第6話「怪異」
《任務名:廃村ヘイルにかけられた呪いの調査および解除》
「ここには、確かに呪いがかけられてる」
エドは、先程までとは打って変わって真剣だった。
聖職者らしくなった、といえば納得できる。
だが、鉄を煮詰めたような、血とも錆ともつかぬ臭気が喉にへばりついたまま。むしろ酷くなる一方だ。
「先に行く」
ジルは靴紐を結び直し、腐り落ちかけた木の柵に手をかける。
数年放置されていた蝶番が、キィと音を立てた。
その音が、子供の笑い声に聞こえたのは気のせいだろうか──
二人の背筋を、同時に冷たいものが這い上がった。
互いに顔を見合わせるが、何を言う訳でもない。
両者共に、自分の呼吸音と鼓動が、いつもより大きく響いているのをしみじみ思っていた。
村を進んでいくと、まだ人が住めそうな建物がいくつか残っているのが確認できる。
「優良物件か?」
意味ありげに訊ねるエドを背に、ジルは冗談混じりにこう言った。
「平坦な土地で、ど田舎だから騒音トラブルもない。呪われている点を無視すれば、良いところだと思う」
鞄から眼鏡を取り出して続ける。
「俺だって老後はここが良いって思える。まぁ……住居が変でなければの話だが」
「へへっ……そりゃぁいい」
ジルは窓から中を覗きこむと、眉を顰めた。
「なんだこれ」
「どうしたんだ?」
深いため息を吐いた後、耳の裏を掻く。
「普通だ。だが、いや……」
ジルは、一軒ずつ注意深く観察した。
窓の水カビ、大テーブルの上の使い古されたであろう食器。
一番上の列、本が右へ倒れ込んでいる本棚。
壁にかけられた燭台の、少し溶けている蝋燭。
人影を残しつつも、生物の気配は辺りには無い。
まるで、生物そのものがパッと消えてしまったかのように。
「スキル『数学者』、データ表示」
今度は、家の全体の様子を見る。
ジルの視界に、民家の情報が浮かび上がる。
「放置されて3ヶ月か」
冷静に分析を始めるジルに、エドが背後から声をかける。
「この村は12年前に人が居なくなった、と聞いて来たんだが」
え。
ジルが脳内で組み立てていた仮説が、その一文字に置き換わった。
(そういえば、俺はエドの名前を知らされていなかった。それなのに、初対面の俺に対して名前を呼び、"聞いてたのより"と言った。つまり聖教国の情報網は、広いが必ずしも正確とは言えない)
「スキルが表示しているんだ。間違っているはずは…」
もしかして、と思いもう一軒、村の柵に近い家まで戻る。
そして、一軒ずつデータ表示で解析していく。
ノートに数字のメモを書いていく。
柵からの距離も添えて。
やがて口を開く。
「時間軸という変数値が、村の外部と内部で異質な二つの関数を描いている……つまり、どちらも間違っていなかった。この村の"建物"だけ、時間が遅れてるんだ。最低でも12年の半分、6年は」
木造の建物が並ぶ村の上空に、だんだん雲が集まってきた。
肌を掠める風は、一つもない。
やがて日向がなくなって、建物の中に、影が揺らめいて見える。
いつの間にか、大量の視線が生者を突き刺す。
2人しかいないはずなのに、まるで軍団で来たかのような緊張感と気配の数。
「で、浄化ってどうやるんだ?」
気を紛らわすかのように、ジルは口を開いた。
「呪いの影響が一番濃い所…発信源を探してるんだ。進んでいく毎に空気が濃くなっているから、この辺だと思うんだが」
村の、苔生した噴水が遠くに見えた──
その時だった。
自分たちの足音が、次第に鈍くなっていくような、そんな感覚に襲われる。
「おい、これは……」
枯れ枝を踏んだパキという音でさえ、耳が詰まってうまく聞き取れない。
「エド?」
「こっちに戻れ!」
(聞こえねぇ、どうなってんだ?これがこの村の呪い…?)
ジルは、筋肉痛で痺れている時のように、エドに腕を引っ張られているのが分からなかった。
「そっちに戻れば良いんだな?」
エドの方へ数歩戻ったところで、閉塞感がスッと治まるのをジルは感じた。
自分が息をする事を忘れていたのに気付き、スゥ、ハァと深呼吸を5回繰り返す。
そんなジルを見かねて、エドは謝罪した。
「さっき言ったの、取り消す。ここの呪いは、絶対無視しちゃダメなやつだ」
ジルは、地面に座り込みながら、呪いについて考えていた。
(呪いの影響は、建物だけじゃなかったのか? いや、今のは明らかに効果が違うから別条件のものに引っかかったか。恐らく、20メートル先に見えるあの噴水が、エドの言う発信源のはず……)
地面に枝で線を書く。
隣の石をいくつか拾い、その中の1つを線の向こうへ投げつけた。
放物線を描く石を見て、ジルは所属していたパーティーのリーダー、フルの事を思い出した。
——コトン。
乾いた音を立て、石は普通に落ちただけだった。
その何でもなさに、逆に戦慄が走る。
「噴水の中心から半径20メートルの範囲は、入れそうにないな」
「教典で無効化出来るかもな」
エドは、鎧のどこからか一冊の青い本を取り出した。
その装丁は、不気味なほど新しかった。
ページの縁が、かすかに脈打つように光っている。
息を呑むジルの前で、エドはゆっくりとその表紙を開いた。
空気が変わる。
淀んでいたはずが、とても爽やかになった。
辺りに澄んだ細い風が吹き抜ける。
「これが効かなきゃ俺たちの骨も残らん。静かにしてろよ、始めるぜ」
教典の文字が、宙に浮かんで踊っている。
風に乗られて、楽しそうに。
先程まで感じられていた複数の視線も、気が付けばちっとも気にならなくなっていた。
いや、無くなっていた。
「す……」
ジルは口から出そうになるのをグッと飲み込む。
(凄え、宗教)
彼自身、少し感心していた。
だが2つ気付いていないことがあった。
それは、エドにとって大切なウル教が、自分にとっての数学だという事。
そして──
巨大な生物が、聖典の舞をじっと見つめている事。




