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第71話「証明の第三歩」

(俺様の全力で……ここで……この無駄な推論を終わらせてやらぁ……ッ!)


猛烈な風圧を受けながら落下するフル・オレイズは、手にした戦斧をジルの背中へ向けて構えた。

全身の筋肉が軋み、魔力が限界を超えて斧の刃に収束していく。


(当たれ、当たれ……当たれぇッ!)


必殺の投擲モーションに入ろうとしたその時、白い軌道を滑るジルが、不意に肩越しに振り返った。


「思想を……放棄したな?」


ジルの左目が、フルを射抜いた。

ただそれだけなのに、フルの巨大な身体がビクリとすくむ。

それは、ジルの瞳孔が怒りでも殺意でもなく、どこまでも冷徹で計算高い光で満ちていたからだろう。

あの頃と、なんら変わらない、イヤな目。




一方、地上付近の安全圏。

カノンの誘導とアークの防壁により、第13区の住民の避難と、全構成員の捕縛が完了していた。

無事に合流を果たした四人は、夜空から堕ちてくる二つの影を見上げていた。


「……狩りが終わる」


スズナが、淡金色の瞳を細めて呟く。


「だね」


ポラリスもまた、静かに頷いた。

上空で展開されているのは、もはや戦闘ではない。

その正体が何なのか、彼女らが知る由も無いのだが。



「悪いが——そろそろ、その前提を破壊しにいくぞ」


落下しながら、ジルは空中に向かって静かに宣言した。


「……証明を続けよう」




スキル『数学者』。

この世界において、一言で形容するなら「理系専用のハズレスキル」だ。

グラフや空間図形を空中に生成することしか出来ず、表示されるデータも数字で表せるものに限られる。

戦闘には不向きとされ、誰もが見向きもしなかった。



だが、それは「実数」の世界しか見えていない者の浅薄な評価だ。

実数を書き換える《現実演算(アルターコード)》すら、このスキルの片鱗に過ぎない。

数学には、"現実に存在しない"軸がある。

平面に限らず、空間に。

それが——。



「スキル『数学者』、第四段階《虚数解放》」


ジルの声と共に、空気が異様に歪んだ。


虚数解放(ニューアクシオム)》。

物理世界の基準である実軸から、存在の座標を意図的に外す。

意識はそこに在るが、物理的な存在はそこに「無い」。


ジルの頭上に、微光を放つ「ω(オメガ)」の文字が浮かび上がり、彼の身体の輪郭が陽炎のようにブレて歪んだ。

なんとも異常な光景だった。

世界というキャンバスから、ジルの存在だけが切り抜かれようとしているかのようだ。


(長時間使用すれば、俺の存在そのものが実軸との乖離を起こすだろう……一瞬で終わらせる)



「ウァァァアアアッ!!」


恐怖と混乱を振り払うように、フルが咆哮と共に赤熱した戦斧を投擲した。

轟音を立てて空気を引き裂き、斧はジルの背中へと直撃する——。



しかし。

戦斧は、まるで幻影を通り抜けるように、ジルの身体をすり抜けていった。


「な……ッ!?」


フルが絶望に目を見開く。


「誰の魔法をいくら分解しても、複素数は解にならなかったんでな」


振り返ったジルが、虚ろな輪郭のまま冷酷に告げた。

物理攻撃も、魔法攻撃も、「実数」の範囲に収まる事象は、今のジルには一切干渉できない。


「『数学者』、複素数平面上単位円(コンプユニット)正弦波(サインウェーブ)余弦波(コサインウェーブ)


ジルの周囲に、不可視の波が展開される。

それは肉体を破壊する物理的な衝撃波ではない。

実軸と虚軸の狭間を揺るがす、概念的な振動。


フルは、死を悟った。

肉体的なものではない。

ただ、己のこれまで縋ってきた価値観、思想、憎悪——その全てが、無慈悲な数式によって洗い流されていくのを感じた。


文系至上主義の、完全なる死。


 カン……カン……。


脳内に響くその高音は、ただのカウントダウンだった。


「また俺様は——」


理系という、不可解な存在に敗北するのか。


フルの意識は、その言葉を最後に、白く塗りつぶされた。



夜が明けた。

イェクアールベッツィアの空に昇るその朝日は、何故か瞼の裏にこびりつくようだった。



事後処理を進める中、アークからの報告で恐るべき事実が判明した。

ジルが地下入り口の階段ですれ違いざまに倒したはずのマフィアの一人が、意識を取り戻した後、地下の最深部にて大規模な自爆魔法を放とうとしていたらしい。

第13区の居住区全域——つまりあの「迷宮」を丸ごと包み込み、道連れにするほどの威力を持つ禁呪。


実際に、屋上の橋が数本崩壊するほどの揺れが起きていた。

だが、幸いなことに、ジルが上空でフルに向けて放ったコサインウェーブの余波が、地下深くにいたその術者にピンポイントで的中し、既のところで発動を阻止出来たのだという。


「……上手くいきすぎだな」


ジルは、朝日に照らされる街を見下ろしながら独りごちた。

まるで、見えざる手が全てを計算通りに運んだかのような結末。

今回の一件で、ジルの疑い癖が、ほんの少しだけ強まった。


——そして、空から墜落したフルはというと。

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