23. 三人の審査員
庭の空気はすっかり冷え、東の空が白み始めた。
もう狼が襲ってくることはないだろうと、エドガーは毛布を取りに屋敷へ戻った。
キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。
「おはよう、エドガー」
ベルダがコーヒーを淹れていたのだった。
「まだいたのか」
「朝から、言ってくれるわね」
「おはよう。迷惑という意味じゃなかった」
「お母さんに引き留められたのよ」
「すまなかった」
「そんなことはいいの。それより、エドガー、ここに来て。面白いことがわかったわよ」
と、ベルダがスマホをカウンターの上に置いた。
「昨日のコンクールのことだけど、審査員の間で大きなドラマがあったらしいわ。だから、結果がまだ出ていないのよ」
「ドラマ?」
「ひとりの審査員が怒り狂って、審査を放棄して出ていったのですって」
「どういうことだい?」
コンクールの審査員は三人いる。
審査員長は、プラハ音楽院名誉教授のボフスラフ・ノヴォトニー。
もうひとりは、第一回プラハ・ピアノコンクール優勝者で、四十代ながら世界の第一線で活躍しているフランス人女性のクレール・デュポン。
それに、ウィーン楽友協会の指導者で、ウィーン古典派の権威マティアス・シュタイナー。
「ある参加者に、シュタイナーが『これは音楽ではない』とゼロ点をつけた。でも、逆にクレールは素晴らしい演奏だったと満点をつけ、そのことで激しい口論になったらしいわ」
「ゼロ点と満点。そんなすごい演奏があったのか」
「とどめはね、シュタイナーが『このコンクールは若い才能を発掘する場だ。このピアニストは歳を取りすぎている』と言ったこと。実はクレールが優勝したのは二十二歳で、そのピアニストは二十一歳。だからクレールは『年齢と音楽に何の関係があるの? レベルが低すぎて議論する価値もない。審査員は辞退する』と書類を投げ捨てて、会場を出ていってしまったというのよ」
「すごい演奏、二十一歳。歳を取りすぎている……」
エドガーはその言葉を口の中で繰り返した。もしかすると、問題になっているピアニストはルネのことなのではないだろうか。
「ルネさん、いくつ?」
「二十一」
「やっぱりね。その論争のもとになっているのは、ルネさんの演奏だと思うわ。実はギルガルドがわざわざ電話をくれて、『悪魔のワルツ』は素晴らしかったと興奮していたのよ。とても、人間が弾いているとは思われなかったって」
「それで、審査はどうなったんだい」
「クレールの居所が依然としてわからないから、審査は中断よ。彼女、怒ってパリに帰ってしまったかもしれない。でも、彼女が戻ってきて、その主張を続けてくれたら、ルネさんが選ばれる可能性はあるわね」
「ルネにも、チャンスがあるかもしれないのか」
「私、これからプラハに飛んで、クレールを探してみるわ」
「今日、ミュンヘンに帰るんだろう」
「いいのよ。探してみるわ」
「できるのかい?」
「プラハのことはよく知っているし、これでも名門吸血鬼一族の娘だもの。できるんじゃない?」
「ありがとう。恩に着るよ」
「あなたのためじゃないわ。ところで、プロポーズはうまくいったの?」
「まだしていない。彼女が眠っていて」
「仕方ないわね。人間だもの、夜には眠くなるわよ」
ベルダはカップを傾けながら、どこか寂しげに微笑んだ。




