15
魔物が塵となり、静寂が戻った瞬間――張りつめていた糸がぷつりと切れた。
最後まで気を張り続けていた悠真の視界も、暗闇へと沈んでいった。
――次に目を覚ました時。
空は淡く白み始め、夜の帳を押し退けるように東から光が差していた。
地面はまだ夜露で冷たく湿っており、霧が薄く漂っている。空気は異様なほど静かで、あれほど荒れていた戦場の名残が、まるで夢だったかのように感じられた。
周囲には仲間たちが横たわっていた。
仲間たちは横たわっていた。ミナ、ウンラン、レイ、そしてリオ。
全員、生きている――ただそれだけで胸が震える。
少し離れた場所には、陸翔と黒いスーツの男――カイの姿があった。
陸翔が何事かを語りかけているが、カイは煙草を咥え、灰色の煙を空へと流しているだけだった。
悠真は、掠れるように呟く。
「……カイ」
その背は孤高そのもので、昨日の戦闘で見せた異質な強さと同じ冷静さを纏っていた。
近づきがたいほどの圧と孤独がそこにはあった。
やがて仲間たちも一人、また一人と目を覚ました。
疲労は深かったが――全員、生きていた。
誰も声をかけられないまま、カイは静かに背を向ける。
足音もなく、彼は悠真たちが来た道とは逆方向へと歩み去った。
昨日の戦いで痛感した圧倒的な実力のせいか、あるいは彼が放つ独特の気配のせいか――誰一人、その背を呼び止めることができなかった。
静けさを破るように、悠真が口を開いた。
「みんな……大丈夫?」
張りつめていた緊張が解け、肩の力が抜けたように誰もが頷いた。
レイが全員を見回し、「立てるな」と短く言う。
だが、リオだけは動けなかった。
《スティグマ・ヴェール》の反動が、体を深く蝕んでいた。
顔色は血の気を失い、唇は青白く、体は小刻みに揺れている。
悠真は慌てて駆け寄った。
「リオ、背負うよ」
「……自分で歩けます」
首を振るリオ。しかし次の瞬間、足がもつれて倒れそうになる。
悠真は即座に彼女を背に担ぎ上げた。
驚くほど軽かった。
だが、その軽さがかえって胸を締めつけた。
――この身体で、仲間たちの傷を一身に受けていたのか。
そう思うと、不思議な重みを感じた。
「なんで、そこまでするの?」
無意識に問いが漏れる。
「……いや、言いたくなかったらいい」
リオは黙ったまま、悠真の背で小さく呼吸を整えていた。
深くは踏み込まず、悠真は黙って歩き出す。
森の中は異様なほど静かだった。
鳥の声も、虫の音も消え、風が木々を揺らす音だけが響く。
まるで、先ほどまでの戦闘がこの森を沈黙させたかのようだった。
やがて陸翔が声をかける。
「疲れたろ。代わる」
悠真は頷き、慎重にリオを降ろした。
陸翔が代わりに背負い上げ、悠真はその隣に並んで歩く。
沈黙が続く中――リオがぽつりと語り始めた。
「……昔、親友が事故で怪我をして。すごく苦しんで……最後は亡くなったんです」
声は震え、小さく掠れていた。
「おばあちゃんも、骨折して歩けなくなって……ずっとベッドの上で。そういうのを、見てきたから」
遠い記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。
「でも、こっちに来て……スキルがあって。癒せるなら、癒したいって思ったんです」
悠真は言葉を失い、ただ彼女の横顔を見つめた。
痛みを背負う覚悟を持った笑顔がそこにあった。
「痛いけど……誰かが傷ついているよりは、まだいいから」
リオは、そう言って微笑んだ。
その笑みに悠真は返す言葉を見つけられなかった。
胸の奥が、じりじりと焼けるように熱くなった。
やがて森を抜ける。
レイが辺りを確認し、「馬車が待ってる」と短く告げる。
予告通り、依頼出発時と同じ馬車が平原に停まっていた。
御者が黙って手綱を握り、全員を迎える準備を整えていた。
皆が次々と乗り込む。リオはミナに支えられながら座席に腰を下ろした。
ウンランは地図を広げ、レイは銃の手入れを始める。
ガタリと車輪が回り、馬車が動き出した。
乾いた車輪の音が、戦闘の余韻をゆっくりと遠ざけていく。
「そういえばさ……昨日のあのローブのやつ。ヤルダバオートの使徒って言ってたよね?」
ウンランが低くつぶやく。
「陸翔、お前あの言葉聞いた瞬間、撃ったよな。なんだったんだ?」
陸翔は少しだけ目を細め、短く吐き捨てる。
「……あーゆーカルトみたいなこと言うやつは大概ろくでもねぇ。日本でも、そういうやつらが事件を起こしてただろ」
それ以上語らず、窓の外に視線を移した。
ミナが肩をすくめ、水筒を回す。
「まあ、確かに。雰囲気からして怪しかったし」
「でも、あいつ……まだ何か企んでる感じだった」
「だから撃ったんだろ」
レイの言葉に陸翔は応えず、ただ視線を逸らした。
やがて石畳の道が見え、街の旗が遠くに揺れる。
――帰ってきたのだ。
馬車が止まり、皆がゆっくりと降りる。
リオはまだふらついていたが、ミナが支えた。
ギルドの扉を開くと、受付の女性が目を見開き、駆け寄ってきた。
「お帰りなさい……!無事で、本当に良かった」
「依頼完了。報告は後でいい。まずは休ませてくれ」
レイが淡々と告げ、受付は深く頷く。
「医務室を準備してあります。リオさんはすぐに」
ミナとウンランがリオを支え、奥へと運んでいった。
悠真と陸翔が壁際で一息つくと、巨体の影が扉を押し開けた。
ボルガンだ。
「大変だったようだな。……リオの様子を見れば分かる。で、レコード機関は現れたのか?」
悠真は頷き、深く息をつく。
「はい、現れました。でも救われました。それより……ヤルダバオートって何ですか?あいつらの使徒ってやつが、あんな化け物を……。遺跡でも同じローブのやつに会いました。何者なんですか?」
ボルガンは大きく息を吐き、腕を組んだ。
「ヤルダバオート……わからん!ただ一つ言えるのは、ろくでもない連中ということだ。レコード機関が動いた理由も、そやつらに関係しておるのだろう」
「疲れておろうに、長々と話させたな。休め」
ボルガンが去り、静けさが戻る。
悠真はふと空を見上げた。青く光るラケシスが浮かんでいた。
「……ボルガンさんの迫力で、どっと疲れた」
息を吐き、拳を握る。
「オレ、この世界に来てスキルも目覚めて……なんでもできるって思ってた。けど結局、みんなが無事だったのも、オレが生きてるのも、あいつらが来たからだ。オレの力じゃ足りなかった。……悔しい」
隣で陸翔が無言で立つ。
その横顔は静かで、けれど力強い。
「そうだな。けど、生きてる。まだ終わっちゃいねえ。……これからだ」
悠真は頷いた。
拳に力を込め、心の奥で燃える悔しさを決意へと変えていった。
青空に浮かぶ青いラケシスが、まるで挑むべき未来を指し示すように輝いていた。




