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Beyond the Record  作者: しおん
『サル=ヴァリド』
22/29

19.

夕暮れの街は、いつもより静かに思えた。

祭りでも戦でもない、けれど空気が張りつめているように感じる。

悠真は、診療所の木製の扉に手をかけ、深呼吸してからそっと押し開けた。


薬草を煮出した匂いが鼻を突く。

棚には乾燥させたハーブの束が並び、奥の机では細かい刻む音が絶えず響いていた。

その音の主、リオはベッドに腰掛けながら、包帯を静かに丸めている。


「……入っていい?」


声をかけると、彼女は小さく顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。


「どうぞ」


いつもと同じ声色。けれどその奥に、疲れが滲んでいるのを悠真は感じた。


「明日、調査に行ってくる。……町の外、ヴォルグレムが出た方向へ」


包帯に指先を触れたまま、リオの瞳が揺れる。


「気をつけてください。最近あの辺りから戻ってくる人たち……怪我ばかりで、ここに運び込まれるんです」


「うん。わかってる。……でも、俺たちも装備を揃えた。陸翔も一緒だし、レイや他のみんなもいる」


安心させるように笑うが、自分自身も不安を抱えていた。

リオはその表情を見透かしたように、ふっと目を伏せた。


「……ヒーラーがいない場所での無茶は、命取りです。忘れないでくださいね」


悠真は息を呑み、真剣に頷いた。


「わかってる。こないだはリオがいてくれたから、俺は無茶できた。でも今回は違う。絶対に死なない。……約束する」


リオの唇が小さく震え、それから微笑みが浮かぶ。


「それなら……安心です。……帰ってきたら、話したいことがあるんです」


「話したいこと?」


問い返すと、彼女は首を振って視線を逸らした。


「今は……内緒です。無事に帰ってきたら、話しますから」


悠真は苦笑し、しかし心に深く刻んだ。

その「内緒」が、何よりの帰還の理由になる気がした。



ギルドの作戦室は、油の匂いと羊皮紙のざらつきに満ちていた。

分厚い木の机を囲んで、レイ、ミナ、ウンランが既に揃っている。

悠真と陸翔が入ると、レイがすぐに声を上げた。


「正直に言う。今回の調査、俺たちだけじゃ手に余るかもしれない」


悠真は眉をひそめた。


「そんなにやばいのか?」


レイは真剣な表情で地図を指差した。


「ヴォルグレムの出現位置が異常だ。砂丘の中央部や荒野でもなく、町のすぐ近くだ。他の冒険者に情報収集してたんだが何かキナくさい……ただの違和感だけじゃない、もっとデカいなにかが起こってそうだ。」


ミナが地図に手を置き、魔力の流れを指でなぞった。


「町の逆側――明日行く調査区域は、魔力が乱れているらしいわ。流れが寸断され、穴みたいな空白ができている。これは普通じゃない。……何かが起こってる」


「……街の命運に関わるかもしれない」ウンランの声は低く、重く響いた。

「だから最優先は“生きて帰ること”。結果は二の次。誰一人欠けないことが、今回の本当の目的」


その言葉に、悠真と陸翔は無言で頷いた。


――その時。


「お前ら、揃ってるか」


低く響く声と共に、扉が開く。

ボルガンの熊のような巨体が部屋に入った瞬間、空気が張り詰めた。


「正式に指名依頼が下った。明日の調査任務だ。お前ら五人に加え、上級ハンター五人との合同になる」


「上級……五人も?」悠真が思わず声を漏らす。


「それだけ、事態が重いってことだ」ボルガンは低く答える。

「依頼主はヴァルド本人だ。街に飛び火する可能性が高い。失敗は許されん」


ミナが眉をひそめ、口を開いた。


「その五人って、誰?」


ボルガンの口元がわずかに動いた。


「《灰牙の輪》だ。亜人と妖精族で構成された精鋭部隊。銃を使わん。魔術と体術のみで戦う。人間の冒険者じゃまず真似できん連中だ」


「――灰牙の輪!?」レイの目が大きく開かれる。

「カリムさんたちか!?」


「カリムさん?」悠真が首をかしげる。

「警備隊長の?」


「そう。初めて会った時に話したろ? カリムさんは元々ギルドの冒険者で、頼まれて警備隊長を兼任してるんだ」


ボルガンは頷く。


「そうだ。ただし、お前らが知ってるのは“街の顔”としてのカリムだ。本来の彼は《灰牙の輪》の長。……本気のカリムは、別人と思え」


室内の空気が一段と重くなる。


レイが腕を組みながら呟いた。


「灰牙の輪が動くってことは……もう、この町の問題だけじゃ済まないんだな」


「そういうことだ」ボルガンは鋭い視線を悠真たちに向けた。

「出発は明朝。準備を整えろ。……死ぬなよ」



夜の街は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

灯火が石畳を照らし、風に薬草の香りが混じる。


悠真は工房で受け取った手甲を外套の中から取り出し、拳を握った。

重みはまだ慣れない。けれど、その重さは覚悟そのものだと感じていた。


「灰牙の輪……カリムさん、どんな顔して来るんだろうな」


隣で陸翔が空を仰ぎながら答える。


「俺たちも少しは成長した。……見せられるところはあるさ」


悠真は小さく笑った。


「うん。まだ短いけど街で生き残ってきた俺たちの姿、ちゃんと見てもらおう」


二人の視線の先に浮かぶのは、血のように赤い月――クロト。

雲ひとつない夜空に浮かび、街を薄紅に染めていた。


その光は不吉な兆しのように揺らめき、眠りにつく人々の心に言い知れぬ不安を忍び込ませていた。

牙は既に動いている――そう告げるかのように。


そして運命の朝が、静かに近づいていた。



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