第60話「狐っ子」
ポラリスを呼ぶ合図として考案した採血は、初めて行ったにしては、その成果が早く現れた。
「先生! ……って、あれ?」
「うわ、え? 狐の子じゃん!」
三人はジルの隣にちょこんと座り込む少女を見て、目を丸くした。
少女——スズナは、彼らを警戒する様子もなく、淡金色の瞳でじっと一点を見つめた。
より正確には、カノンが食べかけで持っていたフランクフルトを凝視していた。
「……それ、ちょうだい」
「えっ、これ? いいけど……はい」
カノンが優しく手渡そうと串を差し出す。
「いただきます」
だが、少女は手を受け取るよりも早く、身を乗り出して直接フランクフルトに噛み付いた。
パクッ、モグモグ。
小動物のような素早い動きと、リスのように膨らむ頬。
淡白な表情をしているが、それがかえってカノンには輝かしく見えたようだ。
「か……可愛いぃっ!」
カノンが悶絶して、少女を抱きしめようとする。
少女はされるがままだ。
その後も、アークが心配して声をかけたり、ポラリスが面白がって覗き込んだりしても、少女は普通に応対している。
……ただ一人、ジル以外には。
「……」
「まあまあ、先生。相性というものがありますから」
ジルが少し近づこうとすると、少女はサッとポラリスの背後に隠れてしまう。
まるで天敵に遭遇した小動物のような反応だ。
仕方なく、ジルは複雑な表情で奇妙な伝言ゲームを提案することになった。
「ポラリス、名前を」
「りょーかい。……ねえ、君の名前は?」
「……スズナ」
「先生、スズナさんだそうです」
「……そうか。次は出身地だ」
ジル→ポラリス→スズナ→アーク→ジル。
目の前にいるのに、地球を半周するような遠回りのコミュニケーション。
「どこから来たの?」
「……覚えてない」
「そっかー。記憶喪失系だね!」
カノンが明るく納得する。
その時。
ぐぅぅぅぅ……。
スズナの腹の虫が、地を這うような切実な音を立てた。
フランクフルト一口では足りなかったらしい。
「……とりあえず、何か食わせないとな。お前ら、連れて行ってやれ」
ジルがそう言って厄介払いしようとすると、アークが「ダメです」とジルの袖を引いた。
「先生も来てください。お祭り、なかなかに面白いですよ」
「俺はいい。拒絶されてるしな」
「……」
スズナが、ジルの顔をじっと見て、ほんの少しだけコクンと頷いた気がした。
結局、ジルは四人に引きずられるようにして、再び祭りの喧騒へと戻っていった。
翌日。
一行は再び、ビルの最上階にあるケイの執務室を訪ねていた。
「昨夜は楽しんで頂けたようで」
デスクの向こうで、ケイが柔和な笑みを浮かべる。
そう言う彼の前には、財布も体力もすり減らして少し疲弊しているジルと、満腹でご満悦な教え子たち(+スズナ)が並んでいた。
スズナはちゃっかりアークの隣に座り、出された茶菓子をリスのように頬張っている。
「……ツキとやらは巡ってきたのかよ」
「ええ、それはもう」
ジルは居住まいを正す。
「本題に入れ」
「ええ……ではお話し致しましょうか。このイェクアールベッツィアで起こっている事について」
ケイは手元の資料を広げ、淡々と、しかし重みのある口調で語り始めた。
「事の発端は、市場に流通する金貨に精巧な偽物が紛れ込んでいる、という噂でした」
「偽金か。よくある話だな」
「ええ。ですが、量が違った。そこで私は、金貨の真贋を判定する『鑑定場』を区画ごとに設置させました。これで解決するかと思われたのですが……それが逆効果でした」
ケイは苦々しげに顔をしかめる。
「鑑定場ができたことで、『鑑定を通していない金貨は信用できない』という空気が醸成されてしまったのです。結果、金貨の信用は地に落ち、市場では物々交換でなければ交渉が成立しないという、原始的な退化が始まりました」
「信用の崩壊……か」
「その通りです。そして、正規の取引が滞れば、何が生まれるか。……『裏社会』です」
鑑定を通さない、あるいは偽金でも構わず使う闇の市場。
かつて光り輝いていた貿易都市は、今や犯罪の温床となりつつあった。
「現在、都市の勢力は二分され始めています。事態を重く見て規制を強めようとする我々『統治側』と、自由な取引と利益を優先しようとする『商人ギルド側』。私は商人ギルドの長ですが、統治者でもあります。残念ですが、私は動けないのです」
ケイは組んだ指の上に顎を乗せ、窓の外に広がる街を見下ろした。
「この都市は、金で回っていた。今は――疑いで回っている。未来では……何がどう回るんでしょうね」
その言葉には、商人としての嘆きと、状況を楽しむような冷徹さが同居していた。
「私にだけ運が回って来れば、とても微笑ましいのですが」




