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44. 朝まで

ベルダと流音は場所をベルダのアパートへと移し、夜が明けるまで語り合った。


ミュンヘンのマックスフォアシュタットにあるそのアパートは、ベルダが勤める大学から歩いて十分ほどの距離にあった。


石畳の通りに面した建物は、柔らかなクリーム色の外壁に百年の歴史を刻むレリーフが浮かび、重厚な木製の扉をくぐると、磨き上げられたテラゾーの床が広がっている。階段の脇には、古風な鉄柵のエレベーターが静かに佇んでいた。


ベルダの部屋は四階にあり、表通りに面していた。


壁一面の特注の本棚には、歴史、哲学、美術、そして多言語の書物が整然と並んでいた。

濃い色の寄木細工の床には、アンティークのペルシャ絨毯が敷かれ、窓辺の机には大きなモニターと、書き込みで埋め尽くされたノートパッドが置かれていた。


ふたりは、いつの間にかソファを離れ、コーヒーポットの置かれた小さなテーブルの前の、絨毯の上に膝を折って座っていた。


窓の外が白く染まり、朝日が静かに顔を覗かせた。


「それでね、デリオンの遺体は、ドルハースラフナ王国の墓地に埋葬することになったの。彼は赤ん坊の時に一度葬られていたから、埋葬の場所はすでにあったのよ。

ルナリス国王とイゾルデ王妃の横。でもね、その墓穴があまりにも小さくて、掘り直さなければならなかった。それが、みんなの涙を誘ったわ」


ベルダは淡々と語ったが、その声には深い哀しみが滲んでいた。


葬儀にはフィルモア家の人々も駆けつけた。

父レタナトスは、かつての怪我で足を悪くしていたが、その顔は魂の抜けた老人のようで、まるで今にも崩れ落ちそうだった。

次男モルティマと執事に両脇を支えられ、やっとの思いで歩いていた。


彼はデリオンの墓に覆いかぶさりながら、

「王太子さま……王太子さま、申し訳ございません……」

と声を震わせ、泣き崩れた。


埋葬が終わると、人々は静かにその場を後にした。


けれどレタナトスは、「まだやらねばならぬことがある」と言って残り、エドガーがその傍らに寄り添った。


「ところが、その翌夜、城で大火災が起きて、すべてが燃えてしまった。何もかも、灰になったわ」


「あの大きなお城が、なくなったということですか。」


「そう。今思えば、フィルモア氏は王家とともに去る覚悟をしていたのかもしれない。次男のモルティマに『財団と家を頼む』と告げていたのを、私は確かに聞いたもの。その時のモルティマの顔は、真っ白だったわ」


「エドガーは、どうなったのですか?」


流音は息を呑んで尋ねた。


ベルダは少し息を吸い、首を傾げながら答えた。

「あの夜を境に、彼の姿を見ていない。もう三年になるわ。」


「お城とともに、亡くなったということですか……?」


「そう。あの夜から姿を消してしまったの。だから、父親とともに逝ったのかもしれないと思っていた。あの家の長男だし、エドガーは優しい人だったから、父親をひとりにしなかったのかもしれないって。親友を失った喪失感は大きかったわ。あれから三年……もし生きていたなら、きっと私に連絡があるはず。だから、もういないのだと諦めかけていたの。さっきまで」


「さっきまで?」


「そう。さっき、あなたのメールを見て思ったの。エドガーは生きているって。きっと城が燃え尽きるのを見届けたあと、あそこを去ったのよ。その前に、あなたに最後のメールを送った。時間的に、そう考えられる」


流音はそっとスマートフォンを取り出し、彼からのメールをもう一度読み返した。

そこに何か手がかりがあるのではないかと願いながら。

しかし、文字のどこにもヒントは見つからず、流音の瞳に絶望の色が宿った。


「あなたの、その目を見て……思い出したことがあるわ」


以前、ベルダはセラフィナからエドガーの毛髪を預かり、そのDNA検査をしてほしいと頼まれたことがあった。その結果、彼の父親が人間であることがわかったのだった。でも、その時、エドガーは取り乱すことはなく、

「これで、自分が、なぜ。子供の時から、人間になりたいと願い続けていたのかがわかった」と言ったのだった。


セラフィナは「これ以上は調べなくていい」と言ったが、べルダはマインツの遺伝子系譜学の研究者である友人リュシフルに、その追跡調査を依頼していた。

結果が出るまでには時間がかかったが、リュシフルは彼女の頼みなら何でも聞いてくれる友人で、ようやく先日、その結果が届いたのだ。


「本当の父親が誰か、わかったのですか」


「そうよ。今回の流行病の検査で、血液サンプルが多数集まったの。だから、飛行中に、エドガーに、『父親がアジア系の可能性がある』と伝えたのよ。その時の彼の目が、まさにあなたの目と同じだった」


流音の瞳は大きく見開かれ、呼吸を忘れたかのように瞬きを止めた。


「だから、私は言ったの、慰めるつもりで。だからといって、ルネさんと親戚だというわけじゃないのだから、心配はいらないわって。そのとき彼ったら、思わず手を離して落ちそうになったのよ。私たち、本当に慌てたわ」


スマートフォンの画面に、夜明けの白い光が差し込んだ。


その瞬間、流音の胸に、「もしかして」という思いが閃いた。

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