彼女は正しく“妖精の愛し子”だった
遥か昔、天災により大地は穢れ、夥しい数の魔物が溢れた。
窮地に陥った人々は異世界から少女を召喚し、彼女に救いを求めた。
少女は妖精と共に世界を巡り、魔物を屠り、大地を浄化していった。
『どうか、妖精を大事にして。私の大好きな友達だから』
そう言い残し、彼女は一羽の妖精と共に元の世界へと帰っていった。
後世の者は口を揃えて言う。
彼女は正しく“妖精の愛し子”だった、と。
ーーー
ぱしゃり。
慣れた感触と臭いに、ファナは内心ため息を吐く。
どこに隠れようとすぐに見つかってしまうが、城の裏庭であれば汚れた床を掃除せずに済む。
「あら。ごめんなさいね、お姉さま」
振り返れば、そこに居たのは双子の妹ルチェルと数多の妖精達。その奥には妹付きの侍女と騎士。
泥にまみれたファナ含め、もはや見慣れた光景だ。
「妖精様の可愛い悪戯だもの。許してくれるわよね?」
「………」
『るちぇるガ謝ッテルノニ無視スルナ!』
『姉ナノニ全然似テナイ! キライ!』
黒い蝶の羽を生やした手のひらサイズの小人の姿をした妖精達が、キーキーと喚きながら再び泥をぶつけてくる。
その間もクスクスと妹や侍女達の嘲笑が聞こえていた。
どうせ何を言っても結果は変わらない。この十年、ずっとそうだった。
聖なる妖精に嫌われた“妖精の忌み子”であるファナは、生存する事のみ許された存在なのだ。
「妖精様、これ以上構っても時間と魔力の無駄ですわ。美味しいお菓子を食べに行きましょう?」
『オ菓子!』
『るちぇる大好キ!』
立ち去る集団を見送り、懐で守っていた本を取り出す。図書館で借りた歴史書だが、泥を浴びたせいで読めなくなってしまった。
ファナがため息を吐くと一羽の妖精が近寄ってくる。
『困ッテル? 絆ヲ結ブナラ直シテアゲル』
妖精と絆を結ぶと魔法が使えるようになる。純粋で好奇心旺盛な妖精は、どんな相手とも契約を結ぶ。
忌み子であるファナにさえ、こうして手を差し伸べてくれる。だからこそ彼らの力を私利私欲に使ってはならない。
「お気持ちだけで充分です。その力は他の必要な方にお与え下さい」
『──忌ミ子ノクセニ!』
怒り狂った妖精は本を燃やして飛んでいった。ルチェルの元へ向かったのだろう。
ファナは三度目のため息を吐いた。
ーーー
ピーヴァント国の第三王女ファナは、生まれた時から“妖精の忌み子”だった訳ではない。
物心がついた頃は、ルチェルのように大勢の妖精に囲まれていたのを覚えている。
『ふぁな、ヌイグルミ取ロウカ?』
『オ菓子持ッテクル?』
『絆ヲ結ンデクレタラ何デモシテアゲルヨ、ふぁな』
「それくらい自分でできるわ」
妖精はファナを甘やかそうとしてくるが、自我が芽生えたばかりの彼女は何でも自分でやりたがった。
ただ傍に居てくれればいいと言ったが、構いたがりの妖精達とは反りが合わず、大半が妹の元へ流れていった。
妖精との関係が決裂したのは、ファナとルチェルの母が亡くなった時だ。
母はエルフ族だった。外見は人と変わらないが、妖精の手を借りずに魔法を使い、人より遥かに長く生きる種族。
そのせいか誇り高く傲慢で、妖精を「害虫」と呼び酷く嫌っている。
普段は辺境の森の奥で暮らしているが、時折人の居る街へ訪れては妖精を殺し、怒り悲しむ人達を見て嗤うのだ。
エルフ族の中でも若かった母は、人と妖精とエルフ族の共存を夢見て森を出た。
しかしすぐに妖精達に密告され、王の妾となってファナとルチェルを産んだ。
長寿であるはずの母は、ファナが六歳になる頃には老い、ベッドから起き上がる事も出来なくなっていた。
「妖精様! お母様を助けて!」
『ソレハ無理』
『えるふハ死ヌベキ』
『ザマアミロ』
『同胞ヲ殺シタ当然ノ報イ』
「──ッ出てって! お母様の前から今すぐ消えて!!」
妖精達がエルフ族を憎むのは当然だ。
しかしエルフ族の身代わりとして貴族や妖精に罵倒され、必死に頭を下げ続けてきた母に、そんな言葉を聞かせたくなかった。
同じ娘であるはずのルチェルでさえ、自分を可愛がる王妃を母と呼び、見舞いにも来ない。
最後に一目会ってほしいと頼んでも、妖精達に追い払われた。
「……いけません、ファナ。そんな事を言っては……」
「お母様!」
「……妖精は──妖精様を、大事にするのです。決して……妖精様の手を、借りてはいけません。……どうか……貴女だけでも……」
そう言い残して母は亡くなった。エルフ族を嫌う妖精達に配慮し、遺体は辺境の森に捨てられて墓を建てる事も許されなかった。
妖精より母を気遣ったファナを、彼らは許せなかったのだろう。あれからファナの周りに妖精が寄ってくる事はなくなり、ファナもまた母の遺言を守って妖精の力を一切借りずに過ごしてきた。
気が付けばファナは“妖精の忌み子”、ルチェルは“妖精の愛し子”と呼ばれるようになっていた。
ーーー
妖精にも人にも疎まれているファナだが、仮にも王族である以上、その責任から逃れるつもりはない。
ゆくゆくは女王になるルチェルを支えるため、独学で様々な知識を身に付けてきた。国のためになる事であれば、妹や妖精達も嫌がらせはしてこないだろう。
そう、思っていたのだが。
「供物……?」
大広間に連れて来られたかと思えば、王から伝えられた内容にファナは愕然とした。
そんなファナを見て、周囲からクスクスと笑い声が聞こえてくる。
「来月、妖精の愛し子であるルチェルの成人の儀に合わせて、妖精王が降臨なされる。妖精王は清廉なお方だ。かの方への忠誠の証として、貴様の命を供物として捧げる」
ファナは理解した。忌み子である自分がどうして今まで生かされていたのか。
家族としての情か、妖精の温情か。まさかどちらでもなかっただなんて。
「妖精様に感謝しなさい、お姉さま。私は当日の朝でいいって言ったんだけど、心の準備をさせてあげてほしいって言うから、一月前に教えてあげたの。どうせお姉さまは逃げないでしょう?」
そう、ファナは逃げられない。王族と認められていなくとも、民達から得た税で暮らしてきた事に変わりはない。自分のせいで妖精と人との関係が崩れるなどあってはならない。
分かっていても、自分の未来を思うと手の震えが止まらなかった。
ーーー
ファナが来月までの命と知っても周囲の対応は変わらなかったが、妖精達は流石に憐れに思ったのか、一羽一羽がコッソリと会いに来るようになった。
『絆ヲ結ブナラ助ケテアゲル!』
「……ありがとう。でも……もういいの」
死にたくない。しかし、助かったところで今の生活が続くのだと思うと、妖精達にすがる気にもなれなかった。
自分の命で妖精と人の友好が続くのならそれでいい。母もきっと許してくれる事だろう。
『忌ミ子ゴトキガ! 恥ヲ知レ!』
妖精の慈悲を拒むファナに怒り、妖精達は部屋を出て行く。
根が純粋な妖精は魔法を使えるが、人に頼まれない限り魔法は使わない。彼らの嫌がらせも、精々小石を投げたり髪を引っ張る程度だ。
しかし人に頼まれれば、それがどんな内容であっても引き受ける。それも物心のつく子供の頃からずっとだ。もはや友好ではなく依存に近い。
人に頼られて妖精達は喜んでいるが、本当にこのままでいいのだろうか。妖精を大事にするという聖女の意思に沿えているのだろうか。
ファナには分からない。けれど仮に間違っていてもどうする事も出来ない。
妖精達の頻繁な来訪で満足に眠れていない。ファナはベッドに寝転ぶと、すぐに眠りに落ちた。
ーーー
──バシッ!
「っ!」
「起きて、お姉さま」
頬の痛みで目を開けると、目の前には自分と瓜二つの妹が居た。
反射的に引こうとしたが体が動かない。ファナは寝衣のまま縄で拘束されていた。
場所は贄と宣告された大広間。妹だけでなく王も貴族も、ファナを冷ややかな目で見ている。
成人の儀はまだ先のはず。困惑するファナを見て、ルチェルは左右の口角を上げた。
「妖精様達が教えてくれたの。お姉さま、成人の儀の前に私を殺して成り代わるつもりなんでしょう?」
「何を……言っているの?」
普段の言いがかりにしては度を超えている。
“妖精の愛し子”で王族や民からも愛されるルチェルを羨みはしても、憎んだ事など一度もないというのに。
「お姉さまこそ、私が“愛し子”だと忘れたの? 妖精様は私の味方なの。そんな計画が成功する訳ないじゃない」
「私はそんな事考えてないわ!」
「では妖精様が嘘を吐いていると?」
「それは……」
言葉に詰まる。純粋な妖精は嘘を吐かない。それは国中の誰もが知っている。
その上、ファナは“忌み子”だ。否定したところで信じる者はいない。
「どうしたのよ。何とか言いなさいよ!」
「…………誤解よ」
絞り出した弁明にルチェルは失笑した。
その背後でゆるりと王が玉座から立ち上がる。
「贄にするのも烏滸がましい。──こやつを“常夜湖”に沈めろ」
常夜湖。王都の外れにある、真昼でも夜空を映す呪われた地。
ピーヴァント国で生まれた“忌み子”は、例外なくその湖に沈められる。決して“忌み子”が生まれ変わる事がないように。
「なんと欲深い娘に育ったものだ。──母が母なら子も子だな」
『卑シイえるふ!』
『愚カナえるふ!』
『消エチャエ!』
『消エチャエ!』
ファナはずっと、“忌み子”には“忌み子”になる理由があるのだと思っていた。大事にするべき妖精を、大事に出来なかったファナのように。
しかし、それは転生すら許されない罪なのか。
誰かを殺した訳でも、誰かの心を傷付けた訳でもない。
ただ、妖精の気分を害した。たったそれだけの理由で。
「ふふ、贄にもなれないなんて……可哀想なお姉さま」
「……ルチェル。妖精は──」
言いかけて、ファナは息をのむ。母の遺言を思い出したからだ。
『……妖精は──妖精様を、大事にするのです。決して……妖精様の手を、借りてはいけません。……どうか……貴女だけでも……』
母が死んだあの日の事は何度も夢に見た。だからこそ一言一句覚えている。
あの時、母は何かを言おうとして──言い直した。
「──妖精様は、貴女の乳母じゃないわ。もうすぐ成人するのだから、流石に自分の名前くらい書けるようになったわよね? カトラリーは──」
言い終える前に頬を叩かれる。口の中が切れたのか血の味がした。
顔を上げると憤怒の顔をしたルチェルと目が合った。
「──何をしているの! 早くこの罪人を連れていきなさい!!」
騎士達に運ばれながら、ファナは母の遺言を思い返す。
きっと母も妖精に違和感を覚えていたのだ。
しかし幼いファナに「妖精を疑え」と言っても却って反発しただろう。だから受け入れやすいように言い直した。
だからファナもまた、ルチェルが妖精の手を借りないように挑発した。
妖精に頼りきったこの国を正す事が出来るのは彼女だけだ。
ファナの声は、もう誰にも届かない。
ーーー
「……?」
鳥の囀りが聞こえ、ファナは閉じていた瞼を上げる。
見慣れぬ石造りの天井をぼんやり眺めていると、部屋の扉が開いて女性が入ってきた。
「おや、目を覚ましたのかい」
肌は焼けているが、黒い髪と顔立ちはピーヴァント国民に近い。言葉も通じている。
咄嗟に起き上がろうとするが、全身が悲鳴をあげていて身動ぎ一つ出来そうもない。
「安心おし。ここはピーヴァント国じゃない」
「なら……ここは」
「名前もない小さな島さ」
ノルンと名乗った彼女と言葉を交わしていると、少しずつ思い出してきた。
大広間から騎士達によって連れ出されて馬車に乗せられたものの、手荒な運転のせいで頭をぶつけた後の記憶がない。
「……死の国ではないのですか?」
「今のあんたにとってはね。でもこの島なら生き直す事も出来る」
「生き直す……?」
国と妖精のために生きてきたファナには、もう何もない。それなのにまだ生きろと言うのか。
呆然とするファナを見て、ノルンは苦笑しながら「ゆっくり考えな」と答えた。
ーーー
身体が回復して歩けるようになった頃、ファナは海辺で島の主と面会した。
青黒い鱗と金色の瞳を持ち、長い胴体と尾びれのある深海竜。彼もまた名前は無いらしい。
《まだ生きていたのか》
「……ならなぜ生かしたのです」
「ファナ、そう言う意味で言ってる訳じゃないよ。主様、この子が来てから三日しか経ってません」
ノルンによると、永く生きる竜という生物には時間感覚がない。“三日”も“三百年”も同じように感じるようだ。
長寿と云われるエルフ族の母の感覚は人と同じだった。ならば比べるのも烏滸がましいほど永い時を過ごしてきたのだろう。
《娘、なぜ生かしたと言ったな? 余は生かしてなどおらん。そなたらが“常夜湖”と呼ぶ地は、余が陸地で過ごすための巣。別邸のようなものだ。別邸に捨てられたものは、この島に流れ着く》
「では、この島の人達は……」
「“妖精の忌み子”と、その家族さ」
城に居たファナは知らなかった事だが、平民に“妖精の忌み子”は多いそうだ。
妖精は魔力の多い人を好み、魔力の少ない人には寄り付かない。それを逆手にとり、邪魔な者を“忌み子”として排除する──そんな事が横行しているなんて想像もしていなかった。
ノルンも婚約者との結婚を控えていた頃、村長の息子に手を出されそうになって暴れたため、“忌み子”として湖に沈められたそうだ。
村長に抗議したノルンの家族と婚約者もまた“忌み子”として湖に落とされ──この島で再会を果たした。
「……ごめんなさい」
「あんたが謝る必要なんてないんだよ」
ファナはノルンに自分の素性を話していた。看病などせず、家から追い出してほしかったからだ。
結局ノルンの態度は変わらず、こうして今もファナに付き添ってくれている。
「でも……私は正せる場に居たわ。そこまで国が腐敗していたなんて……」
《無駄だ。そなたが生まれるより遥か前に、あの地の運命は定まった。ありもしない可能性に嘆くな》
「生まれる前……?」
ファナが生まれる前なら、双子のルチェルも生まれていない。
ピーヴァント国の運命を“妖精の愛し子”ですら覆せないというのなら──
「まさか……妖精との共存が誤りだったと?」
《それを望んだのは誰だ?》
「“妖精の愛し子”……異世界から喚んだ救世主」
ファナの呟きを聞いた竜は鼻で笑った。
ーーー
結局、竜は「興がのらん」と言い、それ以上教えてはくれなかった。
ノルンや他の島民にも尋ねてみたが、自分達を捨てた国に興味はないようだった。
“忌み子”が住む故か、この島には妖精が一羽も居ない。
妖精の目と耳がないというのは、こんなにも呼吸がしやすいものなのか。つくづく、あの国こそ異常だったのだと思い知らされる。
今はまだ、自分がどうするべきなのか分からない。
ただ真実が知りたい。そう思い、再び浜辺へ足を運んだ。
「──主様」
《何用だ》
「昨日の話の続きを聞かせて下さい」
《断る》
呼べばすぐ海上へと上がってきたものの、竜はすぐに海底へと帰っていった。
流石に何度も呼びかけて竜の機嫌を損ねる訳にもいかず、その日はノルンの待つ家へと戻った。
ノルンに相談すると、一日に一度であれば長を呼んでも問題はないようだ。それ以上呼んでも無視をされるが、火急の用件であれば必ず来てくれるらしい。
「ファナは主様が怖くないのかい?」
「……怖いです」
「はは、度胸があるんだね。男でも腰を抜かすっていうのに」
初めて見た竜は恐ろしかった。ファナを容易く飲み込める大きな口に鋭い牙、光を反射しない闇のような青黒い鱗。
あの圧倒的な存在感を前にして、正気でいられる者は少ないだろう。ファナが錯乱せずに済んだのは、生きる気力を失っているからに過ぎない。
それに、ファナは城で何度も恐ろしいものを見た。
純真なフリをして人を騙す妖精、可憐な少女でありながら姉を笑って虐げる妹。妖精に言われるがまま政務を行う貴族達。
それらに比べれば、竜の怖さなど外見だけだ。
尊大な竜は嘘を吐かない。矮小な人間相手に怒りすら抱かない。
それに──もしファナが死を望んだ時、竜の協力は必要だ。
どうしても母と重ねてしまうノルンを、悲しませたくはない。その時は竜に頼んで国へ戻り、人知れず死んでしまえばいい。
期限は竜が真実を明かしてくれるまで。
それまでの間に生きる目標を見つけられなければ、死んでしまおう。
翌日、ファナは浜辺へ行って竜を呼び出した。
《娘、また来たのか》
「ファナです」
《どうでもよい。人はすぐ死ぬ》
前日と同じ事を繰り返すほどファナは愚かではない。
人と会話をした経験は少ないが、どうにか会話を長引かせようとする。
「す、好きな食べ物って、ありますか」
《なんだ? 余を餌で釣るつもりか》
「ただの会話です! ……私が用意出来るものなら、明日持ってきます」
《ふむ……》
とはいえファナは金を持っておらず、城に住んでいたため世間に疎い。
侍女を付けてもらえなかったので着替えは一人で出来るが、家事は出来ない。少しでも恩を返そうとノルンに少しずつ教えてもらっているが、独り立ちは遠い。
竜への献上品だと言えば島民は喜んで譲ってくれるだろう。しかしそれはその島民の手柄であって、ファナのものではない。
とはいえ山の頂きにしか生えていない果実と言われても困る。絶対にノルンに止められてしまうだろう。
浜辺に半身を横たえて考えを巡らす竜を、ファナは落ち着かない様子で見守る。
頭上にあった雲が遥か遠くへ流れた頃、ようやく竜は口を開いた。
《果実酒だな》
「果実酒……あの、量は」
《ノルンに聞け。楽しみにしているぞ》
竜が海に帰った後、ファナは慌ててノルンの元へ走った。
もしかしたら軽率だったかもしれない。ファナが用意出来るものと言いはしたが、いくら竜でも貴族の娘の限界など知らないだろう。
半泣きでノルンに事情を説明すると、盛大に笑われてしまった。
「大丈夫だよ。主様の分の酒は常に置いてあるんだ。果実酒にはしていないから、これから果樹園に行って用意しよう」
「ご、ごめんなさい……」
「むしろ助かったよ。主様は遠慮して中々そういった事は言ってくれないから」
果樹園へ向かう道中、思わずファナは立ち止まる。
気付いたノルンが振り返ったため、慌てて歩きだした。
「……遠慮? 竜が?」
「竜にとっては、鼠の秘蔵のチーズを取り上げている気分なのかもしれないね」
ファナは想像する。小さい鼠からチーズの欠片を押し付けられ、困惑する竜の光景を。
なんだか不思議と可愛らしく思えて、ファナは口許を綻ばせた。
その後、果樹園を管理している島民の許可を得て、ノルンと共に果実を収穫した。
集まった島民と共に果実を切って酒の入った樽に漬けていく。一晩経てば明日には果実酒が完成するらしい。
「しかし果実酒ねぇ。てっきり主様は辛口だと思っていたが」
「気が変わる事だってあるだろ。どっちもいけるのかもしれん」
「主様は献上しても何も言って下さらんからなぁ」
せっかく集まったのだからと、果樹園の隣の草原で宴会のように夕食をとった。
ノルンとの食事さえようやく慣れてきたところだというのに、大勢との賑やかな食事は衝撃的だった。
平民故か豪快な食べ方の者が多く、決して綺麗とは言えない。しかし貴族の音を立てない食べ方より、ずっと美味しそうに見えた。
その晩、眠りにつく寸前にファナは竜の台詞を思い出した。
ーーー
翌日、竜を出迎えたのは山のように積まれた樽と、膨れっ面をしたファナだった。
《面白い顔をしているな、娘。虫にでも刺されたか》
「違います。……何が“人はすぐ死ぬ”ですか。ノルンの名前は覚えているくせに」
《死人のような顔をしていた娘がよく言う》
ファナの心がザワついた。ファナの過去を竜は知らないはずだが、相手は竜だ。隠し通せるとも思っていない。
けれど自分の口から言いたくはなかった。
自分なりに必死で生きてきた過去を、竜に「愚か」だと嗤われる事が恐ろしかった。
「……死にたい訳じゃありません。でも、生きていたいとも思えません」
《面倒な娘だ。魚など潮の流れに身を任せればいいものを》
「私は人です。……自分で餌も捕れない役立たずなんです」
城で得た知識や経験も、この島では何の役にも立たない。昨日も果実を採って酒に浸けはしたが、包丁は握らせてもらえなかった。
ノルンと違って何の苦労もしていない綺麗な手。王族の義務を放棄して城から逃げ出す準備をしていれば、こうして苦しむ事もなかったのだろうか。
《ふむ……》
竜が軽く爪を動かすと、酒樽の蓋が次々と勝手に開いて中の酒が玉のように浮いた。
それがある程度集まって大きくなったところを、竜がパクリと飲み込む。
《……ファナ、手を出せ》
「え?」
言われるがままに差し出すと、竜の口からポトリと果実が落とされた。
切り忘れたのか傷一つなくツヤツヤと輝いている。
《褒美だ。どうだ、これでもまだ役立たずと云うか》
「でも……私が言い出した事で、」
《チッ、強情な奴め。ならば明日までに島民の悩み事を聞き出してこい》
そう言い残して竜は海へ戻っていった。
取り残されたファナは、果実を手に持ったままポカンと佇む。
「褒美……それに名前……」
昨日は怒濤の展開で聞き流したが、今回はちゃんと気付いていた。
ファナはただ竜との約束を守っただけだ。ノルンを頼って島民達に手伝ってもらった。決して自分一人の力ではない。
それでもファナを認めてくれたというのか。大いなる存在である竜が、こんなちっぽけな存在を。
躊躇いながらも果実をかじる。
酒に浸けられていたからだろうか。昨日も食べたはずなのに酷く甘く感じた。
「…っふ、うぅ……!」
ファナは泣きながら果実を貪る。上品に食べたところで城では誰も褒めてはくれなかった。
この島ではファナはただの小娘でしかない。それでも話を聞いて手を貸してくれる。幼い子供でさえ出来るような事でも、馬鹿にせず対価を与えてくれる。
名前さえない島なのに、あの国に無いもので溢れていた。
故郷を離れた母が、この島に辿り着いていたなら──きっと幸せに暮らせただろうに。
ファナは日が暮れるまで浜辺で泣き続けた。
翌日、ファナは浜辺に行く事は叶わなかった。
酒に漬かった果実を食べたせいか、酷い二日酔いで三日ほど寝込む事になったのだ。
枕元でノルンが竜を叱った話を聞きながら、ファナは自分の未来を考え始めた。
ーーー
回復したファナは、浜辺で竜を呼び出した。
《ようやく来たか。そなたが来ぬせいで酷い目に遭ったぞ》
「酷い目……ですか?」
《岩虫という岩に寄生する小石に似た虫が居るのだが、毎日それを集めてきては投げつけてくるのだ》
「ふふ……」
ほとほと困り果てたように言うので、ファナは思わず笑ってしまった。
島民と竜の関係は、母国の民と妖精の関係と似ているようで大きく異なる。
妖精は延々と国民に施し続けるが、竜は島民が助けを求めた時だけ応じる。
その結果、前者は自主性を失い、後者は挑戦を恐れず、島での自給自足に成功した。
妖精が悪い訳ではない。統率者が妖精の甘言に惑わされず、正しく民を導かなければならなかった。
人を統べる事さえ竜に劣ると知れば、かの王も恥だと思ってくれるだろうか。
《笑うな。岩虫は深海竜の天敵なのだ。同胞は岩虫を張り付けたまま眠りこけ、全身を岩虫に覆われてそのまま死んだ》
「えっ! だ、大丈夫なんですか?」
とんでもない話に顔を青ざめるファナに、竜はゆるりと首を振った。
《眠り続けなければ問題ない。全て剥がしたとは思うが、落ち着かぬから後日にでも島民を集めて鱗を磨いてくれ》
「わ、分かりました。ノルンにも止めるように言っておきます」
《よい。ノルンは何も知らぬのだ。罰を与えた者が気に病んでは罰の意味がない》
「ですが……」
《浜辺に、ねばついた海草や臭い花を撒かれるよりマシだ》
「…………どれだけ叱られているんですか」
忘れないように、木の板に固定したごわごわの紙に木炭で記しておく。
島の主の頼みなら喜んで駆けつけてくれるだろうが、この島は自給自足で成り立っていて、それぞれに仕事がある。無理をさせれば不和が生じるかもしれない。
ならばファナが島民一人一人の予定を聞いて調整すればいい。全員が望む形にはならないだろうが、不満を聞く姿勢を見せれば、後の火種となる可能性は減るはずだ。
この島の行く末を決めるのは、ファナでも竜でもない。島民達だ。
今は島の外に興味はないようだが、何世代も過ぎれば過去の事を忘れ、海の向こうに憧れる日が来るだろう。もしかしたら先に海の向こうの者が島へ訪れるかもしれない。
そうなった時のために準備をしておくべきだ。その時には、もうファナは死んでいる。
この名も無き島の民が、ずっと笑って穏やかに暮らしていけるように。
──だからこそ。
「……主様、私はもう大丈夫です。だからどうか、教えて下さい」
竜が真実を明かさなかったのはファナのためだ。生を手放そうとしていたファナが興味を示したから、あえて口を閉ざしたのだろう。
そして竜の思惑通り、ファナは浜辺に通うようになった。
《……知ったところで、そなたが苦しむだけだ》
「それでも、誰かが知らねばなりません。同じ過ちを繰り返さないためにも」
この島が、かの国と同じ結末を迎えぬように手は尽くしておきたい。
後を託したところで上手くいくかは分からない。けれど、この島には決して揺るがない指標が居る。どんな苦難も乗り越えていけるはずだ。
《……座れ。長い話になる》
竜が手の上に顎をのせて寝転んだのを見届け、ファナも砂の上に腰を下ろした。
《今まで誰にも話してこなかった故、上手く説明出来ん。竜の話から先にしても構わぬか》
「教えて頂けるのですか?」
《後に関係してくる。──ファナ、竜と人の共通点は分かるか》
分からず首を振れば、竜は金の眼を伏せた。
「過剰な力を得ると傲慢になり、独占しようと殺し合う。……そうして竜は滅んだ」
「竜は……ドラゴンとは違うのですか?」
《火を吹くだけのトカゲと一緒にするでない!》
歴史書には国を襲ったドラゴンを妖精と共に倒したと記されていた。絵姿が似ていたので同種だと思っていたが違うようだ。
不服そうに竜が鼻息を荒くする。その勢いで砂が舞い、慌てて目と口を閉じた。
「落ち着いて下さい。私が目を真っ赤にして帰ったら、またノルンに叱られますよ」
《仕方ない……余の腕に座れ》
「いいのですか?」
《良い》
遠慮したい気持ちもあったが、触れてみたいという好奇心に抗えなかった。
腰かけて腕を撫でてみると少しヒンヤリとして気持ちがいい。顔を上げれば、大きくて丸い金色の瞳で視界が埋まる。
《さて、どこまで話したのだったか……》
「竜が滅んだ、までです」
《正しくは余ともう一頭の竜だけが生き残った。その竜の名はフォルトゥナ。人を愛した物好きな天空竜だった》
寂しげな声色は、その竜が既に亡くなっている事を意味していた。
「……その竜には名前があったのですか?」
《竜は棲みついた土地の名を名乗るのだ。この島の名が決まれば、それが余の名にもなる》
「それは……責任重大ですね」
《お陰で今だに決まらぬ。急かすつもりはないがな》
決めるのは簡単だ。しかし、それが永く生きる竜の名になるのなら慎重にもなる。
「私が住んでいた大陸に、フォルトゥナという国があったのですね。城の歴史書には記されていませんでしたが……」
《……そうか。名すら消されてしまったか》
「え?」
《余の別邸は天空竜と共に創ったのだ。いつでも会える様、あ奴が住む王都のすぐ側にな》
竜の台詞の意味を理解して、ファナは息をのんだ。
海底竜の別邸である常夜湖は、ピーヴァント国の王都の外れにあったはず。湖の場所が変わった訳ではないのだとしたら、それは──
「ピーヴァント国は……フォルトゥナ国だったと……?」
《うむ。現在とは比べ物にならぬ大国だった。美しく富んでいたが──力に傲り同族で殺し合う一方で、弱い者達を虐げるようになってしまった》
それはファナが知るピーヴァント国の内情そのものだ。貴族は互いの足を引っ張り合い、邪魔な存在を“忌み子”として処分する。
国の名が変わるほどの年月が過ぎても、民の心は変わらないなんて。
「……フォルトゥナ様も悲しんだでしょうね」
《ああ。余は放っておけと言ったが、強情でな……。国を元に戻そうと尽力したが、最期は民に裏切られて殺された》
「!」
《あ奴の亡骸は回収したが、器を失った天空竜の膨大な魔力まではどうにも出来ん。濃厚すぎる魔力を吸った大地は穢れ、夥しい数の魔物が生まれた》
「まさか……」
《そこで猛省し、穢れた地から離れて新たな国を作ればよいものを、奴等はそれを拒み、異界から一人の娘を喚んだ》
「……“妖精の愛し子”……」
初めて会った時、悔いるファナに竜が「無駄だ」と言い切った理由が分かった。
人を正そうとした竜を殺し、それによって天災が起きたにも関わらず、それを異界の少女一人に押し付けた。
そしてそれを忘れ、延々と同じ愚行を繰り返す。──あの国は既に腐り果てていた。
《竜が戯れに編み出した魔法を、フォルトゥナが教えていたのだろう。異界の者は、この世界の理から外れた存在だ。その力は死者を蘇らせ、天地すら逆転させる。あまりに危険だが、所詮は余所者──こちらの世界の者が許可せぬ限り発動はせぬ》
「では……もし“この世界を滅ぼす事”を異界の者が望み、こちらの世界の誰かが許可していたら……」
《とうの昔に滅んでいただろうな》
起こり得なかった未来だとしても、可能性が存在していただけで背筋が凍る。ファナは両腕で自身を抱き締めた。
例え自然発生した天災によって世界が危機に陥ったとしても、この世界の命運を異界の者に預けるなど正気ではない。山火事を津波で消すようなものだ。
《竜を倒したと思い上がった奴等は、余に“力を貸せ”と口が裂けても言いたくなかったのであろうよ。頭を下げてきたところで、余も聞き入れるつもりはなかったが》
「……異界の者を喚ぶ魔法は……まだ残っているのでしょうか」
《あれは竜の魔法だ。あの状況下であったから成功したまでの事。フォルトゥナの魔力が消滅した今、もう起こらぬ》
「それは……よかったです」
そう言いながらも、ファナは笑う事が出来なかった。
逆に考えれば、あの状況を作りだせば異界の者を喚べるという事。そして竜はまだ残っている。
人に騙されて殺された天空竜を知る海底竜が、そう簡単に殺されてしまうはずがない。
分かっていても胸がザワザワと落ち着かず、ファナは竜の腕から立ち上がった。
《どうした。疲れたか?》
「……はい」
《では今日は終いとしよう》
その日の夜、ファナはベッドの中で考えていた。
浜辺にいた時よりは落ち着いているが、胸のザワつきは完全には治まっていない。
この気持ちには覚えがある。
日が経つにつれて生気を失っていく母を見舞う度、感じていた無力感と焦燥感。
「……主様に死んでほしくないのね」
島や島民のためではない。ファナにとってももう、かけがえのない存在なのだ。
ーーー
翌朝。
竜に話の続きを聞く予定だったが、新たな“忌み子”が流れついた事で事態は急変した。
「戦争……?」
あまりにも聞き慣れない言葉に、ファナは事態を飲み込めずにいる。
竜はそれを咎める事なく、噛み砕くように説明した。
《常夜湖を介して記憶を読んだ。今朝流れついた者は、徴兵される息子を逃した罪で罰せられたようだ》
「……ピーヴァントは豊かな国です。戦争する理由なんて──」
《国にはなくとも羽虫にはあるのだろう》
「っエルフ族……!」
躊躇いもなく妖精を殺すエルフ族。
妖精にとっては疎ましい存在だが、エルフ族の魔法の力は強大だ。
ファナは母しか知らないが、母の魔力が千なら妖精は十あれば良い方だ。つまり魔力差だけなら、妖精と人がそれぞれ百集まって、ようやく一人の若いエルフと拮抗出来る。
いくらエルフが少数民族でも、流石に手を出すのは無謀だと分かっていたはず。
しかし今回は“妖精の愛し子”がいる。
何百もの妖精と絆を交わしているルチェルなら、エルフと対抗出来ると踏んだのだろう。
《そなたはどうする》
「私……?」
《戦を止めるか、傍観するか》
竜は静かにファナを見ていた。
選ばせてくれている。後にファナが悔いる事がないように。
「……止められるなら、止めたいです。大勢の人が死ぬと分かっていて、黙って見ている訳にはいきません」
《そなた一人で何が出来る》
「分かっています。でも……行かなくては」
今思えば、あの国を愛している訳ではなかった。ただ、愛してほしくて尽くしていただけだ。
自分で考える事を止め、妖精の甘言に乗せられるまま、ファナを捨てた者達を助けようとは思わない。
けれど、戦争が起きて被害を被るのは一番弱い者達だ。
自分達が起こした戦だとしても、あの妖精が助けるとは思えない。ルチェルも先陣を切るつもりはないだろう。城の者達はエルフ族の財産をどう分け合うか議論しているに違いない。
竜は溜め息を吐いた。
《全く……頭の悪い娘だ》
「……」
《一人で不可能なら手を借りればよいだろう》
「え……」
ファナが目を丸くすると同時に、後ろから肩を叩かれる。
振り返れば、ノルンだけでなく大勢の島民が集まっていた。
ーーーー
およそ一月ぶりの王城は全く変わっていなかった。
生まれてからずっと暮らしていたはずなのに、懐かしさは微塵も感じない。
母が亡くなった時から既に、此処はファナの故郷ではなくなったのだ。
「──本当、しぶとい女。今更何しに来たの? お姉さま」
常夜湖がある森から出て来たところを妖精に見つかり、騎士によって王城まで連行された。
今日はルチェルの成人の儀が行われる日。本来ファナが贄となって死ぬはずだった。
「そんな格好までして、私から主役を奪うつもり?」
ファナが着ている衣装は、島民達が竜の記憶を元に、フォルトゥナ国の礼装を再現してくれたものだ。簡素に見えるが何枚もの布を重ね着している。
アクセサリーには竜の鱗が使われていて、妖精の魔法を弾く効果がある。
身を守るアクセサリーはともかく衣装なんてと思っていたが、身に纏っているとファナは独りでないと教えてくれる。
あんなに恐ろしかった場所なのに、お陰で全く怖くない。
「お姉──」
「私は、間に合わなかったのね」
「ふ……ッふふ! そうよ! エルフ族からの妨害に備えて、昨夜、妖精王様と絆を結んでおいたの! せっかく来たのに残念ね!」
豪華な衣装を身に纏うルチェルは、背に黒い羽を生やした一人の男性に抱えられている。彼こそが妖精王なのだろう。
嗤うルチェルに釣られるように王や貴族達も嘲笑う。表情を変えていないのはファナと妖精王だけ。
「ねぇ、ルチェル」
「なぁに?」
「そもそも妖精って、何?」
ファナの問いに会場から笑いが止んだ。
予想していなかったのか、ルチェルの顔に戸惑いが見える。
「な、何言っているのよ。妖精様は妖精様じゃない! 不敬よ!」
「私、常夜湖で竜に助けられたの。あの方はおっしゃったわ。“この世に妖精という種族はいない”って」
「ドラゴンが話せる訳──」
「火を吹くトカゲじゃないわ。竜よ。現に、あの方の守護を得た私に妖精は近付けない」
ファナが王城に入ってから妖精の声が聞こえないのは、竜の膨大な魔力に怯えて隠れているからだ。まともに浴びれば器を持たない妖精は霧散する。
ようやく周囲に妖精の姿がない事に気付いた貴族達は戸惑い、ファナへ怯えを見せた。
「最初の妖精の愛し子が、この世界で出会った友達を“妖精”と呼ぶように周知させたの。だから妖精の以前の種族名は世界から消えてしまった」
「そ、それの何が……」
「妖精のかつての名は“魔蛾”。──魔力の器はなく短命だが、愛らしい姿で言葉巧みに魔力を持つ子供に寄生し、魔力と寿命を食す魔物」
それを竜から聞いた時は、あまりの衝撃に昏倒してしまった。
妖精の愛し子もファナの祖先も、魔蛾が魔物だと分かっていた。それなのに生かして共存する事を選んだのだ。
無知の前者はその愛らしさに騙され、傲る後者は所詮虫だと侮った。
その結果、長い時間をかけてこの国は魔蛾の巣と化した。
竜を殺した岩虫のように。
「ふ──ざけるな!」
「妖精様が魔物などと!」
「恥を知れ!」
予想通りファナへ貴族達からの怒号が降り注ぐ。
物を投げられても竜の力によって弾かれるが、その勢いに怯んでしまいそうになる。
「ッ信じなくても構いません! どうか妖精に頼るのではなく、自分で考えて行動を──!」
「お前の母親と同じ事を言いおって……! エルフの間者に成り下がったか!」
「殺せ! 殺してしまえ!」
騎士達が剣を振りかざし、ファナへと斬りかかろうとする。
思わず目を閉じて硬直するが、ふわりと潮の香りを感じて目を開けた。
《──遅くなった》
「主様……!」
ファナの肩には小さくなった海底竜がいた。
アクセサリーの鱗を用いた移し身らしいが、肩の重みや食い込む爪の固さを感じる。なにより竜から漂う魔力の強さは、本物と遜色がない。
それを彼らも感じ取っているのだろう。蛇ほどの大きさの竜に誰もが恐れ、戦いている。
《此方は順調だ。そなたの用は済んだか》
「……ええ。もう、十分です」
妖精に嫌われた王女の話を聞き入れる訳がない。それでも話しておかなければならなかった。
慈悲などではない。ファナが罪悪感を抱きたくないからだ。これからこの国がどうなろうとも、もうファナには関係ない。
「あ、あれが竜……!?」
「まさか王女の話は本当なのか……!?」
「そ……そんな訳ないでしょう?! そうですよね、妖精王様!」
『──あーあ』
「よ、妖精王様……? きゃあっ!」
妖精王は抱いていたルチェルを投げ捨てた。
『やっとここまで来たのに。生き残りの竜は人間嫌いって話じゃなかった?』
《悔やむならファナを余の別邸に投げ込んだ事を悔やめ》
『別邸? ああ、あの湖。祖先から底なし沼って聞いてたけど竜の住処だったんだ』
人から寿命を奪っていても、元が短命なら魔蛾もそう長くは生きられない。人と同様に、次代へ繋いでいく間に情報が歪んでいったのだろう。
『それで? 王女に頼まれてボクらを殺しに来たの?』
《余は、友の代わりにこの国の最期を見届けに来ただけだ》
『王女様は? 追い出したボクらが憎くないの?』
「……分からない。でも、憎んだところでお母様は戻ってこないわ」
きっと母も魔蛾に寿命を奪われていたのだろう。それに気付いたからファナに警告した。
そのせいで彼らに疎まれて追い出されてしまったが、そのお陰で竜と出会い新たな故郷と仲間を得た。
『ふぅん? エルフ狩りも止めないんだ』
「一応、逃げるように説得はするわ。……無駄かもしれないけど」
『へぇ。その様子じゃエルフ族の事も聞いたんだ』
「よ、妖精王様……っ」
今だ床に座ったままのルチェルが妖精王に縋りつく。
「嘘ですよね、寿命や魔力を奪うなんて……っ」
『本当だよ。ボクらが言ってた絆なんてただの寄生だし、妖精魔法も君達が持ってる魔力をボクらが勝手に使ってただけ』
「え……」
『傑作だよね。昔は竜すら殺せるほどの魔力を持った長寿の種族が──ボクらを侮ったばかりにどんどん劣化して、奴隷にしてた人間そっくりになるなんて』
「人間……そっくり?」
『そうだよ。君達は人間じゃない──エルフ族だよ。森に住んでいるのは、ボクらとの共存を拒んで国を出た一部さ』
「ひぃ……っ!」
ルチェルだけでなく、あちらこちらから悲鳴があがる。
エルフ族の膨大な魔力と寿命は有名だ。今の自分と比べて──どれだけ長い間、魔蛾に搾取されてきたか思い知らされたに違いない。
かつてのフォルトゥナは、エルフ族の国だった。
少し考えれば分かる事だ。例え騙し討ちだとしても、ただの人間に竜を屠る力はない。
「わ、わ、私は……違いますよね? 私は“妖精の愛し子”……そうですよね?」
『そうだね。君は強情な姉と違って、皆にたくさん食べさせてくれた。流石エルフの娘、百万の集合体のボクに食われても死なないなんて。脚はもうダメみたいだけど』
「いやっ! いやぁあ!!!」
ルチェルが腕を動かして逃れようとするが、妖精王は嗤ってドレスの裾を引っ張った。
『逃げられると思ってるの? 魔法の使い方も忘れて、ボクらがいないと何も出来ないくせに。お前達はもうボクらに従うしかないんだ!』
「いやぁ! 助けて、助けてお姉さま!!」
ルチェルがファナへと手を伸ばしてくる。
助けたところでルチェルはもう長くない。分かっていても胸が痛んだ。
これは彼女を助けるためではない。
夢が暴かれても呑気に寝台に転がっている魔蛾に、つい物申したくなっただけだ。
「……あの、まだエルフ族と戦うつもり?」
『当たり前だ! 奴等にどれほどの同胞がいたぶられ、殺されたか!』
「もう無理よ。寿命が削られると分かっていて、誰があなた達に協力するの? 子供にしか寄生出来ないなら、同意がないと奪えないんでしょう?」
魔蛾が勝手に奪えるなら赤子の時点で寄生されていたはず。つまり主導権は人間側にある。
現に拒み続けたファナは寄生されていない。妖精に依存していた“妖精の愛し子”は、寿命を貪られて歩く事さえ出来なくなった。
『ハッ! 何を言っている! エルフ族が攻めてきたらボクらに頼るしかないんだぞ!』
「エルフ族が憎んでいるのは、この国の人じゃなくて魔蛾よ。攻めてきても根絶やしにされるのは、あなたたちだけ」
《自ら本性を明かした貴様らを、果たして誰が身を呈して守るのか見物だな》
先程自ら暴露したが、妖精魔法は人の魔力を使って発動している。逆に言えば、人の協力なくして魔蛾にエルフと戦う術はない。
人が妖精を愛したのは、自分の願いを叶えてくれるからだ。本人の魔力を使って些細な願いを叶え、何食わぬ顔で寿命を奪う化け物を、一体誰が愛すというのか。
表情を無くした妖精王に、竜は更なる追い討ちをかける。
《よくもここまで、何も考えずに数を増やしたものだ。エルフを貶めたい気持ちがあったのやもしれんが、己の棲み処の森を枯らしているに過ぎん。森のエルフを捕まえたとて百年も保たぬ》
既に平民の中には魔力を持たない者も生まれ始めている。人間の寿命だけ食らって生き永らえるとしても、魔法を使えない魔蛾に寄生を許すのは子供くらいのものだ。
念のため魔蛾が他国へ逃げないよう、竜が国境に雨を降らせてくれるらしい。人間には無害な程度まで魔力を薄めても、魔蛾には耐えられない。
それほどまでに儚い魔物が今日まで永らえてきたのは、人々が守ってきたからだ。
しかし魔蛾にとって人は寄生先に過ぎなかった。真に共存を望んでいれば、こんな結果になどならなかっただろうに。
『──タ、タスケテ!』
柱の陰に隠れていた魔蛾達が声をあげた。
『酷イコトシテゴメンネ』
『妖精王ニ無理矢理従ワレテタノ』
『優シイ王女サマナラ助ケテクレルヨネ?』
『お前ら……! ボクだって、この卑しい女に唆されたんだ! 王女、邪魔者を全員殺して、この国を一から創り直そう!』
「嫌よ。この国はもう滅ぶべきだわ」
建て直せば、今度は人も魔蛾もファナに依存する。彼らは何も変わらない。
ルチェルが無事なら、彼女にこの国の未来を託すつもりだった。その選択肢を潰したのは彼らだ。
玉座から崩れ落ちるように、王がその場に膝をついた。
「竜よ、頼む! この国を卑しい魔物からお救い下さい! この国にどうか竜の守護を!」
全身が燃えるように熱くなった。羞恥か怒りか、または別の感情か。
竜を殺した事も忘れ、再び竜へ慈悲を乞う。そんな愚か者の血が自分の身体に流れている事がおぞましい。
《──泣くな、ファナ》
「っ、申し訳、」
《ただの戯言だ。そなたが泣く方が落ち着かぬ。──帰るぞ》
「……はい」
「待って……!」
ファナの足元が光り出す。
それを制止しようとルチェルが声をあげた。
「行かないで、お姉さま! たった一人の妹でしょう?!」
「──ルチェル」
彼女一人を島へ連れ帰っても、竜も島民の皆もファナを責めたりはしないだろう。
だからこそ彼女は此処へ置いていく。あの島に“妖精の愛し子”は必要ない。
おそらくその呼び名は、森へ逃れたエルフが広めたのだろう。
妖精を愛し、妖精に愛された。《《ただそれだけの少女》》という皮肉を込めて。
「お母様は貴女の事も愛していたわ。それだけは覚えていて」
「お姉……っ!」
「──さようなら」
妹に別れを告げ、ファナと竜は王城を後にした。
ーーー
その後、ファナ達は島民達と合流し、国民の保護に奔走した。
島民達は各地で妖精の正体を明かし、間もなくこの国が崩壊すると警告した。
説得する時間はない。話を信じた者のみ保護し、それぞれの希望によって周辺国や島へ送った。
ファナは王女として他国に赴き、島の情報以外を明かして難民の保護を願った。
周辺国の殆どはエルフ族の奴隷だった人間が興した国らしく、王族のみ正しい歴史が受け継がれていたようだ。
流石に妖精が魔物だとは知らなかったらしく、年々衰えていくピーヴァント国に、竜の呪いかと戦々恐々としていたらしい。
中には自国を見捨てたファナを詰る者もいたが、甘んじて受け入れる。どんな理由があれ、王族の責任を放棄した事実は変わらない。
エルフ族の長とも面会した。
妖精の正体を知っていながら、同胞が魔蛾によって弱っていく様を傍観した彼らだ。予想通り話は通じず、ファナを一族に取り込もうとしたので竜の力を使って逃走した。
いつもの浜辺に座り、ホッと息を吐く。
肩に居た移し身は消え去り、本体は砂浜に寝そべっていた。
「助かりました。……島まで追いかけられたりしませんか?」
《それはない。エルフ族の魔力も衰えてきている。どの道、魔蛾がおらずともエルフは滅ぶ運命だった》
「……どういう事ですか」
《天空竜が死に、飽和した魔力によって天災は起きた。正すには過剰分の魔力を消さねばならぬが、異界の者は大地が蓄えた魔力すらも消し去ってしまった。傲っていたエルフの力が、大地からの恩恵とも知らずに》
強さを求めて大罪を犯したエルフ族は、蔑んだ人間と見分けがつかない程に弱り果てた。
因果応報とはよく言ったものだ。罪は必ず罰となって本人へ返る。
ファナは異界から来た“妖精の愛し子”を思う。
もしかしたら彼女は全て分かっていた上で、エルフ族に魔蛾を託したのではないかと。
そう考えて、すぐに否定した。異界へ連れて来られただけの少女に、そんな邪推を向けるのは間違っている。
彼女は“神”でも“救世主”でもない。
無邪気に妖精を愛しただけの“妖精の愛し子”。
どうか、この世界の罪が彼女へ返っていませんように。
ファナはそう祈らずにはいられない。
「主様なら……彼女を異界へ追い返す事も出来たはずです。なぜ傍観されたのですか」
《無論、どうでもよかったからだ。滅んでしまえばいいとすら思っていた》
「……」
《だが、この世界は生き延びた。ならば見届けねばならぬ。それが残された竜の定め》
思わずファナが立ち上がって手を伸ばす。頭の鱗を撫でると竜は目を閉じた。
《……別邸に投げ込まれた者を拾ったのは気紛れだった。今ならフォルトゥナが人を愛した気持ちも分かる。──死を見送らねばならぬ苦しみも》
同胞は滅び、分かち合える友は殺された。島民との交流で孤独は癒えても、竜より先に死んでいく。
ファナに打ち明けてくれた竜に、自分が出来る事はあるだろうか。
「……こ、」
《ファナ?》
「この島で──貴方の傍で子供をたくさん作ります! 記録だってたくさん遺します。だからどうか亡くなった人を覚えていて下さい。私や私の子孫が覚えていますから、たくさんその人の話をしましょう? そうすれば、きっと……記憶の中で、生きている……はずです」
短い時間で考えたなりに名案だと思ったのだが、竜に笑われてしまった。
《威勢がいいと思えば“はず”か。言い切ってしまえばいいものを》
「……詭弁ですから」
《堅物め》
罵る竜の声はどことなく甘く、ファナは頬を赤らめた。
しかし竜は更なる追い討ちをかけてくる。
《永く生きるのも悪くない。まさか人間に求愛される日が来ようとは》
「きゅ……!? ち、違います!」
《余の子をたくさん生んでくれ、ファナ。何、方法など幾らでもある》
「ノルンーーー!」
ーーー
間もなくファナ達の母国は、魔蛾を狩り尽くした森のエルフ族によって支配された。
しかし一年も経たずに権力を求めてエルフ族は殺し合い、国に残った元エルフ達も巻き込まれて死に絶えた。
それから千年もの時が流れる。
名も無き島は国となり、名も無き竜もまた王となった。
王妃との間に生まれた子は、いずれも魔法の力を有していたが、兄弟仲良く国を治めた。
次第に竜の血は民の中へ溶け込み、いつしか“魔法使いの国”と呼ばれるようになる。
それでも彼らは王と王妃の教えを守り、決して傲ることなく魔法を人のために使った。
「貴方の言う通り、永く生きるのも悪くないですね。まさか魔力無き大地で、魔法使いが生まれるなんて」
《まだまだ退屈せずに済みそうだ。余はそなたが居れば充分だが》
「何を言っているんですか。城に顔を出しすぎて、あの子達に嫌がられているくせに」
《なんだ、嫉妬か。ファナ》
「そうですよ、ナトルフォン。だから見守るのも程々に」
《そなたの頼みなら仕方ない》
子に後世を託した番は、海の奥底で彼らを見守り続ける。
この星の命が尽きるまで。
最後らへんは蛇足ですが、前に書いた「患っているのは貴方達では?」の千年前の話なので匂わせてみました。
お読み頂きありがとうございました!




