プロローグ2
天渡市の朝は、静かに始まる。
蒼月悠真は、事務所のソファで寝落ちしていた。
毛布は半分落ちていて、スマホは顔の横に転がっている。
神原陸翔は、黙ってコーヒーを淹れながら、その様子を見ていた。
「起きろ。新しい依頼が入ってる」
「ん……あと五分……」
「うるせえよ、五分で何が変わる」
「俺のやる気が変わる」
「変わらないだろ」
「変わるかもしれないだろ」
陸翔はため息をつき、コーヒーを机に置いた。
悠真はそれを見て、ようやく起き上がる。
「……、ほんと冷たいよな、デレの部分、小学校に忘れてきただろ。永久氷土人間め」
「うるせえ、悠真がぬるすぎるだけだ、オレがいなきゃ食うもんなくて干からびてるぞ」
今日の依頼は、庭の草むしりと物置の整理。
依頼主は若い主婦だった。
悠真は目を輝かせた。
「奥さん、こんな暑い日なんで中入ってていいですよ。中で見ててください!オレの仕事頑張る姿に惚れさせてみせるんで!」
主婦は一瞬きょとんとしたあと、笑って首を振った。
「そうねー!草が伸びすぎて困ってるたから頑張り次第かもね〜」
「ですよねー。でも俺、草むしりの姿に惚れられるタイプなんで、気をつけてくださいね」
「はいはい、期待してるわ」
陸翔は黙って作業用手袋をはめながら、
「……お前、仕事中くらい黙れ」
とだけ言った。
「陸翔、今日の依頼主、当たりだぞ」
「……仕事に集中しろ」
「いや、集中するけどさ。あの笑顔、反則だろ」
「お前、笑顔に弱すぎる」
「可愛いは正義だろ。俺の辞書に書いてある」
ふたりは淡々と作業をこなす。
悠真は手際はいいが、時々ふざける。
陸翔は無言で作業を続け、悠真の暴走をさりげなく止める。
「なあ、陸翔。お前ってさ、彼女とかいたことある?」
「あるよ、お前も知ってるよ。同じクラスのミサ」
「マジかよ!学校のアイドル!天罰だ!」
大した助走もなくすごい速さでドロップキックをするが、見慣れた陸翔はサラッとよける。
「イタタッ、いつだよ?」
「高校の時」
「なんで別れた?」
「……俺が冷めた」
「うわ、ミサちゃんかわいそ!こんな冷血人間好きになるから。なんで俺じゃないんだよ!」
「そう言うお前はどーなんだよ?」
「…おれ?モテ過ぎて選べなかったんだよ!」
「はい、チェリーの言い訳な」
「もげろ」
陸翔は空を見上げた。雲ひとつない青に、じりじりと太陽が焼きついている。
蝉の声が、どこか遠くで鳴いていた。
「……暑いな」
「いや〜、この暑いなか頑張ってるのポイント高いだろ。奥さん見てるかな?汗ってセクシーって言うし」
「お前の汗はただの塩水だ。撒いても雑草は枯れない」
「塩対応すぎるだろ……」
悠真はしゃがみ込み、草を引き抜きながら主婦の視線をちらちら気にしていた。
一方、陸翔は黙々と物置の扉を開け、棚の中の工具やガラクタを分類していく。
「悠真、こっちの棚、ネジと釘が混ざってる。仕分け頼む」
「え、俺、草むしり担当じゃ……」
「惚れさせるんだろ?なら万能型でいけ」
「くっ……!俺の魅力、草むしりだけじゃないってとこ、見せてやる!」
悠真は立ち上がり、物置に向かって歩き出す。
その背中に、主婦が笑いながら声をかけた。
「頑張ってね〜、万能型くん!」
「任せてください!蒼月悠真20歳今日もじゃんじゃんバリバリ仕事がんばります!」
作業が終わると、主婦が冷たい麦茶を出してくれた。
悠真は満面の笑みで受け取り、陸翔は軽く会釈した。
帰り道、軽トラの中で悠真が言った。
「なあ、俺ってさ、バカかな」
「バカだ」
「即答かよ」
「でも、勘はいい」
「……それ、褒めてる?」
「事実を言っただけだ」
ふたりは言葉少なに走る。
沈黙が、心地よい。
夜、再び展望台へ向かった。
昨日と同じように、星が鮮明に見える。
けれど、空気が少し違っていた。
「なあ、陸翔。今日の空、なんか変じゃないか?」
「……昨日より、星が近い気がする」
「近いって、どういうことだよ」
「わからない。でも、距離感がおかしい」
悠真は空を見上げる。
星が、じっと見返してくるような気がした。
「なあ、陸翔。俺さ、祖父ちゃんに言われたことあるんだ」
「何を」
「“お前は、空を見てる時が一番まともだ”って」
「……それ、褒めてるのか?」
「たぶん。俺、地に足ついてないってよく言われてたし」
「今もだろ」
「お前、ほんと容赦ないな」
ふたりは並んで星を見上げる。
流れ星がひと筋、走った。
そのあと、昨日と同じように、もうひとつの光が現れた。
まっすぐに地上へ向かってくる。
「……また、来たな」
「陸翔、これってさ……」
「わかってる。昨日と同じだ」
光は、ふたりを見つけたかのように、ゆっくりと近づいてくる。
「なあ、陸翔。俺たちに向かってきてない?」
「……かもしれない」
「俺、バカだけど、こういうのはわかるんだよな」
「それが、お前の強みだろ」
空が、静かに震えていた。
星が、何かを告げようとしている。
それは、日常の終わりを告げる“予兆”だった。