第五話「バレンタイン」
私は朝早く起きた。
なんだか目が覚めてしまったのだ。
冷蔵庫の中にあるチョコレートを取りだして鞄の中に入れる。
「……大丈夫。いける」
私は自分に言い聞かせるようにして朝食の準備に取りかかった。
今朝はご飯に味噌汁だ。だいぶ家事にも慣れてきて、できるレパートリーが増えていった。
「おはよう」
「あ、おはよう」
彼が白衣に着替えて出てきた。完全に寝ぼけているのか何故か食器棚に頭を打ち続けていた。
「ごめんよー月美ーうわーもう薬局なんか行かないからー」
独り言なのか、夢の中なのか……。普段の彼からは考えにくい行動だった。
「ご飯できたよ」
「……おっ」
やっと目を覚ましたのか彼は席に着いた。
そして食べ終わって食器を片付ける。
準備が終わってから二人で家を出た。
「うわっ、寒い」
「そうだねー」
最近雪が降ったり暖かかったり。よくわからん。今日は雪が降っていた。
私はドアに鍵を閉めて家を出た。
私はそわそわしていた。今日、渡さなければならない。そう思うと緊張してしまう。
「おい、大丈夫か?」
「ひゃ!? う、うん……」
「そうか」
彼はいつもの通り白衣に眼鏡でどっかの学者みたいだった。いつも通りだ。……男として今日はそわそわする日じゃないのかな。
「今日は……うわっ」
彼は石につまずいて転びそうになった。……動揺しているな。
そして、いつも通りの日々がそこにあった。
退屈な授業は変わりない。
だけど、女子たちの話に変化はあった。
「えー? うそー、マジで? もう渡したのー?」
「うんうん、彼、喜んでた」
女子たちの話はバレンタイン一色だった。もちろん、私にも話が振られる。
「月美ー。彼に渡すの?」
「うん、そうだよ」
「え? マジで?!」
「あはは……」
「うわー、いいなぁ。渡す相手がいてさー」
彼の方をふと見る。彼は熱心にパソコンのキーボードをたたいていた。いつもよりバックスペースキーを押す回数が多いような気がしたけど。
そして下校時間になる。
彼が席を立った。心臓が高くなる。いいか、行くぞ――
「あ、の、さ……」
「ん? どうしたんだ?」
やばい! 緊張してうまく言葉が出てこない!
「きょ、今日この後部活行くの?」
「いや、今日は部長がミョウバン食べて腹壊したから中止だ」
一体どんな部長だ。
「じゃあ、この後公園行かない?」
「あー、うん」
彼は少し顔を赤らめてそういった。もう気づいているのだろう。私の意図に。
公園には誰もいなかった。
普段だったら沢山いるはずだが――まぁ、いいか。
私と彼はベンチに座った。
「それでね、今日浩太に渡したいものがあったんだ」
「過去形?」
「いやいやいや! あ、あるんだ」
緊張しているんだから! 突っ込まないで!
私は鞄から紙で包装されたチョコを取りだした。そして、それを彼に向けて差し出す。
心臓が高鳴る。破裂しそうなくらい。
「私……ずっと、中学の時から浩太のことが好きなんだよ。だけど、ずっといえなかった。言おうとしたけど……」
「ありがと、月美」
彼はすっとチョコレートを受け取るとそのまま私を包み込むように抱きしめた。
「俺も、いつからかわからないけど、お前のことを意識しいていた。好きだ。ずっとずっと」
「うん……」
私はいつの間にか泣いていた。目の奥から熱いものが止まらなかった。
彼のぬくもりを感じながら私は心から幸せだった。
――これが、ずっと続けばいいのに。




