユウトは、薄暗い森に向けて一歩足を踏み出し──振り返った。
「ローザさん、一つ質問いいですか?」
「……いいけど、どうしたの?」
振り返るユウトに、ローザは怪訝な表情をしながら応えた。
「ローザさんが《リスト》の街で言ってた、リーシャがオレを弟子に選んだ理由って何なんですか?」
「……よく覚えてるわね、そんなこと……あれはね、そう、似ていたからよ。あなた達、二人が」
「似ている?…………オレとリーシャが?」
そんなはずもない。
むしろ正反対と言っても良い。
強さ。美貌。何もかも揃っているリーシャと弱く、醜く生きてきた自分。
その溝は、海より深く、山よりも高い。
だが、ローザはこくりと頷いた。
「そう、似てるわ……過去のことを引きずったりしているところとか。特に、瞳とか」
「………………瞳?」
「あなた達、二人とも心の奥底で何かを求めている……二人の瞳は、それをずっと探してるのよ……それが何かは分からないけどね」
最後は苦笑交じりで、ローザは言った。
俺が求めているもの。それは、いったい何だろうか。
しかもそれは、同時にリーシャも求めているものなのだ。
リーシャと正反対だと思っている以上、それは見当もつかない。
夜遅いから早く行った方が良いわよ、というローザの声に、ユウトは頭を下げ、今度こそ薄暗い森の中に向けて歩みを進めた。
薄暗い森の獣道を単身で歩くことは、ユウトが孤独であることを、ありありと示すようだった。
吹き付ける風が、木々の葉をがさがさと揺らす度に、条件反射のように、ユウトの身体がぴくりと震える。
目の前から、いつお化けが出てきてもおかしくない状況に、思わずユウトは剣の柄を握り締めた。
お化けに物理的攻撃が有効かは分からないが、出てきたら斬ってやる──とやや物騒な考えを巡らし始めた頃、突如、幻想的な光景が視界に入った。
湖。
薄暗い森の中にそれはあった。
天空から月光が降り注ぎ、湖全体を照らし出す。
そして、その幻想的な光景をより輝かせているのは一人の少女だった。
その桜色の髪の少女は、湖のほとりで佇んでいた。その光景に何の違和感もなく溶け込み、それはまるで一枚の絵画のようだった。
ユウトは息をするのも忘れ、その姿に見惚れた。
不意にその少女──リーシャがゆっくりと振り向いた。
振り向く瞬間、桜色の髪が空中を舞い、月光に反射し、きらきらと光り輝く。
やがてその視線が交錯し、お互いに見つめ合った。
が、それも数秒間のことで、その視線に気まずさを覚えたユウトは、そっと視線を地面に落とした。
何か言わなければならない。
そんな思いに駆られたユウトは、口を開く──が、それよりも先にリーシャの震え、弱弱しさを感じさせる声がユウトの聴覚に触れた。
「……私の異名は《鬼神》って言うの……ローザの《女王》よりもずっと醜く、畏怖されてきた名前……」
その声は、まるでユウトに何かを伝えようとした決意を示したものだった。
当然、ユウトはリーシャの言葉から文字を推測することしかできない。
だが、ユウトには《キシン》にどのような文字が使われるのか、はっきり理解できた。
「……どうしてかわかる?」
その質問が、ユウトに投げかけられたものだと、把握するまで数秒を要した。
それほどまでに、自然に投げかけられたものだった。
鬼の──神様。
確かにリーシャは戦闘中は鬼気迫るものがあるが、間違ってもそれだけで、そして十代の女の子につけられる名前ではない。
考えても分からなかったユウトは、降参の意を示すために首を横に振った。
それに、未だ視線をユウトから外すことなく、リーシャは自嘲気味に微かに笑った。
「……それはね、私が千体の魔物の群れをたった一人で全滅させたからよ……十歳の時にね」
「で、でも、それは無理なはずだ! 今日のでも、百五十はいなかったし、それも全滅じゃなくて、追い返しただけだ……なのに、それを十歳の時にやるなんて──」
──異常だ。
その言葉をユウトは飲み込んだ。
ようやく、話が繋がったような気がした。
リーシャが言った理不尽な力の理由がそこにあるように感じられた。
果たして──ユウトの推測は当たっていた。
「……そうね、確かにユウトの言う通り、そんなこと、今の私が全力で戦っても普通なら出来ないわ」
「……なら、いったいどうやって……?」
「……今から六年前、私の村が突然、沢山の魔物に襲われたわ。それも千体近くの数にね……そして、その村には魔物と戦う術を持っている人はいなかったの」
突然のリーシャの独白にやや戸惑いながらも、ユウトは耳を傾けた。
「その時はひどかったわ。目の前で次々と知りあいが、親しい人が、そして家族が魔物に一方的にやられていった」
その虐殺の光景がまるで、目の前で行われているかのように、ユウトには鮮明に想像することが出来た。
悲鳴。必死に助けを求める声。魔物の咆哮。
なぜ、とっくに心が折れてもおかしくないのに、それらを聞いてリーシャが戦場に立つことが、戦うことが出来るのかユウトには不思議でならなかった。
「……私は必死に祈ったわ──『どうか、私にみんなを守る力を下さい』って。そうしたら、本当に神様が助けてくれたのよ」
「…………神様…………」
「そう、神様よ。ユウトも神殿で偶像を見たでしょ。あの偶像のひとりに数えられる神──この夢の世界とあなた達、探求者がいた世界との狭間に存在し、全てを記録し、二つの世界の安寧を目指す神──《観察神》よ」
「……それで、神様に会ったことがあるって言ったのか……」
ユウトは得心したように、声を漏らした。
それに、リーシャはこくりと頷き、続けた。
「……私は力を《観察神》に貰って、何とかその魔物を殲滅した……だけど、魔物を殲滅した私に待っていたのは、村の人達の感謝の言葉でも、ねぎらいの言葉でもなかったわ……」
それ以上はリーシャが言わなくても容易に想像することが出来た。
たかが十歳の少女がたった一人で魔物を追い払った。
しかし、その少女は、周りからしたら恐怖の対象でしかない。そんな少女に畏怖を込めて付けた異名が──。
「……《鬼神》というわけか……」
ユウトは目の前にいる桜色の髪の少女を見つめた。ユウトはこの少女のことがようやく分かったような気がした。
《鬼神》などといった仰々しい名前が付いていようと、中身はただのか弱い女の子なのだ。
ただ強くあろうとしただけで、本当は脆く、儚い存在。
だが、どちらもきっとリーシャ・リデルという人間なのだ。
そして、同時にユウトにはリーシャの一連の行動を理解したように感じられた。
強くなる資格をユウトに求めていたのは、力の方向性を見失わないため。
強大すぎる力は時に、たとえ人を守るために使っても敬遠されてしまうものだから。
力を追うものは、それ相応の覚悟が必要だからだ。
しかし、ユウトは《ゴブリン》の集団から助けてもらい、リーシャの力の一端に触れたとき怯えてしまったのだ。
それはきっと、リーシャが魔物から村を助けだした時の、村で見た人々の反応と同じもの。
リーシャはそっと目を伏せ、尚も続けた。
「……それからはずっと、ずっと、一人ぼっちだった。村の人に話しかけても、みんなは、わ、私の顔を見ると……すぐに逃げ出して……最後は家族すらも、私のことを……無視するようになって……」
そこでいったん言葉が途切れた。
リーシャを見ると、暗闇のためはっきりとは分からないが、その瞳が濡れているようにも見えた。
「……私は自分が怖いの……私が持っている力が私に制御できなかったら……私は守ろうとしたものも、大切に思っていたものも、この手で壊したいと思ってしまうかもしれない。感情に流されるままに破壊するかもしれない」
リーシャの手が胸の前でギュッと固く握られる。
「……でもね、私はこれを当然の代償だと思ってるの……無力だった私が理不尽な力を望んだ代償。滅んでしまう運命を捻じ曲げてしまった代償なのよ」
何も言えなかった。
そんなのは間違っている。
そう、言えればどんな楽だろうか。
だが、得るものがあれば同時に何かを失うものなのだ。
霧神流を習得したユウトが、高城に数々の暴行といじめを受けたように。
その時、リーシャの震え、脆く、そして慈愛に満ちた声がユウトの聴覚に触れた。
「……だからね、ユウト。あなたは、正しく強くなって……」
リーシャがにっこりと微笑む。
だが、その笑みはどこか苦しそうで──悲しみが混じったものだった。
本来なら、ここで何か言うべきなのかもしれなかった。
だが、何か言おうと口を開くたびに、心の奥底で『お前にはその資格なんかない』と、何度も頭の中で声が囁くのだった。




