26.
夜が明けた。
血と煙の残り香が漂う戦場に、重く沈んだ空気がまとわりついていた。
生き残った者たちはまだ立てる。剣を握れる。魔力も残っている。
だが――同僚が噛み砕かれ、仲間が巻きつかれて骨を軋ませて殺される姿を目の前で見てしまった者たちの瞳には、恐怖の影が焼き付いていた。
「……目を逸らすな。今日もまだ、続きがある」
レイの声が、沈みかけた空気を繋ぎとめる。
その通りだった。昨日よりもさらに巨大で凶悪な魔獣たちが、すでに砂丘の向こうから姿を現していた。
魔導砲が轟き、黒羽族の黒炎が一体を焼き尽くし、白羽族の白雷がもう一体を貫く。
しかしそれでも、大型の全てを仕留めきれるわけではない。
残った数匹はそれぞれの戦線へと割り振られた。
一体は灰牙の輪。
一体は悠真と陸翔、レイ、ミナのいる前線。
一体は冒険者混成隊。
そして一体は――
「……俺か」
巨人族の戦士、ボルガンの前へ。
現れたのは全長十メートルを超える異形。
鋼鉄のような甲殻に覆われ、背から無数の棘を突き出す魔獣――オルバルドン。
丸まり、砲弾のごとく転がっては敵を押し潰す。甲殻の堅牢さは城壁に匹敵し、まともな攻撃は弾かれる。
「厄介な相手を引き当てちまったな」
ボルガンは肩を鳴らし、モーニングスターを構える。
転がる巨体が轟音を上げて突進してくる。
振り抜いた鉄球が真正面から叩きつけられ、火花と衝撃波が弾けた。
砂煙が吹き飛び、巨体の勢いは止まる――だが傷一つつかない。
代わりにボルガンの腕に痺れが走り、膝が沈む。
「……やっぱり通らねぇか」
再び転がり出すオルバルドン。
ボルガンは鎖を引き、鉄球を何度も叩き込んで勢いを殺す。
だが、そのたびに腕は悲鳴を上げ、肩が裂け、背中を伝って血が流れる。
ジリ貧――そう誰もが思ったその時。
「……ん?」
転がりを止めたオルバルドンの背、甲殻の一部に小さな亀裂が入っているのを見逃さなかった。
「なるほどな。だが――転がってる時にゃ狙えねぇ」
ボルガンは鉄球を引き戻し、再び構える。
次の突進に備えながら、心の奥底で自分自身に火を灯した。
「なら――体張って止めてやる!!」
咆哮と共に、〈巨躯強化〉が発動する。
巨人族の血が沸騰するように体内を駆け巡り、筋肉が爆発的に膨張。
握った腕が岩のように硬化し、背丈すら一回り大きくなる。
迫る巨弾。
地を裂きながら突進してくるその勢いを、真正面から受け止めた。
轟音と共に、ボルガンの足が砂に沈み、地面がひび割れる。
歯を食いしばり、腕が折れそうになるのを力でねじ伏せる。
「ぐおぉぉぉおおおッッ!!」
さらに〈狂戦顕現〉。
瞳が血のように赤く染まり、全身が灼けるような熱を帯びる。
理性を蝕む獣の本能を、ただ力として拳に集束させる。
鉄球を放り捨て、血まみれの拳を突き出す。
亀裂へと叩き込まれた拳が甲殻を粉砕し、内部の肉を抉る。動きの止まった巨体にモーニングスターをすぐさま拾いもう一度渾身の力で振るう。
「砕けろォォォオオオ!!!」
オルバルドンの絶叫が砂漠を揺らし、巨体が大きくのけぞる。
もがく体から無数の棘が飛び散り、周囲を串刺しにしようとする。
だがボルガンは、既にその動きを読んでいた。
幾つかは肩や腕に突き刺さったが、残りはモーニングスターで弾き飛ばす。
血を流しながらもモーニングスターを振り抜き、最後の一撃で巨獣の心臓を貫いた。
巨体が崩れ落ち、砂煙を巻き上げる。
戦場に訪れる、一瞬の静寂。
ボルガンは荒い息を吐き、なお赤く光る瞳で周囲を見渡した。
理性が獣に飲み込まれそうになる――だが、拳を地面に突き立て、自らを縛りつける。
「……落ち着け。俺は、まだ人だ」
深い呼吸を繰り返し、やがて赤光は瞳から消えた。
残ったのは血と汗にまみれた、ただの戦士の姿。
「――勝ったぞ」
そう呟き、倒れ伏したオルバルドンの上に立ち続けた。
遠巻きに見ていた冒険者たちは声を上げられなかった。
圧倒的な勝利と、恐ろしいまでの孤独な戦いぶりに。
仲間でさえ近寄るのをためらう、絶対領域の戦場。
ボルガンはただ、黙って空を見上げる。
次に来るであろう敵を見据えながら。
戦場はまだ終わらない。
灰牙の輪は別の巨獣と死闘を続け、悠真と達もまた命を削る戦いの渦中にいる。
だが、そのどこかで。
巨人族の戦士は一人、確かに勝利を刻んだのだった。




