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1 ドクター・フィルモアは吸血鬼

「緊急ニュースです」


BBCの夜十一時、女性アナウンサーが深刻な声で伝える。


「ロンドン発の長距離バス、ナショナルエクスプレスがミルトン・キーンズ付近で赤いスポーツカーと衝突、横転しました。多数の死傷者が出ている模様です」


画面には、無残なバスの姿が映しだされている。

窓は砕け、鉄骨は歪み、夜の闇にパトカーの赤と青の光が点滅していた。


「衝突したのは十代の若者四人が乗ったスポーツカーで、そのうちひとりは現職大臣の息子と判明しました。車は赤いランボルギーニ・アヴェンタドール。時速百五十キロを超えていたとみられています」


ニュースに釘付けになっていたのは、ドクター・エドガー・フィルモアである。


だが、彼が注目していたのは事故の原因でも、車の名前でもなかった。

彼の関心はただひとつ、どれほどの血が流れているか、ということ。


テレビ画面には、血の赤は映らない。

だがフィルモアの脳裏には、押し潰された車体からあふれ出す鮮血が、地面を染めていく光景が蘇る。喉が鳴り、思わず唾を飲み込んだ。


ドクター・フィルモアは吸血鬼である。

ただし正確には、「人間になりたい」と望み続けている吸血鬼である。


けれど、その願いはまだ叶わず、いまだ彼は、週に一度、四百ミリリットルの鮮血を必要とする。コーヒーカップにして二杯分。


彼はブラックソーン・メモリアル・メディカルセンターの緊急医、「神の手を持つ」と呼ばれる天才外科医である。


チェコから十三歳でロンドンに来て、医学大学を最年少で、しかも一番の成績で卒業した。名門の病院から声がかかったが、この勤務先を選んだのは怪我人が多いから、輸血用の血液が簡単に手に入るからである。


そんな彼のスマホが鳴った。


「ドクター・フィルモア、夜分すみません」

「どちらさまですか」

フィルモアはわざとかすれ声を作った。寝ていたフリである。


実際は、夜は彼の活動時間なのである。それに、今日は非番だし、休みといっても彼は休む必要がないのだ。


それどころか、血を見ていると落ち着くのだ。しかし、休まないと同僚に不審に思われては困るから、人間のように、休んでいるのである。


電話の声は続いた。


「私は、ミルトン・キーンズ大学病院の外科医、ドクター・ハミルトンです。先ほど近くでバスの転倒事故があり、多数の被害者が出ました。どうしても力をお借りしたい患者がいまして、ブラックソーン病院に問い合わせたら、先生は今夜は非番だと言われたのですが……でも、失礼を承知でご連絡を」


「そんなことは気にしないでよいですよ。ところで、怪我人は何人ですか?」


「二十二人です。大半はうちで処置できます。ただ一人、若い女性がバスの座席に腕をはさまれて重傷で……片腕はほとんどぶら下がっている状態です。壊死の危険が高く、切断するしかありません……。でも、ドクター・フィルモアなら、何とかできるかもしれないと、ロンドンに運ぼうとしたのですが」


「それは、だめですよ。動かしたら、ショック死のリスクがありますから。これから、私が行きましょう」

「ええっ」


「その患者の血液型は?」

「Rh陽性O型です」


フィルモアは舌なめずりをした。O型は大好物である。


「では輸血をして、私が行くまで、必ず生かしておいてください」

「本当にも、来てくださるのですか!」

「もちろんです。着いたらすぐ再接着手術をします。そのための人員を集めておいてください」

「ありがとうございます!ロンドンからですと一時間半、いや二時間……」


「偶然なのですが、私は今、ミルトン・キーンズの近くにいます。二十分で到着できるでしょう」

「それは、なんという幸運!お待ちしております」


電話を切ると、フィルモアは背伸びをした。

「さぁて……」


クローゼットから革鞄を取り出し、中の黒いマントと帽子を手に取る。

吸血鬼の正装だ。

二度と着るまいと思っていたが、ロンドンから二十分で現場に駆け付けるには、これしかない。


窓を開けると、六月のロンドンの夜風が入り込んだ。湿り気はあるが、冷え込みはさほどでもない。


プラタナスの葉を揺らす風、テムズ川に揺れる月の光、ガス灯のランプが水面に細く延びている。


その空を、黒いマントを翻して、エドガー・フィルモアの影が駆けていった。

まるで大切な恋人に会いに行くように、軽やかな足取りで。


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