第57話「海騒、おしまい」
東島での騒動が収束し、ジルたちは明るくなってきた空の下、浜辺で合流した。
「ギデオン、あたし呪われたの忘れてないからね。マジで最悪だったんだから!」
カノンが腰に手を当てて詰め寄ると、ギデオンは深く頭を下げた。
「……面目ない。あれは"霊這堂"ネロの意思が介入し、吾輩の術式が歪められた結果なのだ」
「パパ」
エマが心配そうに父の袖を引く。
ギデオンはすっかり大きくなった娘の手を握り返し、もう一度カノンに向かって「すまなかった」と謝罪した。
「ま、分かればよろしい! 今回は水に流してあげる!」
カノンがあっさりと許す横で、ポラリスがそっとジルの耳元に顔を寄せた。
「アーク、さっき凄かったよ。あの魔法は……新しい魔法のルールを作ったように思えた」
「……そうなのか?」
「うん。せんせーの教育の賜物だろうね」
ジルがアークの方を見ると、彼女はどこか晴れやかな顔をしていた。
一皮むけたような、清々しい表情だ。
だが、ふと視線を海に戻すと、その表情が少し曇る。
「ですが……絶対王が次いつ暴走してもおかしくないですね。呪いは解けましたが、神としての不安定さは残っています」
「そうだね。彼には悪いけど、暫く眠ってもらおうか。ね、エマ?」
「うん。まだ魔力に余裕あるよ」
二人は頷きあうと、再び古代語の詠唱を紡ぎ、怪人を不快眠りにつかせる封印魔法を施した。
荒ぶっていた海面が穏やかに凪ぎ、静寂が戻ってくる。
「アーク、頑張ったらしいな」
ジルは無防備なアークの頭に手を置き、さすりと撫でた。
「えっ? あの、先生……?」
アークが顔を真っ赤にする横で、じーっと恨めしそうな視線を送る人物が約一名。
「……いいなぁ。でも、私はいっぱいして貰ったし、ね」
「じゃあ僕が撫でてあげようか?」
ポラリスが手を伸ばそうとすると、エマは猫のようにサッと身を引いた。
「海神と一緒にせんといて! 私は……誰でもええ訳ちゃうし」
「やっぱピじゃん! ほら見なよポラリス!」
カノンが騒ぐ中、水平線の向こうから朝日が昇り、彼らを黄金色に照らし出した。
皆が安堵の表情で海を眺める中、ギデオンが静かにジルに声をかけた。
「ジル先生、少しよろしいか」
「……ああ」
二人は少し離れた岩場へと移動した。
波音だけが響く中、ギデオンは重たい口を開いた。
「吾輩は、アードストール、ドラコキャッスル、メリアーにしか魔法陣を設置していない」
「……何だって?」
ジルの眉がピクリと動く。
「ポラリスから聞いた。空中都市ソオラへ向かう理由は、ギルド本部長の呪いを解くためだと。だが、断言しよう。吾輩はソオラには、何もしていない。足を踏み入れた事も、この目でその飛行を視認した事すら無いのだ」
「そうか。……関係はあまり無いな。元々、解決する予定ではあった」
ジルは冷静を装って答えたが、内心では思考を巡らせていた。
(ギデオンではないとすると……ソオラの呪いは、別の誰かが? 四天王以外の何者か、あるいは……)
その横で、ギデオンは何かを飲み込むように口を噤んだ後、話題を変えた。
「吾輩は、グロリアにて技術協力を援助するつもりだ。罪滅ぼしも兼ねてな。ジル先生は大華飾魔導国にて援助をするのだろう?」
「ああ。地質調査のついでにな」
「ならば忠告しておこう。勇者召喚の際、要注意な人物が……あなたの生徒の中に居る」
「……それは?」
ギデオンは声を潜め、ある名前を告げた。
「それは——」
それから13時間後。
海が浄化され、漁業も観光も本格的に再開できるという理由で、浜辺では盛大な祝宴が開かれていた。
焚き火がパチパチと爆ぜ、肉の焼ける香ばしい匂いと、陽気な音楽が満ちている。
だが、ジルは輪から少し離れた場所で、大岩にもたれながら浮かない表情で海を眺めていた。
ギデオンの残した言葉が、喉に刺さった小骨のように取れない。
「ジルセン!」
「エマ」
振り向くと、両手にジョッキを持ったエマが立っていた。
片方には麦酒、もう片方にはオレンジジュースが入ってる。
「どうしたの? 難しい顔して」
「いや……大丈夫だ。せっかくなんだから、父親と飲めばいいだろう」
「……良いでしょ。今日はジルセンと飲みたかったんだから」
「……そうか」
エマは隣に腰を下ろすと、焚き火を見つめながらポツリと言った。
「あれ、ジルセンだったんでしょ?」
「何の話だ」
「……ふん。誤魔化すなら知ーらない」
11年前のあの日、絶望の淵にいた自分を救ってくれた獣人の大男。
エマは革新めいた笑みを浮かべ、「ほらほら」とジョッキを差し出した。
「「乾杯」」
カチン、とガラスが触れ合う音が響く。
「楽しんどるかー?」
そこへ、すでに顔を真っ赤にしたタクタが、千鳥足で茶々を入れに来た。
「うるせえ」
「邪魔しないでよ」
「う……。二人揃って冷たいなぁ……堪忍してーや」
二人の即答の拒絶に、タクタは肩を落としてすごすごと退散していった。
再び訪れた静寂。
ジルは手元の酒を呷り、ゴクリと飲み込む。
「度数は……5%か」
「ジルセンってお酒飲めるんだ。大人だね」
「エマだって来年で二十歳だろ」
「……」
「……」
波の音だけが、二人の間を埋める。
「ありがとう」
エマが唐突に口を開いた。
「……依頼を受けて、結果的にそうなっただけだ」
「じゃあ、運命だね」
「かもな」
ジルは酒をもう一口呷ると、夜風に吹かれながら短く呟いた。
「エマに会えて良かった」
その言葉に、エマが目を見開き、次いで頬をさっと赤らめた。
「……本当に、もう知らんし」
照れ隠しのようにそっぽを向くエマの横顔を、キャンプファイアーの火が優しく照らしていた。
メリアー諸島の夜は、静かに更けていく。




