34. 結果発表
その日、プラハの街は音楽に包まれていた。
国際ピアノコンクールの演奏動画は何百万回も再生され、ネットのトレンド一位を独占。新聞も連日、優勝予想で紙面を埋めている。
地元紙ではプラハ出身の十六歳を推す声が多かったが、流音の演奏については「繊細さと力強さが同居する、静かな衝撃」と評されていた。
意外だったのは、優勝候補と目されていた加賀マギーの支持が伸びなかったことだ。
午後五時近く、ホールの前は人々のざわめきで賑わい始めていた。 その中でベルダがエドガーを見つけ、手を振ると、彼は「おう」と笑顔で応えた。
「よく眠れた?」
「うん」
「うそだって、顔に出ているわ」
「そんなにひどいか?」
「ひどいのは、もともと。目の下にくまができているわ」
エドガーは無意識に目の下を指で撫でた。
「でも、むしろ味が出ているとも言えるから、心配しなくていいって」
とベルダが笑った。
「ところで、採点のことだけど、マギーは七十八点ですって。あの曲を理解するには、若すぎたみたい」
「よく知っているな。どうしてそんなことがわかるんだい」
「私にはわかるの」
「ルネは」
「ロシアの子が八十二点で、チェコの子とルネが八十八点で並んでる」
「じゃ、ルネは優勝争いに残れたんだな。すごい話じゃないか」
「なに、それ。まるで父親みたいな反応ね」
「そうか」
エドガーが苦笑いして空を仰ぐと、遠くから鐘の音が響いた。
いよいよ結果発表の時が迫ってきた。
会場の客席は半分ほどが埋まっていて、カメラマンが忙しく動いていた。 二時間後の夜七時から開かれる入賞者演奏会はすでに切符が完売だが、今は発表だけなので、来ているのは新聞記者と関係者がほとんどである。
前列には四人のファイナリストが並んでいる。
金色のドレスのマギー・カガ。 タキシード姿のイジー・プロハースカとミハイル・ペトロワ、そして流音。
壇上に審査員長ノヴォトニーが現れて、短いあいさつを述べた。
次にふたりの審査員、クレール・デュポンとマティアス・シュタイナーが紙を持って出てきた。
「第四位は」とデュポンがフランス語アクセントの英語で言った。
「マギー・カガ、ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ」
前に陣取っているカメラマンのシャッターを切る音が聞こえる。マギーが頭を下げたが、後ろの席からは表情が見えない。
「第三位は、ミハイル・ペトロワ」
エドガーとベルダが、下馬評が当たっていたと顔を見合わせた。
続いて、シュタイナーがマイクに立った。
「第一位、ルネ・ハセガワ。第二位、イジー・プロハースカ」
「一位、ハセガワって言った?」
ベルダがエドガーの顔を見たが、エドガーも確かではなくて、首を傾げた。
「ね、最初に言ったの、一位だったわよね? 二位じゃなくて」
ベルダは思わず身を乗り出して、手を上げかけた。質問をするつもりなのだ。
その時、審査員長が「おめでとう、ルネ・ハセガワ」と繰り返したので、ふたりはようやく確信が持てた。
ルネが一位だ。
流音が後ろを振り向いて、エドガーを見つけてほほ笑み、小さく手を振ったので、「やったね、おめでとう」とエドガーが頷いた。
四人は次の演奏の準備のため、列をつくって退場していった。
「ルネさんが優勝よ!」
ベルダがエドガーに抱きついた。
「ルネは、本当によくがんばった」
「こういう大会で、がんばらない人はいないのよ。エドガー、あなたこそ、がんばったんじゃない?」
ベルダが彼の肩を軽くたたいた。
「思うんだけど、人って、突然大きくなる時がある。それを見た気がするわ。コンサートが楽しみね。ルネさんは何を弾くの?」
「知らないんだ」
とエドガーが首を振った。




