第九話
村の中心。
空は徐々に闇色を薄めているものの、まだその色は抜け落ちない。
その中で、ユウトはローザの支配から逃れた村人と怪我を負った《探求者》を一度に集めていた。
ユウトの予想通り、ローザは魔物に《探求者》はなるべく痛みつけて、殺すように命じていたらしく、奇跡的に死亡者は誰一人としていなかった。
だが、傷は免れなかったらしく、中には五体満足ではないものいる。
リーシャが言うには、魔法で大部分の傷は回復できるらしいので大丈夫らしいが。
村の状態は酷いものだった。
大半の平屋は焼け落ち、破壊していた。昨日まで、普通に生活していたのが想像できないほどだ。
「……それで、リーシャに言われた通り、村人と《探求者》を真ん中に集めたんだけど、どうするつもりだ?」
ユウトの疑問に、リーシャは固い声で言った。
「……ここから、《リスト》の街に全員を転移するわ。発動してから、時間が少しかかるからけど、全国の魔物がここに来るまでは間に合うとは思うわ」
そう言うと、リーシャは静かに詠唱を始めた。
術者が魔法を使うためには、魔法の発動範囲の外側に居た方が使いやすく、リーシャとユウトは村人と探求者から少し離れた距離のところにいた。
リーシャが紡ぐ音はなぜか、どこか悲しく、決意を込めたものに聞こえた。
やがて、数秒でそれは完成し、あとは結句を残すだけとなった。
リーシャが説明するには、この状態は《発動待機状態》と呼ばれるものだ。
村人と《探求者》の集団がゆっくり青白い光に包まれていく。
ユウトはそれを確認するとリーシャの方に向き合った。
「さあ、オレ達も中に入ろうぜ」
だが、リーシャは俯いたままで、ユウトの声に中々反応しようとはしなかった。
たっぷり五秒かけた後、リーシャは顔を上げるとユウトを見て、にっこりと微笑んだ。
突然のリーシャの微笑みに、ぎこちなく笑みを返すユウトに、聞こえたのは予想外の言葉だった。
「ごめんね」
その言葉の意味を脳が理解するよりも早く、リーシャがユウトの背中をとん、と押した。
そのまま、身体をよろめかせたユウトは青白い光の内側に入った。
直後、魔法が完成し、完全に光がユウトを含む人々を包み込む。
外側にいるのは、リーシャただ一人。
「……リーシャ……?」
リーシャを見やり、問い掛けるが、リーシャはユウトから背を向け、青白い光の中に入ってくる様子はない。
不意に、リーシャが背を向けながら静かに呟いた。
「……私ね、この村に残るよ……」
「……何言ってるんだ……リーシャ」
ユウトの声に、リーシャの肩が僅かに震える。
続いて、発せられた音も震えたものだった。
「……魔物が暴れてるのは知ってるでしょ……誰かが、ここで足止めしないと確実に周辺の村に影響がでる……魔物が一か所に集まってくるときに殲滅するのが一番被害が少なくなるわ」
「で、でも……それは、別にリーシャがやらなくてもいいだろ!」
「私がやらないといけないの!」
リーシャが苦しそうに叫ぶ。
「……私が……やらなきゃいけないの……私には力がある。みんなを守る力がある……それが、私の使命なの。《鬼神》としての使命なの……」
「なら、なら……オレも残る! オレはリーシャの弟子だ!」
ユウトの叫びに、リーシャの肩がぴくりと震える。
直後、再び震えた音がユウトの聴覚に触れた。
「……だめ……それは、だめよ……これは私がひとりでやるの……」
「……何を言っているのか、わかってるのか? 今回は、千体なんかじゃないだぞ! ひとりで行ったら確実に死ぬぞ!」
「……そうかもね……でもね、戦いには犠牲がつきものなのよ……今回はたまたま私だっただけよ」
相変わらず背を向け続けるリーシャに、ユウトは叫んだ。
「オレは、まだこの世界のことを全部教えてもらってない! 魔法の事も戦い方もまだ何も教えてもらってない!」
叫びながら、ユウトは何度も青白い光を殴り続けた。
その光は強固で、障壁のようだった。
ユウトが殴るたびに拳から血が出る。
一度発動した魔法は発動途中では止められない、という事は知っていた。
だが、ユウトはそれでも殴り続けた。
「逃げんのかよ! オレの師匠になるって約束したんじゃないのかよ!」
「……ごめんね……」
リーシャの悲痛に満ちた声が、聴覚を刺激した。
いやだ。
そんなの、いやだ。
ここで、今生の別れになるなんて。
ようやく、変われると思ったのに。
リーシャと二人なら、ずっと欲しかったものが手に入ると思ったのに。
「ねえ聞いて、師匠の……私の最後のお願いを……」
「……いやだ……」
ユウトの口から掠れた声が出る。
それを聞いたら、リーシャが手の届かない遠くへ消えてしまうような気がした。
「お願いだから聞いて」
「……いやだ……」
子供のように呟くユウトに、リーシャは嗚咽交じりで叫んだ。
「聞いてよ!」
その声に、ユウトは押し黙った。
それを肯定と受け取り、リーシャは静かに続けた。
「……私ね、ずっと一人だったんだ。来る日も来る日も《鬼神》と呼ばれた私なんかに、近づいてくる人なんかいなかった……ずっと、世界が色褪せて見えた……この世界のことをにくんだこともあった……でもね、ユウトが来て変わったの。短かったけど、ユウトと居た時間は楽しかった……私ね、この力を貰って、今まで後悔したこともあったけど、もうしない……もう、この世界のことも憎まない……だってこの力のおかげで、ユウトと遭えたんだから」
そこでリーシャはようやくこちらを振り向いた。
そのきらめく漆黒の瞳からは宝石のような涙が流れ落ちていた。
その姿を見ながら、ユウトも嗚咽交じりの声で返した。
ユウトの瞳から溢れるように涙が流れ、視界を歪めた。
「……オレもだよ。今まで一番、リーシャといる時が楽しかった……」
その時不意に、リーシャがゆっくりこちらに近づいてきた。
歩くたびに、銀色の滴が軌跡を描きながら、地面に落ちていく。
そして、障壁をはさんでユウトとリーシャは手を触れ合わせた。
その障壁は熱も何もかも遮断するはずだった。
だが、確かにユウトは障壁越しにリーシャの温もりを感じた。
「だからね、ユウト。あなたは自分の世界に帰る道を探して……私がこの世界のことを憎めなくなったように、あなたもきっと自分の世界を完全に憎めないはずよ……それが、私の最後のお願い」
リーシャがにっこり微笑んだ。
しかし、その美しい顔には滝のような涙を流し、止まるところを知らない。
そして、リーシャは静かに囁いた。
さ よ う な ら
ユウトの視界を完全に、銀色の滴が覆い隠した。
嗚咽が喉から苦しそうに漏れる。
いやだ。
行かないで。
それらをユウトが言葉にする前に、一つの嗚咽が混じった叫び声が聴覚に届いた。
「転移!」
瞬間、青白い光が輝き、リーシャの笑顔が目の前から消え去った。




