第54話「行動の時」
「そう言われちゃ、断れないよね」
ポラリスはニヤリと笑い、深紅の瞳を怪しく光らせた。
「僕は厳しいよ」
それから一週間、エマはポラリスに古代語を教わった。
ジルは始めに、「エマは飲み込みが早いから効率良く、な」と忠告したのだが、エマの知識欲とポラリスの体力は謎の相乗効果を生み出すことに。
「ええっと……熱よ、宿りて炎となれ」
「そうそう。発音はもっと喉で、あと心を込めて。そして水が——」
二月中旬。
エマが古代語を完全にマスターし、ポラリスが疲弊して目の下に隈を作り始めた頃。
その日の夜11時。
メリアー諸島 東島アストグにて、異常事態が発生した。
なんと、鬱蒼とする程生い茂っていたはずのジャングルの植物が、一瞬にして全て灰と化したのだ。
その3時間後に、西島ヤーアーリン(だった海域)の、海の絶対王の祠が発信源となる呪いが発動された。
同 本島ガレロ
宿で睡眠中だった一行は、半狂乱になった島民に叩き起こされる羽目になった。
「眠ーい! なんでわざわざ起きないといけないの?」
「カノン」
「だってさー……!」
アークも少し眠たげに目を擦る。
だが、ふと窓の外を見て、その眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「……海が、普通ですね」
「……何だって?」
ジルも、窓の外に広がる景色を見る。
そこに広がっていたのは、以前のようなインク色の海ではない。
淡く白い水平線と、半月と星空を映し出す、透き通るような美しい海面。
だが、浜には無数の巨大魚が打ち上げられ、ピチピチと苦しそうに跳ねている。
「……不可解だな」
その時、海面が爆発したかのように隆起した。
現れたのは、以前よりも遥かに凶暴な気配を纏った、海神メリアミンレーツの巨体だった。
「シャアアアアアアッ!!」
化身の咆哮が大気を震わせる。
やがて宿の窓ガラスまで届き——。
「危ないっ!」
黒い影が、それを防ぐ。
ガラスの破片は粉のように舞った。
屋内にではなく、外に。
気が付けば、部屋にカノンだけが居なかった。
「追おう」
ジルは冷静にも、窓ガラスを破壊したのはカノンだと分かっていた。
カノンが巨大な黒騎士姿となって、化身に立ち塞がる。
「アンタのせいで……夜更かしは乙女の敵なんだから!」
「ウ゛ウ゛ゥ…」
カノンが一歩、強く踏み込み大剣を振るい、その液体の身体を薙ぎ払った。
バシャッ!
水飛沫が上がるが、斬られた箇所は即座に融合し、元通りになる。
「うっそ、斬れない!? 物理無効とか聞いてないんだけど!」
暴走したメリアミンレーツは、カノンを無視して腕を振り上げた。
その動きに呼応して、数十メートル級の高い波が発生する。
だが、その矛先は本島ガレロではなく——
「あっちって……大陸の方っ!?」
カノンが目を見開く。
あんなものが到達すれば、買い物し放題の楽園は壊滅する。
彼女の瞳に、勇者の色が宿る。
「させるかぁっ!」
カノンは逃げるような津波に向かって大剣を振り下ろした。
一閃。
轟音と共に、遠くの巨大な波が真っ二つに割れ、左右へと霧散していく。
「ナイスだカノン! 次は僕の番だね!」
ポラリスが空中に浮遊し、掌を化身の胸元、核となる祠へ向ける。
古代語の詠唱と共に、赤い魔力が収束する。
「血液魔法、ハインステージ」
放たれた血液魔法の槍が、一直線に祠へ向かう——はずだった。
直前で海水に入った瞬間、槍の軌道がガクンと折れ曲がり、明後日の方向へ飛んでいく。
「あれっ? ダメだね。海水が邪魔して当たらないや」
「屈折率か……」
ジルが呟き、横に居たアークに指示を飛ばす。
「アーク。水は光や魔力を曲げる。風で水を排除して、祠を露出させるんだ」
「はい!」
アークが両手を広げ、詠唱をすると、海上に巨大な竜巻が発生した。
遠心力によって海水が巻き上げられ、化身の胸元にぽっかりと空洞ができる。
祠が剥き出しになった。
「今です!」
だが、化身もさるもの。
「魔法防衛・衝水」
再び地殻変動に近い振動が起き、無理やり海水を呼び戻して祠をガードする。
「しつこいですね……!」
攻めあぐねる一行に対し、化身は反撃に転じた。
今度は島を飲みおむごとき高波が、ジルたちを頭上から襲う。
「先生!」
「アーク、転移魔法の準備を。エマを連れてきてくれ」
ジルは一歩前に出ると、冷静にインターフェースを展開した。
「水遊びは終わりだ」
「スキル『数学者』、ポイントP〜W:エリア」
迫り来る津波を覆うように、8つの点が六面体を作り出す。
その膨大な体積は、単なる数字として——ジルが操れる物として具現化された。
「V=∫∫∫dxdydz」
そして、ジルは指先で軽く弾くように打ち込んだ。
「×0」
フッ。
音もなく、頭上の津波が消失した。
一滴の水も残さず、見上げた先にはただ夜空があるだけだった。
「なっ……!?」
遠くの小船から様子を伺っていたタクタが、目を剥いて立ち上がった。
「祠は壊さんといてくれ……! あれは文化財なんや!」
「常々注文の多いやつだ」
ジルはため息をつくと、素早く計算を走らせた。
物理無効の流体ボディ、大陸への攻撃、そして核の防衛。
だが、戦力は足りている。
「先生、こちらに」
「ジルセン……? アークちゃんが急いで来てって言ってたけど」
エマと合流。
必要なピースはこれで揃った。
「ポラリス、カノン、アーク。3人で止められるだろう。俺の計算はそう言っている」
ジルが告げると、ポラリスが不敵に笑って、自身の胸元に指を当てる。
「任せて。せんせーは行きなよ。エマのお父さんのところにさ」
その言葉にジルは頷き、手が震えているエマの方を向いた。
「エマ、行こう」
「……うん!」
二人は戦場を背に、呪いの根源たる東島へと走り出した。




