17. 会いたかった人
エドガーが、流音の髪をかき分けて首の横を見ると、赤く腫れた部分があった。
そこはあの腕の手術の際に、彼が噛みつき、吸血した箇所だった。
彼はそこに口をあて、血を吸い、洗面所に行って吐き出した。
それを三度、繰り返した。
ああ、この赤黒い血は、自分の臭いがする。
あの手術の時、噛みついたことで自分の血が混じり、彼女が吸血鬼化してしまったのかもしれない。
「かわいそうなことをしてしまった。すぐに治してやるから」
エドガーは炎症部分を消毒し、そこに手を重ねた。
「ぼくの血がルネに黒ミサを選ばせてしまったのだとしたら、なんて悪いことをしてしまったんだろう」
彼は流音の額に手を当てた。
「ぼくのせいで、きみに狂乱の体験をさせてしまったのか。燃え尽きるほどの演奏をさせてしまったのか。ああ、なんてかわいそうなことをしてしまったのだ……」
ううっと、彼が嗚咽した。
彼が涙を流したのは、生まれて初めてだった。
泣くと声が出るということも、そのとき初めて知った。
「ルネ、目を覚ますんだ」
しばらくすると、流音が目をあけた。
肌に色が戻り、きょとんとした瞳をしている。
「あ、エドガーさんがいる」
「気がついたのかい。よかった」
「ここはどこ?」
「プラハのピアノコンクールの会場だよ。ルネの二次の演奏が終わったところだよ」
「エドガーさんが本当に来てくれたのですね。ありがとうございます」
「遅れてしまって、申し訳ない」
「私、うまく弾けていましたか?」
「とてもうまく弾けたよ。ショパンのはずが黒ミサに変更になっていたから、驚いた」
「そうなの。変えたのよね、私。でも、不思議なのだけれど、よく覚えていないの」
「ルネはこれ以上できないほどがんばった。よくやったね」
エドガーが流音を愛しそうに抱きしめた。
「ありがとう。エドガーさんに会えたからかしら。なにか、とても気分がいいの。ずっと首が痛かったのだけれど、もう痛くない」
と流音が首を振って、肩を上下した。
「エドガーさん、あなたが治してくれたのですか?」
「そうだよ」
「さすが神の手をもつお医者さまです。また助けられて、私って、なんてラッキーなの。私ね、エドガーさんにとても会いたかったのよ。どのくらい会いたかったか、想像できないでしょうね」
「ぼくも、会いたかった」
「私、どうしちゃったのかしら。こんなこと言ったのも、言われたのも初めてです」
流音が頬を赤くして、両手で頬を押さえた。
「でも、エドガーさんはいつも言われているのではないかと思いますけど。だって、こんなにすてきですし、人を助けるお医者さまですもの」
「言われてないですよ」
「本当ですか。エドガーさん、ところで、もうひとつ大きな問題があります」
「何ですか」
「私、お腹がぺこぺこです。この二日、食べた記憶がないのよ。ねっ、どこかでおいしいものを食べさせてください」
やれやれ、よかった。
先ほどまで気を失っていた人の言葉とは思えない、とエドガーはほっとして、苦笑を漏らした。
「よいですよ。ここではおいしいレストランを知っていますから、行きましょう」




