第78話「バカだね」
夜は更け、央都のネオンが微かに明滅する時間になっても、ノアは一人、執務室で作業に追われていた。
山積みの書類整理、召喚技術に関する申請書類の承認。
帝級魔導士にして国の統治者である彼女に、安息の時間は乏しい。
そんな静寂を破り、不意に扉が開いた。
「やあ」
「あなたは……ポラリスさん、でしたか」
ノアは顔を上げ、軍帽の縁に指を添えた。
「お。覚えてくれてたみたいだね。てっきり、ジルにしか興味が無いのかと思ってたよ」
「そんな事ないですよ。私は全てを、心の底で渇望していますから」
「そんなんじゃ、いつか持て余すか、全部溢れていくよ」
ポラリスは悪戯っぽく笑いながら、促される前にソファに腰を下ろした。
「……それで、何の用でいらしゃったんですか?」
「いいじゃん。雑談くらいしようよ。僕はね、喋るのが大好きなんだ。君と同じように、ね」
「それでは、議題を決めましょうか」
「とっておきがあるよ」
「お訊ねしても?」
「この世界において、"文系と理系"のどちらが優れていると思う?」
ノアの手が止まった。
「帝級魔導士の私に、そのような質問を?」
「ふふん。内心、面白そうって思ってるくせに」
「ええ。良いでしょう。ただし――」
ノアはペンを置き、真っ直ぐにポラリスを見据えた。
「私は"理系"を選択します。意外ですか?」
「まあね。でも、何となく分かる気がするよ。さっき、耳を立てていたからね」
「……理論上でしか叶わなかった事象の発生。ジルのスキルのことですね。私はそれを『証明』したいのです」
「それじゃ、僕は"文系"を選ぶよ」
「紅茶を用意しますね」
ノアは手際よく茶器を並べ、芳醇な香りが室内に広がる。
「そもそもの話として、文系は魔力を有している。これだけじゃ足りないのかい?」
ポラリスがカップを手に、先制の一撃を投じる。
「ですが、理系のような再現性、正確性があるとも限りませんよね。結果として、この世界の九割方の人種たちは、口だけじゃないですか」
「ほうほう?」
「ただ上部だけの気持ちを曝け出して、中身は憎悪で満ちている……残念な人たちですね、と度々思います。確かに文系たちは『文学的才能』、すなわち魔力があるだけで、大抵の生物よりは格が上がります。ですが……」
「君が言ってる理系ってのは、ジルの事じゃないの?」
「彼じゃ、ダメなんですか」
「当たり前でしょ。世間一般的な話をしているんだよ」
ポラリスは楽しげに肩をすくめる。
ノアは冷めた目で言葉を続けた。
「では、言わせてもらいますが。もし、魔法という仕組みそのものが、誰かに造られたシステムの一環だとしたら?」
「何それ。面白そうじゃん」
「もし理系が魔法という仕組みを作った、あるいは間接的に作ったことになるのであれば?」
「バカだね」
ポラリスの笑みが少しだけ深まる。
「それは、結局原初に遡るって事だよね。……これは経験則だけど、それなら理系が魔法を使えないのがおかしいよね」
「なら一体、どうして"魔力量"なんて言葉が生まれ、本来曲がりなりにも才能と呼ばれる事象が数値化できてしまうのでしょう?」
「結局、あやふやになるしかないんだよ」
「論点をずらさないでください」
「……。いいよ」
ポラリスが初めて、この議論の中で表情を崩した。
少しだけ真剣な、大人の男の顔になる。
「詠唱を作るのは、文、語句、韻、そして感情だ。でも、感情なんてのは、理系でも持ち合わせているだろう? 誰でも喜ぶし、泣きたくなったり、人を信じられなくなることもある」
「……ええ」
「曖昧だよね。何が魔法で、何がスキルかなんてさ。想像してみてよ。魔法も、スキルも無い世界を。君も文系なら、出来るはずだ」
「…………」
「その世界で突然、過去誰も成し得なかった偉業を達成するとする。その時、人々はその事象をなんて呼称すると思う?」
「……奇跡?」
「信じられないかもしれないが、大抵は"才能"や"魔法"と呼ばれるんだ。ある科学者が、世紀の大発見なんて呼ばれるような発見をしたら、それはもう勝手に変換されるのさ」
「科学者が、世紀の大発見をしてしまっていますが」
「まあね。ジルなら、魔力を積分して魔法を擬似的に使用する、なんて離れ業が出来る。でも、魔法ってのは本来、文系だけの、いわば特権なのさ」
ポラリスはカップを置き、窓の外の夜空を指差した。
「なら突然。そう、魔法詠唱に、理系知識を組み込む魔導士が現れたら?」
「……ジル君と正反対の存在、という事ですか?」
「あるいは、似た者同士ってとこかもね。実は存在するんだ。詠唱にたかが数字を組み込むだけで、あっさり本来の魔法を超えてしまう魔導士が」
ノアの瞳に、強い好奇心の火が灯った。
「理系は自身を除く『無』から『有』を生み出せない。でも文系は? 無から有を生み出せてしまう」
「……このままでは、鶏が先か、それとも卵が先か、なんて論争に近付きそうですね」
「だね。これは議題が悪かったみたいだ。ここらでお開きにしようか」
「そうですね。いい息抜きになりました。新しい知見も手に入った事ですし」
「そう。そりゃ良かった」
ポラリスは立ち上がり、扉へと向かう。
去り際、ノアに呼ばれ、彼は足を止めて振り返った。
「世界は広いんですよ。君は知らないかもしれないですが、この世界には『文理両脳』なんて呼ばれる存在が居ます」
ポラリスは軽く手を振る。
「へえ。ま、知ってたけどね。前に会ったばかりだし。――伊達に二千年、生きてないから。世界が広いのもよく分かってるつもりさ」
扉が閉まり、静寂が戻る。
ノアはしばらくの間、自分の手元の冷めた紅茶を、ただじっと見つめていた。




